第10話「犠牲と書いて ――イケニエ――」
それから五分ほどでクララは戻ってくる。
「こちらがお二人の冒険者カードになります。個人認証を行いますので、それぞれのカードに魔力を流してください」
魔力を流すことくらい当然できますよねという態度で進行してくるクララに、陽斗は練習しておいてことを安堵する。
魔力に拠る個人認証魔導。これも武器術と同じく、ロイドが転移した後に開発された(今から20年位前の)最新技術である。
それは爆発的に普及し、宿屋や家の鍵にも使われている。
魔力を使うことは練習してきていたが、何かに流す訓練はしていない。それに加えて魔力の放出は、技術的に難しいことでもある。
それは異世界人にも言えることで、個人認証の魔導の一部に魔力の流出を手助けする機能があるとはいえ、もしいきなりやれと言われれば戸惑っていただろう。
なので昨夜、部屋の鍵を開け閉めして練習したのだ。澪は一回で成功させていたが、陽斗はスムーズに開け閉めするのに5回はかかってしまった。
もし誰かがその場面を見ていたら、何をやっているんだコイツはと思われるような滑稽な姿だっただろう。
陽斗は練習の成果を発揮して冒険者カードに魔力を流す。しかし、
「おっと出しすぎたか」
魔力の放出量を制御しきれずに溢れさせてしまう。
そのときギルド内の幾人かが、鋭い目を向けてきたことに陽斗は気づかない。
魔力が流された陽斗の冒険者カードに、文字が浮かび上がってくる。そこには横書きで、名前・魔術師・ランクF・今月のノルマ未達・成功クエスト数0・失敗クエスト数0・パーティ未所属と書かれていた。
陽斗は上手くいったことにほっとする。
ただでさえ若いという理由で目の前のクララに心配をかけているので、こんな簡単なことさえ出来ないと言えば、冒険者登録を止めるように勧められていたかもしれない。
「ではこれで登録完了です。ランク上げについては、その条件を満たしたときに改めてご説明します。依頼はあちらのボードから選んで紙を持ってきてください。では幸運をお祈りしております」
そういって深々とお辞儀するクララ。ここに留まっていると、いつまでもそうしていそうなので、早々に礼を言って陽斗たちは立ち去る。
陽斗は早速、クエストが貼りだされているボードに向かった。
陽斗たちがたどり着いた依頼掲示用ボード。そこは〈討伐系〉・〈採取系〉・〈護衛系〉・〈その他〉・〈挑戦者求む『高難易度クエスト』〉
の五つに分かれていた。
最後の一つは使われている紙がボロボロなことから、長年達成されない難易度の高いクエストなのだろうと推測できる。
陽斗は迷うことなく、討伐系ボードの前に立つ。
この街で先立つものを貯めつつ、旅に備えて陽斗の実践訓練を行う。それが冒険者になったもう一つの理由でもあったからだ。
クエストが書かれた紙にはタイトル――誰が考えているんだ?――、内容、難易度、報酬、期限などが書かれている。
「どれにする?」
「そうっすね……ソフィーの情報では、ゴブリンかウルフあたりが弱いモンスターらしいっすからね。そこからでいいんじゃないっすか?」
「そうだな」
陽斗はキョロキョロと視線を滑らせてボードの中でも、下方に貼りだされているウルフ討伐の紙に手を伸ばした。
バンッ!
