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第12話 「ぼちぼちの先」

 その日、工場の音は、少しだけ不規則だった。

 いつもなら、同じ調子で続くはずの音が、ときどき途切れる。

 ——ウィン……キィン……。

 止まる。

 また動く。


 翔は、その違いに気づいた。

 気づいたけれど、理由は分からない。

「どうしたの」

 裏口から顔を出して聞くと、父は顔を上げずに言った。

「刃が合わない」

「いつもと同じじゃないの」

「同じだ」

 短い返事。

 でも、どこか違う。


 そのとき、奥で佐久間が言った。

「この図面、もう一回見てくれ」

 父が手を止める。

 油で黒くなった手で紙を受け取る。

 しばらく無言で見る。

「……寸法が変わってるな」

「だよな」

「誰が言ってきた」

「向こうの工場」

 少しだけ間。

「“今後はこっちでやるかもしれない”ってさ」

 軽く言っているようで、その言葉は軽くなかった。

 父は、何も言わない。

 図面をもう一度見る。

「急だな」

「最近、あちこちそんな感じらしいぞ」

 佐久間が言う。

「まとめて大きいとこに回すって話」

 機械の音が止まる。

 完全に。

 その静けさが、いつもより長い。


 翔は、その空気の変化を感じていた。

 よく分からないけれど、いつもと違う。

 父が、ゆっくり口を開いた。

「ぼちぼち、ってとこか」

 その言葉は、いつもの“ぼちぼち”とは少し違って聞こえた。

 佐久間が、小さく笑う。

「便利な言葉だな」

「うるさい」

 前にも聞いたやりとり。

 でも、今は少しだけ重い。


 そのとき、表から声がした。

「隆一さん、いるかい」

 見慣れない声だった。

 父が顔を上げる。

「誰だ」

 外に出る。

 翔も、そっと後ろからついていく。

 立っていたのは、スーツ姿の男だった。

 説明会で見た顔の一人。

「先日はありがとうございました」

 丁寧な言葉。

 この場所には、少し浮いている。

「何の用だ」

 父は、まっすぐ聞く。

「少し、お話を——」

「ここでいい」

 間を置かない。

 男は一瞬だけ言葉を選んだ。

「この辺り一帯の件で、個別にご相談を」

「まだ何も決まってないんだろ」

「ええ、ただ——」

 “ただ”の先が長い。

「将来的なことを見据えて」

「見据えなくていい」

 父の声は低かった。

 男は、それでも言葉を続ける。

「移転先のご提案ですとか」

「いらない」

 はっきりしている。

 男は、少しだけ笑みを保ったまま言う。

「皆様、同じように最初はそうおっしゃいます」

 その言い方に、ほんの少しだけ温度が下がる。

「ですが——」

「帰ってくれ」

 父が言った。

 それ以上は聞かない、というように。

 短い沈黙。

 男は一度だけうなずいた。

「また改めてご連絡いたします」

 そう言って、頭を下げる。

 きれいな動きだった。

 そのまま、路地の外へ出ていく。


 足音が消えるまで、父は動かなかった。

 やがて、振り返る。

 翔と目が合う。

「何してる」

「見てた」

「見なくていい」

 そう言って、中に戻る。

 機械の前に立つ。

 スイッチを入れる。

 ——ウィン。

 音が戻る。

 けれど、さっきまでと同じには聞こえない。

 どこか、無理に続けているような音。


 その日の夕方、家の中でも空気は少し違っていた。

 ちゃぶ台を囲んでも、会話が少ない。

 テレビの音だけが流れる。

「今日、誰か来てたでしょ」

 千鶴が言う。

「ああ」

「何の話?」

「たいしたことじゃない」

 短い返事。

「たいしたことじゃない顔してないわよ」

 千鶴の言葉は、少し鋭かった。

 父は箸を止める。

 一瞬だけ考えるようにしてから、言った。

「仕事の話だ」

「どんな」

「減るかもしれないって話だ」

 その言葉で、空気が止まる。

 真理が顔を上げる。

 翔も、箸を止める。

「……減るって」

 千鶴が聞く。

「そのままだ」

 それ以上は言わない。

 言えないのかもしれない。

 しばらく、誰も話さなかった。

 テレビの音だけが、やけに大きく聞こえる。


 フミが、ゆっくり味噌汁を飲んでから言った。

「変わるときはね、静かに来るもんだよ」

 誰に向けた言葉かは分からない。

 けれど、みんな聞いていた。

「気づいたときには、もう動いてる」

 その言い方は、穏やかだった。

 けれど、逃げ場がない。

 父は何も言わず、ご飯を口に運ぶ。

 いつもと同じ動き。

 でも、その背中は、少しだけ遠く見えた。


 外では、工場の音がまだ続いている。

 止まらないように、止めないように。

 そんなふうに、聞こえた。

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