第15話「フードの下 ――そして二人の連携――」
ソフィーは頭に手を当てて確かめる。フードではなく自身の毛髪の感触が感じられただろう。
「……あー!」
慌ててフードをかぶり直す。そのあまりに間抜けな行動に、息を呑んでいた陽斗も我に返る。
「いや、もう遅いから」
「…………」
再びフードの穴になったソフィーの顔が、陽斗に向けられて止まる。
そして大きな溜息。
「……まあしょうがないわね。臨時とはいえチームまで組んだ仲間に、顔を見せないのも失礼だったしね」
ソフィーはフードを取り、マントの下に隠されていた髪を掻き上げた。
「ソフィーよ。改めてよろしく」
ソフィーが微笑んだ瞬間、陽斗は澪が独占していた世界の光が二分されたように感じた。
ゆるく波打った深緑のロングヘアー。高く通った鼻筋。エメラルドグリーンに輝く大きな瞳。肉が少なく桜色に色づいた唇、細い顎や整った眉。
澪でさえ唾を飲み込んで目が離せない端麗さだ。
初めて出会った時、ソフィーはナンパにうんざりしていて気が立っていたと言っていた。
その時陽斗はよく澪の前でそんなことが言えるなと思った。陽斗は澪より可愛い女子を見たことがない。もしかしたら澪こそ世界で一番可愛い女の子とさえ思っていたのかも知れない。
そしてそれは異世界に来てからも変わらなかった。陽斗が異世界で見かけた女の子は、確かに地球基準で言えば平均レベルは高いと思わせるが、それでも澪ほどではない。
だからソフィーにしても、澪以上はないだろうと侮っていた。
そこへこの不意打ち。間違いなくソフィーは美において、澪と並び立つものだと陽斗は確信した。
陽斗が澪の可愛さに慣れていなければ赤面し、言葉がどもり、醜態を晒していたことだろう。
瞠目だけで済み、すぐに言葉が出せたのは僥倖だった。
「あー……まあ顔を見せなかった理由は理解したよ。だから気にすんな」
陽斗の感覚からしたら「理解させられた」という方が正確な気がした。しかし陽斗の安っぽい賛辞など、貰っても嬉しくないだろうから言わない。
「そう言って貰えると気が楽になるわ」
ソフィーは澪に視線を送った。
「ミオもよろしくね」
「え、ええ……(これはライバル登場っすか? 陽斗様の反応は間違いなくボーイミーツガールってる……そして幼馴染みは次第にフェードアウト? ううっ……しょうがないじゃないっすか。幼馴染みが負けポジだって気付いたときには、既に幼馴染みだったんすからぁ)」
間違いなくこの場で最も心を乱しているのは、陽斗ではなく澪だろう。
「何か言った?」
しかし澪はそんなこと微塵も感じさせない笑顔を作る。
「いいえ、何も言ってないっすよ。よろしくっす」
「よし、じゃあ顔見せも済んだし早いとこ次のゴブリンを探そうぜ。ソフィーはどうする? またフードを被るのか?」
「言ったでしょ。好きで被ってるんじゃないって。最初はフィールドの街でもフードはしてなかったの。でも冒険者になってから勧誘がうざくって……」
ソフィーはそう言いながらマントも脱ぎ、自身の装備も太陽のもとに晒した。
胸の位置のボタンをいくつか外した、クリーム色のシャツの上から革製の胸当て。ハーフパンツは冒険者らしく、少しポケットが多めでゴテゴテしているが、テニスウェアのような短いスカートがそれを可愛く誤魔化している。
茶色でヒールのない編みこみのブーツ。そこから素肌を守るニーハイソックスが伸びている。
腰のあたりには幅広のベルトが巻かれており、レイピアとまではいかないが、細身の剣が佩かれていた。
「なるほど。まあ俺たちは今回限りの臨時チームだ。無理に誘うなんてことしないから安心してくれ。な? 澪」
「もちろんっす!」
「そうね……」
てっきり「そうしてくれると助かるわ」的な返事があるものだと思っていた陽斗の予想は外れ、返ってきたのはソフィーの思案げな表情だった。
ソフィーは自分の中で結論を出したのか頷いて言った。
「ま、今は早くゴブリンを退治しましょ! 話は後でね」
嫌な予感を覚えた澪が悲鳴じみた声を上げる。
「ちょ、話って何のことっすか?!」
「いいからいいから! 次はあなたたちの実力を見せてもらうわよ!」
ソフィーはそうやって陽斗の腕を引っ張って歩き出した。
「あー!」
澪も慌ててその背中を追いかけていった。
索敵を再開してから数分後。
次に陽斗たちが見つけたゴブリンは七体。今度は陽斗たちが実力を見せる番だ。
「澪、昨日のとおりに」
「了解っす」
陽斗に隠密行動は出来ない。なれば最初から全力全開だ。
拳を胸に当てて目を閉じる。
「フッ!」
陽斗は修行で唯一使えるようになった〈身体強化〉を発動させる。
