第3話「二人の方針 ――状況把握――」
膝をついた澪を再び座らせて陽斗はようやく一息ついた気がした。すると気になってくるのはこのログハウスだ。
勝手に使ってしまっているが、大丈夫なんだろうかと急に不安になってくる。辺りを窺い出した陽斗に、疑問の意図を読んだ澪が答える。
「陽斗様が月を見て呆然と」「うっ」「している間にこの家の中を軽く見回っておいたっすよ」
陽斗はわずかに頬を赤く染めながら、
「ここまで誰も出てこないんだ。無人だったんだよな?」
「ここはかつてセブリアント王国の王族が使っていた秘密の別荘みたいっすね」
呪いをかけられた陽斗の先祖の名前はロイド。そしてその転移に巻き込まれたのが澪の先祖で、ロイドの護衛を兼ねていた友人のウェストンというらしい。二人が地球に転移したのは、日本の戦国時代ごろだった。
「ウェストンが残した手記に記されていた転移直前までいたログハウスの情報と一致するっすね」
「ふむ……」
目の前のテーブルを指でツーとなぞる。
「……キレイだな」
「強力な保存の魔法がログハウス全体にかかっているから分かりにくいっすけど、使われなくなってかなり長時間経ってると思うっす」
「そうなのか?」
「こんなものを見つけたので」
澪から一つの封筒が手渡される。裏を見るとすでに開けられた形跡があるが、立派な紋章の封蝋がしてある。
「私が開けたんすよ」
陽斗は紙を取り出して広げた。
中身を見た陽斗は眉をひそめる。澪の明かりの魔法のおかげで、暗くて見えないといったことはない。しかし――
「――読めねえ」
手紙は見たこともない文字で書かれていた。アルファベットでもハングルでも漢字でもない。それはおそらくこの世界特有の文字体系だと思われた。
「澪は読めるのか?」
「ウェストンから伝わってるっす。忘れないために屋敷では日常語でもあったっす」
異世界言語で話す咲さんと藤弥さん(澪の母と父の名前)……シュールだ、などとどうでもいいことを思いながら、
「じゃあ頼む」
既に読んだのだろうが、念の為に澪に手紙を返す。
手紙は母親からロイドへと当てたものだった。
城に魔王の使いを名乗る者が現れて、ロイドを呪いで異世界に転移させたとを告げたこと。
すぐにこのログハウスに駆けつけたが、もぬけの殻だったこと。心配しており、帰還を願っていること。
ロイドが帰ってくるとしたらこのログハウスであろうと考えられるので、安全を考えてここはセブリアント王族でも自分たちの代までの秘密のままにしておくこと。
手紙にはこれらのことが息子を心配する母親の筆致で、滔々(とうとう)と書かれていた。
ふと陽斗は陽子や和斗も同じように自分を心配しているのだろうかと考えた。
(母さんも父さんも自由というか、放任主義だからなあ。それに澪を妙に買ってるみたいだし、澪がいるなら心配いらないとか言いそうだ)
いずれにしても今考えても詮無いことだと思考を切り替える。
陽斗は澪に手紙を持っておくように頼むと、彼女はそれを腰に巻いたポーチにしまった。
「ひとまずこの家は使っていても問題ない。そうだよな、澪?」
「オールオッケーだと思うっすよ。このログハウスはセブリアント王族のもの。ならば陽斗様以上に相応しい方はいないと思うっす!」
「よし――」
そこまで言いかけたところで、グキューと陽斗の腹の虫が泣いた。左腕につけた腕時計を見れば七時を指している。
「……腹減ったな」
「このログハウスに保存の魔法がかかった食料がかなりの量置いてあったっす。さすが王族の魔法と言うべきっすか、500年経っても腐敗した様子がないっす。もし気になるなら、私も少しっすけど食料を持ってるっすよ」
そう言って澪がポーチから取り出したのは円筒形のカップ麺だった。どう見ても腰に巻いたポーチに入る大きさではない。これも魔法なのかと訪ねると、
「はい。ウェストンがロイド様から頂いたアイテムを改造したもので、見た目よりかなりの量が入るようになってるんすよ」
「それはすごいな。他には何が入っているんだ?」
