第28話「ソフィーの決意 ――竜の喚び声―― その1」
ソフィーは手に入れた情報に従って、倉庫街に並ぶ一つの倉庫の扉を開ける。
ただ広いそこには幸い人の影はなく、数個の木箱や馬のない荷車が一つあるばかりだった。
商人の在庫置きに使われるはずの倉庫に物がない光景というのは、廃墟を思い起こさせて気味が悪い。普通の町娘ならば例え誰もいないとしても、入ることを拒んだであろう。
しかしソフィーはそこがヒナを盗んだ者達にアジトとして使われていると知ってなお、微塵の躊躇もなく侵入を果たした。
コツコツと足跡を反響させながら、進んでいく先は対面の壁に設置されている扉だ。
既に抜いている剣をギュッと握り直して、勢い良く――乱暴に――扉を蹴飛ばした。開いた扉の後ろはすぐ階段になっており地下へと続いていた。
階段は途中で折り返しており、地下の部屋は地上部分のちょうど真下に作られている。階段を降りきったソフィーはそこでもまた扉を開けた。
眼に飛び込んできたのは地上の半分くらいの大きさの空間とそして――
「ぴゅーいぴゅーい!」
ソフィーが来たことに気付いたヒナが、囚われたカゴの中から悲しげな鳴き声を届かせる。未だにくっついている卵の殻の隙間から幼い翼をパタパタとはためかせているが、檻を揺らすだけで飛び上がることは出来なさそうだ。
「ヒナ! 待ってて今助けるわ!」
すっかり「ヒナ」というのが、名前のようになっっているが実際にはまだ名前は付けられていない。
ソフィーは歩み寄ろうと中に一歩踏み出して気付いた。ヒナ誘拐の下手人の一人であろう男が空間内にいることに。
「上の扉が開いたと思ったら侵入者とは」
男はくすんだ長い金髪をしばり、頬は痩せこけ、落ち窪んだ瞳。ソフィーの主観だが男の容姿は悪人のそれだった。
ソフィーはすぐさま剣を突き付けて叫ぶ。
「あんたがあの子を盗んだのね!? ヒナは帰してもらうわよ!」
「元気のいいお嬢さんだ……そうか緑髪……。きみたちがドラゴンの背に乗って現れた……」
「なんでそれを?!」
「とても驚いたよ。君と君のお仲間が辻馬車代わりにあの真紅竜の背中に乗って私達の前に現れたのは、私達がドラゴンの目撃証言を追ってちょうどあの森に辿り着いた時だった」
低い声で淡々と紡がれる言葉にヒナを取り返しにきたソフィーへの焦りは見られない。そのことがソフィーに言い知れない怖気を与えた。ソフィーは注意して男の話を聞く。
「ドラゴンが人里に下りてくるのは卵を産んで孵してから一週間だ。その時のドラゴンはとても凶暴になる。産卵時以外だって考えられない人を背中に乗せるなど、さすがに目を疑ったよ。
それかもしかしたら私たちが追っていたドラゴンは卵を持っていないのかもとも思ったが、ちゃんと子どもはいた。いったいどういうからくりでドラゴンを手懐けたのか。今後のために是非教えて貰いたいものだね」
「フン、誰がヒナを盗むような奴に教えるものですか!」
教えても問題はない。教えたところでそう簡単にドラゴンと同レベルの純度の魔力を持つ者など探せるはずもない。そんな者この大陸に一体どれだけの人数がいるというのだろうか。
故に問題はない。だが問題がないことだからといって素直に教えるかは別問題だ。犯罪者の手助けなど一片足りともしたくない。
(それに教えちゃうと、ハルトが狙われることになるかもしれないし……別にアイツの心配をしているわけじゃないけど)
ソフィーが心の中で自分でもよく分からない言い訳をしていると、男は彼女の拒絶の言葉にはさして憤りを覚えなかったようで、まるで感情の篭っていない声音で話す。
「それは残念だ。……さて聞きたいことは他にも沢山あるが、これから聞こうか。どうしてこの場所が分かったのかね?」
「アンタの仲間が通りで騒いでいたわよ。ドラゴンを出しぬいてやったぜってね。周囲の人達は狂人を見る目だったけどね。それでしばらく傍に付けて聞いていたらここがアジトだって喋ってたわ」
仲間の失態に舌打ちの一つでも飛ばすかと思えば、ソフィーの言葉はやはり彼にいささかの痛痒も与えない。
