杉水冷夏
杉水冷夏。楠木さんの親友で三白眼さんぱくがんの女の子。
「(また、見てるんだ)」
内心ボソリと私は呟く。
きっと彼は、九良くんは、私にバレているだなんて想像だにしないはず。
だって。
彼が見るのはいつだって一人で。
「(私じゃない)」
教室、窓際。
「それでさ、こうだから……だろ?」
「えぇ、そうね」
ミィ。私の瞳に映るかわいらしい親友。
「やっぱりな、へへへ」
「(……へへへ、か)」
かわいいその子は女の子。
でも、
「(今は違う)」
今は――。
……。
人の思いは複雑だ。想いならばなおのこと。
※
6月も終わろうかというある日の朝。
親友である彼女はこう言った。
「実はボク、男なんだ」
とてもさわやかに、少しはにかんだ様子で。
爆弾発言をした顔に後悔の念など一つも見当たらない。
「(……え?)」
ただそれを言われた私はと言えば、
間違いなくその時の顔は間が抜けていたに違いない。だってそれくらい衝撃的だったから。
私だけじゃない。
周囲のクラスメイトも一様に、
「本当なの?」の一言だって言えずに固まってしまう。
カノジョが、嘘を言う人間だなんて誰も思ってやしない。
でも。
だからと言ってこれを信じろと言うのも無理な話。そうでしょ?
学園のアイドルが実は男の子だった、なんて。
悪い冗談。
なんだけど……。
「今まで、うん。嘘ついてて――ごめん!」
そう言って、両手を合わせて頭を下げるカノジョ……カレを見て、それでも「嘘だ」と言える人間なんて、少なくともこのクラスにはいやしないから。
カレのことを少なからず皆知っていて。
好きだから。固まってしまう。
親友である私も当然そうであり、信じる。
そして、驚き固まる。でも私の胸のうちに去来したものは驚きのほかに――きっとこのクラス内でも異質なものに違いなかった。
それは、
「(……冗談じゃない!!)」
突然だった。自分でもわからない。
信じるか否かとは別に、
ふとこみ上げてる怒り。
「(だって、だって、そうじゃない!)」
私は、あなたに、
それで私は……。
あなたが……!
そうして溢れ出るのはあまりにも支離滅裂で。
私自身ですら理解できない感情の濁流。
ただ一つ。間違いないのは。
この時、私は何か私にとって大事なことを言おうとしていたのだということだけ。
どこかに忘れてきたのか。置いてきたのか。
判別も出来ない何かを。
けれどもその何かは、まるで風船が爪楊枝で割られるように。
他愛もなく打ち消されてしまい、意味を持つこともなく消えてゆく。
――私も当然知っているクラスメイトの声によって。今一番聞きたくない声によって。
「……そ、その、!」
緊張気味なのか遠慮がちな声。
聞こえるか聞こえないかくらいの。まるで英語の授業中、突然指名されスピーチをさせられているようなイメージさえ浮かぶような。
顔を上げたミィ。
「……え?」
「あ、」
「え?」
詰まる会話。
静まる教室。
でも、それは一瞬のことで。
「……、うん!」
「?」
「……はは」
「……うん!」
なぜ?
