そして侵攻する。
昨日、帰ってから元の姿に戻る為に服を脱いだ時。
新しくついた刺繍だけでなく、それがカモフラージュであることも二人にはあっさりと気付かれてしまった。
最初こそ「それ?可愛いでしょう?」と笑って言えて、ロッテもマリーも素敵だと褒めてはくれた。のに、脱いだ後にマリーはそれをまじまじと眺めてすぐ布地を裏返して正体を明らかにしてしまった。表面からはわからなくても、その分裏面をみればバッチリ破れた布地の継ぎ目がわかってしまった。
まるで殺人の証拠を突きつけられたような気分で言い訳も出ずに固まっていると、ロッテも顔色を青くするしで二人に事情から納得して貰うまで大変だった。ステイル様に御報告を、王配殿下に、陛下に、ほんとに御身体はと。それはもう一から千まで心配されてしまった。アラン隊長が助けてくれたし、必要なら証言もしてくれると言ってやっと二人も落ち着いてくれたけれども。
バレないように裁縫してくれたその先生には感謝しないとと、そうじゃないと身分は気付かれなくてもひと月の間は女性として辛い目で見られるかもしれなかったとマリーに言われた時は私も頷いた。本当にその通りだ。
あの被服科のネル先生にはまたお礼を言いたい。むしろ一ヶ月後には遠回しにでも何らかの形でお礼をしたい。取り敢えず素敵なアップリケの代金分以上の昇給くらいは。
次はもし連れ込まれても服を挟んだり引っ掛けたりしないように気を付けよう。
「わかったわ、マリー。ちゃんとお断りするから。だけど、あの刺繍は素敵だったでしょう?」
心配してくれるマリーに感謝しながら笑い掛ける。
あの刺繍してもらった服は、個人的に私が気に入ってしまったのでもう着ないまでも大事に洗った後は保管してもらうことになった。あくまで〝保管〟で絶対二度と着ない事を条件に。
私の言葉にマリーは肩を落としながらも頭を下げて返してくれた。ロッテも「お気をつけて」と声を掛けてくれ、とうとう私達は出発することにする。
前を向けば、ステイルやアーサーは言葉裏には気付いていないようで安心した。取り敢えずネル先生の刺繍が悪いわけじゃないことだけアピールした私は、二人に笑顔で返す。
行きましょう!と並ぶステイルとアーサーに笑いかけ、手を取った。カラム隊長や専属侍女のロッテ、マリー、そして近衛兵のジャックにも挨拶をして私達は瞬間移動した。
視界が切り替わり、いつものようにエリック副隊長の家に着く。
玄関に立った私達は「おはようございます、朝からごめんなさい」と決めていた言葉を掛けようとした。……ところが
「…………あら?」
何か、おかしい。
いつもはカーテンが開かれて明るい空気と風の通った窓、そして少し賑やかな生活音が聞こえる家の中は薄暗かった。
太陽が登ったばかりのお陰でカーテンの隙間から部屋は照らされているけれど、それだけだ。エリック副隊長もいなければ、ご家族すら一人もいない。
憩いの場であるテーブルも綺麗に整頓されて、花も飾ってあるけど何もない。朝が早いし朝食が並んでいるとまでは思わないけれど、誰もいないのは不自然だ。まさか何かのサプライズか、それとも事件でもとまで考えてしまう。
あまりに静か過ぎて、声を出すのも躊躇われた。
「エリック副隊長……いないっすね……」
声を潜めたアーサーに私も頷く。
まさか寝坊⁇それとも忘れて早朝演習に一度騎士団へ戻ってる⁈いやでもあのエリック副隊長が寝坊なんてあり得ないし、忘れてるとも思えない。それにステイルが知らせてくれている筈だし……
「…………はっ‼︎」
さっきまでずっと黙していたステイルが突然声を洩らす。
明らかに今気づいたと言わんばかりの焦燥の声に振り向けば、目を見開いたまま慌てるように自分の上着を叩いていた。今日の服はまだ着替えたばかりだし、何か忘れ物でもしてきたのだろうか。
アーサーも不思議そうにその様子に眉を寄せたけれど、途中からは「あ⁈」と声を上げ、直後に自分の口を両手で押さえた。蒼色の目だけが零れそうなほど大きく見開かれている。