「ああ、彼らにはここを脱出した後の食料なんかを買いに行かせたんだ。おそらくここがドラゴンに破壊されれば、聞いていた者などいなくなるからと口が軽くなっていたんだろうね」
「グラ……ドラゴンが来ればアンタたちだって巻き添えじゃないの?!」
「私たちは特別なアイテムを持っていてね。それがあればドラゴンに気づかれることはないさ。この幼生を盗めたのもそのアイテムでドラゴンが傍を離れるのを見張れていたからだ」
「バカね。そんなアイテムがあればさっさと逃げるべきだったのよ。だからこうして取り返しにも来られる!」
男の行動の一貫性のなさに不気味さを感じたソフィーが、思わずといった感じで声を荒げた。
それに対して今まで塵一つほどの感情も浮かべていなかった男の相貌に初めてが宿る。亀裂のような笑みが。
「せっかくドラゴン様が人間虐殺ショーを開催してくれるんだ。見ないと勿体無いとは思わないか?」
「……下衆ね」
これ以上の会話は無意味と悟ったソフィーは、話の途中にも観察していた男の身のこなしや装備に再び目を走らせる。
男の獲物は腰に佩いた剣。しかしこれはまだ抜かれていない。
首元まであるタートルネックの長袖シャツ。胸から上しかない革鎧の上にはジャケットのようなものを羽織っている。
ジャケットの袖からは手甲らしきものが顔を覗かせているが、足には何の防具もしていない。単にスボンを履いているだけだ。
会話をしながらソフィーは男の隙を盗んでヒナを取り返せるか彼我の実力差を測っていた。
しかしそれは不可能と己の勘が叫んでいる。目の前の男を無力化せずにソフィーの目的は果たせそうにないと感じた。
男はソフィーよりも強い。でも勝てない強さではない。澪を前にした時の圧倒的強者の風格はない。
ソフィーがそう分析していると、男は何が面白いのか静かにギャヒギャヒと引きつったような笑いを漏らし出した。
「もうお喋りはお終いかな?」
戦闘に移ろうとしていることが看破され、僅かに羞恥を覚えるもソフィーに引くという選択肢はない。
男は再びゴブリンのような笑みを浮かべた。その笑みは陰鬱でそれでいて聞くものに粘ついた感覚を抱かせる。
「ギレだ。少しは楽しませて欲しいな?」
「言ってなさ――い!」
ソフィーは言い終わると同時に〈身体強化〉を自身に掛けて地を蹴る。
「良いスピードだ。風属性かな?」
「〈風の魔球〉(ウィンドボール)!」
言葉は無視して準備していた魔法を放つ。ソフィーが無詠唱で使える数少ない魔法の一つ。何の目的もなくギレと会話をしていたわけではない。真の目的はこの魔法の準備にあった。
魔術師の真骨頂は魔法と体術の併用にある。
遠距離から魔法に拠って牽制しながら近づくのは魔術師の定石だ。
ソフィーが放った〈風の魔球〉は第9位階の基本魔法だが、当たれば人間一人たやすく吹き飛ばす。
当然それはギレも知っているのでステップで躱す。
風による攻撃だが、自然の風のように目に見えない訳ではない。〈風の魔球〉は魔力の色と同じ緑色に色づいているので一直線に飛んで来るボールと変わらない。躱すのは容易い。
しかしどんなに威力のある大技だろうと見切りやすい小技だろうと、回避動作には一つ手番を消費する。
魔法で接近するだけの時間を稼いだソフィーは回りこむようにギレの側面から斬りかかった。
「スピードは良い。だが――」
男はクルリと反転し、ソフィーの剣を受ける。ギンッと一回甲高い音がなり、そのまま鍔迫り合いになる。
「――間合いで動きを止めてしまえばパワーには敵わない」
ギレはソフィーの脇腹を蹴り飛ばした。
「キャッ!」
ギレの使う属性は「火」。そして火属性の〈身体強化〉は使用者のステータスの内、パワーを最も上昇させる。
故にソフィーの軽い体重はあっさりと吹き飛ばされてしまうが、ソフィーは手をついて何とか転倒を避けた。
「くうっ……!」
ソフィーは蹴られた箇所に手を当てて呻く。〈身体強化〉のおかげで致命傷にはなっていないが、一般人が蹴られれば肋骨が折れるくらいの威力はあった。
ギレは苦痛に顔を歪めるソフィーを追撃に動くことなく舐め回すように観察している。
