氏何つくも
廊下ダッシュは控え目に。
なんか所々ごちゃっとしてますが、大事なのは後半部分のキャラ紹介のみなので半目で読んでいただけるとありがたいです。
-場面は少し遡る-
「それと、ありがとな」
「?」
「じゃあな!」
去り際。
なにやら呟いて去っていく楠木さん。
しかしそれは特に前置きも何もないもので、かつ九良からすればむしろありがとうと言いたいのはこちらのほうだという想いが溢れんばかりにあったもので、真意に気づくことはなかった。
「……えーと?」
なにごと?
それからしばらくボケーっと立ち尽くすも、
「おっと」
浮かぶ青春教師。
こうしちゃいらんねぇわと、頭を2,3振ると楠木さんとは別の通路へと向け駆け出していった――。
――はずなのだが。
「はぁはぁ!」
まずった! 遅れる!
九良は焦っていた。
「まさかの体育館……」
汗が止まらない。
着替え終わって校庭に行ってみたらば、がらんどう。
そらあもう焦るわという状態。
「そういえば! 朝、誰か! 言ってたよう! な!」
気がしないでもなくもない!
独り言が多いのは焦りの証拠。
バタバタと足音を立てて、廊下をダッシュ。
すでに誰もいない渡り廊下は走り甲斐があるけれど、今は孤独感を際立たせてくれやがっている。
「はぁ、はぁ、はぁ」
これだから中高一貫は!
「無駄に広い!」
もろもろの理由からこの高校のことのみならず他校がどんな感じかもまったく知らず入学した彼にそんなことを言われる筋合もないものだが……。
頭の中で愚痴る彼だがギリギリ、なんとか時間内にゴールはできそうではあるのは幸い。
だからだろう。一転キリリとあからさまに強がり顔を引き締めてみせ、
「迫田よ! キサマの餌食には、俺は――”わし”はならん! わしゃならんでえ!」
ついぞ出る怪しい関西弁。
テレビに出てくる芸人さんを観ている内、もはや自分は関西人ではないかというレベルで身につけたと自負している彼のこと。
調子いいとき、出てしまう。
「ふは、ふははふふ……ふはははは!」
それはあまりに勇ましい。かつ不気味ではあるが、まわりに人がいないときにとる若者の行動はこんなものだろうと思う。みな手を胸に当てて考えてほしい。
九良もそうだ。
彼も人並みに羞恥心はあるがギリギリ間に合う高揚感と周囲に人がいない異質感を持つ中で、ようやく最後の角を前に余裕がわき、つい柄にもなくF1選手を気取って――そのものになったのだ。
つまりはそう、ここはサーキット。
そして今の彼は輝かしい伝説をいくつも築いてきた生ける伝説、
「九良・ザ・スーパー選手! ――速い! 速すぎる!」
黄色い声援が(妄想)エンジン音に混じって聞こえる。
彼がそう思うのだから間違いないのだろう。
「むむっ!」
おーっと、
ここでヘアピンカープだ!(※なんら変哲のない曲がり角)だが、そこはスーパー!
慌てず騒がず……出るぞ! 出るぞ人間ドリフト!
「絶好のコーナリングで――」
ずざぁ! 左足を伸ばしきり、スライディング一歩手前の構え!
急ブレーキだ!
そしてその反動を活かし急速ターン!
頭を下げ体勢は低いまま、もう片方の足を曲がった先の進行方向へ!
