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第26話 「置いていかれる側」

 同じ場所にいるのに、遠くなった。

 翔は、それを毎日感じていた。

 朝、顔を合わせる。

 挨拶をする。

 返事もある。

 それなのに——

 会話が、続かない。

 続けない。


 佐々木は、外に出ることが増えた。

 戻ってきても、誰かと短く話すだけで、またどこかへ行く。

 紙が増えていく。

 机の上に、重なっていく。

 見ないようにしても、目に入る。

 求人。

 条件。

 場所。

 知らない地名ばかり。


 隆一は、逆に外に出なくなった。

 ずっと中にいる。

 ノートと電卓。

 それだけで時間が過ぎていく。

 数字を見て、書いて、消して、また書く。

 誰かに話すことも少ない。

 声をかけても、短く返るだけ。

 忙しいんじゃない。

 余裕がないだけだ。

 どちらも、動いている。

 でも——


 翔は、動いていなかった。

 動けなかった。

 何をすればいいのか、分からなかった。

 外に出るのか。

 ここに残るのか。

 考えてはいる。

 でも、決まらない。

 どっちも、怖い。

 どっちも、失う気がする。

 昼過ぎ、ふと外に出る。

 理由はない。

 中にいられなかっただけだ。


 空は、相変わらず曇っている。

 道を、なんとなく歩く。

 行き先も決めずに。

 角を曲がる。

 少し先に、見覚えのある背中があった。

 佐々木だった。

 誰かと話している。

 知らない男。

 紙を見せながら、何か説明している。

 真剣な顔。

 頷く。

 聞く。

 返す。

 仕事の顔だった。

 見たことのない顔。


 翔は、少し離れたところで立ち止まる。

 声をかけようとして——やめる。

 今、入る場所じゃない。

 分かる。

 佐々木は、もう違う場所に足をかけている。

 ここじゃない、どこかに。

 そのまま、踵を返す。

 歩き出す。

 来た道を戻る。

 誰にも気づかれずに。


 戻ると、隆一は同じ場所にいた。

 同じ姿勢で、同じノートを見ている。

 時間が止まっているみたいだった。

「……何か手伝えることある?」

 声をかける。

 少しだけ間があく。

「……いい」

 短い。

「大丈夫だ」

 それ以上、続かない。

 翔は、その場に立ったままになる。

 何もできない。

 必要とされていないわけじゃない。

 でも——今は、違う。

 もう、それぞれが自分の戦いに入っている。

 そこに、入り込む余地がない。


 夕方になる。

 灯りがつき始める。

 部屋の中も、外も。

 でも、温かくはならない。

 翔は、一人で外に出る。

 歩く。

 また、あてもなく。

 気づくと、あの商店街に来ていた。

 古いシャッターが並ぶ通り。

 その中で、一つだけ灯りがある。

 昨日、佐々木が行った場所。

 少し離れたところで立ち止まる。

 中を、見る。

 同じだった。

 鍋の音。

 ラジオ。

 人の声。

 生活が、そこにある。

 止まっていない。

 中で働いている人間は、迷っていない。

 やることがある。

 やるしかない。

 それだけで、前に進んでいる。

 翔は、そこに入らない。

 入れない。

 まだ、決めていないから。

 決めていない人間には、あの灯りは眩しすぎる。

 しばらく見て、目を逸らす。

 そのまま、歩き出す。

 遠ざかる。

 足が、少しだけ重い。

 夜になる。


 戻ると、佐々木がいた。

 珍しく、何もしていない。

 椅子に座っている。

 天井を見ている。

 翔は、少しだけ迷ってから近づく。

「……どうだった」

 聞く。

 佐々木は、目を動かすだけでこっちを見る。

「見たよ」

 それだけ。

「……きつそうだな」

「ああ」

 即答。

 迷いがない。

「でも?」

 続ける。

 少しだけ間があく。

「でも、やれる」

 静かに言う。

 昨日と同じ。

 でも、もっとはっきりしている。

「やるしかねえからな」

 笑う。

 少しだけ。

 疲れている。

 でも、決まっている。

「……お前は?」

 聞かれる。

 同じ質問。

 逃げられない。

 翔は、言葉を探す。

 でも、出てこない。

「……分からない」

 やっと出たのは、それだけだった。

 佐々木は、何も言わない。

 否定もしない。

 ただ、少しだけ頷く。

「だろうな」

 それだけ。

 優しさでも、突き放しでもない。

 事実。

 それが、一番刺さる。

 翔は、その場に立ったままになる。

 何も決めていない自分が、そこにいる。

 何も選んでいない自分が、そこにいる。

 周りは、動いている。

 もう、止まっていない。

 なのに——

 自分だけが、同じ場所にいる。

 いや、

 同じ場所にすら、いない。

 置いていかれている。

 どこにも、いない。


 その夜、眠れなかった。

 目を閉じても、浮かぶのは同じもの。

 佐々木の背中。

 隆一の手元。

 あの店の灯り。

 どれも、進んでいる。

 自分だけが、止まっている。

 胸の奥が、ざわつく。

 焦りとも違う。

 恐怖とも違う。

 もっと、曖昧なもの。

 でも——

 確かに、押してくる。

 逃げ場はない。

 選ばなければならない。

 分かっている。

 分かっているのに——

「……くそ」

 小さく、漏れる。

 誰もいない部屋に、消える。

 答えは、出ない。

 でも——

 もう、時間は残っていなかった。

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