第5話「魔力チート ――そして拠点出発――」
水野澪は四歳になるころから、虹乃陽斗を守るべしと教えられてきた。しかしその教育の開始時期は少しだけ遅かったといえよう。
その当時から既に天賦の才の片鱗を開花させていた彼女は、同世代の子どもたちより遥かに多くのことを思考していた。
彼女が何故自分が見も知らない少年に仕えなければならないのかと、疑問を覚えるのは至極当然のことだった。
しかし今の自分の年齢で家の教えに背き、万が一にも追い出される訳にもいかない。彼女は表向きは家に従うフリをし、機を見て家を飛び出そうと考えていた。
そんな考えが変わったのは実際に陽斗に出会ったときの事だ。
澪は生まれた時からある二つの特別な力を持っていた。魔法使いの血統に極稀に現れる、特殊能力と呼ばれる天からの授け物だ。
一つは水属性の魔力を、魔法を介することなく水や冷気や氷に直接変換することが出来る“直接変換魔力質”。そしてもう一つが、他人や物質が持つ魔力をオーラとして見ることが出来る“魔眼”だ。
一つあれば天に祝福された魔法使いになれるという、大抵が破格の性能を持つ特殊能力を二つ。これだけでも澪の才能がどれほどの高みにあるかわかるというものだ。
澪が暮らす水野家の屋敷にはウェストンから続く血筋の魔法使いと、雇われた一般人である使用人がいた。
魔法使いとそうでない者。両者の圧倒的な魔力量の差を目にしてきた澪は、その中でも自分の魔力量が別格であることを自覚していた。幼い子ども特有の優越感さえ抱いていたかもしれない。
しかしその自信は陽斗に出会って粉々に砕かれた。
もはや量が多いという言葉では言い表せない次元。そしてさらにそのオーラの鮮やかさ。
魔法使いでない地球の一般人であれば、生命エネルギーである魔力は生きるためにほぼ全てを消費している。そのため澪の目に見えるのもごく僅か。また属性を持たないことがほとんどである。
これが余剰生命エネルギーを魔法の燃料にする魔法使いになると、火・水・風・土・光・闇のどれかの属性を持つ。澪はオーラの色で、魔法使いの使用する属性をも判別することができた。
また持ちうる属性は一つに限られない。水野家の魔法使いで1~3つの属性を持ってることが普通だ。所持属性は先天的なもので、訓練などで増やせるものではない。
その中にあって澪の持つ属性は火・水・地・光の四属性。まさに天禀の才を持って生まれてきたといえよう。実際訓練外では、蝶よ花よと育てられた。
しかしそれでも陽斗には勝てない。
陽斗は限られた血筋しか持つことを許されない、第七の属性である空属性を含めた、全属性を持ちその身を虹色に輝かせていた。
同じく空属性を持つ陽斗の母親でさえ自分と同じ四属性なので、いかに陽斗が天――いや神に愛された存在であるかが分かる。
全属性と無限とも思える魔力量のオーラは、それが見える澪にとって圧倒的な鬼気を叩きつけられたように感じられた。
畏怖した。そして理解した。
彼我の実力差を理解できない弱者が強者に対して取る行動はニつ。
力の差を理解できないがゆえに無謀にも挑みかかるか、もしくは相手の力量は分からなくとも己の分を弁えて逃げ出すか。
では強者がさらなる圧倒的強者に出会ったのなら。そして力量差を正確に把握出来てしまったのなら。それはもう膝を折るしかないだろう。
それが自然の摂理。
この御方こそ自分が生涯をかけてお仕えする方だと。魂が理解した。
そして――。
この御方に支配されたい。この御方に命令されたい。
そして――そして愛されたい。
母の「あれ? 開いちゃいけない扉開けちゃった?」という呟きが聞こえた。うるさい。
父の「君の娘だからねえ――ゴブファ!」というぼやきと、それに続いた殴打音が耳に届く。黙って欲しい。
今はずっとこの心地よい力の奔流にだけ浸っていたかった。
やはり膝は折れた。それは神を目の前にした信者が、頭を垂れるような自然な動作。
水野澪、五歳の春のことである。
■
「――お。――みお。おい澪!」
主人からの呼びかけに澪は、はっと記憶の海から現実世界へと帰ってきた。
「おおソーリーっす。少しぼうっとしてたみたいっす」
「大丈夫か? お前が心ここにあらずになるなんて珍しいな。疲れてるんだったら休むか?」
澪は苦笑して、
「いえ、大丈夫っす。本当に少しぼうっとしてただけっすから」
陽斗は「ならいいけど」と言って、またうんうん唸りだした。
あの時のことは鮮明に覚えている。あの陽斗の圧倒的な魔力の波動によって伸びた鼻を折られ、心からの忠誠を誓った日のことは。
思い出すと今でも股間から、背筋を這い上がるように甘美な快感が走る。現在では、その力ばかりに心酔しているわけではないが……。