「ロスなし、さすが九良・ザ・スーパー!」
最高時速で急カーブへ。
生ける伝説にふさわしく最高のドリフト。
完璧という二文字は、今このの瞬間に意味を成す――。
「最高のドリフト……!!」
コース取りも実際完璧。
見事というほかないだろうと九良くんの脳内にだけ存在する実況も告げている。
「行ける、行けるで……っ!」
ひとつ。
惜しむらくは、九良自身のなんというか――間の悪さを計算に入れていなかったことに尽きるだろうか。
更に一歩踏み込んだ際、
「――え!?」
「へ?」
低い姿勢の彼の目には白い、白い布の壁がいっぱいに広がることになろうは。
九良は思う。
――危機に瀕したとき、走馬灯的なアレが発生し、すべてがゆっくり見えるというが。たしかに今やはりすべてがスローリィ。
でもそれは脳がそう見せてるだけで、そのスローリィな空間で自分だけスピーディに動かせるなんて、現実世界では当たり前だが――ないんだな。
と。
できても頭を数ミリ、あげることがせいぜい。
布の壁の全貌、ぶつかるなにかを見ることすら出来ず。
(でもなぜか脳内ではこうしてやたらと考えごと出来ちゃったりするんだから人間って不思……)
「きゃっ!」
「うわ!」
”トン”という。
叫んだ割にはしょうもない、そもそも衝突というよりは何かを一方的に弾く感触に驚き立ち止まり、曲がりきること叶わず終わりを迎えてしまう。
栄光のドリフトキングまでの道のりは、以前厳しい――。
■
「つつ。び、びっくりした」
思わぬことでブレーキが利かず、勢いあまりまるで崖から落ちそうになった人よろしく腕をぐるぐる振り回し、無様に尻餅をついた九良。
なにか、なにかやわらかいものにぶつかったようだが一体……。
なんて言わずもがな。
だってここは学校で「きゃ」って言ったわけ。
「きゃ」って。
「いったぁ~!」
「へ?」
「廊下は……」
床に落としていた目線をあげる。
「廊下は、走っちゃダメでしょうが~」
ほんの少しだけ舌ったらずな印象の女の子の声。
やわらかいグリーンのラインが入った白いブラウスに黒を貴重としたスカート。
我が校、我が学年の制服が目に映る。
それから更に目線をあげれば、そんな制服に身を包むお下げをした華奢な女の子。
九良と同じく尻餅をつき――こちらはいわゆる「女の子座り」で――この前読んだ少し古めな漫画よろしく目を回す格好をしている。
「……そういや、借りっぱなしだったわ」
漫画本。
(少女マンガってなんでああもドラッグ&バイオレンスなんだろう。恋愛マンガなのに――っていやいやいや!)
いけない。
それはそれで、たしかに大事なことではあるかもしれない。しかし今は人として、より大事なことがあると気づけなければ、それこそどこをどう見ても人でなしに分類されるアレだろう。
――。
置かれた状況に九良は”すっく”と立ち上がるなり「わ、わりぃ!」慌てて手を差し伸べる。
「た、立てるか?」
女の子に手を差し出すなんて普段は考えられないことだけど、場合が場合だ。照れ屋なんだと言っている場合ではない。
差し出す手のひら。差し伸ばした先にいる彼女が――ゆらゆら揺れて「うーあー」とか言うのだから若干不安にもなるというもの。
とは言ってもさすがに車に撥ねられたわけじゃない。次第にとは言わず、目の焦点はわりとすぐに定まってきたようで、
「ほら」
「……うぅ、うん」
手を取る。
「っしょ!」
若干湿った九良の手に――若干目を細めた――彼女の腰はゆっくりと持ち上がる。
その際、
(軽っ)
九良の中で予想していたモノがまるでなかったものだから、思わず『中身、全部出したのか?』などと言い掛けるも、彼女はそれで熊のぬいぐるみをイメージしてはくれないことに寸で気づけ思いとどまるれたのは偶然でしかない。
……。
なんとかといった調子で立ち上がり、ポンポンとスカートのお尻部分を残った片手で払う彼女。
動作が見た目から意外なほどにぶっきらぼうであるのは、ひょっとするまでもなく怒ってらして?
