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魔王様だって怖いものは怖い ~血液恐怖症の吸血鬼第一王子、無血で世界を救う~  作者: 伝説の孫の手


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第12話 血紋院密議──《零冠》は祝福か、滅びの兆しか

王城の最奥、

王族でさえ滅多に足を踏み入れぬ地下回廊がある。


赤黒い石を積み上げたその廊下は、

壁一面に古い紋章と文字が刻まれていた。


──血により血を記す。

──血により国を縛る。

──血により王を選ぶ。


その、全ての“血の記録”を管理する場所――

それが、血紋院である。


深夜。

城が静まり返った頃、その一室に重々しい扉が閉じられた。


「……全員、揃いましたな」


低く嗄れた声が響く。


部屋は広くはないが、壁一面に羊皮紙と血文字の紋章が貼られ、

中央には黒い石の円卓が置かれている。


その周りに、血紋院の上位神官たちが六人。


全員が深紅の祭服に身を包み、

胸には王家の紋章《紅環》ではなく、

血紋院固有の印《血滴の目》が刻まれた飾りを下げていた。


その中でも、ひときわ年嵩の男がいた。


白髪を長く束ね、深い紅の瞳に皺を刻んだ老人。

血紋院最高導師――オルグラム。


彼はゆっくりと席に着き、

他の神官たちがその両側に並んだのを確認してから、

静かに口を開いた。


「では、始めよう。

 本日の議題は一つ――」


円卓の上に置かれた一枚の羊皮紙に、

彼の指が触れる。


『第一王子レイアス=ヴァーミリオン

 十六歳

 《零冠》覚醒』


そう、赤いインクで書かれていた。


「……第一王子による、《零冠》の現象について、だ」


部屋の空気が、わずかに揺れた。


まだ誰も声を出していないのに、

胸の中を冷たいものが撫でていくような感覚が

全員の中に走った。


沈黙を破ったのは、若い男の神官だった。


「……導師様。

 本当に、“伝承のそれ”と同じなのでしょうか?」


彼は名をラガンと言う。

四十に満たないが、血紋式の知識と研究で頭角を現した中堅神官だ。


オルグラムはゆっくりと頷いた。


「儀礼の記録官からの報告は、すでに三度確認した。

 誇張や誤解の余地は、ほとんどない」


老人の紅い瞳が、円卓の全員をゆっくりとなぞる。


「血酒の滴が、宙に舞い上がり、

 床に落ちる寸前で“消えた”。

 器も、布も、床も汚さず、

 血という“結果”だけが世界から切り取られた――

 そうだな?」


神官の一人が頷いた。


「はい。

 現場にいた神官三名、騎士二十名、王族数名――

 全員が同じ現象を目撃しております」


別の神官が補足する。


「滴が消えた位置には、魔術的な残滓もなく、

 血が移動した痕跡もなし。

 何かに吸収された形跡も感知できませんでした。

 “存在そのものが否定された”としか……」


部屋の空気が、さらに冷えた気がした。


オルグラムは静かに目を閉じる。


「……“血の未来を断つ冠”。

 古い文献に記されておる、そのままよ」


彼は背後の壁を振り返り、

そこに掛けられた一枚の古文書を見やった。


褪せた羊皮紙に、黒く滲んだ文字。


《来たるべき時、

 血の未来を断つ冠が現れん。

 冠無き王、血環を裂く者。

 それは救いにあらず、

 血統の終焉の序章なり》


この文言は、血紋院の者にとってはよく知られた“凶兆の予言”だった。


ラガンが唾を飲み込む。


「……では、やはり、第一王子殿下は――」


「落ち着け、ラガン」


口を挟んだのは、中年の女神官だった。

冷静な目をした彼女は、名前をマルシアという。


「まだ“零冠”とは決まったわけではない。

 似た現象を起こす血術が、古文書にはいくつか――」


「マルシア。

 “血を移す・隠す”術と、

 “血そのものの結果を無かったことにする”術は、

 根本が違う」


と、隣の老神官が遮る。


「血紋式の分類で言えば前者は“転移”、後者は“削除”だ。

 今回の現象は、どう見ても後者。

 そして“削除”に類する血技は、すべて禁忌として封印されていたはず……」


「その禁忌の原型こそが、《零冠》だというのが、院の通説だ」


オルグラムが静かに言う。


「そして、

 それが“王族の血”によって発現した――

 そう受け取られておる」


重い沈黙が落ちる。


やがて、ラガンが躊躇いながらも、

一番誰も口に出したがらない言葉を絞り出した。


「……それは、その……

 “吉兆”と見るべきなのですか、導師様」


円卓に視線が集まる。


オルグラムは、目を閉じたまま答えた。


「“血紋院の立場から言えば”――

 凶兆だ」


その言葉に、誰かが小さく息を呑んだ。


「我ら血紋院は、“血の記録”を守る者。

 過去から未来へと血統を繋げる役目を負う者。

 血を消す権能は、その根本を脅かすものだ」


ラガンが、たまらず問い返す。


「しかし、導師様。

 王家にとっては、この上ない“守りの盾”では?

