第22話「決死 ――その背中―― その2」
陽斗と澪が異世界へと転移する半年前。
ソフィーは生家の図書室で読書に耽っていた。
「ソフィー……またセブリアント初代国王の伝記? よくもまあ飽きないもんよね。それ読むの一体何回目よ」
いつの間にか背後に立っていた女性が、ソフィーの手元を呆れた口調で覗き込む。
「212回目よ、お姉ちゃん」
「うわ……覚えてるし。というか話してるんだからこっち向きなさいよ」
ソフィーに姉と呼ばれた人物は、妹のセブリアントフリークには処置なしとばかりに肩を竦めた。
ソフィーは仕方なしに読んでいた本を閉じて椅子ごと振り返る。
女性はソフィーに非常によく似ていた。しかし眼にソフィーのような鋭さはなく、逆におっとりとしたものを感じさせる。髪の毛も色こそ同じだが、それはストレートに真っ直ぐ腰まで落ちている。
口調もまた間延びしたどこか気の抜けるものだが、ソフィーはそれが家族にだけ向けられることを知っていた。仕事中の姉はまさに上に立つものとして覇気を纏っている。
名前はリーリス。風の国の近衛騎士隊で隊長を務める国きっての実力者である。
今日は非番で家にいたようだった。
「それで何の用なのよ。アタシ今忙しいんだけど」
「忙しいってあんた……本読んでただけでしょ。それも既に何回も読んだ」
「な、何回読んでもいいのよ! それだけ素晴らしい方だったんだから!」
「そりゃファースト様がいなかったら今の私たちたちもないかもだけどさ……ってそんなことより、父さんが呼んでたわよ」
「そんなことって何よ! ……パパが呼んでたって本当?」
「本当よ本当。あんたまーた同級生とケンカしたんだって? いい加減その好きなものの事になると、周りが見えなくなる直情径行なところ直しなさいよね」
ソフィーはギクリと顔を強張らせた。
「また同級生とケンカしたそうですね、ソフィー」
やっぱり、とソフィーは分かりきっていた呼び出しの内容に、暗澹たる気分になる。
父親の家における執務室。そこで執務机を挟んでソフィーは実の父親と面と向い合っていた。父の傍らには、ソフィーを呼びに来た姉もいる。
ソフィーと同じ深緑色の髪をオールバックに撫で付けて、家族にさえ丁寧な言葉を崩さないこの男こそソフィーの生みの親。
名前はフォンハウト。
「だって……また初代様のことをバカにして……ロイド様のことも逃げ出した王族だって。もう国にセブリアント家は必要ない。空属性も必要ないって言うんだもの……」
ソフィーは横目に口を尖らせながらブツブツと言葉を重ねた。
フォンハウトはふうと小さくため息を付いてから、ソフィーに視線を向ける。
「たしかにその発言は問題です。今の六国はセブリアント家あってのものですからね。……だからと言って往復ビンタはやりすぎでしょう。それも5往復も。せめて一回頬を張るくらいにするとか、出来なかったのですか?」
「無理よ」
ソフィーの一刀両断な物言いにフォンハウトは逆に清々しく思いながらも、娘を大人しくさせるにはやはりこれしかないかと提案する。
「ソフィー。貴方に見合いの話が来ています」
変化は劇的だった。それまで一応手を上げてしまったことはやりすぎだったかもと、これといって反論をしなかったソフィーが、父親に食って掛かる。
「なっ! アタシは結婚はしない。興味ないってずっと言っていたでしょう!」
「理解してください。娘がこのまま適齢期を過ぎてもお転婆のままだと思うと、父親としていささか複雑な心境なのです。はっきり言うと悲しい」
「それ結局自分のことしか考えてないじゃない! そ、それにもし結婚するなら条件があるとも言ってあったでしょう!」
フォンハウトは面倒くさそうにやれやれと首をふる。座った姿勢だが四十代の渋いダンディーさを漂わせる彼がやると様になる。
「その条件というのはあれですか? 貴方が小さい頃から言っているファースト様のような全属性持ちで、慈愛に溢れていて身一つで国を起こすような、そんな傑物と結婚したいという夢物語のことですか?」
「うっ」
ソフィーは父親の多分に呆れを含む視線にたじろいだ。
彼女だって分かっているのだ。空属性の継承者がいない今、全属性持ちが現れることなどありえないと。
