想い、
「姉さんは昔から僕らの為に稼いでくれて、殆ど自分の為に時間を使えなかったんだ」
覇気のない声でぽつぽつ呟くクロイの言葉に、ディオスが顔を痛そうに歪めて頷いた。
確かにセドリックもそう話していた。ゲームの設定でもクロイが主人公のアムレットに語っていた過去だ。両親を失ってから小さな彼らを養う為にお姉様が必死にお金を稼いでくれていた。その間、家を守るのが兄弟の役割だった。
ファーナム兄弟が心を許した相手であるセドリックに話したのはわかるけれど、それを私達にまで打ち明けてくれたことに場違いにも少し嬉しくなってしまう。
「だからこの歳まで僕らのことばっかりで。……そのくせモテるのに自覚ないからすぐ変なのに言い寄られるし」
ハァ。と、クロイが心の底から吐き捨てるような溜息を吐く。
それから一瞬だけ妙に冷め切った目で私を見てからすぐまたお姉様に視線を落とした。……ちょっと待って。なんで今このタイミングで見られたの。まさか〝変なの〟に私もカウントされているんじゃ。
反射的に口の中を飲み込んだ後に追求すべきか考えていると、今度は両側に立つアーサーとステイルからも息を吐く音が聞こえた。
偶然、か同タイミングだったから振り返ってしまう。何とも言えない表情の二人と立て続けに目が合って、思わず両肩が小さく跳ねた。待って二人にまで私〝変なの〟カウントされている⁈
笑っているようにも無我の境地にも見える二人の表情に無言のまま訴え続けると、また二人同時に私からクロイ達の方へ目を逸らした。ひどい。
「中には金持ちで〝君は何もしなくて良い〟とか言う奴もいたし、いっそソイツん所に嫁に行けば姉さんだけでも良い暮らしできたかもしれないのに、それもしなかったし」
……その気持ちは、わかる。
肩を落としながら独り言みたいに呟くクロイと、首から頭を重く俯かせるディオスへ私も振り向いて思う。
私だって二人みたいな兄弟が、……ううん、ステイルとティアラが居て、ファーナム姉弟みたいな境遇だったら絶対に放って置けない。億が一、自分にそんな人が現れても絶対家族を取ってしまう。姉として自分の幸せなんて構ってはいられないし、安心できるまで親の代わりを務めないとと思う。お姉様だってこんな優しくて可愛い弟達が居たら置いていける訳がない。ほんの数日だけだけど、三人がお互い大事な家族なのは見ていてわかるから。
そう思って三人を見つめていると、ずっと無言だったディオスがそっとお姉様へ手を伸ばした。ベッドの上に降りたままの女性らしいたおやかな手に重ねる。
「姉さん、昔はここまで身体弱くなかったのに。…………あんなに無理するから」
自分で言って胸を痛めるような表情をするディオスに息を止める。
彼の言葉が引っかかり、少し悩んだ末に抑えた声で「あんな、に?」と尋ねてしまう。今の口振りだとお姉様の仕事を知っているようだ。
私の問いに二人は同時に振り向き、顔を見合わせた。冷めた表情のクロイと顔を痛そうに歪めたままのディオスの若葉色の瞳が宝石のように並んでいる。言うかどうか少し悩んでいる様子だ。
まずい、もしかしたら踏み込み過ぎたかもしれない。ゲームのことが気になったとはいえ、二人が知ってても知らなくてもお姉様は踏み込まれたくないはずなのに。
でも今の口振りだと、ゲームとは既に色々違うからまさか知ってるのかなと思って不安になってしまった。
慌てて考え直した私の目が左右に泳ぐ。「ええと、ごめんなさい」と話を変えるべく言葉を探せば
「煙突掃除」
……え?
唐突に返されたクロイの言葉に私は口を開けたまま返せなかった。
一瞬聞き違いかな、と思ったけれど二人は気にせず続けた。話によると、まだ子どもだったお姉様はお金を稼ぐ為に煙突掃除や布の染色業を並行して働いていたらしい。
特に煙突掃除は狭い所に入れる女性や子どもが重宝されたから稼ぎも悪くはなかったと。……ただ、その分負担が酷いけれど。煤だらけに汚れた煙突の中に入ってロープで身体を縛って吊り下げられて危険だし、中は一人で掃除しないといけないから手分けできない。狭いし呼吸も辛いし力も使う重労働だ。それを当時十歳そこらのお姉様がやっていたのだと思うと信じられない。
ステイルとアーサーも同じ意見なのか、瞬きを忘れた目でお姉様から視線を離さない。
「それも朝から晩まで働くし、姉さん真面目だから手を抜かないから煙突一本一本時間かけて……だから、後の仕事も押しちゃって、遅くまで帰ってこないことも多くて僕もクロイも怖かった」
「煙突の中なんてどうせわかんないんだから適当にやれば良いのに。煙突の中から出てくると全身煤だらけで真っ黒だし。あんなの身体に悪いに決まってるのに」
吐露するディオスに続き、クロイが声を低めた。
鬱々としたようにも聞こえる声色だけど、その瞳の色は優しい。責めるつもりではなく、本当にお姉様をただただ想ってくれている目だ。
最後には潜ませるような声でディオスが「結局、過労でそのまま身体を壊しちゃった」と続けた。小さい頃からおつかいとかで外出する度にお姉様が煙突から真っ黒な姿で出てくるのを見てきたらしい。仕事ができなくなる頃には、咳が続いて大変だったと聞いてぞわっと背筋が冷たくなった。もしそれで肺炎とか病気にまで発展していたら。お金のなかった三人にはそれこそ致命的だ。