 戦場で流れる血を消し、

 味方の傷も、敵の血痕も、痕跡ごと――」


「ラガン」


マルシアが低く名前を呼ぶ。


「あなたは、王家の武器としてしか見ていない。

 血紋院にとって、血は“記録”であり“証明”でもある。

 血を消す権能を持つ者は、記録を汚し、

 証明を否定し得る存在だわ」


老神官が静かに頷く。


「罪人の血も、王族の血も、消せるということだ。

 それは、歴史を書き換えることに等しい」


ラガンは唇を噛んだ。


「……ですが、“王家の呪い”の伝承にも、

 零冠は“滅びの前触れ”とだけは限られていないはずです。

 “血に傾き過ぎた王家を、一度零に戻す”という解釈も――」


「書物の解釈を弄っても、現実は変わらんよ」


オルグラムの声には、疲労と諦念が滲んでいた。


「問題は――

 王がその力を“どう使うか”であり、

 我らが“それをどう恐れるか”だ」


ラガンは何か言いかけて、言葉を飲み込む。


そのとき、別の神官がそっと口を開いた。


「……しかし、導師様。

 第一王子殿下には、別の“異常”も報告されています」


オルグラムの目がわずかに開く。


「異常?」


「はい。

 王室付の侍従長と侍女頭からの密かな報告ですが――」


神官は机の上にもう一枚の羊皮紙を置いた。


『第一王子レイアス

 血酒の香りにより、極度の体調不良を呈する件』


「……今さらの話ではないだろう」


マルシアが呟く。


「あの方が血の匂いに弱いことなど、

 城で務める者なら誰でも知っているわ」


「弱い、どころの話ではないのです」


神官は慎重に言葉を選びながら続けた。


「王室食堂で行われた“聖血酒の儀礼”の最中、

 第一王子殿下は、血酒の香りを嗅いだだけで、

 ほとんど崩れ落ちるほどの発作を起こしかけたとのこと」


ラガンが眉をひそめる。


「……吸血鬼として、あり得るのですか?

 血の香りだけで、そこまで……?」


神官は唇を結び、さらに続けた。


「幼少期から、軽度ではありますが似た症状があったそうです。

 血を見たり匂いを嗅いだりすると、顔面蒼白、震え、過呼吸。

 儀礼や戦闘訓練での“流血”の場に立ち会うと、

 意識を落としかけたことも複数回……」


マルシアが目を見開いた。


「それはつまり――」


「血そのものを、“恐怖の対象”としている――

 と、侍女たちは感じているようです」


空気が、ぴんと張り詰めた。


血を恐れる吸血鬼。

それは、種族としての本能に反する事態だ。


ラガンが呟く。


「……血を消す冠を持ちながら、血を恐れる王子……」


オルグラムの瞳に、かすかな光が宿った。


「“零冠の伝承”を、もう一度思い出してみよ。

 予言の第二節だ」


老神官の一人が壁の文書に目を走らせ、

震える声で読み上げる。


《血の冠を戴かぬ王は、

 血に怯え、血に縛られ、

 血を断ち、血に喰われん》


短い一文だが、その意味するところは重い。


マルシアが眉をひそめた。


「“血に怯え”……?

