10.義弟は第一王女を知る。
ステイル・ロイヤル・アイビー。
名前をちゃんと答えられるように何度も何度も頭の中で反芻する。
特殊能力を持って産まれたのをこれほど呪ったことは無い。
父さんが死んで、母さんしかいなかったけれどそれでも優しい母さんと街中の友達に囲まれて、幸せだった。
僕の特殊能力はすごく珍しいとかで母さんも自慢にしてくれたし、何より物を移動したり、出掛ける時にも特殊能力が役立って、母さんの役に立てたことは誇らしかった。
裕福ではないから、母さんが教えてくれた自分の名前以外は読み書きも未だできなかったし、大変なこともあったけれど、この能力があればきっと仕事には困らない、貴方は飲み込みも早いからきっと将来大物になる。母さんや近所の人がそう言ってくれるだけで誇らしかった。
でも、こんなに形で出世するとは思いもしなくて。
次世代の摂政。そう城の使いの人に言われた時はよくわからなかったけれど、口振りからすごいことなのはわかった。
でも、母さんの顔色をみてすぐに良くないことだとわかった。
養子にならないといけない。もう前の家族には会ってはいけない。それを知ってすぐに怖くなった。
嫌だ、母さんと離れるなんて。たった一人の家族なんだ、母さんには僕しか、僕にだって母さんしかいないんだ。
嫌で嫌で堪らなくて能力を使って逃げたり追い返そうと思ったけど母さんに途中で止められた。
城からの命令は絶対。断れば家族共々重罪になる。
どうしようもなかった。明日にも城へと言われた時にはもう母さんと逃げることしか考えられなかった。
でもそこに王配殿下からの御達しが届いて二週間の猶予を貰えた。
二週間、母さんは仕事も休んで一日中僕といてくれた。毎日笑顔で色々なことをしてくれたけど、夜に僕が寝付いた後に毎日声を押し殺して泣いていたのを知っている。
お金なんていらない、ステイルを連れて行かないで。寝ている筈の僕を起こさないように口を両手で覆いながらそう言って泣いていたのは一生忘れられないだろう。
別れ際、僕も母さんも泣かなかった。
母さんの言葉一つ一つ飲み込んで、我慢してくれた母さんと同じように笑って、どうか元気で、身体を大事にして、ずっと大好きだよと伝えるのが精一杯だった。
馬車がどんどん家から離れてもう殆ど影しか見えなくなった時、母さんが崩れるように小さくなったのを覚えてる。
こんな枷をつけられた酷い姿でお別れをしてしまってごめんなさい。そう言いたかったけど最後まで伝えられなかった。
城についても、全く母さんの姿が頭を離れなくて、王配殿下を前にしても改まることができなかった。不敬罪とかで殺されたらどうしよう…そう思いながらも態度を改めることがどうしてもできない。気持ちに押しつぶされてまるで自分の身体じゃないようだった。
もともと、表情を出すのはあまり得意じゃなかった。
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、心では思っても相手にもわかるように表情に出すのが凄く億劫で。それでも母さんは僕の気持ちをちゃんと全部わかってくれたし、周りの友達だって気にしなかった。勿論、僕達によくしてくれる人や、仕事をくれる人。気に入って貰いたい人には目一杯表情を動かして笑ってみせたし、母さんと2人で生きていく為になら外面だってそれなりに使い分けて来れた。
でも、今はそれさえも全くうまくいかない。
あんなに簡単なことだったのに。
プライド第一王女。街では、甘やかされて育って女王陛下や王配殿下に似ても似つかない我儘なお姫様だと専らの噂だった。
王配殿下が紹介してくれたプライド様はとても綺麗な方だった。
真っ赤で波立った髪と綺麗な肌にピンク色の唇。一つしか年上とは思えない程、すごい気品のようなものも感じさせられた。少し吊り上がった目だけが少し怖い。
王配殿下は僕のことや枷のことを色々説明してくれた。僕の枷を見て明らかに引いた様子のプライド様に引け目を感じながら、話が終わるまでじっと自分の足元を見つめていた。
これから一生尽くさないといけないのに睨んでいるとか言われて、嫌われるのが怖かった。
でも、僕の手を取って挨拶をしてくれたプライド様はとても優しくて…
