二
荒野の真ん中に、ぽつりと、石造りの塔が建っていた。
円筒形で、全高三十メートルほど。
内部は複雑な造りをしていて、入り組んだ通路や階段が部屋と部屋とを繋いでいる。そのそこここに罠の跡――底に針を仕込んだ落とし穴だとか、壁から飛び出した槍であるとか――があり、そして土塊で出来た人形の残骸のようなものがいくつも転がっていた。
それらを超え、塔を登り、最上部に到達すると、そこは階全体が一つの大きな部屋になっていた。壁の高い位置に空いたいくつもの窓から陽光が差し込む大きな空間。
まず目に付くのは、一方の壁を背にして据えられた巨大な神像だった。三対六本の腕それぞれに武器を持ち、台座の上で胡座をかいている。厳しい顔つきの、禍々しい雰囲気を持った神像だ。
そしてその神像が見下ろす先、部屋の中央には、対峙する二人の男の姿があった。
「元・海洋神助祭エルバート。あんたには〈聖都〉から賞金が懸けられている。『生死問わず』で、だ。大人しく同行して貰えると助かるんだけどな」
言ったのは、冒険者風の出で立ちの若い男だった。青年と少年の中間ほどの年頃。革鎧を身に着け、額には鉢金を巻き、両の手にそれぞれ剣――全長七十センチほどの短剣を持っている。
「海洋神……? 私はそのような偽りの神の下僕などではない」
神像を背にして立つのは痩せた壮年の男。黒い法衣のようなものを纏い、乱れた頭髪の下、両の目だけが爛々と輝いている。
「私が仕えるのは全能の神ワードゥス。……確かに、少し前までは偽りの神の下で雌伏の時を過ごしていた。だが! あの双新月の夜! あの夜、私はワードゥスの啓示を受けたのだ!」
「何だって良いけど、それで同僚を何人か生贄に捧げちまったのはまずかっただろ。寺院勤めが嫌になったってんなら普通に辞めりゃ良かったのに」
「ワードゥスを愚弄するか、不遜な冒険者よ!」
「してないし別に。何か話通じてないなー……」
嫌そうな顔で呟く。
エルバートは薄い笑みを浮かべ、
「名を聞いておこうか、冒険者よ」
「……ランディだ」
「ほう。ならばその名に於いて、貴様をワードゥスの生贄に捧げてくれよう!」
言って、エルバートは懐に手を突っ込むと、硝子の小瓶を取り出した。数は三つ。親指ほどの大きさで、中には土塊が入っている。
「いでよ、ワードゥスの使いよ!」
言葉と共に、それらを足元の床に叩き付けた。音を立てて小瓶は割れ、そして中の土塊が外気に触れると同時に膨らみ始める。
ほんの一呼吸の後には、三体の土人形がそこに立っていた。
身長は一五〇センチ程度。土塊をそのまま大雑把な人型に固めただけのような代物で、顔には目も何も無いが、かろうじて身体の前後が判る程度の造形をしている。
「ゆけ!」
エルバートの言葉に従い、土人形がランディに向かって動き出した。
「ナンタラの使いっつーか、割と良くある普通の魔術に見えるけどな俺には!」
言いながら、ランディも双剣を構えた。
土人形の一体に向かって無造作に間合いを詰める。
思いの外素早い動きで土人形が手を伸ばしてくるのを身を沈めて躱すと、剣で脚を斬り飛ばした。
さらに、体勢を崩した土人形に後ろ回し蹴りを叩き込む。鉄板で補強されたブーツの踵が、その頭部をあっさりと粉砕した。
床に倒れた土人形の身体はなおももぞもぞと蠢いているが、胴体を踏みぬくとようやく動きが停まった。
「ここに登ってくる間にさんざ相手にしてるからいい加減うんざり来てんだよ!」
二体目が横手から掴み掛かってくる。それを見もせずに躱すと、両の剣をその身体に突き刺した。右の剣は胸元に、左は下腹部の辺りに。
そして、
「――ふん!」
持ち上げ、そのまま、さらに逆方向から近付いて来ていた三体目に向かって放り投げる。二体はもつれあうように床に倒れ、砕けた。
「ほう、やるな。ならばこれはどうだ」
エルバートは再び懐に手を入れ、同じような小瓶を今度は二つ取り出した。中には赤い石がそれぞれ入っている。
それらを両の手に一つずつ持ち、栓を親指で弾いて抜くと、前方に放り投げる。
宙でくるくると回る小瓶は、突然、口から火を吹いた。その勢いで、ランディに向かって真っ直ぐに飛んで行く。
