第6話「フードの少女 ――出会い頭に――」
陽斗は遠くに見えてきた草原の中にポツンと佇む、壁に囲まれた街に衝撃を覚えた。街と街が繋がっていないというのは、陽斗にとって新鮮な光景に映ったのだ。壁の周りには風車や畑が並んでいるばかりだ。
「城塞都市っすか」
陽斗と並んで、小高くなった丘の上から街を眺める澪が呟いた。
「軍事拠点とかだったりして」
「いえ、モンスターがいる世界っすからね。ある程度大きな街になるとどこもああいう壁が必要なんすよ。きっと」
陽斗は風に髪を揺らす澪の横顔を眺めた。
澪の言葉は推測の形をとっていたが、どこか確信めいた表情をしている。まるでモンスターのいる世界の実情を承知しているかのようだ。
だが言それ自体は納得のいくものだったので、陽斗は敢えて尋ねるようなことはしなかった。
「そうか。じゃあ俺たちが行く最初の町はあそこでいいな?」
「はいっす!」
二人は競争だと言って丘を駆け下りていった。この一ヶ月身体をイジメ抜いた陽斗であっても、教官役であった澪に勝てなかったのは無論である。
陽斗と澪は大きな大きな壁の前に立っていた。見上げればのしかかってくるような錯覚さえ受ける威圧感のある壁に、陽斗はただただ圧倒される。
もちろん日本には目の前にそびえ立つ城壁より高い建築物は存在するだろう。
しかし素材である岩がむき出しの重厚感。この壁が中に住まう民を幾度も守った証である、削れた箇所から漂う歴戦の匂い。門の左右に立つ四人の槍を持った屈強な兵士たち。
そういった現代日本では決して作り得ない雰囲気に、陽斗は呑まれているのだった。
門の前は幌をかけた荷馬車やたむろする人々で賑わっている。
そんな中門の前で立ち止まった陽斗に、兵士の一人が近づいてきた。
「やあ君たち、風の国でも王都を除けば第一位の都市 “フィールドの街” へようこそ」
もちろん日本語ではない。異世界の言葉だ。陽斗の記憶力にかかれば、一月もあれば言葉を覚えるのには十分な時間だった。
「ア、ハイ……」
何を言えばいいのか分からず口ごもる陽斗。それでも自然と異世界語が出てきたのはこの一月の特訓の賜物だろう。
見上げていた視線を兵士に向ける。鍛えられて盛り上がる筋肉からイメージされる怖い印象はなく、その表情は優しげだった。
陽斗が呆然と城壁を見つめる様から、田舎から出てきたお上りさんという判断を下したのかもしれない。そう思ってみれば先程の歓迎の言葉にも、自分の街を自慢するような雰囲気があった気がする。
そんな時陽斗の影から横へ立つ人影があった。
「歓迎ありがとうっす。街に入りたいんすが構わないっすか」
その声は人に好印象を与える溌剌とした音程をしている。
澪だ。相も変わらずメイド服を着ているが、それは今はマントの下に隠されていて窺い知ることはできない。
固まったままの陽斗に困惑し始めていた兵士が、助かったとばかりに澪に向き直った。
「ああ。君たちは冒険者や国抱えの商人って……訳ではないよな。だったら入市税がかかるがあるかい? 二人で小さい方の銅貨10枚だよ」
「……これは使えるっすか?」
澪がマントの下――見た目以上に入るポーチ――から取り出したのは、銀色の硬貨だった。一〇〇円玉や五〇円玉ではない。ウェストンが持っていた異世界の銀貨だ。
兵士が澪からそれを受け取り、目を細めて眺める。
「ほう虹国貨幣か……君はまた珍しい物を持ってるな」
「……使えないっすか?」
澪の声が一段低くなる。
銀貨を出した時から、澪はマントの下でナイフを握りしめていた。この街はウェストンのいた時代だと、セブリアントの領地だったが今はわからない。
もしこの貨幣を使う国と敵対関係にある国の領地になっていたとしたら、スパイなどの容疑で捕らえられる可能性がある。それを考慮してのことだ。