使えるようになったというのは語弊があるかもしれない。それは膨大な量の魔力に飽かせた、力押しで発動する魔力型の〈身体強化〉だからだ。
それも属性のない無属性。
それだけが陽斗がログハウスでの修行で得た、唯一の魔法的成果だった。
■
澪に落とされた意識を目覚めさせた陽斗は、魔力の暴走を止める方法は他になかったのかと愚痴りながらも、その後すぐ魔法の修行に戻った。
そこで澪に言われたのが、
「……陽斗様。魔力感知を行った時に感じた属性を教えて貰っていいっすか?」
「え?」
自分の中にある魔力の属性は感じることが出来る。
純度は他者との比較が必要なので正確なところは難しいが、それでも何となく分かるものだ。
「えっと……赤・青・緑・黄・白・紫・銀だったから……火・水・風・地・光・闇・空か? ……あれ? これって全部ってことか?」
全属性持ち。異世界の一般的な魔法使いが聞けば、言った者の正気を疑うような陽斗の発言だが、“視える”澪からすれば陽斗の言葉に嘘がないのは明白だ。
しかし澪は指を顎に当てて、美しい顔を困惑げに揺らす。
「そうっすよね……」
「? 正解なのか?」
正確に魔力感知を行えたか確かめるためと言って、陽斗がどの属性を持っているかは教えられていなかった。
「ええ、そのはずっす」
「?」
澪の感じているのが、疑問だと分かりながらもそれが何なのか分からない陽斗。
それを見てとった澪が説明する。
「陽斗様は全属性を持っている。私の眼にもそう映ってるっすし、陽斗様も感じたということでまず間違いないと思うっす」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「先程、陽斗様が魔力を暴走させた時の魔力の属性が“無属性”だったこと」
「それは俺の魔力の扱いが下手だからということなんじゃ?」
「確かに魔力の暴走は初心者がやらかすことっすね」
分かっていたことだが、容赦のない澪の物言いにちょっぴり傷つく陽斗。
「それでも持っていないものが出てくるなんてことはありえないっす」
陽斗の内包された魔力と使用される魔力の違いに、澪は混迷を極める。
それからも陽斗は無属性の魔力しか出すことができなかった。
結局この問題は解決せず、一月の修行を終えることになる。
しかし澪は無属性の魔力でも一つだけ出来ることがあることを知っていた。
それが魔力型の〈身体強化〉だ。
地球でも無意識の内に、無属性の〈身体強化〉を行っている者がいた。ごくごく一部の達人と呼ばれる武術家たちである。
これは余談だが無属性で戦う異世界の武術師たちは、魔法師または魔術師に魔法型の〈身体強化〉を掛けてもらうのが普通だ。
魔法に使えない無属性では魔法型の〈身体強化〉は発動できない。かと言って自分で魔力型を発動させれば魔力が枯渇し、肝心の武器術が使えないという事態に陥る。
澪の知る達人にしても、壮絶な修行の果てに完璧な気のコントロールを成し遂げた者たちだ。
閑話休題。
陽斗は魔法を使えないことを悔しがりながらも、無属性の〈身体強化〉の練習に午後の鍛錬を費やすことになる。
結果的に午前も午後も丸一日、身体的鍛錬になってしまったのだから一体どこのスポ根マンガだと、陽斗は心の中で泣いたりもした。
そしてそれは街に来て、無属性の魔力が武器術に使われると知っても解決はしていない。陽斗の無属性の魔力が一体どういう理屈で生み出されているかも分からないし、武器術に使えるかも分からない。分からないことだらけだった。
■
「フッ!」
陽斗が喊声を上げて、〈身体強化〉を発動させる。
それを見ていたソフィーは咄嗟に眩しい光を直視した時のように、顔を腕で庇った。
ゴオッ! と陽斗を中心に空気が唸りを上げ、渦巻く魔力の気配が質量を持って、自分に叩きつけて来たようにソフィーには感じられたのだ。
ぎょっとなりながら逸らしかけていた視線で陽斗を見る。
彼は腰に佩いた剣を抜いたところだった。場違いにもソフィーは剣士が剣を抜く前に、〈身体強化〉を発動させるのがこんなにヘンテコに見えるとはと、どうでもいいことを考えてしまう。
ソフィーが声をかける前に、少年はゴブリンに向かって疾駆していた。大量の魔力を使っているだけあり、その速度は眼を見張るものがある。風属性の〈身体強化〉といい勝負だ。しかし明らかに魔力を無駄に消費している。
「ちょ、ちょっと! そんなハイペースに魔力を使ったら保たないわよ!」
今この瞬間にも魔力切れを起こさないのは奇跡だと思いながら、ソフィーは走る背中に手を伸ばす。
「大丈夫! そこで大人しく見とけって!」
わざわざ振り返りながら剣を掲げる陽斗に、ハラハラした気持ちになる。
(ああもう! 素人なの?! 戦場で敵から目を離すなんて! それとも余裕の表れ?)