目の前で魔力を感知するために、目を閉じて集中する陽斗を見て思い出してしまったのだろう。
昼食を終え、澪は魔法の基礎を陽斗に授けた。その後魔法を使うための初歩として、自分の魔力を感知するところからだと指示をしたのだ。
右手にした腕時計を見れば、始めてから既に三〇分が経過している。
澪の目に映る陽斗の魔力が揺らいできていた。魔力感知まであと少しといったところだろう。
魔法を使う為には何よりまず、己の中にある魔力を自覚しなければならない。
大体がここで難儀するが、澪は初めから魔力が見えていたのでそんな記憶はない。
そして次に己の持つ属性を知ることだ。
魔力に属性があるように、魔法にも対応した属性がある。魔力の属性と魔法の属性。これを一致させなければ魔法は発動しない。
しかし例外もある。第十位階魔法だ。
魔法は威力や範囲や魔力の消費量によって、十~一位階に分けられる。強ければ強いほど、番号が若くなっていく。
またこの世界には最強の種族としてドラゴンがいる。それに因んだ第一位階を超える最強の魔法――竜位魔法というものがある。
つまり魔法は全部で十一段階に分けられるということ。
その中でも最弱の第十位階魔法に分類される魔法には、ある特徴がある。
それは属性を必要としないことだ。より正確に言えば、どの属性の魔力でも発動できる(つまり属性を持たない一般人には使えない)魔法だということ。
大抵は種火や飲み水や灯りなどの弱い効果しか発揮しない。生活魔法とでも言えばいいのだろうか。それが第十位階魔法だ。
話を本筋に戻す。
結論、例外はあるものの基本的には魔法にはそれに見合った属性の魔力が必要であり、それを理解せずに発動しようとしても失敗に終わる。
魔力感知、属性把握と来て、次に行うのは魔力運用である。
魔法の効果は基本的に体外で結実する。しかし魔力があるのは魔法使いの体内だ。これを意志の力で操作し、体外に出してやらなければ魔法は発動しない。これが魔力運用である。
けれどもここで一つ問題がある。実は魔力を体外に出すことは非常に難しい技術なのだ。なぜなら魔力とは生命エネルギーであり、人間の防衛本能がそれを放出することにセーブをかけてしまうからである。
そこで使われるのが詠唱だ。人間が体内から体外に出す物はそう多くない。その中の一つが声――言葉だ。
言霊というのは誰もが一度は聞いたことがあるだろう。言葉にするとそれが現実になってしまうというアレである。
意味ある言葉。そして意思ある言葉には自然と力が宿るものだ。その力こそ魔力である。
さらに詠唱は魔法にとって、最も重要な要素であるイメージの構築にも役立つ。得たい結果に関連付けられた詠唱でイメージを固める。『魔法とはすなわち詠唱である』と言っても過言ではない。
そして――
――ゴウッッ!
澪の目の前でいきなり台風が発生したかのようだった。
見れば陽斗を中心に、膨大な魔力の嵐が渦巻いていた。これは澪だけに見えるものではない。魔法使いならこの吹き荒れる魔力の高まりを感知できないはずがない。
おそらく陽斗が魔力感知に留まらず、今まで燻らせ続けてきた莫大な量の魔力を、無意識に暴走させてしまっているのだろう。
陽斗の今の状態は無意識的にだが、魔力型の〈身体強化〉を発動してしまっていると思われる。
ゴクリと澪の喉が鳴る。
(これだけの魔力の奔流……普通の魔法使いならとっくに魔力を使い果たして、気絶しているはずっす)
澪の目に見える陽斗の魔力量にまだまだ余裕がある。とはいえこのままにはしておけない。
「おめでとうございますっす! 魔力の感知はできたっすか?」
「ん……このぶわっと胸のあたりから全身を巡るように湧き上がってくるやつがそうか?」
魔力は心臓の裏側にある目には見えない擬似器官、“魔泉臓”から生み出されるとされている。そのことを教えていなかったが、陽斗はどうやらきちんと魔力を感知したらしい。
「その通りっす。では今ご自分がどのような状況か分かるっすか?」
「……魔力をすごい勢いで使っちまってる?」
「完璧っすね。陽斗様は魔力感知を覚えたと思うっすよー」
「よっしゃ!」
陽斗は嬉しそうに拳を握る。
「その魔力を止められるっすか?」
冷や水をぶっかけたように陽斗の表情が固まる。答えは分かりきったものであったが、陽斗がなんとか止めようとしているみたいだったので澪は口を出さなかった。
「……………………できない」
それを聞いて澪はゆらりと立ち上がった。陽斗は怯えたように声を震わせる。
「え? な、何。なんで立ち上がったんだ?」
「陽斗様……許して欲しいっす。本来は魔力を使うのはそれを抑える方法を学んでからというのが正しい順序なんすが……」
――答えになってない!