九良をビクつかせたが、それでも言うべきことは言っておかないと不味いだろという良心が彼の口を開かせる。
一連の動作が終わるのを待ったあとだ。
「あぁええと……。ケ、ケガはないかな?」
「え?」
「いや、ほら。結構な勢いでぶつかっちゃったからさ」
身長は楠木さんとあまり変わらない。つまり小さい。
ならこちらで思うより衝撃は激しかったのかもしれないじゃないか。
それで尋ねてみたのだが……。
すると女の子は乱れた髪の毛を少しだけ片手で整える――というよりはこれもまた適当に払ってみせると、
「ううん、大丈夫」
小さく頭を振ると俺の目を真っ直ぐに見て応える。
その際、九良の鼻をくすぐるふわり甘いにおいがあったため反射的に「かわいい」と思ったのは別に浮気心ではない。
男の子の本能である。
(怪我もなさそうだし。それほど怒ってもいない、のかな……?)
ホッとする九良。
「それより、あの、」
「……え?」
「手」
「手?」
ボケッとした九良は促されるままにジッと己の手を見る。
あるのは固く結ばれた手。
――そして汗の感触。
「痛い」
「あっ!」
バッと手を離し「わっ、わりぃ!」と半歩後ずさる。ついでに「あはは」と笑ってごまかすのを忘れてはいけない。
「あはは」
「……」
「あは」
「……」
「……はは」
「……」
「はぁ」
ごまかせた試しなんて一度だってないけれど。
今だって微妙な空気だけがため息のあとに残されて漂う。
こうなると続く言葉が見つからない九良だ。
「えと、その」
自分でも驚くほどに弱弱しい声が口から漏れる。
なにをどう言い繕ったものか――。
と、
「……あの~」
「は、はい!?」
発音的には「はひ」が近い。裏返る声。
授業中、ボケっとしているところを教師に指されてしまった生徒を想像してもらえればその通り。
油断が声に出てしまった形である。
恥ずかしさがこみ上がる。
しかもなぜだろう。女の子は一声発したきり、じぃっとこっちを見たまま黙り込んでしまったのだからたまらない。
「…………(じぃ)」
(うっ、)
意識が朦朧として、という感じではない。
なにか、朝顔の観察をするようなそんな目をしている。
(なんで、なんも、言わないの)
ボールは今向こうにある。
しかも投げかけている。なんだったらもう腕を振るい、頭上まで腕が伸び今まさに指先からボールがミットめがけて押し出されようというまさにそこ。
ならばこちらは気持ちよく相手が投げられるように、よく音が鳴るよう腕を伸ばしグラブをどんと構える。
見事キャッチしたなら立ち上がり「ナイスピッチ!」こう叫び返球。
これこそが会話のキャッチボール。
人間社会発展の根幹。
なのに。
なぜかボールは彼女の指を離れずにいる。
完全にボークである。
場面が場面なら審判なりが出張ってもおかしくないところ。
だが、当然ここは球場でもなければ校庭でもない。
そんなものはいないし、仮にいたとしてだ。
客観的な人物に意見を求めればまず間違いなく言われることだろう。
――お前は黙って待っていろ。
それがわからない九良でもない。無論待つ。
体をソワソワとむず痒そうにしながら。
なにより辛いのは、
この女の子。黙るだけならまだしも、さっきからじ~~~っと九良の目を見たまま離さないこと。
常々、不思議なものだと九良は思う。
(なんだって女の子は、こう、目をまっすぐ見れるのか)
九良から言わせると、女の子は『異性の目を気にせず、まっすぐに見ることができる』らしく。以前からの疑問ではあった。
(……なんかヘンなのかな?)
