第一章
カラリとした快晴の、初夏の日曜日。
今日はいつものデートコースではない。マイホーム展示場の駐車場に車を止めた遠野伸介は、彼女をエスコートするように助手席のドアを開けた。
車から降りた亜紀子の顔は、晴れやかな笑顔で満たされている。それもそのはず、一週間後に伸介との結婚式を控えた、恋人同士として最後の幸せなデートの真っ最中なのだ。
一週間後――それから先は、彼でも、彼女でもない。
夫婦として、新しい人生のスタートを踏み出さなければならないのだ。
「あなた」なんて呼べるのかしら。彼は私のことをどんな風に人に紹介するんだろう。
「僕の妻です」なんて言うのかしら。
きゃは! 妻だって……。
自分で考えながら照れてしまうほど、亜紀子は幸せの絶頂期なのだ。
「――さあ、着いたぞ。心の準備はいいか!」
「万全よ。ここにある家、全部見てやるから」
「気に入った家があったら言ってくれ。どれでもいいぞ。亜紀子が好きな家を買ってやるさ」
「そんなこと言って! まだまだ先の話でしょ。五年か、十年か。――いつになることやら……」
二人は声を出して笑った。
もちろんこの展示場で気に入った家があるからといって、「おばちゃん、これちょうだい!」なんて、駄菓子を買うようなわけにはいかないのだ。
まだまだ頭金になるほどの貯金があるわけではない。いや、ないわけではないが、二十五歳のサラリーマンの収入では、頭金に貯金を回してしまうと、後々の生活が心配なのである。少しは蓄えを残しておかないと……。
「私が共働きすれば、少しは早くなるんだけどね」
亜紀子はよくそんなことを言っているが、マイホームの前にどうしても欲しいものは、やっぱり……。
「働きながらじゃ子育てはできないよ。せめて幼稚園に行くまではそばにいてあげないと」
最近の伸介は、こんなことを口にすることが多くなった。結婚、家庭ということが現実味を帯びてきたのだろう。
亜紀子はまだ会社を辞めたわけではないが、いずれ辞めざるを得ない。二人が勤めている会社は、社内恋愛には厳しいのだ。この結婚も、伸介が所属する営業部長の力添えがなかったら、今ごろどうなっていたことか……。
もちろん「出来ちゃった結婚」ではない。子供の出産は結婚してから、十月十日以降と決めてある。ハネムーンベイビーなら最高だろう。かといって、「仕込み」をしていないわけではない。そこは恋人同士の……。
「――結構いろんな家があるもんだな」
三軒、四軒と見ていくうちに、二人の家を見る目が少しずつ変わってきた。
「日本古来の家が少なくなった、っていうのも、寂しいものね」
「瓦屋根も少ないし、縁側がないってのもつまんないよな、日本人として」
縁側でお茶を飲みながら日向ぼっこをする。もちろん膝には大きな猫。これが日本人の基本的スタイルだ、と伸介は半分まじめに思っているのだ。
それにしても、日本の土地は狭くなっていくばかりなのに、ここにあるモデル住宅は大きな家が多い。核家族化が進んでいる世の中で、マンションの建設が盛んである現在、一戸建の家に住むことは、庶民にとって夢のような話なのである。
また反対に、両親と同居する二世帯住宅も増えてはいるが、現代社会の細胞分裂のような気がして購入する気になれない。しかしこの展示場は、社会の流れに乗ったモダンな二世帯住宅がメインになっていた。
並んでいる展示住宅から少し離れたところに建っている家に眼を留めて、伸介は指をさして言った。
「ほら、俺が探していた普通の家だ」
モダン住宅とは言いがたい小さな家が建っている。新築とは思えない、古ぼけた感じの造りだ。どうみても中古住宅、しかも三十年以上は建っていそうな家をリフォームしたような趣があった。
「今どき珍しいわね。私が子供のころ見たような家だわ」
他の展示住宅には客もまばらだが、そこには多くの見物客が集まっていた。
民家? とも思ったが、建築業界の社員と思われるネームプレートを付けた案内人がいるから間違いないだろう。
その家に近づいてみると、「幸福の家」と書かれた小さな看板が立っていた。
「この家に住んだら、幸せになれる、ってことかな」
伸介は呟くように言った。
「金のなる木、みたいなもので、その気にさせるネーミングなのよ、きっと」
亜紀子は至って呑気だ。
「言葉による暗示だよな」
と伸介は言ったものの、何かが気になっていた。「でも、こんな古ぼけた家に住んで、幸せっていえるのかな。大した設備もないようだし」
そう言って、首をかしげた。
伸介の理想に近い家である事には違いないが、それはあくまでも望郷の念に等しいものである。実際に生活するための家は、やはり近代的な住居を選んでしまうのだろう。
「気は心! 住めば都っていうじゃない」
「亜紀子はこんな家でもいいのか?」
「そうじゃなくて、ほら……」