――そうなったら目の前の兵士を殺して逃げる。
陽斗のためならば、そのことに澪は躊躇いを覚えない。ナイフを握り直して、兵士の一挙手一投足を観察する。
兵士は澪の研ぎ澄まされ過ぎて、見えなくなった殺気に気付かない。
兵士が口を開く。そこから吐き出される言葉次第で己の生命が即座に消え失せることなど、考えもしないといった気楽なものだった。
「いや使えるぞ。ただ知ってるかどうか分からないが、これは五〇〇年ほど前までこの辺りで使われてたものだ。使えるがここだと今の貨幣の額面と同じ扱いにしないといけない。古物商のところなんかに持って行ったら、ちょっとは色がつくと思うんだが……どうする?」
澪は言葉に嘘がないか探り、結果罠ではないと判断し、笑顔の仮面の下の黒い殺意を消す。
つまりそこに残るのはやはり人好きのする笑顔だけ。
「しょうがないっす。今はそれしか持ってないっすから」
「そうか、なら仕方ないな。これは520シンス銀貨だから……釣りの510アイルだ」
そういってジャラジャラと澪が手渡されたのは、二種類の硬貨だった。銀貨が1枚と銅貨が10枚ある。銀貨は100円玉くらいの大きさで、銅貨は1円玉サイズだ。銀貨が500シンスで銅貨が1アイルということだろう。
陽斗は昔の貨幣の中途半端さに違和感を覚えるも、現代の貨幣が日本のようにキリの良い数字になっているならいいかと適当に流す。
「じゃあ改めて、ようこそフィールドの街へ」
兵士は陽斗と澪の正面から道を譲るようにずれて手を広げた。澪は陽斗の脇腹をせっついて促す。
二人は異世界で初めての街へ足を踏み入れた。
二重になった城壁(城壁と城壁の間は馬などの厩舎が多く建てられている)を潜り抜け、陽斗が目にしたのは活気あふれる街の人々。
城門前だからなのだろうか、大きめの幅の道の左右には露店が並び、客引きや値引きをする人の声がそこかしこを行き交っていた。
陽斗もキョロキョロと動く頭を止めることができない。
「おお……なんというか目がチカチカするな」
「髪の毛の色が皆さんカラフルっすからね」
金髪や茶髪はもちろん、赤髪青髪にはては紫色にオレンジ色の毛をしている人もいた。日本では地毛だと言っても絶対に信じてはもらえない色である。
それらを眺めながら陽斗は澪に問いかける。
「さて、これからどうすっか」
「まずは古物商っすかね。それから宿、情報収集。あとお金を稼ぐ手段も探したいところっす」
「金はあるんじゃないのか」
「先程の兵士も言っていたっすけど、私たちの持っているお金は古くて珍しいもののようっすから。使い過ぎると目立ってしまうかもしれないっす」
「泥棒とかに目をつけられるのは勘弁だな」
澪は同意見っすと言って頷き、
「なので古物商とやらを探して少し換金したら、残りはとっておくとするっす」
「そうだな。じゃあまずは古物商からだな……と言ってもどうやって探すか」
何と言ってもお金がないのでは宿にも泊まれない。
しかし左右を見渡しても古物商らしき建物を見つけられない。
「地理を覚えるために歩き回って探すのもいいっすが、それで宿が取れなくなっても面白く無いっすからね。手っ取り早く誰かに聞いてみるっす」
「おっ、じゃあその役目俺にやらせてくれないか。兵士との会話は問題なく聞き取れてたから大丈夫だと思うけど、実戦で俺の言葉が通じるか試したい」
「りょーかい、お任せするっす」
陽斗はその時たまたま通りかかった人に話しかけた。陽斗たちに向かってきた訳ではないだろうから、街の外に出るつもりだったのだろう。
「スミマセン」
その言葉に足を止めた人物はフードを目深に被っていて、人相がまるで分からない。陽斗の無警戒すぎる人選に澪は呆れる。
