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第33話「閑話 ――陽斗の予感――」

「陽斗様、お風呂があったんすけど入らないっすか?」


 異世界に転移させられてしまったその日。

 話が一段落つき、続きは明日といった空気が二人の間で漂っていた。


 けれど陽斗の人生を変えた一日は終わらない。いや――澪が終わらせない。

 が。

 澪の黒い心の内には気づかない陽斗は、風呂があるという言葉に喜色を浮かべた。


「えっ、風呂? あるのか! 入る入る。いやーもしかしたら風呂のない生活になるのかもと覚悟してたが、ちゃんとあるんだなー。それとも王族の別荘だから?」


 陽斗は別に潔癖症というわけではない。だが幼馴染の女の子が傍にいる生活で、汗臭い匂いを漂わせたいと思うほど勇気のある性格でもない。

 風呂で体の汚れを落とせるのは有り難かった。日本人として風呂が好きということも彼のテンションが高い理由の一つだ。


 澪はニコリと笑みを浮かべた。


「じゃあこっちっすよ。お湯を張っておいたっす」


 このログハウスはかなり広い。その構造はどこか温泉宿を髣髴とさせた。

 こうしてリビングから浴場へと長い廊下を渡らなければならないのも、それに拍車をかけている。


 だが、そこは異世界。

 廊下には電球などといった現代的な装置は一切ない。またロウソクも明かり取りの窓もないため、廊下はいっそお化け屋敷よりもなお暗い暗黒の世界だ。


 そのため陽斗は澪が持ち込んだLEDライトを貸し与えられていた。今は澪がいるから〈燈火ライト〉の魔法が彼女の頭上を明るく照らしているが、夜にトイレに行きたくなった時などは重宝するだろう。


 陽斗は澪の背中でシワ一つなくクロスしている、真っ白なエプロンのストラップに目を向けた。陽斗は未だ虹高の制服のままだが、澪は給仕の為と言って制服からメイド服に着替えていたのだ。

 そこで陽斗はふと疑問を覚える。

 先導する澪に追従しながら陽斗はその背中に向かって訊ねた。


「そういや澪が先に入らなくていいのか? よく考えたら澪が用意したんだから、一番風呂の権利は澪にあるだろ」


 澪が肩を揺らして一歩足を出したまま止まったので、陽斗も首を傾げながらも停止する。


「どうし――」


 陽斗が言い終える前に、澪は再び廊下を歩き出した。

 そして陽斗の疑問に、いつも通りの軽い口調で答える。


「メイドがご主人様より先に入るなんてありえないっすよ」

「俺のことを気にしてくれるのはありがたいが――」

「本音を言うと、私が後に入った方が、上がった後にすぐお湯を抜いて魔法で浴場を洗えるから合理的なんすよ」

「……うーんイマイチ納得いかない気もするが、澪の手間を増やすのは本意じゃないしな。言葉に甘えさせてもらうよ」


 後ろを歩く陽斗は澪が「そう、合理的なんすよ」と口端を持ち上げたのを知らない。言質はとられた。



   ■



「広いなーさすが王族」


 陽斗の声が磨かれてツルツルになった石の壁に反響する。

 20畳くらいはありそうな浴場は澪の実家に比べると小さいものの、個人の持ち物としては破格の大きさだろう。また浴槽が木で出来ているのが良い。種類までは分からないが、なんとも良い匂いがすると鼻をひくつかせる。


 セブリアント王族は日本の心を持っているらしい。古代ローマがお風呂好きだったというのを映画で見て知っている陽斗は、それを不思議には思わない。

 異世界であろうとも同じ人間だ。文化が似通うこともあるだろうと軽く流した。


 陽斗はこれは湯に浸かるのが楽しみだと、全裸でキョロキョロと見回す。


「…………」


 陽斗は洗体は湯船に使う前に全て終える派だ。

 木製であろうバスチェアらしきものがある。それに座って洗えば良いのだろう。だが、シャワーがなければ、桶もない。

 これでは体を洗えない。


「もしかして魔法が使えるのが前提なんじゃ……」


 陽斗は魔法を覚えるまで風呂はお預けかと頭を抱えた。

 そのときだ。

 風呂の扉がカラカラと音を立てて、開いたのは。


(助かった……! 澪が桶になるものを持ってきてくれたのかもしれない)