そんなわけない。
だって、さっき着替える前にさりげなくトイレ行って、少しだけどワックスつけたし……。
鼻毛チェックしたし……。
そっともみあげをつまむ。
基本中高男子は女の子に見つめられるのが苦手で、慣れてる風のやつはやせ我慢でしかないと彼は考えているし当然のように九良自身もそう。
やましいことがあるからだと言われればそれまでだが、さすがにそれを認められるほどまだ大人にはなれない。
そもそも楠木さんが例外なだけでほかの子とは、言っちゃなんだがほぼ会話らしい会話をした記憶がない。
記憶の底を探れば小学生2年のとき隣の席に座る河園さんに消しゴムを拾ってもらう際、
「ごめん、とってくれる?」って聞いたときに「うん、いいよ」と返されたときくらいだが、あれは果たして会話と呼べるものなのか。
他にも誰か、もう少し会話らしい会話をしたような子がいたような気がしないでもないけど……たいした会話ではなかったはず。
であれば、女の子は『異性の目を気にせず、まっすぐに見ることができる』はいったいどんなアンケートをもとに組み立てた結果なのかと新たな疑問が沸くところではあるがほっといてあげよう。
話を戻そう。
(それでも、やっぱなんか言わなくちゃ!)
謝る立場でなんだが時間があまりないこともある。
いい加減沈黙と視線に耐えかねた九良が「もういいだろう」と、何でもいい、ここはとりあえずクールに、とりあえず名前でも尋ねこの場の空をなんとかしないことにはどうにもならない。
もしかしたら彼女は彼女で言い出すも言葉がなかっただけかもしれないし。
そこでいざ、口を開こうとするまさにその瞬間。
「九良くん、だよね?」
「――え?」
■
あれ?
意気込んだところ機先を制された上、まるで覚えのない女の子に――。
「……え?」
名前、呼ばれちゃった?
やだこわい。
九良の気分のありようは、ずいぶんな間抜け面を見ればある程度わかるやもしれない。
ただ想定外だったのはどうやら彼だけではなかったらしい。
「……あれ?」
同じように間抜け面をする女の子。
「 」
謎。
謎空間がここに完成してしまう。
すると今度は女の子の慌てる番らしく、
「いや、あの、え? 九良くん、だよね」
「え、あ、うん。そうだけど。あれ?」
「ん?」
「え?」
「ん?」
「ん?」
「………………へ?」
再び訪れる沈黙。
立場は完全に逆転しており、
「あーっと……あ、あははー」
「……」
「ははー」
「……」
「……はは、ははははは?」
パニックを形にしたらこうなりますという画が広がる。
(きっとさっきの俺はこんなだったんだろうな……)
動揺しているとき、同じく目の前の人がパニくっていると妙に冷静になるアレである。
心が急激に冷めていくのを九良は感じていた。
――すると途端に保護者側というか。守ってあげる側というか。自分でも言っている通りついさきほどまでの自分が目の前にいる癖して、かわいそうな人に相対する上位者の心持ちさえ芽生えだすのだから恐ろしい。
(ま。相手だけ自分のことを知っている状況は若干不気味だし、ね)
やれやれ。
この短い間に加害者から完全に助けてあげる側の生ぬるい目線に――本人は気づいていないが――移行しつつ、罪悪感がまるで消え去っているというわけでもない彼は、彼女のパニックは解消してあげたいと九良は話しかける。
が。
「ねぇ、キミ――」
「あちゃ~、やっちゃったかな。やっちゃったよね」
なおも慌てる女の子。言わせてくれない。
さきほどまでの平然とした態度はなんだったのかというモジモジ具合で内なる者に話しかけている。
「ねぇ――」
「やっちゃったなーもう、私、いつもこれだ~」
やはり言わせてくれない。
場所が場所ならかわいくもあるのだろうけれど、今この状況じゃあ、やってる本人の極端な代わり映えも合わさり第三者が見たらばだいぶ引いたことだろう。
(もはや別人)
にしか見えない。
九良は引きこそしないが、ドッと疲れが押し寄せる。
「やっちゃったなぁ~、もぉ~」
「……いや、あの」
「やっちゃった」
「ねぇ」
「やっちゃったなあ~。クールキャラが……」
(クールキャラ?)
