Ⅱ115.勝手少女は把握する。
「今日からは一年生の教室を見て回ろうと思うのだけれど、良いかしら?」
おはよう、おはようと階段を上がり始めればすぐに行き交う生徒との挨拶が重なる。
その中で私は背後を歩くアーサーと前を歩いてくれるステイルに投げかけた。ええ、もちろんですと言葉を返してくれる二人だけれど、どこかその声に覇気がない。
何か考え事をしているようにぽやぽやした声に思わず首を捻ってしまう。医務室を出てから、……というよりも出る前からずっとこんな調子だ。
「どうかしたの?二人とも」
「ッいえ!別に‼︎」
「なんでもないです‼︎」
尋ねてもやっぱり断られる。どう見てもなんでもないようには見えないのだけれども。
でも私に言いたくないということはそういうことなのだろうと諦める。二人とも返事をした後は私から顔ごと逸らしてしまう。私に向けた耳が僅かに赤いから怒っているのだろうか。でもファーナム姉弟の誤解も解けたし、なにをそこまで怒らせたのか全くわからない。少なくともアーサーがいるから体調不良ではないようなのだけが救いだ。
「ッそ、それよりも。……本当に、良かったと思います。ファーナム姉弟のことは」
空気を変えるようにステイルが話題を投げてくれる。
僅かに最初は上擦った声が、途中からは穏やかに落ち着いた。すると背後のアーサーも「自分も、そう思います」とすぐ今度は返してくれた。取り敢えず会話をしたくないほど怒っていたわけではないことにほっとする。ちょっぴり肩の力が抜けて「そうね」と明るく返せば、自然とさっきまでの微妙な空気も振り払われた。
「これで今日からはずっとあの子達も学校に通えるのだから私も嬉しいわ。これも全部フィリップ達のお陰よ」
本当にありがとう、と改めてお礼を伝えると、二人も今度は笑顔でこちらに顔を上げてくれた。
「御心のままに」「俺は何も」と謙遜する二人はやっぱり十四歳の姿でも変わらない。寧ろ二人とも十四歳の頃からそうだったなと思うと、思わず笑顔がそのまま余計に綻んでしまう。こんな素敵な人達が昔から傍にいてくれたなんて本当に私は幸せ者だなと思う。
すると、うっかりそんな気持ちが顔に出てしまったのか、さっきまでお穏やかな笑顔を返してくれていたはずの二人の顔がまた微妙に紅潮し出した。唇を一緒に絞って目を見開くまでの様子は双子でもないのにそっくり一緒だ。……しまった、こんなことでにやつくのは流石に王女らしくなかった。
普通の生徒には十四歳少女がふにゃふにゃしているようにしか見えないだろうけれど、正体を知っているステイルとアーサーからすれば十九歳の第一王女が人目も憚らず緩み切った顔を見せている。見開いた二人の目から一斉に声を合わせるように「子どもか‼︎」というツッコミまで聞こえる気がする。
だからといってここで「二人が一緒に居てくれるのが幸せ過ぎて」とか言ったらそれこそ甘え過ぎだと思われる。なんかもう、この身体になるとついつい周りの子達に合わせて中学生時代気分になってしまう。
このままだと今からでも学生服着たいとか言い出しそうな自分が怖い。いやでも、まぁそれはこの学校でなくても……
「本当にすごいアムレット‼︎特待生だなんて羨ましい‼︎」
唇をきつく絞ったアーサーが扉を開こうとした時、その前に一枚扉の向こうから跳ねるような叫び声が聞こえてきた。
歓声、と言った方が正しいかもしれない。わっっ!と広がる男女の声に思わず肩を上下した私は、目が一瞬だけ皿になってしまった。
一度止まったアーサーが恐る恐る安全を確認するようにゆっくり扉を開くと、今度は大きな歓声だけでなく「見たぞ!」「すげぇ」「良いなぁ」と口々にクラスの生徒達の声が聞こえてきた。
声のしたほうに目を向けてみると教室の最前列真ん中にわかりやすく人集りができている。空気を壊さないようにここは挨拶を掛けずそ〜っと教室に入った私達は人集りへと目を向けた。
一番確実に居るであろうアムレットが人に囲まれて影も形も見えない。けれど上がる声から「何言ってるの!充分すごいのに‼︎」「特待生には変わりないだろ!」「俺なんて全然わかんなかったぜ」と聞こえるから、応答はしているのだろうなと思う。流石アムレット。学校開始半月でクラスの有名人だ。
そういえばゲームでも、勉強ができる真面目な子設定のあの子は入学式とは違う中途半端な時期に入学してきた生徒だった。十七歳という卒業間近の年に入学希望して、優秀な生徒しか入れない入学試験に合格した彼女は入学初日からあんな風に「この時期に入学試験受けてまで入学する子珍しいよね」「今まではどうやって勉強してたの?」「もう授業についてくるなんて凄いじゃん」とクラスの子に一目置かれていた。……正確には秀才ではなく〝真面目〟なだけだから、本当に本人の努力の賜物だ。やっぱり現実のアムレットも真面目に頑張ってきたんだなと思う。
