プロローグ
「艦長」
凛と透き通った声は、きっと耳にしたものすべてが驚くような美しさに満ち溢れていた。辺り一面が文字通り無味乾燥した砂漠で覆われているのも、それを助長している。オアシスとは、何も水があるところだけを指す言葉ではないのだ。
けれども、その声に導かれるように少女が振り返ったこともまた、それを見たものに似たような驚きをもたらすに違いなかった。頭にこそ軍帽――それも、古から伝わる古代大戦時のものによく似たそれを載せてはいるが、そう、載せているだけなのだ。かぶっている、という表現を使えないほどに、艦長と呼ばれた人間は少女然としていた。間違っても二十歳には届いて居なさそうである。
「我が先遣隊から連絡です。砂竜のおびき出しに成功した、とのことです」
「わかりました。シュカンちゃん?」
「こちらでも確認しました。座標、投影します」
「はい」
どこかぶっきら棒にその報告を聞いた少女が手元のコンソールに話しかけてから、詳細な周辺図が目の前に表示されるまでに要した時間は10秒に満たなかった。艦長なる役職について経験の少ない彼女にとって、それが早いのか遅いのかはわからない。けれども、どこか信頼できない同乗者の言葉よりも遥かに信のおける情報が、主観的には即座と言って良い時間で眼前の空間モニターへ出てきたことに安堵していることだけは確かだった。
「本艦から2時方向へ10kmの位置です。作戦との誤差は許容範囲内。予想会敵時間、五分後」コンソールが落ち着いた声で情報を列挙した。
「距離10kmにしては、砂塵も何も見えないけど?」
空間モニターの地形図とコンソールからの音声に気を取られていた少女の瞳が左を向いた。唇を尖らせた黒髪の少女の姿が入る。ふよふよと宙に浮いてさえいなければ、年相応の雰囲気と背格好をしたティーンエイジャーだった。
「地形の問題ですね」艦長が地図を指差した。等高線の集まりにそって陰影が付けられたそれは、空間の起伏というものを直感的に表している。「砂丘がありますから。うまい具合に私達を隠してくれてます。というかツクちゃん。作戦会議であれだけ説明されてましたけど」
「だってぇ」ツクちゃん、と呼ばれた少女は、いつの間にか掴んでいた艦長の椅子を押した。戦闘に耐えるためしっかりと固定されたその椅子は、当然少女ごときの力では動くはずがない。反動を受けた少女の体が、くるり、と空中で反転した。
「胡散臭いんだもん。聞く気も起きなかった」
「あらあらまぁまぁ」
再び透き通った声が空間に響いた。極めて心地の良い声音だった。であるからこそ薄ら寒い。まさか、シュカンちゃんが空調設定間違ったんじゃ、と艦長がコンソールを見つめると、設定28度湿度は50%という数値が出ていた。ドヤ顔のシュカンちゃんの影に、現実逃避を責める視線を感じた。
「具体的に、どのあたりがでしょうか? 私どもの客人への対応、そのマニュアルを書き換えなければならないかもしれません」
「第一に、実力を図るとかいう名目で無関係の第三者を砂竜退治に動員するその性根。第二に、失敗してくれりゃ儲けもの、って考えの割に全面的に協力してくれてるおたくの防衛軍。第三に、人質よろしくうちに送り込まれたアンタの存在。何を以って好意を抱けばいいのよ?」
「私の顔に免じて、では駄目でしょうか?」
「胡散臭さの筆頭が何言ってんのよ」
自分の真横と斜め後方で行われているやり取りを聞いた艦長が、着ているワイシャツの首元のボタンを外した。堅苦しさから多少解放される。こちらに来る前から着ている服で、であるからこそきちんと着てあげたかったのだがやむを得ない。何事にも優先順位というものがある。そんなことよりも精神衛生の方が大事だった。そして現状、それよりも重要な事だって存在する。
「……変ですね」ふぅ、と一息ついた艦長の視線が、目の前の砂丘で止まった。「シュカンちゃん? 砂竜の現在位置は正しいの?」
「私の能力をお疑いですか?」冷静な機械音声に不機嫌の色が混じっていた。
「今すぐ主演算機でシミュレーションしてみてください」艦長の声は硬かった。「この位置――そろそろ砂丘の稜線を超えるあたりで猛突進してるのに、砂塵が一切こちらから目視できない可能性」