陽斗としても言い訳がある。この通りにフードを被っている人数は結構おり、異世界では普通だと思ったこと。それから日本というぬるま湯で生きてきたことで、話しかけただけで問題が起こるはずもないと考えたことだ。
パシッ。
「――はっ?」
そう。陽斗はその話しかけただけで殴られるという経験を、今まさにしたのだった。正確には殴られるところだった、だが。
陽斗の鼻先には澪の手の甲が見えており、澪が拳を受け止めなければ陽斗は間違いなく顔面を殴られていただろう。
「道を聞こうとしただけでいきなりご挨拶っすね。それともこの街では本当に拳が挨拶代わりなんすか」
軽い口調だがはっきりと敵意を滲ませた声だ。
フードの穴が澪の方を向いた。フードの下から息を飲んだ雰囲気が伝わってくる。そして拳を引くと勢い良く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
その声音は意外なものだった。身長が170cm近くあったので陽斗はてっきり男に話しかけたつもりだったのだが、フードの下から聞こえてきたのは間違いなく少女のものだったのだから。
よく見ればマントの上からも見て分かるほどに胸が盛り上がっていた。
澪はその様子を訝しげに眉を寄せて見つめる。
「謝るのならなんでいきなり殴りかかってきたりしたんすか?」
「……最近男から話しかけられる時は、ナンパまがいのチーム勧誘ばかりだったからつい殺気立っていて……それにその男の話し方もなんかそういう雰囲気だったから」
カタコトだっただけである。
「……こちらの方はまだ言葉に不慣れなだけっすよ」
「本当にごめんなさい……」
そう言ってもう一度頭を下げた。
澪が陽斗に視線を送ってくる。その目はどうしますかと言っていた。
「ア、アァ……マアイインジャナイカ許シテヤッテ。実害ハ無カッタワケダシ」
「陽斗様がそう言うなら」
許さないと言ったらどうなっていたというのか。怖いものみたさの好奇心が首をもたげてくるが、まさかそのために見も知らない少女を実験台に使うわけにもいかないので理性で抑える。
「そ、それで道を聞きたかったのよ……んですよね。お詫びに案内します」
今度は陽斗が澪に目で問いかける番だった。いくら平和ぼけした陽斗といえど、知らない人について行ってはいけないということくらい分かる。この少女は信じても大丈夫なのかと。
澪もまた目だけで悪い人ではなさそうですと言ってくる。
10年来の幼馴染み。それも澪がやたらとくっついてくるせいでかなりの時間を一緒に過ごしたのだ。これくらいのアイコンタクトはわけがない。
陽斗は顎を振って無言でゴーサインを出す。
「じゃあお願いするっす。私たちは古物商の店を探しているんすよ」
「分かったわ。こっちよ」
さっとマントを翻して二人の前を歩き出す少女。既に口調が変わっていることに可笑しさを覚えつつ、陽斗も後についた。
少し歩いたところで少女が振り返らずに話しかけてくる。もしかしたら会話がないことと、先程のことも相まって気まずさを感じたのかもしれない。
「ところで二人は門の前に立っていたけど、この街には来たばかりなの?」
来た。と陽斗は思った。二人の素性や関係性を訊ねる質問。いずれ聞かれるだろうと思って準備してきたことだ。
答える義理はないに等しいが、練習相手兼、不自然がないかの実験台としてならば、一人のこの少女は都合の良い相手だろう。
澪も同じ考えに至ったようだ。
「そうっす。遠くから来たばかりなんすよ」
「へー遠くから。黒髪ってことは闇の国……ってこの辺の顔立ちじゃないわね。守護聖竜王国あたり?」
「もっと遠く。この辺で私たちの国の名前は聞いたことがないっすから……あなたも知らないと思うっす」
「あっ名乗ってなかったわね。ソフィーよ」
「そっすか。私は澪、こちらの方は陽斗様っす」