驚いたけれど、もしかして猫をかぶっているだけじゃないかとか、考えれば考えるほど不信感ばかりが勝って、表面上ですら良い返しができなかった。
部屋に案内された後も眠る気にはなれず、広過ぎるベッドの上でずっと縮こまった。目を閉じれば母さんの泣き顔ばかりが思い出されて辛かった。
「ステイル…?入るわね。」
プライド様が部屋に入ってきた時は驚いた。一体何のつもりか想像もつかず、本当は誰とも話をしたくなかったけど、機嫌を損ねる方が怖くて言葉を返す。
「プライド様…。僕に何か用ですか…」
今の僕なんかに用があるのか。どうせ明日になれば僕はこの人に事実上の側近として一生服従することになるのに。僕の残り少ない、僕だけの為の時間をなんでこの人は奪おうとするんだ。
思えば思うほど八つ当たりのように目の前のプライド様が憎らしく感じてしまい、でもそれを悟らせないようにぐっと堪える。
ここでプライド様の機嫌を損ねるわけにいかない。
「夜中にごめんなさい。明日の契約の前に貴方とどうしても話したかったの。」
そう言って僕を気遣うようにゆっくりとプライド様が近づいてくる。てっきりもっとズカズカと御構い無しに入ってくるかと思った。
やっぱり良い人なのだろうか…わからない。
第一王女みたいな人が僕に話をしたいだなんて、ますます訳がわからなくなる。首を傾げて言葉を返す僕にプライド様はさらに歩み寄る。
「ねぇ、ステイル。貴方のお母様に逢いたい?」
え⁈
鼓動が早く鳴り「会いたい!」と叫びたい気持ちをぐっと堪えてプライド様を見る。
会いたい、すごく会いたい。
もし会っても良いってプライド様が言ってくれるなら、母さんのことが知れるなら、僕が元気だと伝えられるならどんなことでもする!なんでもする‼︎
プライド様が複雑そうな、笑顔のような不思議な表情を浮かべると服の中から何かを取り出した。
暗くてよく見えないけれど鍵…のようにも見える。
「それは…?」
まさか、それは…
プライド様がそれを持っていることが信じられなかった。
もしこれが枷の鍵だったら何故僕に見せるのか。いまこの部屋には僕とプライド様しかいない。もし今僕が暴れて、プライド様から鍵を無理矢理奪って逃げようとしたらどうするつもりなのか。
それなのにプライド様はますます理解不能な言葉を続けた。
「貴方のその枷の鍵よ。父上の引き出しからこっそり借りてきたの。これで貴方は逃げられるわ。」
逃がす?僕を⁇なんで⁇
全くプライド様の意図が読めない。でも、考えるより先に僕の答えは既に決まっていた。
「だめです。」
そう答えると今度はプライド様が驚いたようにぽかんと口を開けた。
一瞬、僕が逃げられないことをわかって意地悪を言っているのかとも思ったけど、その反応を見ると違ったらしい。
「どうして…?」
馬鹿なのか。やっぱり王族なんて皆、僕たちの気持ちや事情なんて知ったこっちゃないのか。
また段々と腹が立ってきた。
感情を抑えながら母さんのことを話すと、プライド様はずっと真剣に話を聞いてくれた。
話すごとに母さんのことが、泣いていたあの姿が鮮明に思い出されて段々と込み上げてきた。
泣いちゃダメだ、笑ってくれた母さんみたいに僕も耐えないと。それに、こんな王族の人なんかに弱みをみせちゃいけない。
泣かないように何度も膝を掴む手に力を込めて僕は言葉を続ける。
「それに、僕が逃げたら今度は違う子が呼ばれますよね…友達で家族が妹しか居ない子がいて、彼も能力者で…僕の代わりに彼が呼ばれたら嫌だ…」
そんなの、僕も母さんも辛いだけだ。
そんなことを思いながら僕はなんとなく、このままもっと可哀想な振りをすればプライド様が母さんに会わせてくれるとか言ってくれないかなと期待し始めた。
…いっそ、我慢せずに思い切り泣きついてみようか。
もし、本当に馬鹿なだけの良い人だったら、母さんに会わせてくれるかもしれない。王配殿下にも可愛がられていると聞いたことがあるし。
ぐつぐつと自分の中が濁っていくのを感じる。でも、プライド様をちらりと気づかれないように目線だけで覗いた途端にそんな考えは上塗りされてしまった。
プライド様があまりにも悲しそうな顔をしていたから。
別れ際の母さんの表情を思い出す。
何かを堪えて、自分じゃなく誰かのために耐えて耐えていっぱいになっている時の表情だ。
誰のために?……僕、の…?
