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死後を問う女の子  作者: 鳥無し
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第三話『天国と地獄』

 翌日、青年は昨日と同じ時間に、同じ場所に立っていた。

 まさか今日も森の中で迷ったはずがない。青年は女の子に会うためにここに立っていた。

 

 一晩経って、やはり村の中が平穏を保っているのを知ると、女の子が無事に家に帰れたことを理解した。

 それでも青年の罪悪感は消えることはなかった。もしも顔に怪我でもしていたら、いくら謝罪してもしきれない。直接会って謝りたいのだが、赤の他人同然の女の子が暮らしている家を教えて欲しいなんて言えるはずがない。

 だから、望みが少ないことを知りつつ、青年は再び森の中であの女の子と出会うことを期待することにした。

 今日は自由時間のほぼすべてを森の中で過ごしている。あちこち虫に食われたが構うものか。こんなもの償いにすらならない。

 

 日がかなり傾く頃、茂みが揺れる音がした。青年は期待して茂みを見やった。すると……。

「こんばんは、お兄さん。また来てくれたのね?」

 あの女の子……歌穂ちゃんだった。

 青年はまず、ざっと女の子の体を見た。……何処にも怪我らしい怪我は見当たらない。運よく怪我だけはしなかったようだ。

 

 青年がホッとしていると、女の子は昨日と同じく手を後ろに回したまま近寄ってきた。だが、青年が動かないのを見ると、女の子も立ち止って青年の顔を見つめた。

「……今日は逃げないの?」

「……ふ」

 女の子の問いかけに、青年は微笑んでしまった。やはり子供だ。昨日あれだけ怯えて逃げ回った人間が、こうしてここに来たのだから、会いに来たのだと普通は気付きそうなものだ。

 

「まず謝るよ。昨日は突き飛ばしたりしてごめん」

「……?」

 青年は最初に謝った。姿勢を正し、しっかりと頭を下げて謝罪の言葉を口にする。女の子は意味が分からないと言うように首を傾げた。

 

「君のことを何も知らなかった……というのは言い訳になるね。でも、君のことを知らなければ、こうして謝りに来ることもできなかったんだ。本当にごめんね」

「お兄さんがなにを謝っているのか分からないわ。でもいいのよ。だってお兄さんは天国に行って来てくれる。お母さんを連れて帰ってきてくれるんでしょう?」

 ……昨日いたずらされた時に、「お母さん」という単語が出ていれば、青年は何事かと女の子の話に 耳を傾けられていたかもしれない。だが、相手が知っているという前提で話してしまったのは、子供なのだから仕方ない。

 村の住人達相手の時は、当然村人たちは事情を知っていたのだろうし、青年にどうして天国に行って欲しいかと説明する発想自体無かったのだろう。

 

「……僕は仮に死んでも、天国に行くことはできないよ」

「え? なぜ?」

 女の子は本当に不思議そうにそう聞き返してきた。人が死んだら無条件に天国に行くと思いこんでいるらしい。

 

「天国に行くことができるのはね? 生きている間にいいことをした人だけなんだよ。悪いことをした人は天国に行くことができずに、地獄に行くことになるんだ。僕は君の悲しみに気付くことができずに、突き飛ばしてしまった。そんな悪いことをした僕は、地獄に行くことになっているんだよ」

「……」

 女の子はいまいち納得していないような顔をした。できるだけ理解しやすい様に話したつもりだったが、面倒だっただろうか?

 

「私のお母さんは天国にいるの?」

 女の子は不安そうにそう聞いてきた。

「もちろんだよ。だって、君みたいないい子を育てることができたんだから、きっと立派な人だったんだと思うよ」

「……いい子?」

 女の子は自分を指さしながら、釈然としない顔をする。どこかで、自分がいけないイタズラをしていると理解しているのかもしれない。

 

「いい子だよ。だって、君はお母さんに会うために一生懸命頑張っているじゃないか」

「お母さんのため?」

「うん、そうだよ」

 女の子の問いかけに、青年は力強く頷く。

 

「君がお母さんに会おうとしているのは、君が会いたいからだと思う。でも、君がお母さんに会いたいように、お母さんだって君に会いたがっているはずなんだ。みんなが君のお母さんに会うのをあきらめる中で、君だけはお母さんのことをあきらめずに頑張っていた」

