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第8話 「ここじゃないどこか」

 真理は、家にいる時間が少しずつ減っていた。

 別に、どこかへ遠くに行っているわけではない。

 学校から帰ってきて、しばらくすると、また出ていく。


「どこ行くの」

 翔が聞くと、面倒くさそうに答える。

「ちょっとそこまで」

「どこそれ」

「いいの」

 それ以上は言わない。


 夕方になっても帰ってこない日もある。

 日が落ちるころに、何事もなかったような顔で戻ってくる。

 千鶴が言う。

「真理、もう少し早く帰ってきなさい」

「分かってる」

「分かってるじゃなくて」

「大丈夫だって」

 会話は、それ以上続かない。

 父は何も言わない。

 ただ、一度だけ時計を見る。

 その仕草が、逆に気になる。


 ある日の夕方、翔はたまたま真理のあとをついていった。

 ばれないように、少し距離をとる。

 路地を抜けて、角を曲がり、さらにもう一つ曲がる。

 そこは、いつもの遊び場より少しだけ広い通りだった。

 店が並んでいる。

 電気屋、洋品店、少し古びた喫茶店。

 その一角に、小さな人だかりができていた。

 真理は、その中に入っていく。

 翔も、こっそり近づいた。

 人だかりの中心には、テレビが置かれていた。

 店先に向けて、台の上に据えられている。

 画面の中では、にぎやかな音楽が流れていた。

 見たことのある歌番組だ。

 けれど、家で見るのとは少し違う。

 周りに人がいて、みんなで同じ方向を見ている。

「この人、また出てる」

「人気あるのよ」

「この服、変じゃない?」

 若い女の子たちが、楽しそうに話している。


 真理も、その中にいた。

 いつもの家で見る顔とは少し違う。

 少しだけ明るくて、少しだけ遠い。

 翔は、その様子をぼんやり見ていた。

 そのとき、後ろから声がした。


「おい、何してる」

 振り向くと、健二がいた。

「見てるだけ」

「こんなとこでか」

「うん」

 健二は、少しだけ笑った。

「姉ちゃん、ああいうの好きなんだな」

「うん」

「お前は?」

「別に」

 本当は、少し気になっていた。

 でも、うまく言えない。


 しばらくすると、真理がこちらに気づいた。

「翔?」

 少し驚いた顔をする。

「なんでいるの」

「たまたま」

「うそ」

 すぐにばれる。

「ついてきたでしょ」

「……ちょっとだけ」

 真理は、ため息をついた。

「もう」

 怒っているわけではない。

 けれど、少し困ったような顔だった。

「帰るよ」

「まだいいじゃん」

「だめ」

 短く言う。

 そのまま、歩き出す。

 翔も後を追う。


 帰り道、しばらく無言だった。

 やがて、真理がぽつりと言った。

「ここさ」

「うん」

「狭いと思わない?」

 急な言葉だった。

「え?」

「この町」

 少しだけ足を止める。

「みんな近すぎるのよ」

 その言い方には、はっきりとした感情があった。

「どこ行っても誰かに見られてるし、何しててもすぐ分かるし」


 昼間のことを思い出す。

 確かに、誰かがいつも見ている。

 それが当たり前だった。

「別にいいじゃん」

 翔が言う。

「よくない」

 即座に返される。

「息が詰まるの」

 その言葉は、少し強かった。

 翔は何も言えなかった。

 しばらく歩く。


 路地に戻ると、いつもの匂いがした。

 夕飯の匂い。

 どこかの家から、笑い声。

 変わらない風景。

 真理は、それを一度見渡してから、ぽつりと言った。

「もっと、違うところに行きたい」

「どこ」

「分かんない」

 少しだけ笑う。

「でも、ここじゃないとこ」

 それは、はっきりしていた。


 家に入ると、フミが座っていた。

「おかえり」

「ただいま」

 真理は、いつもの調子で答える。

 さっきまでの顔とは違う。

 すっと、元に戻る。

 フミが、その様子を見ていた。

 何も言わない。

 ただ、少しだけ目を細める。

 翔は、その視線に気づいた。

 でも、意味は分からなかった。


 ちゃぶ台の上には、もう料理が並んでいる。

 湯気が立って、部屋があたたかい。

 外は、少しずつ暗くなる。

 同じ場所、同じ時間。

 けれど、真理の中では、何かが少しずつ動いていた。

 それはまだ、形になっていない。

 けれど、確かにここには収まらない何かだった。

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