でも、僕はそこでどれだけ今までベタベタに甘やかされていたんだ、どれだけお人好しなんだと、僕に同情してくれたプライド様に対して感動よりも呆れが強くなってしまった。
代わりに、さっきまでの利用してやろうかという想いも薄らぎ、何も言わないプライド様に言葉を掛ける。
「こんな僕を気にしてくれてありがとうございます。プライド様で良かった…じゃなくて光栄です。鍵は要りません。どうぞ元の場所に。」
もう放っておいてくれ。貴方が僕に何が出来るというんだ、貴方にはどうすることもできないじゃないか。そんな想いを覆い隠すように僕は会話を切り上げようと、明日はよろしくお願いします、と告げようとした瞬間だった。
プライド様が僕を抱き締めてきたのだ。
最初、何が起こったのかわからなかった。
何故、プライド様が僕を抱きしめているのか、何故、こんなに強く抱き締められているのか、何故こんなに僕の近くにこの国のお姫様がいるのか
何故、この人がこんなに泣いているのか
信じられなくて、でもどう考えても冗談や演技にも思えなくて。むしろ僕に隠すように涙を拭い、鼻をすすっていのが背中越しでもわかる。
「約束する…私は絶対これ以上貴方を傷つけない…‼︎貴方も、貴方のお母様のいるこの国も皆が笑っていられるようにする…!私の、命ある限り…‼︎」
そう叫ぶプライド様はやっぱり涙声で。
僕を傷付けないと、命ある限り僕や僕の母さんや皆が笑っていられるようにすると。なんで、なんでそこまで…
甘やかされたお姫様だって、第一王女に相応しくないって色々な噂を聞いたのに。ただの馬鹿で愚かで甘やかされただけのお嬢様だって思ったのに。なのに、
こんなにもこの人は僕を、僕達国民のことを想ってくれているというのか。
今まで否定的にしか見えなかったプライド様の言動全てがひっくり返る。
こんなのはただの甘やかされたお嬢様が考えられることじゃない。自分の命の限りなんてこんな風に言える訳がない。
それは、どっからどう見ても僕達国民に心を砕いてくれている、この国の第一王女そのものでしかなかった。
さっきまでなかった、母さんと別れた時とも一人でいた時とも違った、何か熱いものが込み上げてきて視界がぼやけた。ノックの音が聞こえて、僕から離れたプライド様が目を腫らしながら僕の目元を拭ってくれるまでそれが涙だということにも気づかなかった。「本当に遅くにごめんなさい。おやすみなさい、ゆっくり休んでね。」といって笑ったプライド様はまだ泣きそうな顔をしていた。
ーなんで、なんで僕にここまでしてくれるんですか。
そう言いたかったのに言葉が出なくて。
プライド様が部屋を出ていくまで、僕はただその背中を見つめることしかできなかった。