Ⅱ118.勝手少女は肩を狭める。
「ジャンヌ。お待たせ致しました」
「すンません、なにもありませんでしたか?」
二限終了後いつもの一・五倍の速さで移動教室から戻ってきてくれたステイルとアーサーは少し髪が乱れていた。
私も授業が無事に終わってひと息吐いている時だったから、少し驚いてしまう。二人が戻ってくるまでの間にアムレットへもう一問くらい解説を触りだけでも教えようかしらと考えていたから余計に。
息こそ乱してないものの、教室へ飛び込んできた二人の様子から見て確実に急いでくれたのだろう。下手すれば、全速疾走どころか思いっきり階段や壁を乗り越えてショートカットで来たのではないかと思う。
ギリギリ常識の範囲内で全力を尽くしてくれたのだろう。本気を出せばステイルは瞬間移動があるし、アーサーに至っては階段を使わなくても外から直接壁を登って窓に上がれる。本当にアーサーが常識人で良かった。……それでもあまりの早いご帰還にクラスの女子達が目を丸くしてこっちを見ているけれど。まさか私が二人を脅してパシらせていると思われていたらどうしよう。
「なにも無かったわ。二人とも急いでくれてありがとう」
だけど二人はきっと昨日のことがあったから心配してくれたのだろうなと思う。
感謝も込めて笑いかけ、乱れた二人の髪を整えるように片手でそれぞれの頭に手を伸ばす。「あ、いえっ……」「汚れてるンで……!」と言ってくれるけれど、私の為に急いでくれた結果なのだから気にする必要なんてない。むしろ手が汚れることよりも二人が心配してくれたのだなとわかり、整え終えた時には思わず顔が綻んだ。二人とも急いで来て急停止したせいか、今になって汗も余計滴っているし顔も赤くなっている。
二人の髪を納得がいくまで整えた後、ハンカチで拭おうとポケットに手をいれると私が出すよりも先に二人とも自分のハンカチや袖で雑破に拭ってしまった。……もしかして私が髪を整えている手が邪魔で逆にずっと汗を拭うのを我慢していたのだろうか。そうだとしたら本当にありがた迷惑をしてしまった。
仕事のなくなったハンカチをすごすごと再び服の中に帰宅させる。二人からフーッと長い溜息が重なって聞こえ、本当に急いでくれたんだなと思う。
まだ熱気の引いていないアーサーが「飯行きましょう!」と私達の分もランチの入ったリュックを持ってくれ、ステイルもそれに同意する。ちょうどバタバタと他の男子達も「腹減ったー」と教室に数人戻ってきた、その時。
「ジャンヌ!」
ばっちり覚えのある声に振り向くと、アムレットだ。
両手にはさっきやりかけの問題用紙がしっかりと掴まれている。背後でステイルであろう息を詰まらす音が聞こえて、私からも彼を背中に隠す。
アムレット、と呼びながら彼女を正面から迎えれば、一緒にご飯を食べるであろう友人二人を待たせたまま彼女は私に早足で駆け寄ってきた。
「良かったら一緒にお昼食べない?それで時間が余ったらまたさっきの続きも教えて欲しいなって。勿論ジャック達も」
「ええと……ごめんなさい。実は私達お昼は別の学級の子と約束をしていて。勉強はまた二限目前だけでいいかしら?」
ごめんなさい‼︎と心の中で叫びながら出来る限り丁寧に断る。
本当ならアムレットと昼食とか嬉しいし勉強だって教えてあげたいけれど難しい。朝と三限後の休み時間は他の攻略対象者を探さなくちゃいけないし、昼休みはパウエルと約束がある。
それに何より二限前以外はステイルも一緒にいるから、アムレットを避けたい彼に苦難且つ難題を強いることになってしまう。あのステイルが必死になって逃げているのに、巻き込んでいる私が余計に困らせるわけにはいかない。
