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マイホーム  作者: 伝次郎
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第三章

 至って平凡な六畳間の和室が二部屋。各部屋小さな押入れがあるだけで、室外のベランダがつながっている何の変哲もない部屋だ。

 太陽の光を一杯に吸い込んだその部屋の窓は閉まっている。何となく気になった亜紀子は、すぐさま近寄ってその窓を開けた。

「子供部屋にいいわよね。もちろん大きくなってからだけど」

 亜紀子は結婚が決まってから、いつも子供が産まれた後のことを考えていた。

「二部屋ということは、やっぱり子どもも二人、ってことか」

「そうとは限らないわよ。私はたくさん欲しいわ、伸介さんの子供が」

「あんまり無理を言うなよ。身体は年をとっていくばかりなんだから」

 そう言って伸介は自分の腰をたたくと、二人は声を出して笑った。

 伸介とてこの歳になると、自分もそろそろ子供を、と思っている。同級の友人たちは結婚している奴も多いし、その子供たちも伸介のことを「おっちゃん」と呼び始めているのだ。「おっちゃん」にはいささか抵抗はあるが、小さな子供からそう言われると、つい顔をほころばせてしまうのである。

 開けた窓から外を見下ろしていた亜紀子の顔から、少しずつ笑みが消えていく。

「ねえ、伸介さん。もう帰りましょうか」

 外を凝視したまま、亜紀子がそう言った。

「どうした、もう退屈したのか」

「ちょっと来て。ほら、見てよ……」

 この家の周りには、さっきまで集まっていた人数よりも、はるかに多くの人々で埋め尽くされている。そして全員がこの家を、まるで異性人でも見るかのように硬い表情で見つめていた。

「やっぱり何かあるのよ、この家。早く出た方がいいわ」

 亜紀子はそう言って窓を離れると、階段に向かって歩き始めた。

「待てよ! せっかく来たんだ、よく見ていこうよ。あの連中だって、珍しい家だから集まっているだけなんだ。気にするなよ」

 伸介はそう言って、亜紀子の肩に手をかけた。

「あの案内人さんが言ってたのは、間違いないのよ!」

「どうしたんだよ。なにをそんなに……」

「あの人たちは、私たちがこの家に飲み込まれる瞬間が見たいのよ。そうでしょ! 人の不幸ほど面白いものはないわ」

 亜紀子は、睨むように伸介を見ていた。

「まだそんなこと言ってるのか! そんなばかな話があるわけないだろ。いいかげんにしろ!」

 と、伸介は怒鳴りつけた。

 ――バシッ!

 亜紀子を殴った音ではない。さっきから聞こえていたあの奇妙な音が、更に不気味さを増して、地鳴りのように響いてきたのである。

「ほら、聞こえたでしょ。やっぱりそうなのよ」

 今度ばかりは伸介も否定はできない。しかもその音は、しだいに近づいているような気配さえしていた。

「何の音かな……」

 伸介の顔に、焦りの色が浮き出ている。気のせいでもなければ、何者かの仕業じゃないことは明らかだ。

「ねえ、帰りましょ。いつまでもいないほうがいいわ」

「大丈夫かな。出られるのかな……」

「廊下のサッシを開けて来たばかりよ。まだ間に合うと思うわ。早く行きましょ!」

 いつまでも動けずにいる伸介の手を引いて、亜紀子は階段を駆け下りた。伸介は足と階段のリズムが合わず、一階に到着する寸前で転んでしまった。

 真っ先に目指したのは、もちろん玄関。二階に上がるときはまだ開いたままだったのだ。

 亜紀子が玄関のノブを摑んで押してみたが、ドアは硬く閉ざされてびくともしない。

「誰か! 誰か開けて下さい!」

 そう叫びながらドアを叩いてみたが、表からは何の反応もない。

「亜紀子、こっちだ!」

 伸介は叫んで、廊下に出た。――やはりサッシは閉まっている。再び内側から掛けられている鍵を外して開けようとしたが、そのサッシは伸介の言うことを聞かなかった。

「ほら、だから言ったじゃないの。私たちを飲み込もうとしているのよ。もう逃げられないかも……」

 亜紀子は落胆しかけている。

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 開いているところを探すんだ!」

「もうだめよ、全部閉まってるわ! 出られないのよ、この家から」

「いいから探せ!」

 伸介は怒鳴りながら、台所へと走っていった。勝手口があったはずだ。もちろん開かないとは思うが……。

 勝手口どころが、台所の窓も和室の窓も、ましてや換気扇の排気口までもが、まるでコンクリートで固められたように閉ざされている。

 パシッ! パシッ!

 得体の知れない音が、いつの間にか無数に聞こえていた。隣の部屋かと思えば階段を通して二階から聞こえたり、壁の向こうの外からも、まるでこの家が凝縮でもしているような震動が伸介の体に伝わり始めていた。