ソフィーはもう知らないと呟いて今度は澪に目を向けた。
陽斗とは対照的に澪からは一切魔力を感じない。
(使えない? いやあのスピードは〈身体強化〉じゃないと説明できないわ……そういえば魔力のコントロールに長けた者は〈身体強化〉の際に魔力を一切漏らさないって聞いたことがある。まさかそれなの?!)
ハルトとは別の意味で驚愕した。もしそうだとしたらそれは魔力コントロールの極致だと言える。
片や初心者でももっとマシな魔力のコントロールで、消費を抑えるのにと言いたくなるような少年。片やありえないほど緻密に魔力をコントロールする少女。
一体どういうコンビなんだろう。ソフィーは考えずにはいられない。
商人だという彼の父親が息子のために、優秀な護衛を雇ったということなのだろうが、それだけでは説明できないような親密さが彼等にはある。
それに陽斗からは金の匂いがしない。一般庶民のような……そんな雰囲気だ。
しかし冒険者で他人の詮索は最大のご法度。
今はそれより二人の戦闘だ。この後の“話”にも関わってくるのだから、しっかり見ておかなければならない。
ソフィーは様々な疑問を押し込めて、今まさに火蓋が切って落とされた戦いに集中する。
二人のフォーメーションは前衛が陽斗で後衛が澪だ。妥当なところだろうとソフィーは分析する。澪はあの魔力コントロールの上手さだ。魔法の方もかなりの使い手だろうと予測できる。
陽斗があと一歩で敵と剣の間合いになる、というところで足を止める。
ソフィーの喉から「どうして!」という疑問が出かかった。ここは先制で一匹でも多く屠っておくところだ。
しかしそれでまた振り返りでもされたらと思うと、声を出すことは出来ない。なんとなく陽斗ならやりそうと思ってしまったのだ。
今回は敵が至近距離にいる。シャレにならない。
それにその疑問もすぐに解消された。
陽斗が止まったことで、三匹のゴブリンが彼を囲むように動き始める。
しかし彼はまだゴブリンたちが横並びと言える段階で、剣を両手で持って横に薙いだ。
ソフィーには分からないが、地球人が見れば誰もがこう思っただろう。
野球のバッティングフォームのようだと。
ブウンッ!
風の中位魔法(第七~五位階)でも使ったのかと思うような風切り音がソフィーの耳を貫く。
三匹のゴブリンはピタッと足を止めた。顔色はもともと悪いので分からないが、人間だったらきっと顔色を消していただろう。
今の一撃にはそれほどの威力があったように思う。あれが首にでも当たれば、一瞬で胴体と泣き別れにされるとソフィーは思った。
実際は技でも何でもなく、〈身体強化〉に注がれたありえざる魔力で超強化された、ただの力押しだが。
ゴブリンが動きを止めたその隙を見逃さず、澪が氷柱の魔法で両端の二体の頭を貫いた。
(無詠唱! それに早い!)
