六
朝。
宿の裏手で、ヴィンセントは大剣を振っていた。
「よっ」
軽い掛け声と共に左から右へ横薙ぎを一つ。
引き戻し、そのままの勢いで一回転し、高さの違う横薙ぎをもう一つ。
再び一回転、後ろを向いているうちに大剣を頭上へ振り上げ、
「――ふッ!」
呼気と共に真っ直ぐ振り下ろした。
空を斬る音がし、目の前の地面に剣身が半ばまで突き刺さる。
そのままの姿勢で、数秒。
「ふン……」
一息つき、柄から手を離して身を起こした。
突き刺さったままの大剣を見ながら
「うーん……」
思案顔で唸っていると、
「ヴィンセント」
頭上から声が掛けられた。
見上げると、宿の二階、客室の窓からシャルロットが見下ろしていた。
「おう、早いな」
「お主こそ」
「まあな。冒険者たる者、早寝早飯なんとやらってな――って、おい!」
ヴィンセントが見上げる先で、シャルロットが窓の外にひらりと身を踊らせた。
一度窓枠にぶら下がる形になり、それから飛び降りると、危なげもなく着地する。
「……驚かせるな」
「このぐらい大したことではない。城のもっと高い窓から樹を伝って降りたこともある」
「いまいち王女っぽくないな。随分旅慣れてる様子だし」
シャルロットは平然とした顔で、
「実際慣れておる。ジャネットと共にあちこち出歩いた。さすがに二人だけでここまで王都から離れたことは無かったがな」
「あのおっとりした姉さんとか。大丈夫なのか?」
「ジャネットはあれで頼りになるぞ。わらわの大切な友人じゃ」
「そうかい」
言って、大剣を抜きにかかるヴィンセント。
シャルロットはその背に、
「昨夜の話じゃが、考えてはくれたか?」
「ん? ああ、決闘代理の話か。そもそもお前、王位継承権つったって……まあ良いか、そうさな、まあ報酬さえきちんと出るなら引き受けるにやぶさかじゃねえさ」
「騎士にはなりたくないのか?」
「ないね。現金で頼む。ま、どっちにしろ今の仕事が終わってからだけどな」
「あの怪物……オーガじゃったか。勝てるのか?」
「どうだろうな――っと」
大剣が抜けた。それを眺めながら、
「この剣も結局使えなさそうだし」
「先程見ておったが、軽々と振り回しておったではないか」
「どうにか素振りが出来るようになってきただけだ。あと一ヶ月も工夫すりゃ違うかも知らんが、そんなに時間掛けてもいられない」
言って、顎で森のある方角を示した。火の消えた篝火の根本で村の若者たちが寝こけている。
「連中が保たない。まあ、どうにかするさ」
それから柄を下にして大剣を地面に立てると、懐から布を取り出し、剣身に着いた泥を落とし始めた。
シャルロットはそれをしばらく眺めた後、
「お主一人では荷が勝ち過ぎてはおらぬか? 助けを呼ぶことは出来ぬのか?」
「一応この地方の領主に使いは出しているそうだがな、兵士が派遣されたとして到着はいつになることやら。今、この場にいる俺がどうにかするしかないのさ」
「王の娘としては耳の痛い話じゃな。民の平安を守るのは本来支配者の務めじゃ」
「公平に言ってこの国の王はそれなりにやってる方だと思うぜ。そりゃどうしたって手が届かない部分はあるだろうが、そこら辺は俺みたいな冒険者が補ってる訳だし」
ヴィンセントは剣を拭いている。
間を置いて、シャルロットがだしぬけに問うた。
「……何故じゃ?」
「あン? 何故って、何が」
「わらわにはお主が、村を守ることに妙に強い義務感を持っているように思える。仕事であることを差し引いてもじゃ。この村に縁があるという訳でもなかろうに、何故じゃ?」
シャルロットの言葉にヴィンセントは宙を見上げて少し考えてから、
「ンなこと言ったって……冒険者としての挟持、じゃ答えにはならねえか?」
「どうじゃろうな。例えばじゃが……」
シャルロットは言い掛け、言葉を探すようにしばし黙り込む。それから、
「例えば怪物の脅威に晒された村、という状況にお主自身が何か思うところでも……」
「詮索好きだな」
ヴィンセントが少しだけ強い口調で言った。シャルロットの言葉を遮るように。
その表情はシャルロットの位置からは見えない。
「…………」
そのまま、二人の間に沈黙が流れる。
やがて剣身を拭き終えたヴィンセントは、傍らの地面に置いていた鞘を取り上げ、大剣をそこに収めた。
振り返り、
「さて、とりあえず朝飯にしようぜ。食うんだろ、旅慣れてるなら? あの姉さんも起こして来な」
「うむ……」
頷くシャルロット。気まずげにヴィンセントから視線を逸らしている。
ヴィンセントは困ったような表情で後頭部を掻き、
「しかしまあ、あれだな」
「む?」
「さっきの助けは呼べないか、って話さ。実際人手はあると助かる訳なんだが、もう一人ぐらい通りすがりの冒険者がたまたま村を訪れるとかねえかな、ってな」
言って、軽く肩をすくめる。
僅かな間を置いてから、シャルロットは呆れたような笑みを浮かべ、
「……そんな都合の良いことがある訳はなかろう」
そう言った。
●
正午前。
ランディたちは街道を歩いていた。
森を左手に見ながら、北へ向かう。