「万一のときの備えとして大半が食料っすね。あとは数点の着替えと歯ブラシなどの生活必需品。あっ陽斗様の分もあるっすからご心配なくっす」
「助かる。とりあえず飯にしよう。話はそれからだ。ここにある食料は何があるんだ?」
未知の世界の500年前の食文化だ。何が出てくるか分からない。さすがに虫とかだったら断ろうとする、陽斗の心配は杞憂に終わった。パン、豆、肉、芋、野菜などが二月分はあるという。
「ならそれでいいか。準備しよう」
立ち上がりかけた陽斗を澪が片手を上げて制した。
「それぐらい私にやらせて欲しいっす。陽斗様はゆっくりしてていいっすよ」
「でも……」
「私は陽斗様のメイド。私がしたいんすよ」
「はあ……分かった。じゃあ頼む」
「畏まりました」
立ち上がった澪がおどけたように深々とお辞儀する。
陽斗はふとテーブルに置かれたティーカップを見た。初めは温かそうな湯気を出していたが、今ではすっかり冷め切ってしまっている。
主人の視線の意味を理解した自称メイドがニヤッと不敵に笑う。
「本当は入れ直したいところなんすが、手持ちの茶葉も有限になってしまったっすから……〈加熱〉」
澪が手を向けたティーカップは、再び温かそうな湯気を出し始めた。合わせて湯気に運ばれた、紅茶のふんわりとした香りも漂いだす。それに陽斗は感嘆の声を漏らす。
「ふふん。では準備が出来るまで少々お待ち下さいっす」
一礼してから去る澪の後ろ姿を見ながら陽斗は思った。
「魔法ってすげえ。これなら俺が料理するより任せたほうが早くできるな」
■
調理を終えてリビングに戻ってきた澪は、その服装を虹が丘高校の制服から一変させていた。
「メイド服……?」
「どうっすか? 似合うっすか?」
誇らしげにスカートを持ち上げてくるりと回る澪。似合ってるかどうかは分からないが、可愛いとは思う。
しかしそんな恥ずかしいことを素直に言えるわけもなく、黙るしかない。それをどう思ったのか、澪は唇をブーと尖らせて説明する。
「給仕には相応しい格好をと思って。それにこのメイド服は最新の防刃防弾耐衝撃性能などを兼ね備えたものになってるっすから、防具としても使えるんすよ!」
陽斗は澪を姿を上から下まで眺める。
それはどうみても普通のメイド服にしか見えない。長袖ロングスカートのクラシックなタイプのワンピース。純白のエプロンの端は控えめなフリルで飾られている。
頭の上のホワイトブリムはこの位置こそ正義といわんばかりに、澪の栗色の髪の頭頂部付近に鎮座している。
腰に巻いたポーチが異色といえば異色か。
手に持った盆を陽斗の前のテーブルに――何故か陽斗の真横には立たず、微妙に後ろから前かがみで――サーブする。
ふわりと柔らかそうなメイド服が陽斗の鼻先をかすめる。単なる布製に見えるそれが身を守ってくれるようには見えない。
陽斗の訝しげな視線に気がついた澪が、再びカーテシーのようにスカートをちょこんと摘んで持ち上げた。
澪はニコリ――内心ではニヤリ――と笑って言う。
「触ってみるっすか?」
陽斗はドキンと心臓がひとつ跳ねた気がした。次いで急に二人きりだということが気になり始める。
「い、いや、せっかく作ってくれた飯が冷めちまうだろ。とにかく食おうぜ」
心なしか残念そうに首を傾げるのは演技なのだろうか。それも一瞬であったため真偽を確かめることはできなかった。
澪はくるりと踵を返し自分の分の食事を持ってくると、対面に腰掛ける。二人は手を合わせてから食べ始めた。
澪が用意したのは豆と野菜のスープ、パン、肉の三品だった。彼女の話ではこの家に米の備蓄はなかったとのこと。もちろんそれを不満に思うはずはない。
今のこの状況できちんと人間らしい食事をとれることに感謝こそすれ、グチグチと不満を垂らすのはバカの所業だろう。
陽斗がある程度腹に収めた頃合いを見計らって澪が話しかける。
「これからの予定を相談しないっすか?」
口にモノを含んでいた陽斗はそれを飲み込んでから口を開いた。
「そうだな」