本当にごめんなさい、と二度目の謝罪をしながら笑いかけるとアムレットは「そっか」とすんなり了承してくれた。
「こっちこそごめんね。じゃあまた二限目前にならお願いできる?」
「ええ、勿論よ」
あとひと月もないけれど、少しずつ教えれば余裕でなんとか全部教えきれるだろう。
そう思って返せば、アムレットは嬉しそうに「やった」と笑ってくれた。そのままお礼を返してくれたアムレットは私達より一足先に友達と一緒に教室を出て行った。今や特待生だし食堂かな?と思ったけれど、一度自分のプリントを仕舞うとそれごと鞄を持って出て行ったし、少なくとも今日は持参のようだ。
「……すみません、ジャンヌ。俺の所為で」
「ううん、なに言っているの!だってパウエルとの約束の方が先だもの」
アムレットが完全に去ってから掛けられたステイルの声は落ち込むように低かった。返しながら振り向けば、いつもより肩が少し丸い。眼鏡の黒縁を軽く押さえながら眉を少し寄せていた。
ステイルがアムレットを何かの事情で遠巻きにしたい理由は聞かなくても大体は察せる。それに関わりたくないと私達に先に相談していたのはステイルの方なのだから。
なら、パウエルのことがなくてもステイルを優先させるのは当然だ。御忍びである私とステイルは基本的に離れない方が護衛の騎士達の為にも良い。昼食なんて生徒全員がわんさかひしめき合っているし、流石にその度にステイルはパウエルと、私はアムレットとと別れるわけにもいかない。
ステイルは王子とはいえ私の補佐や従者としての立場が強いから護衛に関しても王族にしては緩い方だけれど、それでも王族だ。意図的に護衛の騎士を一人もつけないわけにはいかない。
落ち込むステイルに、アーサーも「気にすンな」と軽く彼の肩を突き飛ばすように叩いた。そのまま「それよかパウエル待たせてンだろ」と教室の扉を親指で示せばステイルも無言で頷いた。
アーサーに続き、私からも「それに」とまだちょっぴり元気のない様子のステイルに声を掛ける。
「私達だって、フィリップが一緒にいないと寂しいわ」
ねっ、とそのままアーサーに同意を求めて笑いかける。
突然振られたことに蒼色の目を大きくしながら、アーサーも三回頷いてくれた。
ステイルとはヴェスト叔父様についている間も食事だけは殆ど共にしていた。でも朝食や夕食と違って、一日の間である昼食はどうしてもステイルはヴェスト叔父様と過ごしてしまうことも多かった。それにアーサーと食事なんてそれこそ式典やパーティーでしかない。そんな彼らと一緒に食事できるなんて貴重な時間だ。アムレットは天使だし大好きだけど、やっぱり二人を優先したい。
……なんて、大人気ないことを言ったら二人に呆れられること請け合いだから絶対言えないけれども。
ここは胸の内に秘めておこう、と思いながら後ろ手に回したまま軽い足取りでアーサーに続く。行きましょ、とそのまま背後に続いてくれているであろうステイルへ振り返ると
「……フィリップ⁇」
ステイルが、固まっていた。
口元を手の甲で押さえつけたステイルは、俯いたまま漆黒の瞳が目の奥でが泳いでいる。いっそ虚ろじゃないかと思うほど揺れていて、赤みが増した顔色に一瞬熱中症かしらと心配になる。いやでも今さっきアーサーが触れていたし……というかまだそんな季節でもない。十四歳の身体に走りすぎで負荷を掛けてしまったのだろうか。
振り返りアーサーを見ると、私の視線を受けた途端に唇を引き結んで肩を揺らした。ぎょっと、まるで私からの問いを今から警戒しているかのような様子だ。まさか思っていたことが知らないうちに口に出てしまっていたのかしらと私も私で両手で口を押さえる。それならステイルがあまりに恥ずかしい私の願望に顔を赤らめても仕方が無い。
