ルーザー
「なっ・・・!何をっ・・・」
榎本が放った矢は、私を死に至らしめる一本の矢は私に当たらずにその後ろの壁に刺さっている。
痛みで涙が出てきて前が良く見えないけどそれでも目を凝らして驚きでその場に立ち尽くしている榎本を睨む。
あの時、矢が飛んで来る一瞬の事だったけど、私は咄嗟に自分の血を掴んで矢に向けて投げた。すると奇跡的にというか何と言うか、私の血がついた矢はコントロールを失って私の後方に飛んでいった。
たぶん、あの神器、〈無駄なしの弓〉は放てば必ず当たる的な神器だけどその当たる部分は細かく認識できてないに違いない。
だから私が投げた血を神器は私に当たったと認識して追尾する事を止めてあらぬ方向へ刺さったらしい。弓とはいえ金属の棒で、しかも弦も張っていないので元から綺麗に飛ぶ保障は何処にもないらしい。
「・・・てめえ!くそっ!許さねえ!ふざけんじゃねえぞ!」
今まで動かなかった榎本が段ボール箱から降りてこちらに来る。怒りで真っ赤になった顔は引きつっている。
カツカツと靴の音を響かせて私の前に来ると髪の毛を掴んだ。抵抗は出来ない。そのままグイっ、と無理やり顔が上がり榎本と睨みあう事となった。
「お前の能力は撃つだけじゃねえのか?あぁ!?」
「・・・ちが、う。私はただあなたの神器の欠点を突いた、だけ」
「んだと・・・?」
思わぬ欠点を突きつけられて目を丸くする榎本。彼は今の今まで自身の持つ神器の欠点を知らなかったみたい。私にみたいな矢の避け方なんてする人なんていなそうだし。
「俺の神器の弱点だと・・・馬鹿にするのもいい加減にしろよ、なあ!?」
榎本が私の髪から手を離した。再び目の前にはビルの無機質な床が目に入る。
左の肩の矢が刺さっている所に榎本の手が触れた。そのまま榎本の手が後ろに引かれる。
「あぐっ!・・・ああぁ!!」
強烈な痛みが私を襲う。塞がれていた傷が抉られて血が出て来る。い、痛い。
血を止めなくちゃ。
傷口に伸ばそうとした私の右手は冷たい金属の棒に弾かれた。
「何の真似だよ。これで終わると思うなよ」
ひやり、と左の肩に冷たい感触がある。
「初めに俺、虐める趣味ないって言ってたけど、前言撤回だな。お前には屈辱を与えなきゃ気が済まねえ。勿論この〈無駄なしの弓〉でな」
「ひっ・・・や、止めて・・・」
「泣いても拝んでも無駄だ」
肩の傷口にブスリ、と榎本の持っている〈無駄なしの弓〉が食い込む。
傷口が広がる音と筋肉が切れる音が脳内に響き渡る。
「ぐっ・・・ああああああああああぁぁぁぁ!!」
何も考える事が出来ない。私の喉から出た血の混じった叫びがビルの一室を満たした。冷たい金属は容赦なく、力を緩めることなく私の傷口に食い込んでくる。
「お前には死よりも重い屈辱で死を迎えさせてやる」
榎本の手に力が更に込められた事が弓を通して分かる。
「あああぁぁっ!!か、嘉倶さん・・・」
「助けを呼んでも無駄だ!助けなんてこねえよ」
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない死にたくない。苦しい、痛い、痛い痛い痛い。死にたくない死にたくない。
頭の中が真っ白になる、意識が遠のいてきた。
痛みに、苦痛に耐えながら必死に気を持ち、もう一度拳銃を握り締める。
引き金に手をかける。手にはズシリと金属の重みが伝わる。
能力は切れていない。迷うことなく私は引き金を引いていた。
「この期に及んで悪足掻きとは・・・無謀も通り越してただの馬鹿だな」
榎本は私の肩から弓を引き抜くといとも容易く弾を弾く。
「本物の弾丸ならともかく能力で作り出したちゃちな弾丸なんぞこの距離なら避けるまでもねえな。どうした?もう撃ってこないのか?撃たせてやるぜ?お前が俺に敵わないと納得するまでな」
「く・・・・・・」
榎本は弓を構えて薄ら笑いを浮かべている。対する私は疲労困憊、瀕死状態も甚だしいところ。
勝者の余裕に敗者の苦悩。
「さっきお前は自分の血をデコイに使ったみたいだな。狙撃に関して弱点がないと思ってたが思わぬ落とし穴だ。だがな」
感心した風の榎本は左手を背中の矢筒に伸ばす。取り出したのは五本の矢。その矢を全て持ち弓で構える。
「俺が一本ずつしか撃って来ないと思ったのか?生憎だが俺は五本同時でも問題なく撃てる。果たして避けきれるかな?避けきったら褒めてやるぜ」
五本の矢にはそれぞれ小さなビンが二つずつ付けられている。たぶんさっき使った〈オゾンと水の爆発〉だろう。一発でも強力だったのにあれが立て続けに来るとなっては、今の満足に動かない身体じゃとてもじゃないけど避けきれない。