瞬き三回ほどの時間が経過してソフィーは立ち上がった。
「……余裕のつもり?」
「事実勝つだけなら容易い。だがそれでは面白くない」
「後悔させてやるわッ!」
その後も何合となく切り結ぶもソフィーはパワーが足りず、剣が流されてしまう。ギレは身体が開いたその隙を足技で攻めてくるが、それは一度喰らった技。ソフィーは持ち前のスピードでなんとか躱し続けた。
このように魔術師同士の対人戦闘では魔法無しの近距離戦になりがちだ。弓使いなど一部の例外を除いた武術師には基本的に遠距離攻撃の手段がない。
そのため魔術師は中距離を保って魔法を当てればいいが、相手が魔術師ではこちらも距離をとって魔法を打とうとする相手もまた魔法を使う。
魔法合戦になると先に魔力が切れたほうが負ける。相手の総魔力量が分からない内は温存するのが常識となる。
またここが屋内でさらに地下だということも、二人に魔法使用を躊躇わせる原因になっている。
ギレは火。ソフィーは風だ。
狭い場所で火を燃やせば苦しくなることをギレは知っているし、ギレが火魔法を放って何かに燃え移り、ソフィーがそれを風で舞い上げればあっという間に二人は火の海の中になるだろう。
かといってソフィーだけが魔法を放てばいいという単純な話にはならない。ソフィーが魔法主体の戦いに切り替えれば当然ギレも魔法を使ってくるだろうからだ。
ヒナが囚われている今、この場所を火事にすることはソフィーには躊躇われた。
よって二人の間には暗黙的に魔法使用を禁止するようなルールが設けられているが、ソフィーは剣の腕でギレに一歩及ばないために劣勢を強いられていた。
ソフィーは足を狙った突きでギレが躱すように誘導する。一点しかない突きというのは武器で防御しにくい技であるため、相手に躱すという選択肢を採らせやすい。ギレが後方に飛ぶと同時にソフィーも攻撃を中断して距離をとる。
(くっ……雷属性の〈身体強化〉を使えれば……スピードがパワーに敵わないなんて、敵に言わせないのに……これが知られたらお姉ちゃんに怒られるわね)
澪が余裕のある時に使う魔力型とは違って、一般的に使われる〈身体強化〉は魔法だ。
それが意味するところは火・水・風・地・光・闇の六属性だけでなく、上位属性の〈身体強化〉もあるということ。 当然上位属性を扱えるだけの魔力の純度が必要だが、その力の伸びしろは下位属性の比ではない。
ソフィーは風の魔力で上位属性を扱い得る純度を持つが、未だに上手く扱えないでいた。
幸運だったのは、ギレが火の上位属性たる炎属性までに至る純度の魔力を持っていなかったことか。もしギレの〈身体強化〉が炎属性のものだったら最初の一撃で勝負が決まっていただろう。
「きゅーい……」
劣勢なソフィーを見てヒナが心配そうな声を上げる。それはソフィーの心を奮え上がらせた。
(何赤ん坊に心配させてるのよアタシ! 助けるって言ったじゃない!)
息荒く僅かに前傾していた姿勢をピンと正し、敵を見据える。
「そうこなくては。体力切れで終了など全く楽しくない」
「お生憎。この程度でヘバッてたら、即千回殴る師匠に教えられてたのよ」
「それは怖い」
ギレがソフィーに向かって突進する。
ソフィーが魔法で牽制しようとするも、最初に貰った蹴りの影響か脇腹に痛みが走る。それに気を取られ接近を許すと、ギレはわざと大振りな大上段からソフィーの頭をかち割らんとする。
ソフィーが躱す間もなく剣で防ぐと、その瞬間にギレは剣から片手を離す。そして足技を警戒して意識が下に向いていたソフィーの死角から拳を顔面に振りぬいた。
「グ――ッ!」
ギレはソフィーの身体が流れたと見るや蹴りで突き飛ばす。踏ん張りがきかなくなっていたソフィーはまたもあっさり弾かれた。
ズササとソフィーが地面を滑る。
それでも素早く起き上がれたのはそれが明らかに手加減された攻撃だったからだろう。
ソフィーはキッとギレを睨みつける。
「いい目だ。好きな目ですよそれは。まだ希望を残した目だ。それを染めていくのが趣味なんです」ギレは眼と口を三日月の形に歪める。「絶望にねぇ」