様付けは目立つから止めた方がいいのではと提案した陽斗に対して澪は、ナメられすぎるのも良くないと言い意見は対立した。
澪は誰と張り合っているのだろうかと陽斗は問いたい。
「ミオね。それからハルト……様? ……もしかして貴族?」
貴族と言うソフィーの声に若干だが剣が交じる。
ほらやっぱり様付けなんてやめておけば良かったんだと思いながらも、陽斗が応える。対立の結果に出された折衷案を。
「イヤ、商人ノ息子ダ。澪ハ親父ニ付ケテモラッタンダ。ダカラオ前ガ様ヲ付ケル必要ハナイ」
「ふーん。じゃあ同年代っぽいしあんたもハルトでいいわね」
(同年代なのか……ってかいい加減顔見せろよ。ナンパされ過ぎて困ってるって言ってたから、さぞかしご立派な顔なんだろうな)
殴られそうになったことで陽斗の少女に対する心象は、最悪に近いものになっている。
「ところで古物商にはどんな用なの?」
(踏み込んで聞いてくるなあ……まあ世間話の範疇か。探られて困ることがあると、途端にこういう世間話もうっとうしく感じてしまうんだな)
「遥か昔に私たちの故郷に流れてきた、この辺りのお金は古いものだったようで、古物商なら色を付けて買い取ってくれると聞いたんすよ」
背中からも分かるほど、ソフィーの纏う雰囲気ががらりと変わる。それまで上下させていた肩も急に水平を保ってしまっていた。
「……それってもしかして虹国貨幣?」
問いかけの声も心なしか真剣さを帯びている。
この急激な変化にソフィーの意図を読みあぐねた澪は、一瞬言い淀むもすぐに言うことに決めたようだった。
「……そうっす」
ソフィーの足がついに地面から離れるのを止める。さすがの澪も外套の下に手を隠して警戒を強めた。
(なんだ?)
ここは大通りで人も多い。いきなり襲われることはないだろうが、虹国貨幣を持っていることを教えたのはまずかったのか。
陽斗の額から一筋の汗が流れ落ちる。
兵士は虹国貨幣の話を聞いても珍しいと言うだけで、そこまで驚いた様子はなかった。すぐに銀貨の種類も分かっていたようだし、珍しくはあっても見たこともないというほどではないのだろう。
(それをなんでこの女は存在を聞いただけで、ここまで雰囲気を変える?)
ゆらりとソフィーが振り返る。そして幽霊のようにソフィーは陽斗たちに近づいてきた。実際フードによって顔から何からが隠されたその姿は、夜にでも見ればそう勘違いしてしまいそうなほど迫力があった。
それを澪は冷たい眼差しで見つめている。普段からの明るい澪からは想像もできないほどの無表情さだ。
それでも構わずにソフィーは、一歩また一歩と歩み寄ってくる。そして――
「それアタシに先に見せて!」
「「はっ?」」
星屑でも飛んでいそうな純真な声は、周囲の人の視線をも集めた。陽斗たちはといえばソフィーのテンションの乱高下に目を白黒させている。
そんな二人の様子にソフィーは我に返った様子で、つま先立ちだった姿勢をしなしなと萎れさせて謝罪の言葉を口にした。
「あ、ご、ごめん」
周囲からの注目を集めていることに気付いたのかフードの穴が下を向いた。その際に彼女の髪が一房だけ顔を覗かせる。
(緑髪か……)
彼女はコホンとわざとらしい咳払いをすると、居住まいを正してどこか自慢気に告げた。
「もう一度名乗るわね。アタシの名前はソフィー。生粋のセブリアントフリークよ」
そう言ったソフィーのフードから覗く口元はニッと持ち上がっていた。陽斗と澪は顔を見合わせる。
「「……はあ?」」
その後陽斗を殴りそうになったことの謝罪も兼ねて食事を奢る。だからその虹国貨幣を古物商に持って行く前に、先に見せて欲しいとソフィーは申し出た。
渋る陽斗たちを見て、場合によっては古物商より高く買取るからという条件までつけてくる。
その必死さに折れる形で陽斗と澪とソフィーの三人は、同じ卓につくことになった。