第29話「ソフィーの決意 ――竜の喚び声―― その2」
ギレの火属性〈身体強化〉による力押しに、それでもソフィーは必死に食らいついた。剣で弾き、時折飛んで来る拳や肘、蹴りや膝などの肉弾攻撃は純度の高い風属性〈身体強化〉の俊敏さでなんとか躱す。
途中ギレの部下が帰還し、地下に降りてきた。
一対一でなんとか凌いでいたソフィーも敵が増えればあっという間に今の均衡は崩れてしまう。すわここまでかと諦めかけた。
しかしギレが「手は出すな。これは私の獲物。それと終わるまでここへは誰も通さないように。こちらのお嬢さんの仲間が来るかもしれないのでね。ああでもドラゴンが来たらすぐに知らせるように」と指示を出したことで一対多になる事態は避けられる。
なんとか乱れた息を直そうとしていたソフィーは降って湧いた束の間の休息に動きを止め、隙を見せて命令を出すギレに飛びかかるようなことはしなかった。
降りてきたバンダナの男は初め渋る様子を見せていたが、やがてギレの指示に従って地上へと昇っていく。
それを見送って再び地下空間にギレと二人になったソフィーは剣を杖代わりにして立ち上がった。
「いいの? 大勢でやればすぐに決着がつくと思うけど?」
言ってギレの気が変わらないとも限らない。言わないほうが良いと思いつつも、ソフィーは強がりからつい要らない言葉を口走ってしまう。
それを見たギレが口の端を愉悦に歪め、嘲るように囀った。
「いいのだよ。彼らが帰ってきたということは、街を出る準備は出来たということ。あとはドラゴンが来て街を蹂躙してくれるのを待つばかりだらね」
「なら私はヒナを取り返すだけね。そうすればドラゴンは来ないわ」
ソフィーの言葉にギレはふむと何か納得した雰囲気を醸し出す。
「ここへ現れた時から疑問だったが、やはり君はあのドラゴンの代理なのか。どのように意思疎通をしているんだ?」
「言ったでしょ。教える義理はないわ」
「まあいい。君と君のお仲間が任務に失敗すれば、次はドラゴンの番という訳だろうからね」
それを聞いたソフィーが笑う。
「おや、まだ笑えるだけの余裕があるとは。それで何が可笑しい?」
「アタシ程度に手こずっているようじゃアタシの仲間は倒せないわよ」
ソフィーは自分で言っていて可笑しくなる。
未だ実力の底知れない澪ならばこの程度の敵、瞬殺してくれるような気がしたからだ。
グラナとの遭遇はよく分からない二人の実力の一端を垣間見せてくれていた。陽斗は真紅竜と同等の火属性魔力を持っていることが分かったし、澪は第二位階の魔法でドラゴンのブレスを完全に防いでいた。
陽斗はまだ練習中と言って火属性の魔力をまだ上手く扱えないと言っていたが、澪の魔法は違う。
ただ持っていればドラゴンと会話できた魔力と違って、魔法は偶然では使えない。第二位階などそれこそ六国の王クラスでないと使えない魔法だ。
澪の実力はほぼ大陸でも最強クラスなのだとソフィーは思う。
では何故自分は一人でここに立っているのか。何故彼女に助力を請うて一緒に来なかったのか。
この倉庫の情報を見つけたまではいい。でもそこからはどう考えても陽斗と澪の到着を待つべきだったのに。
答えは簡単だ。自分がヒナが攫われたと聞いてカッとなり、周りが見えなくなって一人突っ走ってしまったからだ。
半年前に姉にも言われたソフィーの悪い癖である。
ソフィーは先程とは別の意味で笑う。それは自嘲の笑みだ。
(自分からパーティに入れてくれって頼んだのに、仲間を無視して結果この様……笑えないわね)
不敵な笑みから一転。ソフィーの気落ちしたような様子にギレは疑問を覚えるも、ドラゴンの背中にのっていた残り二人を思い出す。遠目ではあったが、目の前の少女と同年代のように思えた。その二人が来たところで何か出来るとは思えない。
ソフィーの態度は結局一時の強がりに過ぎなかったのだろうと納得する。
彼女の仲間が強いという宣言の後にすぐ肩を落としたのが良い証拠だと。
「そろそろ自分の状況を理解したか? ここに侵入した時点で君は私たちの玩具決定だ」
ソフィーは何も言わない。俯いて顔に影を落とすばかりだ。