腹が膨れたことで余裕も出てきた気がしたからか、いつもの感じで相槌を打てた気がする。
「まず日本へ帰る方法っすけど、陽斗様に魔法を覚えてもらって、それで帰ろうと考えているっす」
「俺が? すぐには帰ろうとしなかったから今の澪では、その帰るための魔法は使えないのは分かっていたけど、わざわざ俺がイチから魔法を覚えるより澪に習得してもらった方がいいんじゃないのか」
澪は申し訳無さそうに首を振って、「それはできないっす」と告げる。
「空間を統べる魔法は常人が持ちうる六つの属性では成し得ないんすよ。代々セブリアント王族――その中でも初代国王の直系、さらにその長子にしか受け継がれない第七の属性〈空属性〉しか」
「……俺はその条件に当てはまると?」
「間違いなく」
「その条件でよく俺まで受け継がれてきたな。今ならともかく昔とかなら赤ん坊の時代で死んじまってもおかしくないだろ」
「魔力は生命エネルギー。多く持っているものはそれだけ免疫力なんかにも優れるっすから。あとはまあ運っすよね」
澪は「王族の強運マジパネぇっす」と付け加えて締めた。
ふーんと納得しかけ、陽斗はある考えに至った。
「ってことは地球に来た当の本人であるロイドも、その空属性を使えたってことだよな。なんで帰らなかったんだ?」
「呪いのせいっす。ロイドたちの前に現れた魔族はとあるアイテムを使ってロイドに呪いをかけたんすよ……〈虚世への楔〉という呪いのアイテムっす。
効果は対象を異世界に転移させて、そこから帰還できないように存在そのものに楔を打ち込むというもの。さらにその呪いの因子は皮肉にも空属性と同じように、対象者の直系の長子に受け継がれていきます。そして受け継がれることなく因子を持った者が死亡すると――」
演出のためなのか、それとも澪でさえ口にすることをためらう程のことなのか一拍置く。ゴクリと陽斗の喉が鳴る。
「――とても恐ろしいことが起こるそうっす」
ガクッと陽斗が肩を落とす。心情的にはソファから落ちてもいいくらいだったが、さすがにそこまでするのはマンガなどの登場人物たちだけだろう。
「……なんじゃそら」
「……呪いをかけにきた魔族がご丁寧にもそう説明したそうっす。もちろん嘘の可能性もあるっすけど……でも」
「嘘じゃない可能性もある……か」
澪はコクリと頷いて肯定の意を返す。
「だから私たちは、呪いが世代を経るごとに弱まっていくのを待つしかなかったんす」
陽斗は魔族という、いかにも悪そうな名前の奴がそう説明をしたのならむしろ本当の蓋然性が高いのではと納得して、すでに解けた呪いに関しての好奇心を満足させる。
陽斗はそれで得心したが、実は澪は一つ陽斗に言っていないことがある。
それはロイドが魔法を使えなかったのではないかと、後の代の虹乃、水野両家が推測していることである。ウェストンの手記はそのことについて詳しく触れておらず、見解は分かれている。
それとは別に根本的な問題として、セブリアント王族として過ごしていたロイドですら――その存在しか――異世界転移の魔法を知らなかったというのもあるが。
「まあ俺が魔法を覚えればいいことは分かった。でやることはそれだけか?」
「もう一つ。それは異世界転移を可能とする魔法を探さなければならないっす。空属性の魔法はセブリアント王族の秘技中の秘技だったっすから、その全ては空属性を持つ国王にしか受け継がれなかったそうっす。ロイドは転移時にはまだ王子という立場でしたっすから」
「……それってセブリアント王族に会いに行くってことか。それで俺が空属性を受け継いでるから魔法を教えてくれって言うのか? 厄介ごとの匂いしかしねーぞ」
「場合によっては盗みに入ることになるかもしれないっすね」
楽しそうにウインクする澪に陽斗は思わす頭を抱える。マンガみたいっすねと言って、喜々として城に忍び込む澪の姿が容易に想像できたからだ。
先の思いやられる展開に頭を悩ませる事になりつつも、食事を終えた陽斗たちは明日からに備えて早目に休むことにしたのだった。