なにやら自分の世界の深みへと積極的に入り込もうとする女の子。九良に「僕らどこかで会いましたっけ」の一言も言わせてくれない。
「僕ら」
「うぅ~もう~」
「どこかで」
「やっ、ちゃっ、ったぁ~!」
「あぁもう!」
肩をゆすってやりたい。
いまや冷静な九良だ。
いい加減時間がマズいことになっているのは――。
きーーーん こーーーん かーーーん こーーーん
!
言わんこっちゃない。
チャイムが鳴る。
それどころじゃねえだろお前と、その無機質な音が九良の肩をビクリと震わせた。
「あっ! いけね!」
「え! あ……」
青ざめつつもどこか開放感ある顔もちというわけのわからない表情で、衝動的に、姿勢を低くし跳ねるように走り出そうとする九良。
ただここで一度ピタリと体を止めると、名前を突然呼んできた謎な子の表情をもう一度だけ見て「だいじょう、ぶ。だよね?」と小さく呟く。
「あ、うん」
こちらもまた小さな呟き。
でもそれは確かなものに見える。なら――。
「ごめん! キミも急いだほうがいいよ! また今度! あやまるから!」
だいぶ失礼かもしれないけど。
そのぶんも合わせて今度謝ろう。大丈夫。きっと許してくれるさ。
悩んでる暇はない。片手をシュタっと縦に構えるなり、今度はもう止まるつもりはないとばかりダッシュする九良であった。
※
‐氏何つくも-
端的に言えばさ。
「私は楠木さんが好き」
もっと正確に言えば、好きだった。
……たぶん。
今じゃ好きである自信なんて、根底から崩れ去っちゃったけど。
きっかけは――。
いつもの帰り道。
近所に住むのんびりとした性格の女友達が、すごく元気な女の子に路上で問い詰められてて――いじめかと思ったので近づいていき――彼女が口をすべらしてしまった”ある事実”を聞いちゃったこと。
近づくにつれそれは楠木さんの話なのだと理解できたよ。
でも、だからってわけではない。
興味はあったけどそのときは単に助け舟を出そうとして、挨拶をしようと声をかけようとしただけだったから。
でもまさかその助けようとした子の口から、
『楠木さんは男の子』
なんて言葉が出ようとは。
「え?」って思った。冗談に違いないと。
でもそれと同時にやっぱりかとどこかで思う自分がいて。
結局その場では友達に声をかけるでもなく回れ右。近所のタコ公園、夕日に照らされながら何年ぶりかのブランコだけど。
感慨深さも何もない。
そんなんありか。
ありですか。
「あ~~~~~~もう、あ~~~~~~もう」
公園でひたすら呟いた私。
私の気持ちはどこへ行く。あぁ、心が乾く……。
改めて、言おう。
「私は楠木さんが好き、だった」
あの小さくて、かわいて、誰よりもやさしい楠木さん。
私は彼女が好きだった。
――無論、女として。
意識をしだしたのはずいぶんと前。
中学1年の中頃。
――ちなみに現在特進クラスに在籍する私も当時はまだ特進クラスじゃなくて。
と言っても特進クラスの入る予定の棟自体が工事中の間、本当に最初の数ヶ月だけ普通科で受けていたってだけの話だけど。
同じクラスだった楠木さん。
……何の授業あとだっけ。
忘れちゃったけどそれはどうでもいいから置いておくね。
だって大事なのは、
「ねぇ、氏何さん! 勉強教えてくだしぃ!」
豪快に噛みつつ、頭を下げてきた楠木さん。これが私と楠木さんの初めての会話だってことだし。
そりゃもうかわいかったなぁ。
どのぐらいかと言えば、
「ぶは!」
「えぇ! な、なんで!?」
鼻血が出るほどに……。
一目ぼれだった。
でもこのときの私の頭には――鼻血を出しながらも同時に大きな疑問がひとつ浮かんでまして。
だって、
楠木さんって、もともと勉強が得意だってこと、知ってたから。