両肩が思いっきり上がって、塞いだ手の隙間から「お前っまさかあの上着……」と掠れた声が洩らされた。ステイルも上着を確認した後は顔色の悪いまま固まっているし、なんだかとても嫌な予感がする。どうしたのかと、意を決して尋ねようとしたその時。
「ん?……おぉ、ジャンヌ、フィリップ、ジャック。どうした?今日は早いな」
のんびりとした声に顔を上げれば、居間の奥から第一住民が姿を現した。エリック副隊長の弟のキースさんだ。
ふわぁ、と大きな欠伸をしたキースさんは子ども相手だからか、あまり驚いた様子もなく私達に目を凝らす。大分眠そうだ。
寝衣姿でもなく、外出用と思しき服装だけど大分ヨレている。着替えたばかりというよりも、昨日からそのままといった印象に見える。ぱちくりと瞬きをしてしまいながらも、家の中に人が出てきてくれたことにほっとした。
私達はキースさんに正面を向け、おはようございますと挨拶をした。それからエリック副隊長はご存知ありませんか、と私から尋ねてみると背後からステイルの「あっ、ジャン……っ」と僅かに声を詰まらせるのが聞こえてきた。
途中で途切れてしまった声に顔だけで振り向けば、ステイルがなんとも言えない表情に顔を青ざめて固まっている。彼が続きを言う前に、キースさんの方が気軽な様子で返してくれた。
「兄貴か?あー、昨日騎士団演習場から帰ってきてからずっと家にいるよ。夜までは相変わらず鍛錬だので忙しそうだったけど早めに寝たし……たぶんもう二、三十分くらいしたら起きてくると思うけどなぁ」
つまりまだ起きてきてはいないということだ。
あれ、おかしい。確かに予定の時間よりは早いけれど、こんなギリギリにエリック副隊長が起きてくるなんて。まさかそんなに疲れていたのか、実は体調が悪かったのかなと心配になる。
説明してくれる間も、キースさんは寝ぼけ眼で部屋のカーテンを次々と開けだした。窓も開けて空気も入れ替え始める。「俺なんてこれから仕事だよ……」とぼやいている声は独り言にも寝言にも聞こえる重さだ。どうやらキースさんは生活習慣が乱れているから今日は早朝起きだったらしい。
すると背後から再びステイルの声で「ジャンヌ……」と申し訳なさそうなトーンが放たれる。振り返れば、ステイルの頬にたらりと一筋の汗が伝っていた。
「申し訳ありません……、俺がエリック副隊長へ伝え損ねていました……。なので今日時間が早まったことをご存じないのだと……」
完全に俺の責任です……と絞り出すような重い声に私は笑った口のまま固まってしまう。
昨晩にカードの準備だけは上着に入れていたのですが、と苦そうにステイルが続ければアーサーもなかなかばつの悪そうな表情で私と彼を背後から見比べていた。
まさかのステイルがうっかりミス。今日は大雨でも降るんじゃないだろうか。まさかファーナム姉弟の合否の不吉な予兆ではと嫌な予感まで覚えてしまう。
取りあえずは「あちゃあ」という気持ちそのままでどうすべきか考える。申し訳ありませんとステイルは深々頭を下げてくれるけれど、もとはといえば昨日の帰り道に私がエリック副隊長に伝え忘れたのが悪い。
すると、話を聞いていたキースさんが「今日は早いのか?」と軽い調子で投げ掛けてくれた。正直に肯定した後、しまったと思う。今までのことを考えると「じゃあ俺が送ってやるよ」と提案して下さっちゃいそうな気がする。今の状況だと余計断るのが難しい。その時はまた前回使った言い訳をフル動員して……!と考え出すと
「じゃあ俺がー……、いや、違うな。……うん、よし」
やはり!と提案しようとしたキースさんの言葉が途中で止まった。
思いとどまったように視線を私達から一度外し、難しい顔で俯くと一人で結論がついたように頷く。思案する横顔はエリック副隊長に少し似ていた。
ステイルも困っているようだしアーサーもどうすればわからないように無言の中、キースさんは早足で私達のところに歩み寄ると片手でそっと私の背中に手を回した。
