第3話 「路地のルール」
路地には、ちゃんとしたルールがあった。
誰かが教えるわけではないし、紙に書いてあるわけでもない。
けれど、知らないと困るし、知らないままではいられない。
翔がそれを知ったのは、たぶん、いつのまにかだった。
「そこ、入っちゃだめだって言ったろ」
声をかけてきたのは、二つ年上の健二だった。
路地の子どもたちの中では、一番顔が広くて、一番口がうるさい。
「なんで」
翔が聞くと、健二は呆れたように肩をすくめた。
「干してあるだろ」
指さした先には、洗濯物があった。
細い路地の上に渡されたロープに、シャツやらズボンやらが並んでいる。
その下を、翔は走り抜けようとしていた。
「触ったら怒られるんだよ」
「触ってないよ」
「触りそうだったろ」
確かに、ちょっとだけかすめそうではあった。
翔は口を尖らせた。
「じゃあ、どこ通ればいいの」
「こっち」
健二は、体を横にして、ぎりぎりの隙間をすり抜けていく。
「こうやって通るんだよ」
見よう見まねでやってみると、意外と通れる。少しだけ体をひねればいい。
向こう側に出たとき、健二がにやりと笑った。
「な、簡単だろ」
「うん」
「でも、急ぐときは通るなよ」
「なんで」
「ぶつかるからだよ」
当たり前のことを言われて、翔は少しだけ恥ずかしくなった。
路地は狭い。だからこそ、みんなが少しずつ気をつけている。
誰かが急げば、誰かが困る。それが、この町の決まりだった。
その日の遊びは、ゴム跳びだった。
どこから持ってきたのか分からないゴム紐を、電柱と家の壁に引っかける。
高さを変えながら、順番に跳んでいく。
「はい、次、翔」
「うん」
翔は勢いをつけて跳んだ。足が少し引っかかる。
「あー、だめだ」
「今のセーフだろ」
「だめだって、ちゃんと見てたもん」
「見てないよ」
「見てたって」
言い合いになる。
すると、どこからともなく声が飛んできた。
「うるさいよ、あんたたち」
顔を出したのは、路地の奥に住んでいるおばさんだった。
「昼間っから騒いで」
「すみませーん」
健二がすぐに頭を下げる。
「もう少し静かにやりなさいよ」
「はーい」
おばさんは、それだけ言って引っ込んだ。
少ししてから、ぽつりと付け足す声が聞こえる。
「……危ないことはするんじゃないよ」
その言い方が、怒っているのか心配しているのか、よく分からない。
けれど、みんな素直に頷いた。
「はーい」
遊びは続く。
さっきまでより少しだけ声を落として。
路地では、誰かが見ている。それが当たり前だった。
しばらくすると、別の子が走ってきた。
「おーい、駄菓子屋行こうぜ」
「今から?」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
誰かが言うと、もう決まったようなものだ。
「行こう行こう」
ぞろぞろと移動する。
店は、路地を二つ曲がったところにあった。
小さな店で、ガラスケースの中に色とりどりの菓子が並んでいる。
「おばちゃん、これいくら」
「それは十円だよ」
「高いなぁ」
「文句言うなら買わなくていいよ」
「買う買う」
結局、買う。
みんなで同じものを選ぶこともあれば、ばらばらのこともある。
翔は、さっきもらった金属の塊を思い出して、ポケットを探った。
そこには、少しだけ小銭も入っている。
「これと、これ」
「はいよ」
紙袋に入れてもらう。
店の外に出て、すぐに開ける。
「それ、ちょうだい」
「だめ」
「一個だけ」
「じゃあ一個だけ」
結局、分ける。
誰のものか、よく分からなくなる。
食べ終わるころには、また別の遊びの話になっている。
帰り道、路地に戻ると、見慣れた風景があった。
洗濯物が揺れていて、どこかの家から味噌の匂いがする。遠くで、工場の音が続いている。
その中に、祖母の姿があった。
家の前で、ほうきを持っている。
「おかえり」
翔が近づくと、フミは軽く笑った。
「また大勢で遊んでたね」
「うん」
「けんかはしなかったかい」
「ちょっとだけ」
「ちょっとならいいよ」
そう言って、落ち葉を集める。
「みんなで遊ぶとね、少しはぶつかるもんだよ」
それから、ほうきを止めて、路地を見渡した。
「でもね、ちゃんと戻るところがあるなら、それでいいんだよ」
翔は、その意味を考えた。
よく分からないけれど、なんとなく頷いた。
「うん」
フミは満足そうにうなずいて、また掃き始めた。
ほうきが地面をこする音が、静かに続く。
その音の向こうで、誰かが笑っている。どこかで呼ぶ声がする。
路地は今日も、少し窮屈で、でもちょうどいい広さだった。
みんなが少しずつ場所を譲り合って、同じところに収まっている。
それが、この町のやり方だった。