後ろの言い争いが止まった。コンソールも一瞬の沈黙を保った。ただ、電子音が心なしか大きくなっただけである。
「ありえません」透き通った声だったから、震えを聞き取ることも楽だった。「砂竜の視界は、砂丘で遮られていたはず」
「砂竜の現在位置情報、要素を追加します」シュカンちゃんが言った。声のスピードを早めていた。そんな事もできるんだ、凄いね、と艦長が思った。これもまた現実逃避だった。「更新内容、砂竜の海抜高度」
「ちょっと、完全に地面にめり込んでることになってるけど!?」投影された情報を見たツクちゃんが素っ頓狂な声をあげた。
「馬鹿ですね、ツクちゃん。こういうの、潜ってるって言うんですよ?」
「冷静に言ってる場合!?」
「ありえません! いったいどうやって……!」
「推測ですが。感魔器官によるものかと」シュカンちゃんがギリギリで聞き取れるくらいの速度で音声を合成した。
「地球の蛇で言うピット器官ですか?」
「魔導波逆探知機の生物版をそう呼んで良いならば」
「やられた。最初から、こっちの位置なんか丸見えじゃない! 全力で索敵させられてたんだから……!」
ツクちゃんが忌々しげに言い争いをしていた相手を見つめ――固まった。つられて、艦長も再び少女を見やる。自身を責め立てたくて仕方なかった。先ほどとは打って変わり、焦燥と切迫の色が隠しきれていない、年頃の少女がそこにいたのだった。
「人は見かけによらない、ですか。こういう旅なんですから、始めからもっと強く心へと刻んでおくべき言葉でしたね」艦長が自嘲の笑みを漏らした。
「――希華」ツクちゃんが真剣な目で艦長を見つめていた。「ご命令は?」
水を向けられた艦長――水鳥希華は、ふぅと大きく息を吐いた。ほんと、こういうのは柄じゃないはずなんですけどねぇ、と思う。けれども、と周りを見た。オアシスとは、水がある所だけを指す言葉ではないのだ。そして、この二人と共に征くためには、彼女は柄だろうがなんだろうがしなければならないことが有った。
「機関始動! フルパワー! シュカンちゃん、事前作戦は捨てますよ!」にぃ、と顔に笑いを貼り付けて希華が言った。
「了解しました。偽装をパージします」
シュカンちゃんの冷静な言葉とは裏腹に、周囲では客観的に見て劇的な変化が起きているはずだった。
まず、何の変哲もない砂漠のど真ん中に、突如として薄い黄褐色の構造物が出現する。もちろん、砂漠に対する保護色になっているからそれでも見えづらいが、光学迷彩を使っていたときに比べてしまえば遥かに異物を主張してしまっている。
それと同時に、今思えば不自然に丘を作っていた砂がいきなり舞い始める。いや、舞う、というよりも、吹き飛ばされる、という表現のほうが遥かに分かりやすい。艦長席からの風景が、広大な砂漠から砂嵐の渦中へとすぐに変わった。
「ツクちゃん、悪いけど頼めます?」
「アイアイキャプテン。まったく、神使いの荒い」
砂塵が消え、いよいよ砂漠には似合わない砲塔や銃座の類、それから司令塔や艦橋といった物が出現するのと、ぶつくさとぼやくツクちゃんが忽然と消え去ったのは同時であった。それから、刹那の時間だけを置いて、後方の煙突のように見える部分から、まさしく見た目通りの機能であることを示すように黒煙が吹き出した。椅子が震える。
「砂竜、予測では1分以内に地表へ現出」シュカンちゃんが言った。カウントダウンが空中モニタの片隅に出た。すでに50秒を切っている。
「ツクちゃん?」
「今着いた! 何時でもどうぞ!」
「ありがとう。動力を履帯へ。全力前進」
「機関、履帯。前進、全速。始め。振動にご注意ください」
言われるやいなや、エンジンのもたらす心地よい振動とは全く違う、中の人間を上下へと叩きつけるような振動が伝わる。きゃあ、と言う悲鳴が後ろから上がった。
「お姫さま!」希華が前を見据えながら叫んだ。「お好きな席へどうぞ!」
「お姫さま」に返事をする余裕はなかったらしい。けれども、余裕が無いのは艦長も同じことだった。背後の気配が消えたことで、義務は果たしたとばかりに眼前の状況へと意識を戻す。出現まで30秒を切った。