「喰らうが良い、ワードゥスの雷を!」
「だから、魔術だろそれ?!」
頭部と胸元に向かって飛んで来るそれらを、ランディはそれぞれの剣の鍔辺りで受けた。甲高い音が響き、溶けた硝子が飛び散る。
「ほほう、面白い」
「俺はそろそろ面倒臭くなってきたけど」
エルバートは余裕の表情を消さないまま、三度懐に手を入れ、掌ほどの大きさの瓶を一つ取り出した。中には鳥の羽のようなものが一つ入っているのが見える。
その栓を抜き、足元に置いた。
「今度は何だ?」
ランディは構わず歩を進める。
が、突然エルバートの姿がゆらり、と蜃気楼か何かのように揺れると、脚を停めた。
「どうやら、今の準備では貴様は殺しきれぬようだ」
「……あ、何?」
エルバートの物言いに眉をひそめるランディ。
そのエルバートの姿は、水に溶かした染料のように渦を描き始めている。
「だが、忘れるな、ランディとやら。私は、必ずや貴様を! ワードゥスへの生贄に捧げてくれよう!」
もはや人の姿をしていないそれは、おもむろに大きく飛び上がった。宙で弧を描き、そして床に置かれた瓶の口に吸い込まれて行く。
大気が弾ける音が響き、硝子瓶が真っ二つに割れた。
「――!」
思わず顔を庇うランディ。
少しして腕を除けると、既にエルバートの姿は無く、床には硝子瓶の破片が転がり、そして空中で羽が塵となっていくのが見えた。
それが完全に消え。
場に静寂が戻り。
動くものは無く。
「…………」
さらにしばらくの間を置いて後、ようやくランディは呟いた。
「……逃げられ……た?」
●
「――くそっ」
床に転がる硝子片を蹴飛ばし、ランディは毒づいた。
そのままうろうろと歩きまわり、かと思うとふっとしゃがみ込んで、
「一ヶ月近く掛けて追いかけて、ようやく追い詰めたと思ったら、この期に及んで逃げられるかよ……」
ぶつぶつと呟く。
「……ってか、逃げたんだよな? 隠れただけとか、最初から幻だったってことは無いよな? 離れた場所へ移動する魔術はかなり高度なものだって聞いたけど、てことは見た目以上に力のある魔術師なのかなあいつは……」
それから顔だけを上げ、
「面倒臭くなってきた。もう諦めるか……? でも報酬は良いんだよなー……」
そして黙り込んだ。
しばらくの、間。
ややあって立ち上がり、大きく嘆息を一つ。
「……ま、仕方無い、か。とりあえず行き先の手掛かり探しだな」
見るのは、巨大な神像だ。それが腰を下ろしている台座。ちょっとした小屋ほどの大きさがあり、良く見れば正面に扉らしきものもある。
警戒しつつ近づいてみれば、実際にそれはささやかな装飾が施された両開きの扉だった。
ランディは腰のポーチから小さな工具をいくつか取り出し、扉を調べた。
「罠の類は無し……たぶん」
それから、鍵穴の辺りを中心にいじり始める。
しばらくして、ふいに鍵穴の奥で金属が跳ねる小さな音がした。
本当に罠が無いかどうか少し待ち、
「神像の台座の中……。普通に考えれば中身は宝物庫か或いは……」
それから取手に手を掛け、
「生贄」
開く。
中は、薄暗い殺風景な部屋だった。壁の上のほうに明かり取りらしき窓がいくつかあるのみで、燭台など照明の類は無い。扉を閉じてしまえば殆ど真っ暗闇だろう。
調度らしきものも何も無い。
「……どなたですの?」
声。
目を凝らすと、隅の方に、人影らしきものが二つ蹲っていた。
ランディは扉を全開まで開けながら、
「あー、通りすがりの冒険者ってとこ、かな」
言葉に、人影が立ち上がる。
扉を完全に開くと、その姿がいくらか判るようになった。
一人は十五、六歳ほどの黒髪の少女、もう一人は明るい色の髪を短く刈った二十歳代の女性だった。
少女の方が、ランディに近付く。
「ああ……勇者様!」
「……は?」
眉をひそめるランディ。少女は構わない様子で、
「悪い魔術師に捕まったわたくしたちを、助けに来てくださったんですのね?!」
その言葉を、ランディはゆっくりと吟味する。
今にもはらはらと涙を流しそうな少女の顔を見る。
考える。
それから答えた。
「いや、別にそういう訳では」
対し、
「あら、そうなんですの」
少女は、割合あっさりと納得した様子だった。