小さく笑いあう二人。
こんな、
要領を得ない、本人たちすらよくわかってない。
でも、
それでも優しさだけは伝わる。
先端の丸い爪楊枝――。
『振り返っちゃダメ』
優しくない私は私に語りかける。
でも、
わかってても体は動いてしまい。
そうして振り返ってみれば――そこには、やはり九良くんがいて。
もう一度振り返れば、当然、その先にはミィがいて――。
笑顔だったものから。
「……」
もう私は、
そのナニカが打ち消されたことすら思い出せなくなっていた。
……。
「いやぁ、さっき緊張したよ!」
「そ、そうかそうか、イテテ」
「ははははは」
「イテっ。いてっ!」
あはははは。
九良くんの席で笑いあう二人。
「わかった! わかったからチョップするのをやめろって!」
そこに嘘もなく、あるのはただ優しさだけで。
ぷっ。
くすくす。
ほんの数分前まで固まっていた空気が、次第にいつもの暖かさを取り戻し始めていく。
それは、
”あぁ、そうだった。なにがあっても楠木さんは楠木さんなんだ”
という、
至極簡単な答えに辿り着けたから。
「(九良くん……)」
私だけを残して――。
※
-3日後・4時限目-
表面的ではあるけれど、クラスメイトが以前と変わらぬ喧騒を過ごす中。
いまだ心の決着を付けるに至らない私。
日を重ねるほどにこんがらがっているとさえ言っていい。
「それでさ、こうだから……だろ?」
「えぇ、そうね」
――今はオトコのコ。
そんなあなたを見る九良くん。
「やっぱりな、へへへ」
「……」
その二人の姿に。
オトコのコにも勝てないの?
そう思えばいいのか。
あるいは、
オトコのコに嫉妬なんて、バカみたい。
そう開き直ればいいのか。
わからない。
なんでわからないのかもわからない。
喜ぶべきなのか。
怒るべきのか。
哀しむべきのか。
楽しむべきか。
つまり私は、
今の私は宙ぶらりんで。
うまく、嫉妬することすら出来なくなってしまっていた。
それは今までにない感覚だったから。
なんだか気味が悪くて。
だからほんの少しだけ、
ほんの少しだけ、変えてみたくて。変わりたくて。
……困らせてやりたくて。
ほんの、小さな、逆恨み。
「(誰に?)」
ミィに?
あるいは……私自身に?
――そうかもしれない。
「(今更、この関係を変えることすら出来ないでいる私は)」
小さくてかわいい親友を通して、私は私を測っていたのかもしれない。
「ねーねー」
そういえばさぁ、と。私は指を一本たてると「この3日間は普通にスルーしてたけどさ」なんて、片目を細めいかにも冗談めかし話しかける。
「ミィって男の子なんだよね?」
うんうん。
ミィが素直に首を縦に振るのを見つめながら。
「……で、次体育なわけじゃない」
「うん」
ミィは素直だ。
ごまかせる性格じゃない。本当に不純な気持ちもなく、意識していなかっただけに違いない。
「(いつも外を見て着替えていたし。ソレがもはや普通なんだろう。 ……今思えば中学の頃は着替えの時、妙に緊張してたっけ――)」
不思議がっていたのを思い出す。
皆もそうなのだろう。だからこそ言ってこなかった。
でも。
「どうする?」
着替え。
ざわ!
一瞬でざわつくクラス。
割と小さな声で話していたんだけど、皆が聞き耳を立てていたのは知っていた。
実際、どうしようかと話してる子もチラチラとはいた。
でもそんなのは別に、メールですれば済む話。
あえて皆の前ですることじゃない。
私。
いやな女だ。
「え。あ、あはは」
苦笑いする楠木さんに、
「わたしはかまわないんだけどね。べつに、もう馴れたし」とか、いかにも理解があるように振舞う私は。
まるで……。
まるで。
とたんになんだか恥ずかしくなって、顔が赤くなるのがわかる。
「(私は子供か)」
ほんとバカみたい。
※
――そのあとのことはなんだか覚えてない。
覚えていることと言えば、
九良くんと一緒にミィが空き教室で着替えることになって。
「あ~、九良くん、ね」
と一言ポソリと呟いて、
意味深に九良に笑ってみせたということだけ。
九良君の気持ちを知りつつ。
自分の気持ちを隠して。
でも、知って欲しくて……。
……。
人の思いは複雑だ。想いならばなおのこと。
クラスメイトに、そして自分自身に嘘をつくのをやめたミィ。
では私は?
私に嘘をつかずに歩くことが出来るのだろうか。