第21話 零冠の宣言 ― 王子は血に抗う
王城の最奥、円卓の間。
王家会議が開かれるその部屋は、王城のどの空間よりも重く、静かだった。
高い天井、厚い扉、中央に据えられた大きな円卓。
王族と、ごく限られた要職者だけが入室を許される場。
扉の前に立った瞬間、胸の奥の零冠が小さく脈打った。
(……頼む。今日は大人しくしててくれよ)
深呼吸をひとつ。
侍従がノックし、扉を押し開ける。
「第一王子レイアス殿下、ご入室」
すでに多くの視線が中で待っていた。
父王ヴァルゼル。
母リオネス。
第二王子カーミル。
ルーミエル、ミリナ、セリカ、レーネ。
王家の血を引く全員が席に着いている。
さらに。
円卓の一角には“異物”があった。
血紋院の紅い紋章。
オルドレウス院長と、その側に控える若い神官ラガン。
思わず足が一瞬だけ固まる。
(……本当に来るんだな。会議にまで)
視線を向けると、オルドレウスは静かに会釈を返した。
その目は、血を観測する職務だけに特化した冷たさを帯びている。
胸が冷える。
零冠が微かに軋む。
だが、倒れるほどではない。
(……やれる)
俺は決められた席――父王の斜め左へと歩き、腰を下ろした。
その横で、カーミルがわずかに視線を動かした。
怒りでも憎しみでもない。
もっと複雑で、整理のつかない色。
軽く会釈を返すと、彼は目を逸らした。
父王がゆっくりと立ち上がる。
「これより、王家会議を始める」
その声が響いた瞬間、空気が張りつめた。
◆ ◆ ◆
議題は最初から分かっている。
血紋院の来訪目的――そして“零冠”。
父王は最も重い話題を、真正面から切り開くように語り始めた。
「まずは血紋院よりの報告と要望を聞くこととする。
オルドレウス院長、発言を許す」
オルドレウスが立ち上がる。
法衣の裾がわずかに揺れ、紅い紋章が光を反射した。
「王家の皆々様に感謝を捧げます。
我らの目的はただ一つ――
“王家の血が正しくあること”の確認です」
その声は穏やかでありながら、どこか祈祷のような冷たさがあった。
「特に第一王子レイアス殿下の“零冠覚醒”は、
血の体系における重大事と位置付けられております。
ゆえに、我らは殿下の血の状態を正式に監査し――」
言い終わる前に、父王が言葉を切った。
「血の監査とは具体的に何を指す?」
オルドレウスはわずかに目を細めた。
「採血、血流の観測、血質の測定……
そして“零”がどの段階にあるかを判断する儀式的測定でございます」
(……採血、か)
喉がひりつく。
あの日の嫌な感覚が、皮膚の内側から蘇りかける。
零冠が微かに反応する。
血に触れられることを嫌がっているのか、
あるいは暴れ出すのをこらえているのか。
母が静かに俺の様子を窺っていた。
“逃げないで。でも倒れるなら支える”
そう言ってくれた朝の言葉が浮かぶ。
逃げるわけにはいかない。
父王は重い声で問うた。
「それは“王家に危険が及ぶ可能性”を含むのか?」
「血に関わる儀式は全て危険性を伴います。
特に“零”は管理不能の権能。
暴走の可能性は――排除できません」
その場が、冷えていくような感覚。
ミリナは不安そうに唇を噛み、
ルーミエルは苦い表情で兄弟たちを見回している。
カーミルの拳は膝の上で固く握られていた。
(わざと言ってるな、この老人……)
零冠の危険性を強調し、
“監査の必要性”を押し付けるための言葉。
父王は視線を落とさずに言った。
「では問おう。
血紋院の目的は“監査”か?
それとも“管理”か?」
空気が震えた。
オルドレウスは、わずかに口元を吊り上げた。
「王家が望む形で、我らは“支える”だけです」
(管理じゃない。支える?)