左手は満足に動かない。拳銃に込められた弾は残り三発。これ以上の被弾は避けなきゃ、死ぬ。
死に物狂いで防がなきゃ、死ぬ気で考えなきゃ。ここを切り抜ける方法を。
大丈夫、私は以前とは違う。能力者として生まれ変わったんだから。こんなことも承知で能力者になったんだから。
生き抜いてみせる。涙を拭いて相手の顔をもう一度見る。
「・・・覚悟はいいか。せいぜい足掻くんだな」
榎本の左手が弓から放される。爆弾を抱えた矢が私に向かう。
「っ!・・・くらえええぇぇ!」
右手で無理やり左手を持ち上げる。肩に開いた傷口がものすごい痛んで意識が飛びそうになるけど歯を食いしばって耐える。耐えて左手に意識を集中して私の流れる血を掴み二つに分ける。
そしてそれを目の前に投げる。投げるといっても弱弱しいものだけど、今は威力とかは関係ない。
迫ってくる五本の矢に向かってゆっくりと進む私の血のデコイ。左手から支えていた右手を離し拳銃を構える。狙いは投げた血のデコイ。
死がそこまで迫っていたのに私の心は普段よりずっと落ち着いていた。
冷静に、落ち着いて引き金を二回引く。放たれた空気の弾は空中を漂っていた血の塊に直撃し、弾け飛ぶ。
血が降りかかった四本の矢は追尾を止めてバラバラの方向に飛んでいって爆発を引き起こし畳まれてた服が空を舞う。しかし血がかからなかった一本の矢が私に向かってきている。
「残念だったなあ!一本残っちまったようだぜ。さあ、打つ手無しか?あぁ!?」
「打つ手なんてなくてもいい!私は諦めない。最後までッ!」
矢を引き付ける。ぎりぎりまで、私に刺さるぎりぎりまで待ち構える。
迫る矢はまっすぐに私の心臓目掛けて飛んでくる。
「今だっ!」
拳銃を構える。銃口の先は私の左肩。覚悟は出来てる。痛いだろうけど、死ぬよりマシだ。
狙いなんて定める必要はない。大きく広がった傷口なんていとも容易く弾を当てる事が出来る。
「・・・っ!!ああああぁぁぁ!!」
引き金を引き飛び出した空気の塊は肩の肉を抉り、血が飛び散る。衝撃に耐えられない身体は後ろに倒れた。
空中に散布された私の血は直前まで迫っていた矢に付着する。矢は標的を失い私の頭があったところへを通り抜けてゆく。 後方で爆発が起こった。
「なっ!お前・・・!」
この声、かなり驚いている榎本の声。生憎痛みでまた涙があふれて見えないけど、たぶんびっくりして口が半開きになってるんじゃないかな。
「・・・・・・驚いたな。いや、マジで。こいつは驚きだ。俺も本気を出してなかったとはいえ五本も一気に避けられるなんて久しぶりだぜ。なかなか面白いじゃねえか」
「・・・殺すんじゃ、なかったの?」
「ん、ああ。そうしようかと思ったんだがな、興が冷めた。さっきのお前の行動には驚かされた。甘ちゃんかと思っていたがなかなか覚悟がある。俺の中じゃ株価が急上昇だぜ」
「そう、なの?」
「それに今のお前は殆ど能力が使えなさそうだ。いくら俺が気分屋だからって一般人と変わらない奴を殺すなんて巣守の旦那じゃあるまいし」
「巣守・・・巣守、天一?」
巣守天一、依頼の対象者の名前、顔を思い出す。白衣に黒いワイシャツ、同じく黒いネクタイを締めてカメラに向かって微笑んでる眼鏡をかけた好々爺風の人物。
「お前も知ってるのか、ま、当然だな。旦那有名だからな。かなりエグイらしいから俺も近づきたくないんだけどな。そういや最近は隣町に居るらしいけど、お前位じゃ敵わねえよ。せめて〈炎王〉クラスじゃねえとな」
榎本はもはや戦う気は無いらしく弓を背中の袋に仕舞って身体についた埃なんかを払ってる。
「ま、巣守の旦那とやろうなんざ考えない事だな。・・・別にお前の事心配してとかじゃねえんだからな。お前と俺とは敵同士だ、今日は見逃してやる、うん。そういうことだ」
なんだか最後の台詞はしどろもどろになってたけど、つまり私は助かったという事なのだろうか。いや、まだこの肩の出血がある。
榎本が立ち去った後、オフィスの床一面を赤く染めている血を改めて確認して意識が遠のいてきた。
さっきまでは戦闘の高揚感というか緊張感で平気だったけど、今になって自分がかなり危ない事に気付いた。
遠くのほうではサイレンが聞こえる。この音は、パトカーだったかな、それとも救急車?
「やば、ここから、逃げなくちゃ・・・」
身体を動かそうとしても上手く伝達がいかない。意識は遠のいてく。オフィスの扉に手をかける瞬間、私の意識が途絶えた。