「良いか?ジャンヌ」
「ふぇ⁈」
そのまま背中を押される流れで前進させられ、私の顔の位置に並ぶように背中を丸めたキースさんが耳打ちしてくる。
とたとたと背中を反らすように歩く私にステイルとアーサーも目を丸くしながらついてきた。柔らかな雰囲気の居間を横切り、廊下からさらに奥へと進まされる。そのままギルクリスト家のおじいさまおばあさまの居る部屋とも違う、階段へと進ませられた。そこで背中を押す手が止まると、キースさんは私に顔を近付けたまま階段を上がった先を指差した。
「兄貴の部屋は上って右奥の突き当りだ。大丈夫、起こせば十分くらいで準備してくれる。がんばれ」
こそこそと内緒話のような声で耳打ちしたキースさんが、最後にとんっと私の背を押した。
意味も分からず階段を一段足を掛けて固まってしまった私は、一拍遅れてから状況を理解して振り向いた。ちょっと待ってキースさん⁈
しかも見れば、背後に並んでくれていたステイルとアーサーが二人してずるずるとキースさんに引きずられ出す。「ぷ……ジャンヌ‼」と声を上げて腕を伸ばしてくれるアーサーと、「ちょ、ちょっと待ってくださいジャンヌだけ何処に……⁈」と慌てるステイルを右手左手に引っ張っていくキースさんは聞こえていないと言わんばかりに「お前らはその間に朝食手伝えよー」と呑気な声で上塗ってしまった。
アーサーもステイルも十四歳の身体とはいえ力尽くでも瞬間移動でもキースさんから逃れられるけれど、正体を隠しているのとお世話になっていることもあって下手に出られないのだろう。私もいろいろ事の重大性はわかるけれど、今はもう仕方ない。取りあえずアーサーは離れてもエリック副隊長と合流すれば良いのだし、家の中に騎士が二人いることは変わらない。それに今回は私とステイルの責任もある。
二人に「大丈夫よ」の意味も込めて手を振って笑ってみせた。ほどんど同時に「「違っ……!」」と彼らの声が重なったけれど、これ以上止められる前にと急ぎ足で階段を上ったあまり、だんっと音が大きく響いて二人の声を打ち消してしまった。そのままタンタンッと登ればすぐに二階へと上がれる。
右奥の部屋、とみれば確かに突き当りに部屋がある。ぴっちり扉は閉じられているけれど、さっきのキースさんの言い方から考えても鍵は掛けられてないのだろう。進み、扉の前で呼吸を整えながら考える。
……第一王女が男性の寝ている部屋に一人で訪問って、やっぱり結構なスキャンダルよね……?
しかもキースさん「大丈夫」と言ったわりに「がんばれ」と仰っていた。
つまりそれってなかなか目を覚まさないとか、起きた後は怖いとかそういう寝起きが悪さが含まれているのではないかとまで考えてしまう。
突然男性の部屋に訪問するなんて、いくら温厚なエリック副隊長でも怒るかもしれない。まさか寝起きが悪い兄へあんなに良い人なキースさんが仮にも十四歳少女を放り込むとは思わないけれど‼︎
でも、やっぱりエリック副隊長に用事はあるのは私なのだし、元はと言えばこちらの不手際だ。エリック副隊長無しでは学校に登校できない今、ここは貴重な睡眠を邪魔する私がちゃんとお詫びに起こしへ行くべきだ。
……私はジャンヌ、私はジャンヌ、庶民、庶民、平民、庶民。
だからセーフだと、心の中で十回以上繰り返した後にとうとう私は扉を開く。
階段の下から「死にますから‼」「ジャンヌ!起こすだけですよ⁈」と何故か警告のような声まで聞こえてくる。アーサーに死にますとか言われると、本当にエリック副隊長の寝起き悪い説が頭をよぎって怖い。しかもステイル、起こすだけってそんなエリック副隊長を取扱危険物みたいに!
他のご家族を起こしてはいけないと、私は背中で聞きながらも返事はせず一人苦笑いだけを浮かべる。それでも意を決し、とうとう私は扉の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔します……」
エリック副隊長のお部屋だ。