「こちらの離脱完了まで残り20秒」シュカンちゃんが告げた。「魔導装甲はいかがしますか?」
「痛いの嫌いなんですよね」
「避け切れますか?」
「ツクちゃんをこき使えば」
「聞こえてるわよ!」
ツクちゃんがどなった。どうやら、意識体のごく一部をこちらに残存させていたらしい。「砂浴びの次は何させるつもりよ!」
「地中離脱後、動力を噴進機へ。全力運転します」
「……浮上エンジンの完全露出なんか待ってたら、こっちが木っ端微塵よ」
「ホバーはしませんよ?」
「……履帯修理すんの大変だし、何より痛いんだからね?」大きなため息が聞こえてきた。
「じゃあ後でご褒美あげますから、まずは生き延びましょうか」希華が笑った。隣の席へと潜り込んだお姫さまが目を丸くする様な笑みだった。
「はいはい! わかったわよやったるわよ!」
「脱出5秒前」
やけっぱちそのものな叫び声と、カウントダウンが耳に入ったのは同時だった。
「シュカンちゃん、主砲副砲、炸裂弾、火薬式。全砲塔を右舷へ指向、開始。復唱要りません」
「アイ・キャプテン。目標に対する射角どう補うかは聞きません――今、抜け出しました」
シュカンちゃんが言うまでもなかった。何かに乗り上げるような衝撃とともに振動が収まり、代わりに落下感、その後に再び衝撃と続く。隣から悲鳴が聞こえた。
内部では、逆に言えばその程度の現象であった。だが、これを外から客観的に見つめるとどうなるか。
砂の上に鎮座していたのは、城と呼んで差し支えのない構造物であった。それなりに幅がある長方形状の台座の上に、砲塔や塔、排気用と思われる煙突、やけに平べったい構造物などが散らされている。詰め込まれているという程密集してはいなかった。けれども、一つ一つが巨大なことも相まって、極めて攻撃的なフォルムを醸し出している。
だが、ひときわ異彩を放つものがあるとすれば。それは、長方形の台座、その長辺において高速回転を続ける履帯――無限軌道、もしくは商標の方が有名な機構であった。
砂漠の砂をかき分け、半分埋もれていた状態から巨城を引きずり出したそれは、当然異様なほどに巨大であった。もしこれが取り外された状態で置かれていたならば、もしかすると古代の城壁が倒れた姿である。そう勘違いされても仕方がないかもしれない。それだけの重厚さが、たかが履帯と言えどもそこにはあった。
巨城の砲塔が、緩やかに時計回りを始めた。艦長、と呼ばれた人間の意思を読み取ったかのように――いや、実際読み取っているのだ。何しろ艦長に命令されたのは、主幹ちゃんなのだから。
「陸上戦艦<イティネラートル>浮上。全機構異常なし」
「動力切り替え急いで」
「終わった! 噴進機接続良し! 噴射角制御問題なし!」
「砂竜、出現、今」
希華が左を向いた。混乱しながらもシートベルトを着けるお姫様の向こう側で、砂丘の一部が吹き飛び――飛び散る砂塵の中に、砂竜の影が見えた。もう抜け出てしまうらしい。
「噴式機関最大! 全速前進!」
「加速度に注意」
主幹ちゃん――陸上戦艦<イティネラートル>主幹AIユニットの言葉は、今度ばかりは少し遅かった。彼女は主の命令を最大限履行したので、言った瞬間には誰も彼もが慣性の法則に従って座席へと押し付けられていたのだから。
重厚だがどこか古めかしい履帯に変わり、今度の主役は後方の噴進機――もっと言えば、外からは隠されているノズルであった。<イティネラートル>の主動力、魔導融合反応で生じる魔力素を大気中へとばら撒き、その反作用で推進力を得る、なんとも豪快な機関である。実際、凄まじい勢いで放出される魔力素が砂を吹き飛ばし、砂竜に負けず劣らずの情景を作り出してさえ居た。
「主幹ちゃん!」暴力的な加速に喘ぎながら艦長が叫んだ。「10秒後、右舷履帯をロック!」
「了解しました。――みなさん、ご武運を」主幹ちゃんがため息を吐いた。彼女は、希華の命令が艦内の有機生命体にもたらす影響を熟知していた。
「竜がっ!?」