その言葉は曖昧で、
真意を読み取らせないように濁された。
王族側が言質を得ようとすれば、煙のように逃げていく。
父王はすぐに矛盾を突いた。
「支えると言っておきながら、
王家の血に“測定を強制”するのか?」
「強制ではございません。
しかし――必要なのです。
零冠が覚醒した以上、王家は“血の未来”を明確に示さねばならない」
(未来……か)
オルドレウスは続けた。
「零冠は祝福か、呪いか。
放置すれば、血の秩序そのものが揺らぐ。
王家の威信もまた、揺らぎましょう」
その言葉に、円卓の数人がざわめいた。
セリカは眉を寄せ、
レーネは怯えたように目を伏せる。
母はただ静かに俺を見つめていた。
――逃げるな。
その瞳がそう言っていた。
俺はゆっくりと立ち上がった。
椅子が小さく音を立てる。
「……発言をよろしいでしょうか」
円卓の視線が、一斉にこちらに向いた。
父王が静かに頷く。
「よい。話せ、レイアス」
俺は深く息を吸った。
零冠が胸の奥で軋んだが、恐怖はない。
ただ、熱と痛みがある。
(やれる。“立つ”って決めたんだ)
喉の震えを抑え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「血紋院が求める監査は、
王家として、避けて通れないものであることは理解しています」
オルドレウスが興味深そうにこちらを見る。
「ですが――
零冠は、俺の中でようやく“制御の糸口”が掴め始めたところです。
今、無理に血を弄られれば……暴走する可能性だってある」
室内が一段と静まる。
俺は続ける。
「それに、血を測定するだけが“王家の未来”ではない。
零冠という力が何をもたらすのか、
どう活かせるのか――
それを決めるのは俺自身です」
父王がわずかに微笑むのが見えた。
母の目が優しく揺れる。
オルドレウスは目を細めた。
「殿下は、自らが“血の未来”を選ぶと言うのですね?」
「はい。
零冠を呪いと決めつけられるのも、
祝福と持ち上げられるのも困ります。
これは――俺が責任を持って扱う“力”ですから」
胸に熱が宿る。
零冠が反応するが、暴れない。
むしろ、静かに呼吸を合わせてくれるような感覚があった。
(……ありがとう。今だけは素直でいてくれ)
オルドレウスは短い沈黙のあと、低く答えた。
「殿下の覚悟、確かに聞き届けました。
ですが――監査の必要性は変わりません。
暴走の可能性を否定できぬ以上、
我らは“血の安全”のために立ち会う義務がある」
「暴走させる気は、ありません」
「暴走とは、殿下が望まぬ時に起きるものです」
言葉の応酬。
円卓の空気は張りつめていく。
カーミルが珍しく発言した。
「……兄上を、そんな不確かな言葉で追い込むな」
オルドレウスは静かに彼へ視線を向けた。
「殿下。血は厳しいものです。
優しさや感情だけでは守れません」
その言葉に、カーミルは強く噛みしめるように答えた。
「優しさがなければ、兄上はとっくに壊れていた」
円卓がわずかに揺らぐような気配が走る。
(……カーミル。ありがとう)
父王が場をまとめるように声を上げた。
「よい。
議論はこれ以上続けても平行線だ。
監査の具体的な手順と時期については、
王家と血紋院の双方で改めて調整する」
そして、力強く告げた。
「ただし――
第一王子の血は“弄ぶもの”ではない。
王家を脅かす意図があれば、
血紋院であれ我が剣で断つ」
オルドレウスは静かに頭を垂れた。
「王家の御心、確かに承りました」
その姿には敵意はない。
だが、底の見えない観測者としての冷たさが残っている。
◆ ◆ ◆
会議が一段落すると、
円卓の空気がほんのわずかに緩んだ。
俺は椅子に座り直し、胸の奥を押さえる。
(倒れなかった……良かった)
隣でカーミルが小さく呟く。
「兄上……よく言った」
驚いた。
真正面から褒められたことなど、今までなかった。
「お前に言われるとは思わなかったな」
「うるさい。……ただ、その……」
言葉を探しながら、ほんの一瞬だけ彼の視線が俺に重なった。
嫉妬でも憎しみでもなく。
ただの“兄弟としての誇り”のような色。
胸が少しだけ熱くなる。
(……大丈夫だ。まだ壊れてない。
俺たち兄弟は、まだ“並んで立てる”)
父王が立ち上がり、会議は次の議題へ移ろうとしていた。
けれど、俺の胸の奥では零冠が静かに囁くように脈打っている。
――これはまだ始まりにすぎない。
血を巡る戦い。
王家の運命。
そして、俺自身の未来。
その全てが、今まさに動き出したのだと。
(逃げない。
どんな血の場でも、俺は俺で立つ)
そう誓いながら、
俺は次の議題へと視線を向けた。