今はもうアーサーが触れてもこうして身体が弱いままだし、本当にただただ丈夫じゃないだけなのだろうけれど。そう思うと寧ろ身体が弱くて良かったかもしれないとまで思ってしまう。身体に限界がとはいえ、病気になる前に身を引けたのだから。
そしてお姉様が煙突掃除が無理になって働くのも身体が限界を迎えやすくなってから、今度は身体が少し出来上がってきた二人が働くようになった。代わりにお姉様が家のことをしてくれるようになったとディオスが話してくれてから、やっと少し明るい声で私達に笑みを向けた。
「だけど、家のことをするになってからは姉さんも大分体調が良くなったよ!ご飯も上手だし、空いた時間には好きなこともできるようになったし!少しずつ動いても咳や息切れをしなくなったんだ」
学校に行くと自分から言い出したのもお姉様だったと。そう言いながらディオスは心から嬉しそうに笑った。眉を垂らした笑みは力一杯というには程遠かったけれど、それでも明るい。
きっと自分達の所為で本当にそれまでは何もできなかったことに対する罪悪感があるのだろうけれど、純粋に身体を壊してしまったとはいえお姉様が自分のことに時間を費やせるようになったことは嬉しいのだろう。
続けてクロイが落ち着けた声で「それでも変な虫は寄って来たけどね」と付け足した。だけどさっきほどの陰鬱さは感じられない。代わりに自分達の髪についた可愛らしいヘアピンを指でなぞった。
それを見たディオスも、クロイと彼のヘアピンとを見比べてはにかんだ。何も言わずに頬を柔らかく綻ばせている兄の笑みにクロイは目だけでチラッと気付くと、すぐ反対へと逸らして唇をちょっぴり尖らせた。どこか気まずそうにヘアピンから手を離す姿は子どもっぽくて可愛らしい。二人が何を思ったか察せられた私まで擽ったくなる。セドリックからも聞いた話だ。
ステイルも私から顔を向けたら肩を竦める動作の後に笑い返された。アーサーはわからないように首を捻ってたけれど、その途端にステイルが横から耳打ちでこっそり教えてくれた。
そしてファーナム兄弟の話を聞いて、私は思う。結果として家にいることで自分の時間を作れたお姉様。けれどきっと、弟達を支えると決めていた矢先に逆に自分が助けられちゃうことに責任を感じてしまっただろう。
何も出来ずにただ家で安静にしないといけない日々は辛かったに違いない。そして弟達もまた自分達の所為でお姉様が無理を強いられて身体を壊したことをずっと気に病んでいる。
だからこそ、あんなに過保護と言われても良いくらい二人はお姉様のことを心配して気を遣って、本当に一ミリも負担をかけるのも心労をかけさせるのも避けたがった。パウエルや他の男性、そしてセドリックにも異性として気を払うのも結局はお姉様を取られるというよりも、お姉様にまた心労を招くような状況を作りたくなかったのが大きいだろう。
お姉様が恋をして気を病むのも、言い寄られて困るのも嫌だから彼らが出来る限り威嚇してシャットダウンしていたに違いない。単純にお姉様と自分達以外が仲良しなのが嫌なら、勉強を教えてくれたステイルやお姫様抱っこしたアーサーだって威嚇されている筈だ。自分達と同い年でお姉様より年下の二人だからそこまで異性としては警戒されなかったのもあるだろう。
お姉様が身体を壊したのは、本当に残念だとは思う。
病と違い、アーサーにも治せない。毎日弟達の為に必死に働いて、働いて、煙突の中に潜って、染色して、全身真っ黒になって、文字通りボロボロになるまで働いて、二人の為に恋愛とかにも疎く生きてきて、たとえ機会があっても断って、その所為でか異性との恋愛関連には鈍く慣れていない。
あんなに美人で素敵な人なのに、恋も自分のことも殆どできずに働き詰めで、そして身体を壊してしまってからは弟達へ気が咎めながら家に篭りがちの生活を余儀なくされてしまった。そしてそんなお姉様を思って、今こうして弟二人に見守られる中ベッドで気を失っている彼女の横顔を見て思う。
本当に〝良かった〟と。
……確かにお姉様の苦労は並みではないし、それで身体を壊してしまったことも避けれたらと思う。
三人の今日までの苦労は計り知れないし、本当に辛かったに違いない。だけどそれでも、……ゲームの設定よりはずっと希望があるから。
黙したまま、お姉様を見つめ続ける二人を見て思う。今でこそ細くて血色が悪いこともあるお姉様だけれど、働いていた時はきっとこれ以上に窶れていたのだろう。
毎日あの細い身体でそれこそゴールも見えずに働き続けたのは弟達の為以外ない。自分のことなんて後回しで働き続けたに違いない。煙突掃除なんて命懸けで体力仕事を女性の細腕でこなしながら、二人も弟を養ったのだから。突然両親を失って、とにかく自分でも稼げる仕事をと探して、そして
身体を、売った。
……ゲームでは。直接的な表現は避けながらも、二人を養う為にそれしか方法がなかったと彼女の口から語られていた。