 女の子がしたのは間違った努力だった。でも努力だった。

 そもそも努力や何かで会いに行けるような状況じゃないんだ。普通は悲しみ、二度と会えないのだと嘆いて終わりだ。

 女の子は、そんな状況の中でも行動した。会いに行こうと……なんとか母をここに連れ戻そうと頑張っていたんだ。

 無駄な努力だと諦めず、意味がないと吐き捨てることもしなかった。この女の子の行為には、それだけ母親への愛がある。

 

「人に愛される人というのはね、それだけ人を愛していた人ということなんだ。これだけ母を慕う娘を育てた君のお母さんは、それだけ愛情を持って君を育てていたんだと僕には理解できる。そんな人なんだから、きっと君のお母さんは天国に行ったと思うよ」

「……」

 やはり女の子はまだ理解できずに居るようだった。立ちつくしたまま青年を見つめ、口を噤んでいる。

 理解されなかったのならそれでもいい。今日の目的は、女の子に謝罪することと、もう一つ別のことをするために来たのだから。

 

「よいしょっと……」

「なぁに? それ」

 青年は袋を一つ持ってきていた。自分の前にそれを置くと、女の子が興味を持ったのか、中身が何かを聞いてくる。

 

「こんなことを勝手にしたなんて知られたら、怒られてしまうかもしれないけれど、それでも僕の価値観では許せなかったから」

 青年はあいまいな笑みを浮かべながら袋の中身を取り出し始めた。

 中に入っていたのは、お線香(せんこう)数珠(じゅず)、それとお経本(きょうぼん)とお(りん)だった。

 

「村にあったお店で全部そろってよかったよ。もしなかったら、泊っている家から、こっそり持ってこなくてはならなかったからね」

 青年はそう言って苦笑する。女の子は、青年が袋から取り出した物を見て目を丸くしていた。青年は女の子に向き直り、優しく微笑みながら言った。

 

「君のお母さんのお葬式をやろう」

「お葬……式……?」

 女の子は青年の顔を見上げながら呟く。

 

「うん。君のお母さんへの思いは分かる。誰だって、身内が亡くなってしまえば悲しい。……お葬式って言うのはね、もちろん亡くなってしまった人のためにするんだけど、残された人のためにもするんだよ。喪に服して、家に装飾を施して、たくさんの人を集めて、お経を読んでもらって、いっぱい泣いて……そうして、亡くなった人との別れをしっかりと告げるためのものなんだ。葬式という儀式を通じて、亡くなった人の死をしっかりを受け止める。忘れるんじゃなく、受け止め、それを胸に刻んで生きていくためのものなんだよ」

 葬式というのは普通大がかりで手間がかかるものだし、送る者にとっては大変な負担だ。だが、それすらも、送るべき相手が死んでしまったのだと言うことを胸に刻ませ、一生の記憶となる。

 死んだ者を忘れない。別れたということを胸に刻む。そのために大々的な儀式を催し、一生の思い出として胸にしまう。葬式に参加すると言うのは、それをするためのものでもあるのだと、青年は考えている。

 

「君は、お葬式には参加しなかった。それは、周りの人達が君を気遣ってのことだったけど、だから君はお母さんに別れを告げることができなかった。別れさえ告げることができなかったんだ。それじゃああんまりだと僕は思う。これが君を突き飛ばしたことの償いになるとも思えないけど、君がお母さんのことを受け止めるための手伝いをさせて欲しい」

 女の子は真剣な表情をして青年を見つめていた。さっきよりよほど面倒な話をしているのだが、女の子はどことなく青年の言いたいことを感じているようだった。

 

「偉そうなことを言っているけど、僕にうまくお経が読めるはずもないし、ここには遺影も何もない。でもお母さんの姿なら君の胸の中にあるだろうし、僕には線香に火を付けて、鈴を鳴らすことくらいはできる。お経は……つっかえつっかえで良いなら、何とか読んでみせるよ」

 青年はそう言って少し頼りなさげに微笑んだ。でも、女の子もそんな青年の笑みにつられるように微笑んだ。異存はないようだ。

 

「……お兄さん。やっぱりお兄さんは天国に行けると思うわ。だって、ろくに話したこともない私のために、こんなに一生懸命になってくれるんだもの」

 女の子はそう言いながら近づいてくる。

「そうかな? じゃあ、線香に火を付けるね?」

 青年は女の子が自分の考えに賛同してくれたものと思い、線香をたたせて火を付けた。お鈴を岩の上に置き、片手に数珠を握って、お経本を開く。読む練習なんてする暇がなかったからぶっつけ本番だ。できるだけミスのないように読まなくては……。