亜紀子が指をさした所に、この家の販売価格が提示されていた。
「――嘘だろ!」
確かに古ぼけた家ではあるが、その価格はファミリーカーでころか、軽自動車が一台買えそうな値段だ。今どき中古住宅でさえこんなに安くはない。
「きっと何かの間違いなのよ。それとも頭金だけとかさ」
「そうじゃないよ。ちゃんと書いてあるじゃないか」
「でも……」
「きっと何か欠陥があるんだ。雨が降ったら傘を差して寝なきゃいけないとか、風が吹けば桶屋が儲かるとか……」
と伸介は、わけの分からないことを言っている。
「落語じゃないんだからね、もう!」
二人は笑った。
なんだかんだと言いながら、結構二人は楽しんでいるのである。
それにしても、外には人がたくさん集まっているというのに、この家の中には人影が見当たらない。そこにいる人々は、建物の外観だけを楽しんでいるのだろうか。
一組の夫婦と思われる二人連れが、玄関先にいる案内人と話しをしていたが、何か悩んでいるように首を振っている。そして中には入らず、再び人垣の中へと吸い込まれていった。
「誰も中に入らないみたいね。どうしたんだろう」
亜紀子が不思議そうにその家を覗き込んだ。
「興味がないんだよ。今どきの家じゃないからな」
「でも、こんなに人が集まってるわよ」
「何かあるんだろ……」
しばらく様子を窺っていた伸介は、「よし、入ってみるか!」
と言って、二人で玄関から入ろうとした。
「ちょっと待って下さい」
案内人が、愛想笑いを振りまきながら二人を制止した。
「見学させてもらってもいいんでしょ?」
亜紀子がそう訊くと、
「中に入る前に、説明しておくことがあります。ここは普通の家じゃありませんからね」
何となく意味ありげな案内人の言い方だ。
「普通じゃない……と言いますと?」
「見ての通り、モダンな造りではありませんよね。狭い部屋に大家族がひしめき合って暮らしていた、昔を思い出すような家でしょう」
「確かに僕が子供のころ、住んでいた家に似てはいますが、それが……」
伸介は、玄関口から家の中を覗いてみた。やはり内部も昔を思い出すような造りだ。
「この家は、幸せになる人しか住むことができないんです」
案内人の平然とした言い方に、伸介は一瞬その言葉が理解できなかった。
「誰だって幸せになりたいと思ってるんじゃないですか。そのために、一つの家に家族で暮らすんですから」
「しかし、離婚件数が増えている昨今、家族を顧みないで家庭を崩壊させるような人が増えているのも事実です。最初は誰でも幸せになろうと努力しますが、しだいに気持ちも肉体も離れていくのです。したがって……」
「ちょっと待ってよ!」
亜紀子は憮然として、「私たちは幸せなの。それに、ここに集まっている人たちだってそうだから、家を買おうと思って来てるんじゃないのかしら」
離婚件数が増えたからといって、今から結婚しようとしている人たちには迷惑な話でしかないのである。せっかくマイホームを、と思っているのに、出端をくじかれるようで亜紀子は面白くなかったのだ。
「いや、失礼しました。もちろん幸せになる自信があれば、何も問題はありません。幸せであれば、いつでもこの家から出ることが出来るんですから」
と、案内人は言った。
「――はい?」
伸介は戸惑った。「出ることが、って……」
「この家は、幸せじゃない人を、又は家庭を壊そうとする人を飲み込んでしまうのです。もちろんこの展示会場もそうです」
「そんなばかな。どうやって飲み込むんだよ」
伸介は笑いながら言った。お化け屋敷じゃないんだから……。
「それは私にも分かりません。それでよければ、いつでも家の中をご覧になってください。――もしあなたたちがこの家から出られたら、生涯幸せな家庭を築くことになるでしょう」
伸介と亜紀子は、呆れたように、言葉もなく見つめ合っていた。
しばらく考えていた二人だが、伸介は何も言わないまま玄関に足を踏み入れた。そして、哂いながら靴を脱いで、
「お邪魔させてもらいますよ。僕たちがどれだけ幸せなのか、確認しないとね」
伸介はそう言って亜紀子を呼んだ。
「補償はしませんよ……。無事に出てくることを祈ります」
そんな怖いことを言いながら、営業スマイルで伸介を見ている案内人の方が、何やら不気味に思える。
「もちろん家の中を案内してくれるんでしょう?」
と、亜紀子が訊くと、
「私の案内はここまでです。後は、あなたたちが出てくるまで、誰も家の中には入りません。二人で将来のことを話し合ってください。――では、ごゆっくり」
案内人とは名ばかりだ、と伸介は思った。
玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えた二人は、ゆっくりと「幸福の家」の中に入って行った……。