「すごい人気っすね……」
「これならファーナム兄弟の方も凄まじいことになりそうだな。なにせ、あちらは姉弟揃っての特待生だ」
そろそろと最前列の人集りを遠巻きに眺めて横切る私達はそのままいつもの席に着く。
ステイルの言葉に私もアーサーも「確かに」とそれぞれ頷いた。特待生を姉弟でなんて絶対彼らくらいのものだろう。クラスが違うからどうしようもないけれど、今更になってちょっぴり彼らが心配になる。
元々双子で美少年尚且つ片方は最近入学してきたばかりで注目度も跳ね上がっている筈だ。そこで更に特待生なんて天才姉弟とか呼ばれる日も遠くはないかもしれない。そこまで考えて〝姉弟〟ということにちょっと昨日のことが引っ掛かったけれど、今は一度飲み込んだ。
「……僕もちゃんと約束は守らなければなりませんね」
ふ、と。そこで少し笑んだような含みをもった声でステイルが呟く。
見れば、何か企んでいる時の顔で笑んでいる。黒い気配は感じられなかったから悪いことではないと思うけれども。それでも鼻歌でもしそうなほど楽しそうなステイルの笑顔がちょっと気になった。アーサーも不思議そうで、私が「ステイル?」と尋ねるように呼ぶと今度はにこやかな笑顔のまま返された。
「ジャンヌ。今夜、少しだけお時間頂いても宜しいですか?……折角ならご一緒の方が良いと思うので」
にっこり、と上機嫌に笑むステイルに私もすぐ返した。
ステイルが少しだけ、というなら本当にそんなに時間はかからないのだろうけど一体なんだろう。私の返事にありがとうございますと返してくれるステイルは流れるように「許可と手続きは俺がしておくのでご安心下さい」と言ってくれた。
ステイルと私のやり取りをついていけない様子でパチクリさせた目でアーサーが見ていると、最後にステイルは「安心しろ、お前も道連れだ」とそこだけ少し悪い顔で笑った。もしかして敢えて今会話に置いてけぼりにしたのかしらと思うと、ステイルもなかなか童心と悪戯心が戻っている気がする。
アーサーも蒼い目がまん丸のまま「お、おう」と深くは聞かずに頷いていた。一人機嫌が良さそうなステイルは、アーサーの反応を確認してから流れるような動きでポケットからカードを出した。そのまま教師が来る前にとカリカリ軽やかに走り書きをすると、私達が覗く暇もなく瞬間移動で消してしまう。
首を捻ると「最低限先に伝えといた方が良いかと思いまして」とだけ返して貰える。特殊能力の関係でジルベール宰相か、護衛の近衛騎士の誰かだろうか。
「席に着いて下さい」
ガランッと扉が開き、カツカツと予鈴に合わせて今日もロバート先生が入ってくる。
その途端お祭り騒ぎだった生徒が口を結び、パタパタと席へと戻っていった。いつも通りのもう見慣れた光景だなと思ったけれど、ロバート先生の手には大量の紙の束が既に携えられていた。いつもなら生徒に手伝わせるか、出欠確認後に持ってくるのに。
もしかして、と思った所で紙の束を教卓に叩きつけた。バチン!と鞭のような音がして生徒全員が肩を硬らせて沈黙する。でもロバート先生は怒った様子はない。単純に紙の重さだろう。
淡々と話すロバート先生は「出欠確認の前に」と前置いてから教室を見回した。
「まず、全員知っているでしょうが特待生にアムレット・エフロンが選ばれました。よって特待生特典である寮の鍵と学食証を贈呈します。奨学金については今月中に職員室へ来るように」
おぉぉー、と自然と温かい拍手がロバート先生の言葉直後に放たれる。
多分金銭は奪われる可能性も考慮してだろう。小さな鍵と学生証サイズのカードを受け取ったアムレットは何度も頭を下げていた。
本当にこのクラスは平和だ。皆んなでアムレットの栄誉を称える流れが素晴らしい。本人も背後姿だけど照れるように肩が上がって小さく幅だけ狭まっている。そのままロバート先生が「この学級でも殆どが特待生試験は受けたらしいですが」と拍手が収まるのを待ちながら他の生徒達もよく頑張った、よく挑戦しましたと良い先生代表格な台詞を言ってくれた。
そして長すぎないところで締め括ると今度はバラリと教卓の束を軽く持ち上げる。
「これから特待生試験受験者に答案用紙を返却します。問題用紙も共に返却するので、今回はわからないところを各教師、講師に聞いても構いません」
試験範囲は今までの授業範囲ではあるけれど、ノートを持ち込めない生徒もいるし分からなくても確認できない生徒がいるからだろう。
全員に返却を終えたら出欠確認を行います、と言ったところで先生は順々に答案用紙に書かれた名前を呼び出した。
数枚ずつ返されるのを眺めながら、最後列の席にいる私達は改めてこのクラスだけでもかなりの数の生徒が試験に望んだのだなと理解した。




