Ⅱ93.支配少女は首を傾げる。
「あっ」
夕食の時間。
デザート前に済んだ皿を片付けるのを眺めた時、ふと大事なことを思い出した。
大声というほどじゃないけれど、唐突な声は静かな食堂にしっかり響いてしまった。どうしましたか、とステイルとティアラが尋ねてくれ、口元を片手で隠してから笑って返す。傍では近衛中のカラム隊長とアラン隊長も少しだけ目を丸くしていた。
ごめんなさい、と謝りながら思い出したことを口にする。
「明日、いつもより早く学校に行かないといけないから準備も前倒しにしてもらわないとと思って」
明日。特待生の合格者発表日だ。
朝から各棟の昇降口で発表ということだったけれど、私達はファーナム兄弟と待ち合わせをしている。時間指定付きだったし、何よりファーナム姉弟も知りたい筈だ。試験の合格発表なんて誰だっていち早く結果を知りたいに決まっている。なるべく私達の所為で待たせることがないように遅刻は避けたい。
ステイルもそれに「あぁ」と納得して頷くと、すぐに従者や侍女達に明日の時間を早めるように指示を出してくれた。生徒のふりをする為に着替えや変装、更にはジルベール宰相にもこっそり年齢操作の為に始動して貰わないといけない。
ただでさえ時間が掛かって早起きなのに、もっと早起きする必要がある。アーサーはもともと騎士団の早朝演習で私達より遥かに早起きだし着替えも一番簡単だから良いけれど、恐らく途中で抜けないといけなくなるだろう。私達が早めに出るということは学校でカラム隊長も待機する必要が出るかもしれないし、ジルベール宰相だけでなく騎士団長にも報告しておこうと私からも指示を出す。カラム隊長は私の背後にいるけれど、アーサーは今騎士団演習場だしやはり第一王女の私から騎士団長にお願いした方が円滑だろう。
「すみません、カラム隊長。アラン隊長も、ちゃんとお休み取れていますか?」
いえ、大丈夫です!と二人がそれぞれ返してくれる。
私達の視察警護についてから、近衛騎士達はかなり多忙だ。今までは一日の半分半分で近衛任務についてくれていたのが、今は入れ替わり立ち代わりで極秘護衛だから余計ややこしくなっている。更には休息日だって、今までは丸一日非番の日もあって、その間は他の近衛騎士が長めに付いてくれたり、ハリソン副隊長が入ってからは代わりに彼が近衛に付いてくれたりして上手く回っていた。なのに今は学校がある日は、もう事実上近衛騎士全員出動だ。その上、学校がない昨日までの二日間も一日はファーナム家でアーサーとエリック副隊長を巻き込んでしまったし、それを騎士団には二人の〝休息日〟や〝非番〟としてカウントしてもらっているから余計申し訳ない。騎士団長と副団長が知っていてくれるから、その分こっそり休息や半休を取るように上手く回してくれているけれど……近衛騎士のブラック企業化はストップしたい。ブラック企業王女とか始末が悪過ぎる。
「騎士団じゃ長期間遠征とかもありますし、それと比べれば軽いくらいですよ!」
四六時中乱戦する訳じゃありませんし!とアラン隊長がとんでもない修羅を話すから少しだけ肩の荷が降りる。
確かに今までだってそういうことで近衛騎士から誰かが長期抜けることもあったけれど。そう思うと今度は私の護衛とはいえあまり身体を動かせられず暇をさせてるんじゃないかとそれはそれで心配になる。アーサーも授業中は時々船漕いでいるし、アラン隊長なんて暇あれば鍛錬してるって話だし、ハリソン副隊長も暇な時は訓練って話していた。
肩を諫めてしまいながら「ありがとうございます」とお礼を言うと、不意に今度はカラム隊長が一瞬目を丸くした。何か気付いたか、思い出した表情に私が首を傾げて見返せばアラン隊長も振り向いた。
ステイルが「どうか致しましたか」と尋ねれば、カラム隊長が指先で前髪を軽く払う。
「そういえば……確か、エリックとアーサーは明日非番かと」
騎士団演習場に戻ってから休みを受けている筈です、と言うカラム隊長の言葉にアラン隊長が「あー」と声を漏らす。そういえばそうだったという顔だ。
途端にカラム隊長が眼差しだけで少しアラン隊長を窘めた。「お前の部下だろう」と視線で言っているのが私にもわかる。流石カラム隊長、一番隊のシフトもばっちり把握している。アラン隊長もそれに少しだけ苦笑して「わりぃ」と返していた。アラン隊長も最近は私達の為に殆ど騎士団ではなくセドリックか私の護衛ばかりだし、無理もない。
そのままカラム隊長からバトンを受け取るように今度はアラン隊長が話してくれる。明日も私達の送迎は担当してくれるエリック副隊長だけど、それ以外の時間は休めと騎士団長が多めに休息を与えてくれたらしい。
公式に騎士団として任務にあげられているカラム隊長やアラン隊長、ハリソン副隊長は休みを取らせやすい。でも、表向きは非番中か休息日中のことになっているアーサーとエリック副隊長は実際は学校に通ったり往復路を送迎してくれていてなかなかまとまった休息を取らせられない。
