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第9話 「消えた洗濯物」

 最初に気づいたのは、光江だった。


「あれ?」

 朝、水を撒いたあと、いつものように洗濯物を干そうとして、手が止まる。

「ない」

 物干し竿にかかっているはずのシャツが、一枚足りない。

 いや、よく見ると一枚どころじゃない。

「ちょっと千鶴さーん!」

 すぐに声が飛ぶ。

 千鶴が顔を出す。

「どうしたの」

「洗濯物がないのよ」

「風で飛んだんじゃないの」

「そんな強い風じゃなかったでしょ」

 確かに、その日は風はほとんどなかった。


 そのうち、別の声が上がる。

「うちもない!」

「えっ、うちもよ!」

 あっという間に話が広がる。

 路地のあちこちで、同じ声。

「どういうこと?」

「誰か持ってったの?」

「泥棒?」


 朝の空気が、少しざわつく。

 翔たち子どもも、その様子を見ていた。

「泥棒かな」

「そんなもん取ってどうすんだよ」

 健二が言う。

「売るとか?」

「誰が買うんだよ」

 もっともだ。

 そのとき、フミが外に出てきた。

「どうしたんだい、朝からにぎやかだね」

 光江がすぐに言う。

「洗濯物がなくなったのよ」

「ほう」

 フミは、少しだけ空を見た。

「風はなかったのかい」

「なかったわよ」

「ふうん」


 それだけ言って、路地をゆっくり歩き始める。

 誰も止めない。

 というより、自然と後ろをついていく。

 まるで、答えを知っているかのように。

 角を曲がり、もう一つ曲がる。

 その先で、フミは足を止めた。

「ほら」

 指さす。

 そこには、見覚えのあるシャツやら手ぬぐいやらが、ひとかたまりになっていた。

 電柱と電柱の間に引っかかったまま、ぶら下がっている。

「なんでこんなとこに」

 誰かが言う。

 フミは、少しだけ笑った。

「運ばれたんだろうね」

「誰に?」


 その問いに答えるように、上から音がした。

 バサッ、と羽ばたく音。

 見上げると、電線の上に黒い影が並んでいる。

「ああ」

 光江が声を上げた。

「カラスだ」

 なるほど、と思う。

 どこかでくわえて、ここまで持ってきたのだろう。

「いたずらなもんだねぇ」

 フミは、そう言って手を伸ばした。

 届かない。

「誰か、背の高い人は」

「俺がやる」

 父がいつのまにか来ていた。

 脚立を持ってくる。

 それを立てて、一枚ずつ外していく。

「これ、うちのだ」

「それ、うちの!」

 洗濯物は、無事それぞれの手に戻っていく。

 少しだけしわになっていたり、端が汚れていたりするが、大きな被害はない。


「まったくもう」

「びっくりしたわよ」

「泥棒じゃなくてよかった」

 笑いが戻る。

 さっきまでの不安が嘘のようだ。

 フミが、ぽつりと言った。

「高いところにあるものはね、取られやすいんだよ」

「え?」

 光江が聞く。

「目につくからね」

 それだけ言って、歩き出す。


 深い意味があるのかないのか、よく分からない。

 けれど、なんとなく納得してしまう。

 路地に戻るころには、もういつもの空気だった。

 洗濯物はまた干され、朝の続きをやり直す。

 翔は、その様子を見ながら思った。

 何か起きても、みんなで騒いで、みんなで戻す。

 それで、元通りになる。


 少しだけ面倒で、少しだけ楽しい。

 それが、この町のやり方だった。

 その日の午後、電線の上では、またカラスが鳴いていた。

 まるで何もなかったかのように。

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