それに力を持っている者が容易く他者に優しくもできないのだと言うことも。
現にソフィーが通う風の国の首都リバルディアに立つ中等魔法魔術学院に通う者たちがそうだ。彼ら彼女らは――もちろん全ての者がではないが――平民を馬鹿にし、また学院内ですら優劣で劣る者へのいじめを行っている。
それが全属性、特に最強の属性と言われる失われた空属性を持てばどうなるか。
かつてのセブリアント王家のような厳しい情操教育があるならばともかく、もてはやされ全肯定され逆らうもののいない環境で育ったとしたら、その者が横暴になることは確定事項だろう。
セブリアントの意思を受け継がんとする、最上位層以外の貴族がそれを証明している。
父の言う通り、ソフィーの結婚相手の条件は夢物語だ。
ソフィーの沈黙をどう受け取ったのかフォンハウトはソフィーの結婚相手を告げる。
「相手はシューテンビヒズ家のライズレイド君です」
それはソフィーと同じ学院に通う者の名前だった。
その者はまさしく、もてはやされ全肯定され逆らうものなく育った最低のクズ野郎だった。
学院でのイジメの主犯格だと噂される人物である。
ライズレイドのソフィーを見る情欲に染まった目を思い出して、体中に鳥肌とともに怖気が走る。
「もちろんまだ決まった話ではなく、向こう側から申し込みがあったというだけですから――」
「い、いやよ! あんな奴。死んでもゴメンよ! 考えただけで死にたくなったわ」
「そ、そこまで……」
執務室に入ってからは一度も言葉を発さなかったリーリスが、ソフィーの拒絶の様子に呆気にとられる。
「一度受けてみるというだけの話です。このまま一度も浮いた話がなければ――女性趣味だと思われてしまいますよ。それは貴方も嫌でしょう?」
「た、たしかに根も葉もない噂を立てられるのは嫌だけど……」
それでもアイツだけはないという考えは変わらない。しかしそれではこの問答も終わらないことはソフィーにも理解できる。
そこでふとソフィーの脳裏に閃きが走った。
「……分かったわ」
「おお、分かったくれましたか」
「いいえ、パパ。アタシが分かったのは見合いをせずに変な噂も立てられない。そんな方法がよ」
「……それは?」
「決闘よ!」
「「……はあっ?!」」
その後ソフィーはライズレイドに「アタシと見合いがしたかったら決闘で勝ちなさい!」と宣言。
これを受けたライズレイドを合法的に叩きのめす。
その後、この噂を聞きつけた学院の男子から決闘の申し込みが殺到。
これをソフィーは全て返り討ちにして、男どもの下心の低劣さや戦闘のレベルの低さに辟易したその後で、父親に向かってこう言った。
「あんなレベルの低い奴らに囲まれていても強くなれないわ。ファースト様のようにアタシも冒険者になって鍛えることにするわ!」
そう言って父親の勧めてくる結婚の話からもいい加減開放されたかったソフィーは家を飛び出して、王都から離れたフィールドの街で冒険者になったのだった。
■
ドラゴンを倒す。
今まで聞いていたことが信じられず黙って陽斗と澪の会話を聞いていたソフィーが口を開く。
「え……ほ、本当にやるの?! ドラゴンは最強種よ?! 勝てるわけ無いわ!」
あまりに情けない声だと自分でも思う。でも仕方ないのだ。ドラゴンというのは個体数こそ少ないものの、群れればたやすく国家を落とすと言われている。たとえ一匹だろうと個人が勝てるはずもない。
すると澪と並ぶ陽斗が振り返り、ソフィーを見る。
「俺は死ねないからな――」陽斗はそこで一度言葉を切ると、座り込むソフィーを力強く見据えた。「だったら諦めるって選択肢はないぜ」
そう言って陽斗はソフィーにニカッと笑いかける。そしてすぐに前に向き直ってしまった。
「陽斗様、あと少しで盾とブレスが消えるっすよ」
どこに隠していたのと言いたくなるような黒くて長い物を取り出した澪が、陽斗に話しかける。
一度もソフィーを振り返らない澪は、既にソフィーのことなど眼中にないと言わんばかりの態度だ。
澪が強いのは知っていた。それが自分とは比較にならないくらいだということも。
でもそれは実力の面だけではなかった。
自分と同い年の女の子。
その子が絶対的な死地にあってなお、前しか見ない。座り込んで俯いている自分とは大違いだ。
足を挫いた? 澪と比べて弱い?