ギレはいい感じに仕上がってきたと言葉を重ねる。
「君はこの後、数えきれないほどの男たちに輪姦される。私は一度失礼したら観る側に回るつもりだがね。いつ人形のように声すら挙げられなくなるか見ものだからねえ。そちらの方が楽しい」
ギレにはソフィーから諦めの色を感じ取る。
相手の抵抗の意志が砕けていく瞬間が大好きなギレは、途端に饒舌に舌を回し始めた。
「そのあとは君の首を落として六国のいずれかの王に送りつけよう。君の剣技には見覚えがある。この国の貴族が覚えるものだ。
……少し位反応してくれたほうが楽しいんだがねぇ。まあいい。それよりも貴族だったとはいい手土産が出来たというもの。貴方の首を私の上司の名前で送りつければいい戦争の種火になりそうだ」
ギレは背筋を曲げて人間のものとは思えない奇怪な声で暗く嗤う。
「君のこれからについては話し終えた。この後は減刑の時間だ。まずは剣を捨てるんだ。そうすれば犯す男の数を一人減らそう。そのあとは膝をついて無様に命乞いをしろ。それでもう一人減らしてあげよう」
ギレは顔の穴という穴を三日月に裂き、手を広げ全身で『喜』という感情を露わにする。
「さあ、諦めて降伏するんだ!」
■
ソフィーは自分の馬鹿さ加減に呆れ果てて戦う気力も失いかけていたが、ギレの言葉を聞いていない訳ではなかった。
ギレの最後の言葉。『諦める』という言葉がソフィーに一つのことを思い出させる。
それは背中。
グラナというおよそ人の敵い得るところではないドラゴンを前にして、なお諦めず前を見ていた仲間の背中だ。
そして背中を見ていたということは、自分がそこに並んでいなかったということ。
ソフィーのエメラルドの目に光が戻ってくる。
(そうよ……アタシってば、また諦めるところだった)
ソフィーの雰囲気の変化をギレが訝しむ。
「どうした? さっさと諦めて投降するんだ。そうすれば――」
「……ない」
ソフィーは心を折ろうと畳み掛けるギレから視線を離す。そこには悲痛げに顔を歪めて自分を見るヒナの姿があった。
――俺は死ねないからな。だったら諦めるって選択肢はないぜ。
この言葉は今のソフィーに相応しくない。正しい形ではない。
これは陽斗が陽斗自身に向けた言葉ではない。自分が生きたいから諦めないという意味でもない。自分が助かりたいだけなら、転んだソフィーを助けることは出来ない。
自分が戦うことで、生かしたい者がある者の言葉だ。
自分より弱い。クエストのモンスター討伐の時だって、中衛の自分が何度もフォローした。でもいつだって自分はその背中を見ていた。どんなに数の多い敵にだって、その背中を晒したことは一度もない。
ソフィーはそんな心だけは自分より強いと認めても良い少年を思い出して破顔する。
(必死に考えたじゃない。あの言葉の意味を……!)
――俺は死ねないからな。だったら諦めるって選択肢はないぜ。
グラナを前にして立ち上がれなかったソフィーに向かって、だけど本当は隣に並ぶ仲間に言ったその言葉の真の意味は、
『――先に死んだら、守りたい奴を守れない! だったら諦めてなんていられないだろ!』
陽斗の意思とソフィーの心の言葉が重なる。
(戦闘は素人のくせにホント心構えだけは一人前なんだから……)
ソフィーは再確認する。自分はヒナを攫われたままには出来ない。このまま放置すれば売られて、いずれ成体になって手に負えなくなる前に殺されてしまうだろう。
澪たちに任せればいいというのは甘えだ。ヒナに助けるとも言った。
あの時の陽斗と同じ。ソフィーには生かしたい者がある。
今はヒナだけど。でもいつか、あのカッコいい背中を見せる二人を守って、守りたいと思われるような『仲間』になりたい。
だから――
「――アタシは諦めないッ!」
ソフィーが吠える。
ギレはその鬼気迫る気迫に押され、思わずといった形で後退った。
「ハァア!」
気力を振り絞ったソフィーが駆ける。今までどこにそんな力を隠していたと言わんばかりの今日一番のスピード。
一息で間合いを詰めたソフィーの速度に反応できず、棒立ちになったギレに一閃。