まさに陽斗が手に取ろうとした紙に、大きな手が叩きつけられる。
「キター」
澪が小声で何か言っていたが、陽斗にはよく聞き取れなかった。
「あ?」
陽斗は自分でも低いと思える声が出た。
クエストの紙を取ることを邪魔をした、手の持ち主を見上げる。そいつは179cmある陽斗よりもさらに大きく、服は盛り上がった筋肉でピチピチと張っている。そしてスキンヘッドで大剣を背中に差していた。
陽斗がそのなりに眉をひそめて顔はどうかと見ると、ニヤニヤと明らかに陽斗を弱者とみなした、気持ち悪い笑みを浮かべていた。
陽斗はこめかみに青筋を立てたが、努めて冷静な声を出す。
「何ノヨウ……デスカ」
デカブツ。と続けようとして澪の忠告を思い出し、すんでのところでこちらからケンカを売ることは控えることができた。
実は陽斗はこの手の荒事は、日常茶飯事で慣れている。
当然だろう。自称メイドというイタい言動に、目を瞑りさえ……いや例え頭のネジの緩んだ娘と思われたとしても、澪の美貌は凄まじいの一言では語れない。
そんな美少女を常に侍らせて見せつけている――誤解だ!――のだ、陽斗の周りはそれはもう嫉妬羨望の嵐だった。
絡まれる度にどこからともなく澪が現れて撃退してしまうので、陽斗の出番はなかったのだが、暴力に酔った視線というのは何度も浴びてきていた。
故にこの程度で言葉や脚を震わせたりはしない。けれど決して澪に守ってもらえるからと、気が大きくなっているわけでもない。
そんな余裕の態度が気に入らなかったのだろう。大男はバスケットボール大の顔を、豆粒ほどしかめたがすぐに気色悪い笑みを取り戻す。
そして明らかに人をおちょくった声音で、
「なあに、ド新人はここからクエストを受けちゃいけない決まりになっているんだよ。乳離れしたばっかのヒヨッコちゃんはあっちだ」
そう言って採取系やその他(街のお手伝いなど)のボードを指差す。
「ソンナ注意ハ受ケナカッタガ?」
「あ”あ”っ?」明確な口答えが許せなかった大男は、今度こそはっきりと怒りに顔を歪める。「ド新人がランクCの俺様に口答えしてんじゃねえ! ペコペコしながら言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
「ツマリオ前ガ決メタ勝手ナルールッテコトカ? ダッタラ従ウ義理ハナイ」
再び紙に手を伸ばした陽斗を、またも大男の手が邪魔をする。今度は手がパーではなくグーだ。威力も高い。顔をしかめてしまうほどの、耳障りな音がギルド内に響いた。
陽斗が大男と舌戦を繰り広げている間に、澪は視線を動かすことはせず周囲の気配を探っていた。
ギルド内でとっくに陽斗たちは注目の的だ。しかし誰も口出ししてこようとはしない。冒険者は基本的に利益にはならないことはしないのだ。
ほとんどが陽斗が屈すると思い込んだ視線だが、何人かは陽斗の力を見極めようとする視線。そして、
(1,2,3……うまく隠してるっすけど私にはバレバレっすよ)
三人ほど仲間と話したり他のことをして、興味のないふりをしてこちらを窺っている実力者がいる。
長い間陽斗を護衛してきた澪は、陽斗に向けられる視線にはかなり敏感に察知できる。
またこの場にいる誰よりも強い者に仕込まれた武の鍛錬により、気配や殺気なども感じられる澪にとって、冒険者から向けられる探りの視線は手に取るように分かる。
澪がここに自分より強い者がいないことを確信している間に、事態は最終局面――すなわち舌戦から暴力へと移行していた。大男の固く握りしめられた拳が、空気を切り裂いて陽斗に向かっていく。
「こんのガキャアッ!」
(あらら……めっちゃ怒ってるっすね。陽斗様何を言ったんだろ)
陽斗は陽斗で応戦しようとしているのか、澪の目に映る彼の魔力が揺らいでいる。今の陽斗なら受け止めたりカウンターするくらい余裕だろう。
しかし澪には一つだけ気がかりなことがあった。
(んー陽斗様の症状はよく分かんないっすけど、もしこれが空属性の弊害なのだとしたら、ここで見せるのはまずいっすね)
一瞬でそこまで思考した澪。そしてその手が、今まさに陽斗に殴りかかろうとしている大男の、澪にとっては、緩慢な手に伸びる。それだけで音もなく大男の手は止められた。
陽斗は魔力に拠る〈身体強化〉を自身に発動しようとして、その必要がないことを知ると高めていた集中を散らした。
陽斗の目の前にまで迫った拳は昨日と同じように、澪によって止められている。
昨日との違いは澪は拳を受け止めたのではなく、振り抜かれようとしていた腕を横から掴んで、相手に一切の動きを許していないということ。それも片手でだ。