それも私以上に。
なぜかといえば実に単純。更に遡ること1年ちょっと前。
まだ小学生だったとき。
私の通っていた塾に楠木さんは一度だけ模擬テストを受けに来た事がある。
そのときたまたま部屋が一緒で。ずば抜けてかわいかったもんだから目立ちまくってて、でも本人気にした風でなく。
ただちょっと人見知りしてるのか緊張してるなって感じで。
で――そのテストで全国1位だったのが楠木さん。で2位……ではなく5位が私。
ええ。そりゃもう完敗ですわ。
そんな楠木さんが特進へどうせ行くのだからと、誰にも心を開かなかった私に話しかけようと何度もチャンスを狙ってくれていたことをのちのち周りに聞かされ気づかされた時はもう。
……もうね。
事情をちっとも知らなかった当時の私は、それでも一応それまで一人でいたプライドみたいなのがあって、しばらくは無視……とまではいかないまでも『気合を入れて』余所余所しくしてたりするけれど。
私の気持ちを知ってか知らずか。
愛嬌のある笑顔そのままに何度も何度も話しかけてくる楠木さんに私もさすがに根負け。
思いのほか積極的な楠木さんに面食らってなすがまま――って体で仲良くなるのにさして時間はかからなかった。
それから……。
「お~い、つくもちゃん!」
てこてこと私のほうへ歩み寄ってくる女の子。
ニパリと笑い、もったいつけるようにお尻のあたりに隠したなにかを、
「じゃん!」
顔の前に出してくる。
それは満点はなまるの描かれたテスト用紙。中間テストの用紙である。
「ありがと! つくもちゃんのおかげで出来たよ!」
「え! あ、でも……あのぉ」
「握手握手!」
ブンブンと振り回される手。
つられガクガク揺れる私の頭。
そして、
「ぶほぉあ!」
「だからなんで!」
噴出す鼻血。
私は、胸を焦がす幸福を知った。
またあるときは、
「つっく~(私のあだ名らしい)」
ともかく人懐っこい彼女。
私の肩のあたりに額をのせ、一言。
「暇なのだ」
(なのだってあんた)
かわいすぎるじゃないでスか。卑怯なレベルで。
「でへへー。かまってけろ~」
サラサラと揺れるきれいな髪の毛。
細い指先。
切りそろえられた爪。
はたして好きにならない男の子がいるのかな、なんて。
クラクラする頭で考え……、
「ぶっ!」
「おっと!」
私の鼻先へと伸びる手とティッシュ。
そう――仲良くなってある程度たった頃には、
「あ、また鼻血」どこかから聞こえる声のとおり、私の鼻血癖もすでに恒例になっており、
このときは何度目か。なにやら鼻の辺りにヌルい感触を覚えたときには、
「ほら、また鼻血!」
「むがぁ!」
ティッシュが手際よく差し込まれるまでになっていた。
「おぉ~!」
だんだんと私の扱いにうまくなっていく楠木さんに沸くクラス。
片目でチラリ周囲を見れば少しうらやましげな視線もちらほら。
だからだろう。少しだけ、誇らしかったのを覚えてる。
「つくもちゃんのお鼻、鼻血ですぎ」
「でも楽しいよね、なんだか」
「うん、怖い人かと思ったら、いちいち慌てふためいてかわいいし」
「外見と中身がぜんぜん違うんだね」
他のみんなとも仲良くなれたのも素直に嬉しい。
でも時間は残酷。
ついに特進クラスに行く時期がこようとしていた。
そのときには私もだいぶクラスに馴染み、心地よさを感じていたので正直特進クラスに行くのがとにかくイヤだったのを今でも覚えてる。
何より楠木さんと離れるのがいやでいやで。そりゃもう。
「さびしくなるよね~」
「だね~」
「つくもちゃん残っちゃいなよ~、なんて」
「だめだよそんなの。つっくとは棟がちがうだけでいつでも会えるわけだし、ね――」
「いきたくないよぉ(ぼそり)」
「「「「……え?」」」」
「っあ!」