お姫様の悲鳴を受けて見て見れば、砂竜は空中で体勢を変え、<イティラネートル>へと進路を強引に曲げつつ有った。流石は竜、と断言してかまわないのは、視界の隅で対空砲塔が旋回しているのを見れば一目瞭然である。希華は無駄が嫌いだ。それる目標は狙う必要もない、ということは事前に厳命していた。もっとも、最低限の兵装と艦内環境維持の他には全動力を推進力へと回している現状では、魔導エネルギー弾装填中の対空砲塔では対処ができないため、迎撃は行えない。
「直撃する!?」
「衝撃に――」
お姫様とツクちゃんがあげた悲鳴は、けれども艦長の笑みをかき消すことはできなかった。もはや眼前に迫り口を大きく開け、現代文明のいかなる防御機構でも防ぎきれない材質でできた牙をこれでもかと見せつける砂竜でさえ、それは例外ではない。何しろ、彼女が命令を発してからきっかり10秒が経つのだから。
「右舷履帯ロック、今」
「衝撃に備えてくだ――きゃあっ!」
希華の警告は、自身が上げた悲鳴でかき消された。いや、正確に言えば、自分の声を聴く以外の余裕が失せたのだった。衝撃、という二文字で表すのが戸惑われるほどの遠心力が、彼女を左へと吹き飛ばそうとしたのだから。
右舷の履帯がロックされた影響は、端的に言って甚大だった。ほとんど機能を失いかけていたとは言え、曲がりなりにも推進機関として最低限の抵抗しか示していなかった右履帯は、その動輪にロックが掛けられたことで外力による回転を止め、巨大な抵抗となって<イティネラートル>に襲いかかった。もちろん、この巨大な抵抗はロックが掛けられた右舷側だけにしか働いていないから、ノズルのジンバルを変えない限り、陸上戦艦の進行方向を大きく右へと捻じ曲げることになる。挙句、陸上戦艦とは、戦艦が絶えずそうであるように、小回りがきかない。結果、進路が強引に変わる、と言うよりかはそれまでの進行方向を比較的守りながら船の向きだけが変わる、と言ったほうが良い状態になる。早い話がドリフトだ。
「きゃあああっ!」
お姫様が悲鳴を上げる反対方向では、<イティネラートル>の左舷履帯側面にぶつかられた砂漠が、もはや爆発と表現して何ら差し支えない勢いで吹き上がり、砂嵐を引き起こしていた。全く、映える光景であった。けれども、希華は右舷を見続ける。彼女にはその義務が有ったし、何より、砂嵐よりも良いものが見えるはずだった。
飛びかかった砂竜は、本来竜よりもよほど鈍重なはずの<イティネラートル>、その急激な姿勢変更に追随できていなかった。能力的な問題というよりも、不意を突かれた方が大きいのだろうか。いや、どちらでも構わなかった。<イティネラートル>が紙一重で砂竜を躱したことは、どちらだろうが代わりのない事実なのだから。
「主砲、撃ぇっ!」
希華が叫ぶのと<イティネラートル>が咆哮するのは同時だった。おそらく彼女が建造された時代ですら古式ゆかしいというか、枯れた技術となっていた方式で、彼女の主兵装が文字通り火を噴いたのだった。46cm三連装主砲4基12門、及び右舷側36cm単装副砲4門。その尽くから火焔と、そして鉄の塊が投げ出される。無理やり喩えるならば、どんぐりにも似た姿をもったその鉄塊は、人間はおろか竜でさえも知覚できるか怪しいほどの短時間で砂竜へと近づき――次の瞬間、爆砕した。
悲鳴のような咆哮。目の前に広がる爆炎。音とは空気の塊であるということを嫌というほどに思い知らせる振動。すべてが瞬間的に進む中、希華はコンソールに対して右履帯のロック解除を指示する。耳鳴りで頭が痛くなる現状では、言葉よりも己の指先のほうがよほど頼りになった。その信頼は、再び背中が椅子へと押し付けられるに至って確信へと変わる。
「主幹ちゃん! そのまま加速一杯! 砂竜から距離を取ります!」
「了解しました。砂竜の現在位置、出します」
加速度に抗いながら、主幹ちゃんが出した位置情報をひと目見た艦長は、思わず口笛を吹きたくなった。至近距離から<イティネラートル>の主砲を食らって、砂竜は生きているどころか憤怒を隠そうともせず猛追体勢へと入っていた。もはや恐れるよりも感服するしかない。
「ちょっと!」
壮絶な追いかけっこの始まりを無機的なモニタで眺めていた希華の首ががしりと掴まれた。見れば、心底安堵したように椅子にもたれかかるお姫様と、何時の間にやら艦橋へと戻ってきていたツクちゃんが居た。