明らかに物理法則を無視した光景に、周りいた観客たちがざわつく。陽斗は心の中で溜息をついた。
(また助けられちまったな……でもいつか)
今は澪の方が強い。でもいつかきっと澪よりも強くなって守り返してやると決意を固めていると、その澪が口を開いた。
「いや~私の主に勝手に触らないで頂けないっすかね」
「な、な……」
大男は現状を理解できず、もともと皿のように大きい目をさらに丸くして、澪を見つめたまま固まっている。
澪は動きは止まったと判断して手を放す。それでもなお大男の手は宙に浮いたままだった。
陽斗は大男の拳が目の前にあることが生理的に受け付けなかったので、ひらりと一歩下がる。
広くなった視界で澪を捉えると、彼女はハンカチを取り出して手を拭うところだった。
「うへぇ汗でベトベトで気持ち悪いっす。ばっちぃっす。手を洗うまで何にも使いたくないっす。このハンカチも捨てるっす」
(おいおい……挑発しすぎだろ。これじゃまだ終わらねえぞ……まあこの手の輩に下手に出なかった時点で、俺も同罪なのかもしれないが)
大男はわなわなと震えだす。
「し……し……死に晒せぇ!」
禿げ上がっているのか剃っているのか不明だが、スキンヘッドの頭に血管を浮かび上がらせた大男が、鬼の形相で背中に差した大剣を抜きざまに振り下ろす。
「澪ッ!」
さすがに刃傷沙汰にまでなるとは思っていなかった陽斗が、焦った声を上げた。しかし対照的に澪は余裕の態度を崩さずにニヤッと笑う。
「……抜いたっすね」
澪は法律についてもある程度ソフィーに聞いていた。
大男の雰囲気や性格、周りの「またか」という反応から、この事件が言葉によっては解決しないと見るや、相手に先に武器を抜かせる作戦を取ったのだ。
単に挑発するだけという作戦とも言えないようなお粗末なものだが、相手は乗った。そして先に武器を抜いた時点で、0:100で大男一人が悪ということになる。
振り下ろされる大剣を澪は、燕が滑空から上昇する時を思わせる軽やかな動きで、跳びはねてヒラリと避けた。
「バカがッ! 空中じゃ躱せねえだろ!」
避けられたことで勢いのままに床に叩きつけられると思われた剣は、その前にピタリと止まると、澪へと追撃に動く。しかし澪にはそれすらも予測の範疇だ。
「おや、どうやら少しは冷静だったみたいっすね……でも誰がバカっすか?」
大男の大剣が今度こそ振り抜かれる。
が。
澪が落ちてくる軌道を読んで振った剣は、彼女の脚の下で空中を薙いだだけに終わった。
「なっ、にぃ!?」
陽斗も驚いた。澪が今までに見せたことのない技を使っていたからだ。
「まあ、本当に冷静だったら武器は抜かないと思うっすけどね」
そう言ってふふんと得意気に笑う少女は、魔法で生み出した氷の上に立っていた。
空中に浮かんだ氷の板。その氷の板は地面に落ちることなく、主を乗せてなお宙に留まっている。
「防衛のためなら魔法も使っていいってことっすからね。使わせてもらったっすよ」
「バ、カな……っ!」
絞り出した声とともに見上げる大男を、澪は高みから見下ろす。その表情には既に感情は宿っていない。氷のように冷たい視線で射竦められた大男は、唐突に理解した。
この少女は間違っても、ケンカを売っていい相手ではなかったのだと。そしてその少女に主と言わしめた少年に、剣を抜かなかったつい先程の自分を褒める。剣を向けていればどうなっていたか分からないと感じた。
大男は僅かな呻き声すら漏らすことが出来ずに、ブルリと震えた。これから起こることに恐怖を感じたのではない。対応を間違えていた時の過去に対して、大男は真に命の危険を感じたのだ。
澪が表面上は軽い口調で口を開く。
「じゃあさよならっす」
くるりと空中で一回転すると、左足で強烈な一撃を大男に見舞う。回し蹴りだ。
大男が躱すことの出来ない速度で繰り出されたそれは、相手の胸に当たる。
「グハッ!」
澪の細脚で蹴られたとは思えない勢いで吹っ飛んだ大男は、ちょうど第三者によって開けられたギルド入り口の扉から、外にまで転がっていった。
「わわっ」
扉を開けた人物はなんとか、いきなり飛んできた肉の塊を躱したようだった。そしてギルドに面する大通りから微かな悲鳴が聞こえてくる。
「うわあ……」
陽斗はこの一ヶ月の修行で、澪の蹴りよって幾度と無く吹っ飛ばされている。自分もああだったのかと思うと、不思議と大男を心配する気持ちはどこかへ行ってしまった。
「ふう一件落着っすね」
かいていない汗を腕で拭う澪に、元よりそういう気持ちがあるかは陽斗には不明だった。
ヒヨコってミルクで育つんでしょうか……?