 

 女の子は青年のすぐ近くまで来ると、青年の肩に手を置いて服を掴んだ。

「だからやっぱり私のために天国へ行って来てよ、お兄さん」

 青年が女の子の声に反応して顔をあげると、女の子はまたあの笑みを浮かべていた。獲物を見つけた狩人のような恐ろしい顔を……。

 

(お、落ち着け。昨日と同じだ。周りは暗いんだから、夕陽の関係で少し不気味に見えているだけなんだ)

 だが今日はこんなに近くで見ているのに……いや、近くで見ているからこそ、昨日よりさらに不気味に見え、その表情は恐怖を駆り立てる。見間違いではなく、女の子はおよそ普通ではない笑みを浮かべているのは間違いなかった。

 

(だったらそう言う笑みを浮かべてふざけるのが好きな子なんだろ? 大体、人の顔を不気味に思うなんてどうかしてるぞ!)

 心の声なのに妙に焦っているのが自分でもわかる。必死に抑えようとしているのに本能が恐怖している。今すぐ突き飛ばせと頭が命令している。

 それなのに、体が動かない。青年が止めているわけではない。なぜだかこの女の子の顔から目が離せなかった。

 

「行ってくれるわよねお兄さん? 天国からお母さんを連れ戻してきてくれるでしょう?」

「あ……う」

 答えようとして口を動かすがうまくいかない。昨日以上に臆病風に吹かれているのか、体が震えていた。

 

 女の子が昨日と同じく後ろに隠していた手を前に出した。その手にはやはり巨大な刃物が握られている。

(刃物のわけがないだろう? あんなものは木の枝にアルミを巻き付けているだけなんだ!)

 老婆はそう言っていた。誰が見たってそんなものに恐怖を覚えるはずがない。

 

 それなのに青年は恐怖している。なぜ? それがどう見ても木の棒なんかではなく本物の刃物の形をしていて、鋭い歯が数十センチに渡って研ぎ澄まされていて、ギラギラと光っているように見えるから? それがただの見間違いで、おもちゃだと分かっていると言うのに?

 

「行ってらっしゃいお兄さん。早く帰ってきてね?」

 女の子が刃物を振りかぶる、そして一気に前に突き出した。

 大丈夫。これはただの木の棒だ。これだけ勢いよく突き出しても刺さるはずがない。ただ鈍い痛みが走るだけだから大丈夫。

 だから、刃物が腹に突き刺さり、鮮血を撒き散らしてもそれは絶対何かの勘違いだから……。

 

「う……がぁ」

 刃物は青年の腹を裂いて血を噴き出させた。激痛と共に青年は後ろに倒れ込む。不思議と悲鳴は上げられなかった。苦しむようなうめき声が少し漏れるだけ。

 女の子は青年の傍にしゃがみこみ、ニタニタと笑いながら青年を見おろす。

 

「き……みは……? ぐぅ……」

 突然痛みが和らいでいくのを感じる。そして世界から色が消え始める。鮮やかな色はどんどんと薄くなり、その形すら歪めて行く。

 青年は自分が今死にかけているのだと言うことを理解する。だがそんなはずはない。仮にあれが本物の刃物で、腹を刺されたとしても、こんなに急激に憔悴(しょうすい)するはずがない。

 それなのに……まるで魂を吸い取られるかのように青年の体から力が抜けて行き、世界は暗転した。

 

 女の子はそんな青年の傍に、ニコニコと微笑みながらしゃがみこんでいた。少しすると、動かなくなった青年に話しかけた。

 

「ねえねえお兄さん。今どのあたりにいるの? 天国って遠いんでしょ? 私知ってるんだ。みんなすごく遠い場所って言ってたから。だから私は、道が分からなくてここにいるんだよね? でもお兄さんなら分かるでしょ? 私よりずっと大きいんだから、道に迷うなんてことはないんだよね? そうよねお兄さん?」

 青年は沈黙している。

 

「あはは、話してくれないのねお兄さん。いいのよいいのよお兄さん。私はお母さんを連れてきてさえくれればそれで満足。お兄さんは私の言葉になんか耳をかさずに、天国に行くことだけ考えて? そしてついたら私のお母さんを探してね? 連れてきてくれるよねお兄さん? 一度襲われてもこうして会いに来てくれるくらい優しいお兄さんなんだから、私のお願い聞いてくれるよね?」