私はクールビューティ。
目をすぐさま逸らし、ごまかしきる。
さすがに見事としか言うほかはなかったと思う。
すると、
「ん?」
何気なく眺めた方向。
そこで私は一人の少年を目の端に捉えた。
「つっく~! なに鼻血出しながらすまし顔してんだ!」
「ごまかしてるのよね」
「目線めっさ逸らしたし」
「……だろうね」
――私が唯一、異性で顔を覚えた男の子。
「聞いてない!」
「慌てるといつもだもんね」
「キャラ作り。引っ込みつかないのかな」
「そっとしといてあげよう」
特進クラスに進むまでの短い間にわかったことは、その子もまた大変な恋わずらいをしていること。しかもまったく隠せてないのに隠せてると完全に思い込んでる不思議で残念な少年だった。
そして、鼻血の量がすごかった。
でも私とは違い噴出さず垂れるタイプみたいで全力でふき取りそしらぬ顔をしていたのが印象強い。
(それ以外の印象が一切ない少年だったってのもあるけど)
すごいなって思った。
でもそれだけ。
それから少し話す機会もあったにはあったけど。彼に関してはそんなもの。
時は流れて今現在。
特進クラスはとうの昔に完成し、限りなく減らされた体育を終え、自習時間(体育で疲れた体をリフレッシュ。特進科のみ)のため図書館へと向かっていたそのとき。
「きゃっ!」
「うわ!」
ぶつかる体。
「つつ。び、びっくりした」
漫画みたいに星が舞う中、
「いったぁ~!」
「へ?」
「廊下は……」
床に落としていた目線をあげる。
「廊下は、走っちゃダメでしょうが~」
そこにあったのは懐かしい顔。
差し伸べられるヌメった手。
……。
「クラスも聞かずに、あいつ。どこで会う気なんだろ」
変わってない、というか変わる気のなさそうな、しかし姿格好だけは一丁前に青年の背を見つめながら私は思う。
「そういや、私はずいぶん”変えた”っけ」
思い出に浸る。
「……そういや、あいつも楠木さんのこと」
私とは少しだけ違う目線で。
けれども思いを同じくした少年の変わらない姿に、少しホッとしたような。
でもやはりその姿に寂しさと、いまだ迷う自分自身の気持ちを思い出させられ――。
今になり垂れる鼻血。
口元に暖かいものを感じたのは本当に久しぶりな気がする。
胸ポケットに忍ばせた専用ティッシュをつめると、
「今度会ったら、鼻血でなくなる秘訣聞こう」
思い出の中にいる脇役と再開を果たすことで今また時が動き出すのを、私は意識していた。
※
-廊下ダッシュ-
俺は思い出す。
「アキくんはいいよね」
中学のとき。
ある日俺はとうとうと、渡り廊下でそう言われたのを覚えている。
別段仲良かったわけでもない、そのあとすぐに特進クラスへといってしまった女の子に。
「だってさアキくん、これから楠木さんと仲良くなるチャンスいっぱいあるじゃん」
「? ……お前こそ」
「向こう行ったら、向こうのルールだってあるし」
「そんなの」
俺は憤然とした。
「よかねぇよ」
それはもう子供のようにぶすっと。
実際子供だったけど。
「俺、引っ越すんだ」
少しの沈黙。
そして女の子は「そうなんだ」と小さく言うと。
「アキ君も……か」
「え?」
「じゃ、ライバルだね」
そう言って。彼女は一方的に握手するとどこぞへ去っていった。
……。
「あの時、なにが言いたかったんだろ」
体育館の扉前、靴を脱ぎながら俺は印象と異なる女の子二人を並べていた。
あとがき
メモ
ヘアピンカーブの廊下
あとで聞いた話だと、走る生徒の抑止力としてやたらと分岐点を作ったとかなんとか。
氏何つくも
アキくんと同タイプの女の子です。
たぶん。
夢川なぎさの回と同じく、こちらは1部ですが3人称で書いてみました。
どちらの方が読みやすいですかね。