「私、あんな衝撃が来るなんて聞いてないんだけど?」
「言ってませんけど?」
「アンタねぇ! 人が捕まるものも無い機関室でごちゃごちゃやってたのは知ってるでしょうに!」
「ツクちゃん、いざとなればすり抜けが使えるでしょう?」
希華の言い草に、少女が黒髪を振り回しながら膨れた。「何度も言ってるけど、少しは神さまを敬おうっていう気はないわけ?」
「こういうこと言うと気恥ずかしいけど、整備員としての腕は買ってますよ」
「私は整備員じゃないから! 付喪神! この<イティネラートル>の船魂だって何度いったらわかってくれるのよ!」
ツクちゃん――いや、あえて名前を付けて呼ぶならばイティネラートルとなるだろう少女は、両腕で頭を抱えてワナワナと震え出した。その手に機械油が付着しているのを見て、うんやっぱり整備員ないし機関員だと艦長はしたり顔で頷いた。
「仲が良いのは喜ばしいことですが」主幹ちゃんが何処か冷めて聞こえる声を合成した。「警告。砂竜との距離、縮まります」
「速っ」ツクちゃんが背後を振り返った。明らかに<イティラネートル>が作り出したのとは別種の砂塵が見て取れた。「どういう生態してんのよあの蜥蜴」
「ただの蜥蜴ならば我が精兵戦車連隊が消滅はしません」
加速度にもなれたのか、お姫様が硬い声で言った。人を包み込むような柔らかさが消え、透き通るような声質は水晶を叩いたかのような冷たさを齎していたが、希華はこちらの声の方が好きだった。
「私が言っても説得力はありませんでしょうが……ゆめゆめ油断は為さりませぬように」
「わかってるわよ。……ね、希華」
「はい」
艦長がくすりと笑った。「ツクちゃん、そろそろお腹の砂は取れそうです?」
「足が痛む代わりにね」イティネラートルは空中で足をバタバタさせた。「今なら雲の上にだって行ってやるわ」
「イティ。貴女の主幹AIとして申し上げますと、この船の魔導融合反応炉とホバーシステムではそこまでの浮力を得られません」
「冗談に真面目な返答しないでよ……」
「はいはい、漫才はそこまでにしましょう」パン、と希華が手を叩いた。「主幹ちゃん、反重力装置に火を入れて。ツクちゃんは噴進機のご機嫌取り」
「希華は何するのよ?」
「決まってるじゃない」<イティネラートル>の艦長、ということになっている少女が楽しげに笑った。コンソールで艦橋部AIに指示を出すと、目の前に舵輪が現れる。両手でしっかりとそれを握りしめた。
「有事の操艦は、艦長特権ですから」
まったく彼女の言うとおりであった。今や、<イティネラートル>――現代に蘇った陸上戦艦は、彼女の思うがままに動くことになっているのである。進路も、速度も、目的地さえも彼女の自由なのだ。
各部AIへの指示に入った主幹ちゃんを見送り、命令されてもなおぶつくさと文句を垂れるツクちゃんの尻を蹴飛ばし、何やらお仲間と秘密のお話を始めたお姫様を見やってから、彼女はふぅと背もたれに寄りかかった。船体下部の反重力装置が彼女を押し上げるのをその身で感じながら、力を抜く。ホバー状態に入った今、魔導強化水晶で覆われた艦橋からは、そうしてやると地平まで続く砂の海が一望できるのであった。ちら、と横を見れば、さきほど砂竜と紙一重の戦いをやった砂丘のあたりもまた、砂塵以外はすこぶる良好な視界の範囲内である。それが、魔導素の反作用のお陰さまで文字通り飛ぶように遠ざかっていくのを見て、希華は思わず、思えば遠くまで来たものですと独りごちた。
◇
かつて、超古代魔導文明が自滅した魔導大戦。その際、砂漠地方の戦闘で猛威を奮った兵器が有った。
名付けて「無限軌道式決戦移動要塞」、又は「水陸両用軌道重車両」、或いは「機動式砂上母艦」、若しくは「命と弾薬のオアシス」――。しかし、様々な正式名称、異名よりもシンプルかつ人口に膾炙したその名は、「陸上戦艦」。巨大なキャタピラと、時としてスクリュー、ホバー推進で機動する無敵の城塞であった。
彼女の旅路は、打ち捨てられた廃工場で陸上戦艦<イティネラートル>とイティネラートルに出会ったところから始まった。そう言えば、あそこからもう数百kmは離れているはずである。確かに、思えば遠くに来たものである。