 青年は黙して喋らない。

 

「クスクス……本当に急に無口ねお兄さん。さっきまであんなに難しいことを話してくれていたのに。それなら私もしゃべらないから。先にしゃべった方が負けよお兄さん。それじゃあ合図をしたら始めるわよ? よーい、はじめ!」

 青年は動くことすらしなかった。

 

 それから女の子も口を噤んだ。だが、それはせいぜい数十分しか持たなかった。

「……ぷはッ! 強いわねお兄さん。私の負けだわ。それでそろそろ天国についたわよねお兄さん? きっとお母さんに会えたころよね? 連れてきてくれるよね?」

 青年が口を動かすことはない。

 

「……ねぇ、何とか言ってよお兄さん。私もそろそろ疲れたわよ?」

 女の子の声に怒気が混じる。青年が生きてさえいれば、その声だけで怯えたかもしれない。だが、青年はもう女の子に怯えることはない。

 

「無視しないでよ。何で話してくれないのよ? 天国に行ったんでしょ? だったらさっさとお母さんを連れて来てくれればいいじゃない!」

 女の子は青年の体を蹴り飛ばした。青年の体はわずかに動いた後すぐにまた地面に転がる。

 

「死んだら天国に行くんでしょ! 行くことができるなら帰ってくればいいじゃない! 何よ私一人だけ置き去りにして勝手に天国に行っちゃって……」

 青年が返事をしないと分かると、女の子は何度も青年の体を蹴り始めた。何度も何度もけり上げ、青年の体に小さな水の雫がかかる。それは女の子の零した涙だった。

 

「連れてこれないと言うんなら、せめて連れて行って(・・・・・・・・・)よッ! 置いて行くな。連れて行け、連れて行ってよー!!」 

 

 *    *    *

 

「え、それじゃあ学生さんが森の中で歌穂ちゃんに会ったって言うんですか?」

 青年が宿泊している家の中で、老婆とその家の奥さんが話をしていた。

「ああ、森の中で天国に行って来て欲しいと言って、おもちゃの刃物で追いかけられたって。最近聞かなかったけれど、まだあのイタズラをやっていたんだねぇ……」

 

 奥さんは、料理をしていた手を止めて、老婆に向き直る。

「何を言っているんですかお母さん。歌穂ちゃんは二年前に亡くなったでしょう? 森の中で自分の首を切って自殺してるのが見つかったじゃありませんか」

 老婆はキョトンとして見返す。

 

「そうだったかい?」

「そうですよ。歌穂ちゃんは、死んだら天国に行けると言うのを真に受けて、本当に首を切って死んでしまったんです」

 奥さんはやれやれと思って首を振る。老婆は年の割にはしっかりしている方だが、たまに記憶違いや物忘れが激しくなることがある。特に大きな出来事になると、把握しきれなくなるのかあいまいに記憶してしまう。歌穂はあのイタズラを村中の人間にした後、自殺してしまったのだ。

 

「歌穂ちゃん……あのイタズラは、天国に行くことができないのを知った上で、お母さんのことをふっ切るためにやってると思っていたのに……。本当に気の毒で……」

 奥さんは悲しそうに森の方角を見た後、手をぎゅっと握って電話に向かった。

 

「それにしても、何処の子供か知りませんけれど、そんなイタズラをしている子供がいるなんて、それも事もあろうに森の中でです。すぐに回覧板を回して注意しましょう。不謹慎にもほどがあるわ」

 

 *    *    *

 

「連れてけ! 連れてけ! 連れて行ってよ! うわぁああああああん」

 女の子の……歌穂の口調は乱暴になり、大粒の涙を零しながら青年を蹴り続ける。その体は、夜の暗闇の中で半透明に光っていた。

 

 歌穂は幽霊になってからも、天国へいける人間を……自分を天国へ連れて行ってくれる人間を探していた。

 己の首を切り裂いた巨大な刃物を持ち、殺意を持って森の中を彷徨い続けている。

 

 ……え、『歌穂はなぜ地獄へ落ちないのか』だって?

 いけるはずもない天国へ連れて行ってくれる人を探し、永久に森の中を彷徨い続けるのが、地獄の苦しみに劣るとでも?

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