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第30話 「止まる音」

 その日は、朝から噛み合っていなかった。

 機械の音が、どこかずれている。

 人の動きも、少し遅い。

 ほんの少しのズレ。

 でも、それが積み重なっていく。


「……そこ、気をつけろ」

 隆一が声をかける。

「分かってる」

 返事はある。

 でも、余裕がない。

 全員が、自分のことでいっぱいだった。

 人が足りない。

 時間も足りない。

 余裕なんて、どこにもない。

 翔は、慣れない持ち場に入っていた。

 手順は頭に入れている。

 でも、体が追いつかない。

 一つ早く動く。

 一つ遅れる。

 そのズレが、流れを狂わせる。

「次、早く!」

 声が飛ぶ。

「今やってる!」

 少し強い口調。

 空気が、張りつく。


 そのとき——

 ガン、という音がした。

 一瞬、全員が止まる。

「……なんだ?」

 誰かが言う。

 視線が、同じ方向に集まる。

 翔の持ち場だった。

 機械の一部が、止まっている。

 いや——

 止まっているだけじゃない。

 異音がしている。

 金属が、擦れるような音。

「止めろ!」

 隆一の声が飛ぶ。

 すぐにスイッチを切る。

 音が止まる。

 静寂が落ちる。

 さっきまであったリズムが、完全に消える。

「……怪我は」

 隆一が駆け寄る。

 翔を見る。

「……大丈夫」

 答える。

 手を見る。

 少し赤い。

 でも、血は出ていない。

 かすっただけ。


「……悪い」

 思わず言う。

「謝ってる場合か」

 隆一が言う。

 強くはない。

 でも、厳しい。

 機械を見る。

 しゃがみ込む。

 触る。

 顔が、少しだけ固くなる。

「……これ、止まるな」

 低く言う。

「どれくらいだ」

「分からん」

 即答。

「部品、いってる」

 その一言で、空気が変わる。

 完全に、止まった。

 流れが、切れた。

「……嘘だろ」

 誰かが漏らす。

 現実だった。

 これがないと、回らない。

 代わりも、ない。

 すぐには直らない。

 つまり——

 止まる。

 全部が。

 沈黙が広がる。

 重い。

 逃げ場がない。


 そのとき——

「……もう無理だ」

 後ろから声がした。

 小さい。

 でも、はっきり聞こえた。

 振り返る。

 一人の男が立っている。

 顔が、青い。

 目が、落ちている。

「無理だって……」

 繰り返す。

「もう無理だよ、こんなの」

 声が震えている。

 怒りじゃない。

 限界だった。

「人もいねえ、時間もねえ、機械も止まるって——」

 言葉が止まらない。

「どうやってやるんだよ!」

 初めて、声が上がる。

 抑えていたものが、出る。

「無理だろ!」

 誰も、すぐに返せない。

 正しいから。

 全部、事実だから。

「……落ち着け」

 隆一が言う。

 低く。

「落ち着いてどうにかなるのかよ!」

 返される。

 強く。

「もう無理なんだよ!」

 その一言で、全部が決まる。

 空気が、切れる。

「……俺、やめる」

 続ける。

 はっきりと。

 迷いはない。

 限界を超えた人間の声。

 隆一は、何も言わない。

 止めない。

 止められない。

「悪いな」

 その男は言う。

 誰に向けたか分からないまま。

 そして——

 そのまま、外に出ていく。

 誰も追わない。

 追えない。


 ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。

 残ったのは——

 止まった機械と、動けない人間。

 そして、重すぎる静寂。

 翔は、その場から動けなかった。

 自分の持ち場。

 自分がいた場所。

 そこで起きたこと。

 胸の奥が、締まる。

「……俺のせいだ」

 小さく言う。

 誰にも聞こえないくらいで。

「違う」

 隆一が即座に言う。

 顔を上げる。

「一人のせいじゃねえ」

 はっきりと。

「全部だ」

 その言葉は、優しさじゃない。

 現実だった。

 全部が重なって、こうなった。

 誰か一人じゃない。

 だから——

 逃げ場もない。

 隆一は、ゆっくり立ち上がる。

 周りを見る。

 誰も動いていない。

 動けない。

 その中で——

「……今日は止める」

 言う。

 低く。

 でも、決定として。

「一回、止める」

 誰も反論しない。

 できない。

 もう、回らないから。


 外では、いつも通りの音がしている。

 遠くで、ラジオ。

 変わらない声。

 でも——

 ここだけが、止まっている。

 完全に。

 灯りは、ついている。

 でも——

 もう、回っていない。

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