ギレはすんでのところで回避動作をとるも腕を浅く斬られる。
ソフィーは返す刀でさらに一閃。ギレはバックステップで距離をとった。
荒い息をつくソフィーはそれを黙って見送る。そしてソフィーは剣をギレに向ける。
「勝負はこれからよ!」
ギレは一太刀浴びせられ痛む腕をかばい怯む様子を見せた。しかしすぐに余裕の表情を取り戻す。
ソフィーが訝しげに、けれど油断なく見つめていると、ギレは懐に手を差し入れた。
「……まあいい。まだ諦めていないというのなら、私には絶対に勝てないということを教えてやろう」
引き抜かれた時に持っていたのは、マントを羽織り精悍な顔つきが、いっそ異様とも言える繊細なタッチで彫られ、肩越しに背中を振り返った姿の小人の人形だった。
「これがドラゴンをも騙す古のアイテム〈背を気にする男〉だ!」
ギレの叫びに合わせて人形が緑に光り輝く。その光が収まった時にはギレの姿はそこにはなかった。
「どこ?!」
ソフィーは慌てて周囲を見渡す。しかしどこにもギレの姿を見つけることは出来ない。
それを嘲笑うかのように虚空からギレの言葉が響いた。
「このアイテムは使用者、そして近くにいる任意の対象の姿と気配を完全に消す! ……まあ魔法を使うと魔力に敏感なドラゴンには気配を悟られてしまうらしいが、人間には見破れない!」
ソフィーは剣を手元に引き寄せ、防御を固める構えをとるが、姿の見えない相手にはあまりに無力だ。
「こっちだ」
背後からギレの声がしたと思った瞬間、背中に鋭い痛みが走る。
「グゥッ!」
ソフィーは四方八方から切り刻まれ、腕に背中に脚に切り傷を増やしていく。
剣で斬られても切り傷が走る程度で済んでいるのはギレが手加減しているというのもあるが、〈身体強化〉のお陰だ。〈身体強化〉で防御力を上げていなければ、ギレの剣はソフィーの肉を深くえぐり、例え治癒したとしてもその辺の町医者程度では一生消えない傷を残していただろう。
魔力が底を尽きれば敗北は必至。その前になんとかしなければならない。
しかし楽しそうな嗤い声だけが、ソフィーに知覚できるギレの唯一の情報だ。
「クっ……ウ」
ソフィーには死ぬ気で次の攻撃の方向をを予測して剣を構えることしか出来ない。
次は脚か。今は腕だったから次は背中か。
ソフィーに為す術はなく、姿の見えない敵になぶられ続けるしかなかった。
ただ――。
服を切り裂かれ、肌が露わになったとしてもソフィーは決して剣から両手を離すことなく、最後まで立ち続けていた。
■
そんなソフィーを心配そうに見つめる瞳がこの部屋にはあった。
ドラゴンのヒナだ。
彼女は以前自分に一番構ってくれたソフィーが傷めつけられる様に心を痛めていた。
「キュー……」
ヒナがソフィーに一番懐いたのは、彼女の風属性の魔力に相性の良さを感じ取ったから。
きっと彼女の生み出す風に乗れば自分は誰よりも早く飛べるドラゴンになるだろうという確信が、ソフィーを一目見た瞬間に生まれたのだ。
そんな彼女が自分のせいで傷だらけになっている。どうにかしたいと思うのは自然なことだった。
やがてソフィーの魔力が少なくなっていく。
そしてとうとう彼女が地面に吸い込まれるようにして倒れた。
ヒナは声の限りに鳴き声を上げる。
「ピュイィイイ!」
ドラゴンとは魔力の塊である。魔力に高い親和性を持ち、自身と同質であり、かつ(主に大気中などの)無防備な魔力に干渉できる能力を有している。
成体になると自然と制御出来るようになるが、ヒナにはまだできない。
そんなヒナの鳴き声は幼いとは言え、まさに真紅竜の名に恥じない干渉能力を持っていた。
大概は大気中の火属性の魔力を震わせただけだった。
しかし――。
今この時この付近には真紅竜と同質の魔力を持ち会話までしながらも、全く属性魔力を扱えないという魔法的に無防備な男がいた。
ヒナの雄叫びはその男の魔力に干渉し、活性化させる。
一時的という制限がありながらも、全属性が体内で混じりあうことで無属性の魔力になってしまうという、均衡状態を崩すだけの力を秘めたものだった。
――王が目覚める。