口を両手で隠したまま小声でアーサーに「私なにか言っちゃった……?」とだけ尋ねると、まさかの「言ったっつーか、いえ今のはっ……」と口ごもってしまった。何故か伝染するようにアーサーまで頬がうっすら赤い。首の後ろを掻きながら私から目を逸らしてしまうアーサーに、本当に心の声が出てしまったのだと確信する。しまった、また気が抜けすぎた。
「あ、あのス……フィリップ?ごめんなさい。ちょっと子ども過ぎたわよね。でも、やっぱり私にとっては貴重な時間で……」
「〜〜っ⁈きちょっ……‼︎」
……何故か余計にステイルの声が裏返った。
元の姿よりも声の高めなステイルの声が更にひっくり返って私もちょっぴりびっくりする。私からそのまま背中を反らすステイルは顔がもう塗ったように真っ赤になってしまう。
いい年してとはいえ、家族や友人との食事の時間を惜しむなんてそこまで恥ずかしいことだろうか。……いや、かもしれない。一般家庭ならばまだしも私は王女だし。ステイルからすれば未だにそんなのに拘るのかレベルかもしれない。
余計に火へ油を注いだことがわかった私は、今度は安易に説得を試みずに頭の中で言葉を探す。苦笑いに口端が引き攣ったまま固まってしまえば、先にステイルが「〜〜っもう良いです」と怒ったように呟いてから早足で私を横切りアーサーに突進していった。
どすっ!とアーサーの肩に頭突きするのが先か、それとも拳を彼のお腹叩きつけたのが先か。どちらにしろ、不条理なステイルからの一撃にアーサーは「あ゛⁈」と声を上げた後、舌打ちをしながら平手でステイルの背中を叩いていた。
バシン!という激しい音と一緒にステイルの丸まっていた背筋が伸びる。気合いを入れてくれたのだろうか。反るほどに伸びた背筋で暫く固まったステイルは、咳払いを二度ほどしてから私に振り返った。
眼鏡の黒縁を指先で押さえつけながら、まだ赤みの残った顔で口を開く。
「……すみません。失礼しました。パウエルが待っています、急ぎましょう」
若干まだ声が波立っている気はしたけれど、取り敢えず聞かなかったことにしてくれたらしい。
本当に腹の音の次は心の声まで口に出ていたとか恥ずかし過ぎる。私も「はい……」と弟にフォローされる自分が情けなく思いながら肩を落とした。そのまますごすごとアーサーと並ぶステイルの後ろに続く。
途中でアーサーが私の背後に付こうとしたのか歩みを止めてくれたけれど、直後にステイルから後ろ首の服を掴まれていた。
「うおっ?!」と声を漏らしたアーサーを逃がさないまま、今は自分と付き合えと全身で訴えているのが私にもわかった。
そのまま私に聞こえない音量でコソコソと何かを話しているらしい様子はあったけれど、残念ながら足音と周囲の生徒の話し声で聞こえない。時々アーサーが「アァ⁈ンで今……」とか「いやそりゃァ言ったけどよ」と声を上げた時だけ耳に入った。
まさか私へのダメ出しだったらどうしようと心の隅でヒヤヒヤしながら、二人の話が終わるのを待った。気分は完全に校長室前で待たされる生徒だ。
途中からはステイルに肘でガスガスと脇腹を突かれたり、私の方を短く振り返ったりするアーサーまで耳が赤くなっていた。
一回だけ目が合っても何も言われずに絞った唇を震わせる彼に、何だか余計申しわけない気分になる。子どもの頃からの私の大人げないエピソードとか愚痴られていたら多分一ヶ月は立ち直れない。
それから渡り廊下で待ってくれていたパウエルと合流するまで、一度もステイルは私の方を振り返ってくれなかった。
……弟でもあるステイルからのツンは、アムレットの天使の後だと余計に堪えた。




