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第4話 「紙芝居の午後」

 その日は、昼過ぎから妙に落ち着かなかった。

 理由は、はっきりしている。

「今日、来るんだろ」

 健二が、朝から何度も同じことを言っていた。

「来るって、誰が」

 翔が聞くと、呆れた顔をされる。

「知らねぇのかよ。紙芝居だよ、紙芝居」

「ああ」


 そういえば、しばらく来ていなかった。

 あの独特の拍子木の音が、路地に響くと、どこにいても分かる。

 ——カン、カン。

 それを聞くと、みんな自然と集まってくる。

 午後になると、子どもたちはそわそわし始めた。遊びもどこか上の空だ。

「まだかな」

「まだだろ」

「遅いな」

「うるさいな」

 言いながらも、みんな耳は路地の奥を向いている。


 そして、ようやくその音がした。

 ——カン、カン。

 木の乾いた音が、二度。

「来た!」

 誰かが叫ぶ。

 次の瞬間、ばらばらだった子どもたちが、一斉に同じ方向へ走り出した。


 路地の角を曲がったところに、小さな人だかりができる。

 自転車の荷台に、木の箱を積んだおじさんが立っていた。

 箱の中には、何枚もの絵が重なっている。

「さあさあ、始まるよ」

 おじさんが、にこやかに言う。

 その前に、ちゃっかりと水飴の瓶を並べるのも忘れない。

「水飴買った子は、前で見られるよ」

 その一言で、列の前と後ろがはっきり分かれる。

「ずるいよ」

「いいんだよ、商売なんだから」

 健二が言って、ポケットから小銭を出す。

 翔も、つられて出した。

「二つ」

「はいよ」

 細い棒に絡めた水飴を渡される。透明で、ゆっくり垂れる。

 口に入れると、甘い。

 歯にくっつく感じが、妙に楽しい。

「ほら、前行け」

 健二に背中を押されて、最前列に座る。

 地面は少しひんやりしていた。

 おじさんが、拍子木をもう一度鳴らす。

 ——カン、カン。

「それでは始まり始まり」

 声の調子が、さっきまでと変わる。少し大げさで、よく通る。

 絵が一枚、引き抜かれる。

 色のはっきりした、力強い絵だった。


「昔々、あるところに——」

 物語が始まる。

 子どもたちは、一斉に黙った。

 さっきまであれだけ騒いでいたのが嘘みたいに、誰も声を出さない。

 絵が変わるたびに、空気も少しずつ動く。

「うわ」

「やばい」

 小さな声が漏れる。

 悪者が出てくると、自然と前に身を乗り出す。

 主人公がピンチになると、誰かが思わず声を上げる。

「逃げろ!」

 誰に向かって言っているのか分からない。

 けれど、その場にいる全員が同じものを見て、同じところで息を飲んでいた。

 やがて、話が一段落すると、おじさんが手を止めた。

「さて、続きは——」

 一瞬の間。

「また明日」

「えーっ!」

 一斉に声が上がる。

「そんなのずるいよ!」

「いいところじゃん!」

「続きやれよ!」

 口々に言う。

 おじさんは、まったく動じない。

「明日も来るからさ」

 にやりと笑う。

 その顔を見ると、文句を言いながらも、みんな諦めるしかない。

「しょうがねぇなぁ」

「明日絶対来いよ」

「来る来る」


 おじさんは手を振りながら、ゆっくりと自転車を押していった。

 拍子木の音が、また遠ざかる。

 ——カン、カン。

 子どもたちは、しばらくその場に残っていた。

「どうなると思う?」

「絶対あいつ裏切るだろ」

「いや、あれは助かる」

 勝手な続きを言い合う。

 翔も、水飴を舐めながら考えた。頭の中で、さっきの絵が動き出す。

 答えは分からない。

 けれど、それが楽しかった。

 やがて、ばらばらに帰り始める。


 路地に戻ると、いつもの匂いがした。夕飯の準備の匂いだ。

 家の前では、フミが縁側に座っていた。

「おかえり」

「ただいま」

「今日は賑やかだったね」

「紙芝居来てた」

「そうかい」

 フミは、少しだけ目を細めた。

「昔から、ああいうのは変わらないねぇ」

「ばあちゃんも見たことあるの?」

「あるとも。もっとずっと前からね」

 そう言って、遠くを見るような顔をした。

 翔は、その横に座った。

 口の中には、まだ水飴の甘さが残っている。

「明日、続きやるんだって」

「それは楽しみだね」

 フミはうなずいて、庭の方に目を向けた。


 夕方の光が、少しずつ色を変えていく。

 どこかで、また別の声がする。

 誰かが呼び、誰かが応える。

 今日の話の続きは、まだ分からない。

 けれど、明日が来れば、きっと分かる。

 そんなふうに思える時間が、ここにはまだ残っていた。

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