 陽斗は窮地を救われる信者の気持ちで女神を振り返った。

 確かにそれは女神だった。

 ただし、肌色と白色の。

 つまり、タオル一枚を巻いただけで全くと言っていいほどに衣服を纏っていない。


 陽斗はあまりの衝撃に尻餅をついた。

 サイドテールが解かれたセミロングの茶髪。健康的な肌色。女の子特有の膨らみ。白いバスタオルから伸びる太ももも。

 その全てが男の煩悩を刺激する劇薬に陽斗は思えた。


 陽斗は自分が全裸であることを思い出して、慌てて手で隠すところを隠して背を向けた。


「なっ! なんで入ってきてるんだよ! それも裸で!」


 澪はふふと笑った。


「シャワーがないから一人で洗うのも大変かと思ってお手伝いに来たっすよ」


 陽斗には見えないが、澪の手からシャワーのような出方でお湯が床に落ちる。


「澪まで脱ぐ必要はないはないだろ!」

「よく考えたら一緒に入っちゃった方が合理的っすよ。そこは陽斗様も納得してたじゃないっすか」


 確かに陽斗は先程、澪の手間を増やすのは本位ではないと言った。

 陽斗は一瞬言葉に詰まる。


「ご、合理はあっても、倫理がないだろ! 合理的だからって何でもしていいなら、法律は要らない!」

「知ってるっすか? 男女は昔、一つのお団子から手足を生やした雌雄同体だったっそうっすよ? だから私と陽斗様が一緒にお風呂に入るくらい何でもないっす」

「意味分かんねーよッ!」


 澪は超理論を口にしながら陽斗ににじり寄る。

 何故か手をわきわきと動かしているが、陽斗はそんなことより手を離してタオルが落ちないか心配だった。


「ほらほらどうせ私がいないと洗えないんすから、堪忍するっす。全身ゆっくりねっとり洗ってあげるっすよ」

「だいたい泡を流せないだけで、澪に洗って貰う必要まではない!」

「チッ」

「え?」

「何でもないっすよ~。ええい! つべこべ言わずに男らしく洗われるっす!」


 澪が陽斗に飛びかかった。陽斗は太ももで上手く隠しながら、澪の両手を掴んでそれをブロックする。

 澪が押し、陽斗が押し返す。普通なら男女逆の構図だ。


「こら! ちょ、暴れるな!」

「ならこの両手を離して欲しいっすよ」

「違うんだって! タオルが!」

「え?」


 ハラリ。

 とうとう澪の身体を陽斗の視線から守っていた最終防衛ラインが、彼女の激しい動きに負けて崩れ落ちる。

 陽斗は目を逸らすことが出来ずに、全てを視界に収めてしまった。

 肌色も色が変わっているところも全部。


 そこで陽斗の手から力が抜けた。

 押し返していた力が急激に弱まったことで、ただでさえ前のめりだった澪がずっこける。

 陽斗に覆いかぶさる形で。


「キャッ」

「フゴッ!」


 陽斗の顔は柔らかい何かを押し付けられた。

 そして。


 むにょゴンッゴンッ! と陽斗は澪の胸という天国と石の床という地獄に挟まれ、意識を闇の底へと落とした。



   ■



「う……ぅん……」


 数十分後、陽斗は背中に冷たい感触を湛えながら目を覚ます。

 しかし顔には何やら柔らかい物が当たっていて、目の前は真っ暗。

 陽斗はそれを慎重に脇にどける――までもなく陽斗が少し身じろぎすると、ゴロンと仰向けに転がった。


「ぅわあっ!」


 陽斗は情けない悲鳴を上げると、脱兎の勢いで目を逸らす。

 神の如き造形で作られたとしか思えない少女が全裸で横たわっていて、直視できるほど陽斗は経験豊富ではないし、欲望にも素直になれない。

 しかしこのままにはしておけない。


 夏で温かい浴場ではあるが、冷たい石床の上に寝かせておけば風を引いてしまう。

 そう思った陽斗は手探りで、床に落ちているはずのタオルを探す。

 そしてなるべく見ないように薄目で澪の身体をタオルで覆った。


「ふう……」


 一息つく陽斗だが、すぐにまだ澪の身体は床に曝されたままであることに気づく。


「くそ……どうすりゃいいんだよ」


 陽斗はグシグシと額をこすった。

 澪の額には赤い痕がある。

 寝ているのならともかく、気絶状態を無理に起こしていいものなのか陽斗には知識がない。


「と、とにかくお湯を」


 陽斗はおそらく冷静ではない思考で、澪の体に触れずに温める方法に辿り着く。

 手酌で浴槽のお湯を無心でかけ続けた。


「んん……」


 やがて澪の呻き声が聞こえてくる。

 陽斗はようやく眼を覚ましたかと思い、澪を見て目を見開いた。

 タオルが水で張り付き、澪のボディラインを鮮明に浮き彫りにしていたのだ。


 ふくらみからクビレへの流線型。ふくらみから僅かに出っ張っている山頂。足の付根の逆三角形も。

 全部が全部彼女に美しくないところはないと主張せんとばかり。


「ノオオオオオオオオオオッ! しまった! お湯をかけるのは逆効果だったか?!」


 陽斗は顔を真赤にするも今度は目が離せなかった。直接ではないというのが免罪符になっているかは分からない。

 視界の端で澪のまぶたがピクピクと動き始める。

 陽斗は澪の覚醒が近いことを確信した。


「あ……あれ……」


 澪のはっきりとした言葉。

 目覚めたばかりでまだ自分の状況を把握していないようだが、それも時間の問題だろう。

 陽斗は飛び上がるようにして正座を敢行。


「申し訳ありませんでしたあああああああっ!」


 勢い良く頭を地面へとめり込ませた。

 その時の痛みが陽斗に何となくの将来を予感させた。


 きっとこれからもこんなことが続くのだろうな……と。

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