 まさか、それも含めて“零冠”の条件……?」


「さすがに、こじつけが過ぎるのでは?」


ラガンが反論しかけるが、

オルグラムはそれを止めなかった。


むしろ、少し考えるように目を細める。


「……しかし、整合性はある」


老人はそう呟き、

ゆっくりと手を組んだ。


「血を嫌悪し、恐怖し、拒絶する者が、

 その結果として“血を断ち切る”権能を得る――

 そういう、残酷な理屈も成り立つ」


ラガンは唇を噛んだ。


「では、導師様。

 第一王子殿下は、“呪いそのもの”なのですか?」


「誰も“呪い”とは言っておらん」


オルグラムは、はっきりと否定した。


「我ら血紋院は“血の結果”の管理者。

 生まれた血を善悪で裁く立場にはない」


「ですが――」


「だが、“危険”ではある」


その言葉が落ちた瞬間、

全員が静かになった。


オルグラムは続けた。


「血の記録を消し得る者。

 血を通じた契約をなかったことにし得る者。

 血を通じた罪を証明不能にし得る者。

 そして何より――

 “血環の誓約”さえも、断ち切れる可能性がある者」


血環の誓約。


王が王位を正式に受け継ぐために行う、

王族の血を繋ぎ合わせる大儀式。


その最中に、血が断たれるとしたら――

その意味するところは、あまりにも大きい。


「ゆえに、我ら血紋院は、

 第一王子殿下を“監視対象”とせねばならぬ」


ラガンがはっと顔を上げる。


「監視、とは……

 まさか、拘束や、排除を――」


「早まるな、ラガン」


マルシアが吐き捨てるように言った。


「王家の長子を、血紋院ごときが勝手に裁けると思っているの?」


「しかし、このまま放置すれば――」


「放置はせぬ。

 ただ、いま必要なのは“判断”ではなく“観測”だ」


オルグラムの声が、円卓の全員を縫いとめた。


「我らに許されているのは、

 血の流れを見届け、記録し、

 後世に伝えることのみ」


老神官が静かに頷く。


「《零冠》がこの国を滅ぼすのか、

 それとも、血に汚れた歴史を一度洗い流すのか――

 それはまだ、誰にも分からん」


ラガンは悔しそうに唇を噛む。


「……では、具体的にはどう動くのですか?」


「まずは、三つ」


オルグラムが指を三本立てた。


「一つ。

 第一王子殿下の“血”を、正式に採取する」


部屋の空気がぴりりと緊張した。


「聖血の家系としての特性。

 “無色血”の真価。

 零冠との関連。

 これらを解析する必要がある」


マルシアが慎重に尋ねる。


「……王妃殿下および陛下の許可は?」


「当然、陛下のご意向を伺う。

 血紋院単独での強制は行わぬ。

 ただし、“提案”はする」


オルグラムは続ける。


「二つ。

 血環の誓約に関する古文書を再調査する。

 “零冠”に関する記載が、どこかに抜け落ちておるやもしれん」


老神官の一人が頷き、

メモを書き留めた。


「古い聖域の文書庫も含めて、

 全て洗い直しましょう」


「三つ」


オルグラムの声が、わずかに低くなる。


「血紋院内部に、

 “過激な動きをする者”が出ぬよう、

 全員の言動を制限し、

 監視する」


ラガンが目を見開いた。


「……過激、とは――」


「零冠を“呪い”と断じ、

 第一王子殿下の“排除”を主張する者が、

 必ず出てくる」


マルシアが苦い顔をする。


「……ええ。

 血統主義を盾に、王家に口を挟みたい者たちね」


オルグラムは、

長い呼吸をひとつ吐いた。


「いいか、お前たち。

 血紋院は、王家の敵ではない。

 かといって、ただの従属機関でもない」


彼は、壁の古文書を一通り見渡した。


「我らは、“血の歴史の証人”だ。

 零冠がいかなる王を作り、

 いかなる滅びを呼ぼうとも――

 その全てを刻まねばならぬ」


ラガンは、なおも割り切れない表情で尋ねる。


「……導師様。

 あなた個人としては、

 第一王子殿下をどうご覧になりますか?」


静かな問い。


オルグラムは、ほんの少しだけ目を伏せた。


老人の瞳に浮かんだ感情は、

恐怖でもなく、嫌悪でもなく――

どこか、遠い哀しみに似ていた。


「……あの子は、哀れだ」


誰も言葉を返せなかった。


「血を恐れ、

 しかし血の中枢に生まれ、

 血を断ち切る力を与えられた。

 選ぶ余地もなく、

 その全てを背負わされておる」


血紋院の者でありながら、

その言葉には、

一人の老人としての情が滲んでいた。


「だが哀れみは、我らの仕事ではない」


オルグラムは、すぐに表情を引き締める。


「記録せよ。

 観測せよ。

 判断は、まだ早い」


ラガンは静かに頭を下げる。


マルシアもまた、

深く息を吐いてうなずいた。


「……導師様。

 血紋院としての統一見解は?」


オルグラムは、

羊皮紙の上に視線を落とす。


『第一王子レイアス=ヴァーミリオン

 十六歳

 《零冠》覚醒』


その文字をじっと見つめたのち、

静かな声で言った。


「――“注視すべき異常”。

 それが、現時点での限界だ」


決して、祝福とは言えない。


かといって、

呪いと断じることもできない。


だからこそ、

血紋院はこの夜、“中立の立場”を選んだ。


だが、それは同時に――

第一王子レイアスが、

 王国全体の“注視の的”になったことを意味していた。


王家。

血紋院。

軍。

他国。

そして、まだ表に出ていない

“別の勢力”たち。


その多くが、

「零冠の王子」に視線を向け始めた、その夜。


レイアス本人だけが、

まだそのことを知らないまま。


深紅の月は、

そんな王城を静かに見下ろしていた。


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