だから、表向きと実際の状況も含めての公休と明日の半休をまとめて取らせてもらっているらしい。二人は半休の場合一応名目としては、「城下の巡回」らしく、二人ともずる休みしている感がなかなか辛いらしい。アーサーはいっそ休まなくてもと話していた。流石に実際は公休潰して護衛についてくれているのだから、休める時に休んで欲しいのだけれど。
結果、今日は二人とも騎士団演習場ではなく御実家で身体を休めて貰っている。
エリック副隊長は元はと言えばだけれど、アーサーもちょうど御実家が城下にあって良かった。他の近衛騎士三人だったら、宿を取ってもらうところだった。……まるで不倫の隠れ蓑だ。あまりにも申し訳なさすぎる。
「そうですかアーサーも……」
ぼそっ、とステイルの呟きが低い。
振り返れば、何か眉を寄せて口元に指関節を添えていた。何やら困っているようにも、ちょっぴり不機嫌そうにも見える。
どうしたの?と私から今度は尋ねてみれば、パッと顔を上げた後は眼鏡の黒縁を押さえていた。いえ、と。一言で済ましたけれど、やっぱりまだ難しそうだ。何かアーサーと約束でもしていたのだろうか。
気を取り直すように私達へ視線を配ったステイルは「問題ありません」と落ち着けた声で言ってくれた。
ちょうど給仕係がデザートを持ってきてくれて、私達の前に並べてくれる。
「俺からエリック副隊長にはカードで伝えて置きましょう。ついでにアーサーにも直接明日の時間を伝えておきます。極秘ですし、朝は俺が直接城に連れてきた方が安心です」
「宜しいのでしょうか。エリックはともかく、第一王子殿下がわざわざアーサーを……」
「二人とも俺が一走りしてきますよ。どちらの家もそう遠くない筈ですし」
まさかの第一王子自ら送迎発言にカラム隊長もアラン隊長も目を丸くする。
確かにステイルなら瞬間移動でどちらも一瞬で済ませられる。特にアーサーは実家から直接学校に行くのではなく、一度城の王居に来て貰ってジルベール宰相と衣装で変装してそれから私達とエリック副隊長の家に瞬間移動して学校に行かないといけない。休息日中のアーサーがうっかり城内にいる騎士団に見つかったら大変だ。それを考えても、ステイルの瞬間移動はベストだろうけれど……、確かに騎士を王子が迎えに行くってなかなかだ。
エリック副隊長への伝達はまだカードで済ませられるけれど、アーサーは直接なのだから。
それでも全くステイルは気にしない。にっこりとした笑顔を二人に返すと「姉君さえ御許し下されば」と言ってくれる。
私としてもアーサーの負担を減らして且つ極秘視察が気付かれる可能性を減らせるならと思う。了承の意味も込めて頷けばもうそこで「お任せ下さい」と返された。そういうところ、ジルベール宰相にまた似てきたなと心の底で思う。
「兄様、今ジルベール宰相にそっくりよ」
むっ、と。ティアラからの正直な指摘に、にっこり笑顔だったステイルの顔が顰められる。
ティアラにむくれた顔で返すと、眼鏡を押さえつけながらそっぽを向いてしまった。やっぱり未だにジルベール宰相にそっくりは嫌らしい。昔から変わらないステイルの反応に思わず笑ってしまう。
ティアラも予想して敢えて言ったらしく、ステイルにそっぽを向かれてから悪戯っぽく笑った。「ごめんなさい」と鈴の音のような声で謝られ、ステイルがフンッと鼻を鳴らした後にまた正面を向いてくれた。
デザートを頂きましょうと私からも声を掛け、淹れたてのカップを片手に笑い掛ける。折角のデザートをとスプーンを手に取れば、美味しそうなプリンがぷるっと照明に照らされた。
「アーサーには話したいこともあったので、ちょうど良いと思っただけです……」
ちょっぴりふて腐れた声で言うステイルは、見ればまだ少し唇を尖らせていた。
その様子が可愛らしくて私もティアラも顔を見合わせて笑ってしまう。ステイルがそういう顔を見せてくれるのはいつも嬉しい。
別に悪いことを考えていたわけでもないのに黒い笑み扱いされたのが不服だったのもあるかもしれない。極秘視察が始まってからは、殆ど一緒にいる代わりに二人の手合わせする機会も難しい。それに男子の選択授業中もなるべく正体がバレないように会話には気をつけているだろうし、じっくり何か話したかったのかもしれない。……それにしても。
「良いわね、アーサーの家なんて。私も一度行ってみたいわ」
私もですっ!とティアラも声を跳ねさせる。
ねっ、と笑い合ってからとうとう私達はデザートに口をつけた。アーサーの御実家、更には騎士団長の御実家でもある。奥様もどんな方が気になるし、話でしか聞いたことのない畑も気になる。一体どんなお家なのだろう。
せめてステイルが行くならどうだったか詳しく聞かせてねと、デザートが終わったらお願いしようと先に視線だけを投げた時
「……………………………」
……何故かステイルが微妙な顔をした。
スプーンを口から下ろしながら、珍しい半笑いのような表情を私の背後に無言で向けていた。
私もティアラもわからなくて首を傾けてから振り返れば、アラン隊長とカラム隊長まで曖昧な顔で笑っていた。
なんだろう、とは思いながらも今は食事中だったので取り敢えずデザートに集中する。
ステイルの特殊能力がちょっぴり羨ましく思いながら。
Ⅱ5-3