この勘違いは仕方ないだろう。
ソフィーは今のを氷属性第八位階魔法〈氷の弾〉(アイス・ショット)だと思ったが、実際は違う。
澪の魔眼と並ぶ異能、〈直接変換魔力質〉による氷の生成だ。魔法を介さないことで、何倍にも時間短縮される澪の得意技の一つである。
正面に残ったゴブリンを陽斗が先の空振りよりは、コンパクトな一振りで顔の中程から真っ二つにして仕留める。ゴブリンの背が小さい為に、逆に首などは狙いにくいのだ。脳漿を撒き散らしながらゴブリンが絶命する。
あっという間に残りは四体。
ここでソフィーは二人の作戦を察する。といってもそこまで複雑なものではない。むしろ単純の部類に入るだろう。
最初の一撃で三体まとめて一刀の下に切り伏せなかったのは、いくら豪腕でも一体斬るごとに、肉や骨に阻まれてその速度と威力は落ちる。三体目になって浅い攻撃に終わり隙を晒すのを防ぐためだろう。
牽制で脚を止めさせた隙に、澪の魔法で両端の陽斗の影になっていない敵の露払い。それで陽斗は憂いなく、正面のゴブリンを仕留められる。
とにかく前衛の陽斗を囲ませないように立ち回っている。
残りのゴブリンたちはあっという間に仲間三体が屠られたことで、攻めあぐねているようだった。
ソフィーはそれを仕方ないと思う。
四体というゴブリンの数は陽斗と澪と比べれば倍だが、仕留められた三体と比べれば一体しか違いはない。その一体で何が出来るというのだろう。
(二人の作戦勝ちね。魔法使いのミオに時間を与えるなんて最悪の選択肢だわ。……とは言ってもミオなら作戦なんてなくても、正面からゴブリン程度打ち破れそうだけど)
ソフィーは草陰から立ち上がり、もはや勝負は着いたと思われる戦場へと歩みを進めた。
■
恐怖により足を止めてしまった四体のゴブリンを前に、陽斗は自分が動く必要を感じない。
攻めてこないのであれば、魔法を準備する時間、彼女を守るという陽斗の前衛としての意味がなくなる。
陽斗は構えて対峙しながら背後に話しかけた。さすがにこの距離で敵から目を離したりはしない。
「澪、後は頼んだ」
「御意に」
澪が一礼して陽斗の要望に応える。
途端、初夏を迎えようかというこの季節に冷風が吹きすさぶ。
「ギョギョギョ!?」
気がつけばゴブリンたちの足元が氷に覆われていた。それは巻き付いた蛇が上へと登っていくように這い上がり、ゴブリンたちが抵抗する間もなく完全に全身を凍りつかせる。
出来上がったのはゴブリンを内包した氷のオブジェ。彼等の表情は一様に、「嘘だ!?」と言いたげに驚愕に歪んでいた。
澪がパチリと小気味よく指を鳴らす。するとまるで液体窒素で凍りついたバラを、勢い良く指で弾いたようにパリンと一瞬で砕け散った。
残ったのは凍りついた四体の右耳だけ。これを回収しなければ討伐したことにならない。
「相変わらず、すげー精度だな」
「すげーなんてもんじゃないわよ!」
「うわッ?! ビックリした」
陽斗たちの完勝を見て取って近づいてきていたソフィーが、陽斗の傍で大声を出した。
「ミオあなた一体何者? 正直こんなところで冒険者をやってる意味が分からないわ」
ソフィーの声は興奮に歪められて、普段より大きくなっている。
ソフィーには今の実力だけで宮仕えだって余裕。そうなれば一生左団扇で過ごせるだろう、と思えるだけの実力を見せつけられた気分だった。
美貌も合わせれば宮仕えの中で、高貴な身分の者に見初められることも十分有り得る。それが強ければ身分に拘らないと噂の火の国の第一王子だったら、国母まで射程圏内だとソフィーは感じていた。
陽斗があれだけの魔力を垂れ流しながら戦い切ったことにも驚いたが、それは言い換えれば魔力量だけとも言える。
だが澪は違う。
無詠唱に発動スピード。さらには扱いの難しい上位属性をあれだけ精密にコントロールできる者は決して多くない。老獪ささえ感じさせる澪の魔法に、ソフィーはそれだけの可能性を見たのだ。
顔を上気させて熱弁するソフィーに対して、澪は至って涼しげだ。
澪はそんなもの興味ないと言わんばかりに微笑んだ。澪にとって全属性を持つ陽斗こそ、この世界で一番身分が高いのだから。
「私は陽斗様に全てを捧げるただのメイドっすよ、ソフィー」