「亜紀子! 玄関に行け! ドアを叩いて助けを呼ぶんだ」

 そう言いながら振り返った伸介だが、亜紀子の姿はどこにも見えない。今までそこにいたはずだ。

 和室を抜けて廊下に出た伸介は、

「何してるんだよ!」

 座り込んだまま放心している亜紀子に怒鳴りつけた。

「やっぱり本当だったんだ……。この家に飲み込まれるのよ、私たち……」

 亜紀子の声は震えている。うっすらと涙さえ浮かべていた。

 伸介は亜紀子の腕を取って立ち上がらせると、玄関に向かって歩き始めた。

「落ち着け。いいか、外には人がたくさんいただろう。俺たちが危ない目に遭っているんだ。誰かが助けてくれるはずだ」

「でも……」

「いいから叫ぶんだ!」

 伸介は開かないドアを叩き始めた。

「誰か! 誰かいるんだろう! 開けてくれ、助けてくれ!」

 そう叫んでみても、全く何の反応もない。「亜紀子、お前も一緒に叫べ! 亜紀……」

 亜紀子は廊下に突っ立ったままだ。そして冷ややかに伸介を見つめていた。

「――むだよ、そんなことしても。誰も助けはしないわ」

 亜紀子の声は小さかった。そして今まで伸介が聞いたこともないような冷たさが感じられる。

「この家は私たちを飲み込もうとしてるのよ。案内人さんが言ったいた通り、もう出られないのよ」

「何をばかなことを言ってるんだ」

「つまり私たちは、幸せじゃないってことなの。そうでしょ、幸せならこの家から出られるって案内人さんが言っていたじゃない」

「いい加減にしろ!」

 思わず伸介の手が亜紀子の頬を叩いて、乾いた音が家の中に響いた。――もちろん今まで手を上げたことなんかない。喧嘩もしたことがなかったのだ。

 亜紀子の頬が上気した。

「やっぱりそうなのよ。伸介さんて、そういう人だったのよ!」

 と叫びながら、亜紀子は手に持っていたハンドバッグを力任せに投げつけた。

 その途端、台所から、爆発音のような大音響が聞こえた。


 ――ここはどこだろう。俺は何をしているんだ?

 分からない。一体何が起こったのか……。

 爆風が玄関まで達したときまで、伸介ははっきり覚えている。台所から大きな風と共に、小物や雑貨までが伸介と亜紀子の体に降り注いだのだ。

 しばらく気を失っていたのだろう。伸介が頭を起こしてみると、部屋中に物が散乱して、まるで竜巻でも通り過ぎて行った後のようだった。

「うーん……」

 呻き声が聞こえて、伸介は我に返った。

「亜紀子……亜紀子! 大丈夫か!」

 倒れた襖の下から、その声は聞こえてきた。慌ててその襖を持ち上げると、亜紀子がそこに横たわっていた。

「亜紀子、しっかりしろ」

 そっと頭を持ち上げる。

「伸介さん……、何が……何があったの?」

 亜紀子も気を失っていたようで、伸介の声でうっすらと眼を開けたのだった。

「何がなんだか分からない。どこかで爆発があったらしい」

「爆発? ――ということは、私たち、助かるのね」

 亜紀子はちょっぴり微笑みながら言った。

「助かる?」

「だって、爆発音が聞こえたら、誰かが助けに来てくれるはずじゃない。あんなに人がいたんだから」

 それもそうだ。あんなに凄まじい音がしたのだから、誰も来ないはずがない。警察や消防だって……。

 しかし……。

 伸介が気がついてから、しばらく時間が経っている。部屋の中には静けさだけしかなかった。宇宙空間にいるような、時間も音も存在しない、無限の世界が広がっているだけだ。

「まんざら嘘でもなさそうだな」

 と、伸介が呟く。

「何が?」

「案内人の言葉さ。俺たちを飲み込む、っていう話。誰も助けに来る気配もない」

 伸介はそう言って、部屋の中を見渡した。そこはさっきまで見ていた古風な部屋ではない。爆風で散らかってはいるが、壁や天井が今にも迫ってきそうな、目には見えない力が漲っているように、伸介は感じていたのである。

「私たち、どうなるのかしら……」

 亜紀子の不安に満ちた小さな声が、伸介の耳に聞こえると、

「心配するな。必ず俺が出してやる」

 と言って、伸介は立ち上がった。

 しかし、玄関を開けようとしてもダメ。サッシの頑なに閉まった力は、更にパワーアップしていて、押してもひいてもビクともしない。

 と、何気なく外を見ると、いつの間にかその庭に大勢の人が入り込んで、部屋の中を凝視していたのである。

「何だあいつら! 俺たちを見て笑ってやがる……」

 伸介はサッシのガラスに張り付くようにして、その人だかりを見ていた。

「お願いします! 誰か、誰か助けてください!」

 亜紀子も立ち上がって、ガラスを叩き始めた。――しかし、それも長くは続かない。庭で見ている人たちの顔が、伸介と亜紀子の姿を見て、さらに明るい笑顔になったのである。指をさしながら、笑い声さえ立てている人もいた。

「お前ら、何笑ってるんだよ! 俺たちは動物園の猿じゃないんだぞ!」

 伸介は大声で叫ぶと、いったん部屋の中を見渡して、台所へと走っていった。すぐさま戻ってきた伸介の手には、木製の椅子が握られていた。

「どうするの、それ」

 と、亜紀子は訊いたが、

「うるさい! お前は黙ってろ!」

 と伸介は言って、その椅子を力任せにサッシのガラスに叩きつけたのである。

 普通のガラスなら、粉々になっているだろう。しかしある程度予測していたが、その期待が見事に裏切られたことは、伸介の手に残った痺れが痛いほどに証明していた。

「――ふふ、ふふふっ――はははっ……」

 亜紀子の鈍い笑い声が、伸介の耳に聞こえた。振り返ってみると、亜紀子は座り込んだまま伸介を見ている。笑いはしたが、その表情は凍り付いていた。



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