という心の叫びが聞こえてきそうな表情を陽斗がする。
「こた――」
そして実際にそう言おうとした。
しかしそれは〈身体強化〉した澪に一瞬で背後に回られ、手刀を首筋に打ち込まれたことで止まる。
朦朧とする意識の中で陽斗は思った。
(最近……こんなんばっか……)
ガクリと陽斗の意識が落ちる。それと同時に魔力の奔流も止まる。
澪は赤い唇をペロリと艶めかしく舐めて、
「お世話しなきゃ」
いつか二人の夜に陽斗からこのときのことを詰られるのを想像して、下着を湿らせながら機嫌良さそうに呟いた。
■
それからの一月は、まさに陽斗にとって地獄の日々であった。
超回復の言い訳を真実にする為なのか、澪は日によって鍛える箇所を変えた。
その代わりその部位を徹底的に壊すのだ。そして二、三日経ったらまた壊す。
足の場合は、
「ペースを考えない! 常に全力疾走っす! 持久力だけの筋肉は要らないっすよ! 持久力と瞬発力を兼ね備えた筋肉だけを付けるっす!」
「後ろから水魔法をかけるのはやめてえええええ!」
腕の場合は、
「誰が唐竹割りだけで素振りをしていいと言いったぁっす! それでは連続技に繋げる筋肉も神経もできないんすよ! 袈裟斬り、逆袈裟、左右水平薙ぎ、3種類の斬り上げ、突き。全部ランダムに一回ずつ! 1万セット追加っす!」
「ランダムを確かめるためだからって正面に立ってかわし続けることないだろ! どうせ当たらないって分かってても怖ーんだよ!」
腹筋の場合は、
「捻じりを加えて! 側面の防御力をゼロにしたいんすか?! ボクサーは殴られる訓練もすると言うっす。陽斗様も……試してみますか?」
「ぬおおおおっ。近い! 近いって! 腹筋上げる度に澪の顔が近いんだって! あと笑顔で拳を握りしめないで! 怖いかrゴフっ」
それが終わったら凛との模擬戦だ。ここでも陽斗はボコボコにされる。
「何すかそのへっぴり腰は?! 上半身だけを相手側に寄せるのは危険だと何度も言っているっすよ! 掴まれてキ――投げられたいっすか?!」
「ぐぺっ! 投げてから言うな!」
これは午前のメニュー。午後からは魔法の特訓だ。そこでもアメリカ海兵隊も真っ青な、鬼教官のスパルタ指導は続いた。
陽斗は何度も投げ出しそうになりながらも、この世界を生き抜いて日本に帰るためだと言い聞かせて必死に耐えぬいた。
――そして陽斗と澪が異世界に来てから、一月もの時間が経過する。二人は今、ログハウスのあった森を抜けて草原に立っていた。
青い空とくれば続く言葉は青い海だが、一面緑の草原もよく映える。
風がさあっと草原を走ると、陽斗の鼻を草の匂いが刺激した。
それは森の中の湿気った匂いとは違って爽快感がある。どこか冒険を予感させるようなそれに、男の子は鼻孔を膨らませて両腕を突き上げた。
「うおー! 見渡す限りの地平線!」
現代日本の街で暮らしていると地平線を見る機会はそうない。
目を輝かせて目の前に広がる大自然に興奮する陽斗の後ろから、メイド服を着た澪が横槍を入れる。
「陽斗様、感動されるのもいいっすけど、暗くなる前に街に着けなければ野宿っすよ」
「お、おう。そうだな。急がなきゃな」
修行で散々痛めつけられてから、若干澪が怖くなった陽斗だった。
時刻は早朝。陽斗はブレザーを隠すように羽織った古めかしい外套を靡かせながら、ここから北にあるという街を目指して澪と共に歩き出す。
街の情報の出どころはウェストンが日本に来て残した手記だ。
「500年前にあった街か……今も残ってるといいなあ」
ロイドとウェストンが日本に来たのは地球時間で500年前のことだ。もしこの異世界でも同じように時間が流れているとしたら、それは街一つがなくなってもおかしくない時間だ。
特にモンスターという脅威がおり、目の前に広がる大自然のように住みにくくなさそうな土地が余ってるこの世界においては、それは現実的な可能性のように思われた。
「それはしょうがないっすね~」
澪は周囲を警戒しながら続ける。
「私たちの持つこの世界の情報は古すぎるっす。モンスターにしたってウェストンの時代では駆除して構わないような存在だったかもっすが、現在ではそれも分からない。殺生はなるべくなら避けるべきっすね」
もし仮に、異世界の人間たちが500年かけてモンスターと共存するような関係になっていたとしたら。人間とモンスターが同等の人権を持つ世界になっていたとしたら。
それを殺してしまった場合、知らなかったでは済まされないだろう。人間の街には入れなくなるだろうし、捕まれば死刑だってありうる。
情報のない段階で迂闊な殺しは避けるべき、というのが澪の結論だった。
生命の危険を感じれば、もちろん陽斗を守るのに力を使うことを躊躇うつもりはない。
陽斗はそんな澪の心配を知らず、ピクニック気分で意気揚々と前を歩き始めた。
そして二人は異世界で初めての街にたどり着く。