そんなの言い訳でしかない。
足は〈身体強化〉で無理をすればまだ動く程度の負傷であるし、自分より実力で劣る陽斗だって立っている。ましてや自分には魔法がある。座り込んでいたって、この場からドラゴンに届かせることだけならば容易い。
なのに自分は二人の作戦に全く組み込まれていない。二人が自分を無視しているのではない。命を懸けた場面。二人はきっと自分が逃げ出しても文句を言わないだろう。逃げてもいいと無言でそう言っているのだ。立ち向かうなら自分から言わないといけなかった。
しかしソフィーの足も口も満足に動いてはくれなかった。
学院という温室でぬるま湯につかり、実戦を経験しない同年代の子女に比べて何歩も先を行っていると自負していた。
でもそれはまやかしだった。
無理をしない程度に数の少ない敵だけを狙って、ほとんど生活のために冒険者をする。
それのどこがぬるま湯じゃないと言えるのだろう。
ポタ……ポタ……と地面の土に涙が染み込む。
(弱いなぁ……アタシ。弱すぎ)
そこでふと疑問が湧く。
どうして陽斗たちは立ち向かうことが出来るのか。ソフィーは死を予感しながらもどうしてもそれが気になった。
例えここで死ぬ生命だとしても、陽斗たちの強さ――生命を掛けてでも諦めないその心の強さ――を知らないでは死ねない。
ソフィーはそう思って顔を上げる。二人はちょうど作戦を決行するところだった。
「スリーカウントっす。スリー……」
陽斗が剣を握り直し、片足を一歩引いた。
「ツー……」
ソフィーは陽斗の手と脚が震えていることに気づく。
「ワン……」
陽斗は澪を見て微笑んだ。澪の表情は見えなかったがきっと笑っているんだろうなとソフィーは直感する。
陽斗の身体にもう震えている箇所はなかった。
「ゴー!」
「うおおおっ!」
陽斗は水竜の盾とブレスが消える前にはもう脚を踏み出していた。それは澪の言葉を信じてブレスが消えることを確信していたということ。
事実陽斗が走りだした一瞬の後にブレスは消えた。
次いで澪の手元が輝き、次いでバババババッ! と石を高速で削ったような音が閃光とともに森に響き渡った。
ソフィーにはどのような攻撃かわからないが、作戦にあった澪の目潰しなのだと推測出来る。そしてそれはこれならと思わせるものだった。
後は陽斗が渾身の一撃を叩きこむだけ。
そう考えて澪から視線を移したソフィーに衝撃が走る。
陽斗が走っていないのだ。
よたよたと二、三歩前に足を動かし、ついには完全に足を止めてしまう。
先程までは確かに走っていたはずだ。
それが澪の攻撃の次の瞬間にはスピードを緩めていた。
(え? な、なに?)
どうして止まってしまったのか。
訳が分からなくなっているソフィーの耳に、陽斗の苦痛の中から絞りだしたような声が届いた。
「な……んで」