南の空を見上げれば、そろそろ天頂にかかろうかという太陽が見える。
「思ったより早く村に着けそうだな」
ザックを担いだランディは隣を歩くコンスタンスに視線を向け、
「しかし意外と健脚だね君たち」
「あら、ランディ様、女の脚だと思って舐めておりましたの?」
笑みを浮かべた表情で、コンスタンス。
「別に舐めてたって訳でも。単純に、驚いてる。野宿も保存食も平気みたいだし」
「これでもそれなりに旅慣れているつもりですわ。エヴァと良く出歩いておりましたから」
そのエヴァドニは二人の一歩後ろを歩いている。立つと、ランディより頭一つぶんほど背が高い。
「二人は付き合い長いの?」
「わたくしが生まれた時から殆ど一緒におりますわ」
「シャルロットって人と、三人で?」
「シャルと、あとわたくしにとってのエヴァのような人がシャルにももう一人。そうですわね、四人で居ることが一番多いですわね」
楽しそうな顔で語るコンスタンス。
ランディがちらりと後ろを見ると、エヴァドニは特に何の表情も浮かべないまま黙って歩いていた。二人の会話が聞こえていない訳ではなさそうだが。
「それにしても深そうな森ですわね」
左手側を見ながらコンスタンスが言った。
「ああ、そうだね。かなり広大な森で、奥の様子は殆ど判ってないとか」
「怪物でも住んでいるのでしょうか」
「怪物……まあ、熊とか狼とかゴブリンぐらいはいるかな」
「オーガやトロルや竜などはどうでしょう?」
「さすがにそういうのはそうそう居ないと……」
言いかけたランディが、ふと脚を停めた。
「?」
「どうされた、ランディ殿?」
問う二人を手で制し、じっと森の方を見つめる。
「まさか……怪物……?」
「いや、人の気配みたいだけど……」
「この先にあるという村の村人では……?」
「それにしては気配を消しているというか、こちらの気配を探っているというか……」
言いながら、ゆっくりと腰の剣に手をやる。
コンスタンスとエヴァドニも、ランディのその様子に口を噤む。
と、
「ええい、いったい何じゃと言うのじゃ」
森の方から、女の声が聞こえ、
「あら」「おや」
コンスタンスとエヴァドニが声を上げた。
●
ヴィンセントたちは森の中を歩いていた。
「ここ歩いてると昨日の怪物を思い出しますねー」
きょろきょろと周囲を見回しながら言うジャネット。
「別に付いて来なくても良いのによ」
そう言うヴィンセントは革鎧に金属兜、腰の剣帯に片手剣、それと左手に小さな丸盾という格好で、大剣は持って来ていない。
「わらわたちの身分はお主の預かりであろう。あの村に置いていく気か」
シャルロットが抗議口調で言う。
「ちっと見廻りしてるだけだろ。村長のところにでも居ろよ」
「その村長のところに寄った時、あの髭面の男が胡散臭げにわらわたちを見ていたのが気になる」
「ヴィンセントさんにも昨日あんなこと言われちゃいましたしねー」
「……大げさな言い方しちまったかな」
嘆息一つ。
「だいたい今から戻れと言われても森のどの辺りにいるのか全く判らぬぞ」
「威張って言うことかよ。まあ結構深い森だし、慣れないと方向感覚とか狂うか。今は結構端の方のはずだぜ」
「そうなんですかー?」
「ああ、多分そっち方向へちょっと歩けばすぐ外の街道に……」
言いかけたヴィンセントが、ふと脚を停めた。
「?」
「どうしたんですかー、ヴィンセントさん?」
問う二人を手で制し、じっと今しがた指し示した方角を見つめる。
ゆっくりと腰の剣に手をやる。
その様子にシャルロットとジャネットは口を噤んでその様子を見守っていたが、やがてシャルロットが堪え切れなくなったように、
「ええい、いったい何じゃと言うのじゃ」
と、声を上げた。
ヴィンセントは半眼になり、
「喋るな、つっとるんだ」
「ならばそう言えば良かろう」
「声出されたくないのに俺が声出したら意味無ぇだろが。外の街道に人の気配があんだよ」
「街道なら旅人とか、村の人ではないですかー?」
ジャネットの言葉にヴィンセントはかぶりを振り、
「それにしちゃ気配を消してるっつうか、こっちの気配を探ろうとしてるっつうか……あー、もう、別に良いか」
それから森の外に向かって声を上げる。
「おい、そこに誰か居るな?! 警戒しないでくれ――って、まあ無理か。ええと、その、何だ、盗賊とかじゃねえよな? ……つか、ひょっとして同業者か?!」
●
森の中からいくつかの声の遣り取りが聞こえる。
やがてその中の男の声が、ランディらに向かって語りかけて来た。
「おい、そこに誰か居るな?! 警戒しないでくれ――って、まあ無理か。ええと、その、何だ、盗賊とかじゃねえよな? ……つか、ひょっとして同業者か?!」
「同業者って……」
ランディが応えようとした時、
「シャル!」「ジャネット殿!」
コンスタンスとエヴァドニが森に向かって声をかけた。
すると、
「む?!」「えっ?!」「あっ、おい!」
森の中から声がして、茂みをかき分ける音が続く。
そして三人の人間が――シャルロットとジャネット、少し遅れてヴィンセントが――森から街道に出て来た。




