道を迷おうとも己が選んだ道ならば、それを是非とするのも己次第
「(痛い…筋肉痛というやつか。だが筋肉痛とは即訪れるものだったか?せっかちな筋肉だ…うん、困るな)」
歩く度にじわじわと痛む全身を庇いながら、ナルスダリアがジングルに戻ってくるとミリドとその母ベリエが話している姿が見えた
だが少し様子がおかしい
ナルスダリアは可能な限りの足早で2人に近づいていくとベリエが、そしてミリドもナルスダリアを振り返る
「君、来てたのか。」
どこかバツが悪そうにミリドは首元を抑える
「はい!それより何かあったんですか?ベリエさんお顔が険しいようですけど…」
「いや、別に…なんてことないんだよ」
「なんてことないわけないでしょう…!」
声が震えている、椅子に座ったままのベリエの傍に身を屈め落ち着かせようとその手を包み込むナルスダリア
「…この子…悪魔が出るっていうのに見張りは辞めないって、今晩も仕事だって言うのよ」
「え?本当にですか?」
「ああ、給金をあげてくれるって話があったからね。」
恐らく悪魔が出現し、実際に被害者まで出たものだから給金を値上げしないと人員を確保できないと判断したのだろう
リターンに見合うリスクは言わずもがなのはずだが
「お金よりも…あなたに何かあったらと思うと…」
一人息子が心配なのは当然な振る舞いだろう
だがナルスダリアが気がかりなのは
そんなことはミリドも承知しており、そもそも心配しているのを宥めるよりは安心させるためにその見張りの仕事を辞退するというほうがミリドのイメージに沿う
「そうですよ、確かにお金も大事ですがそこまでのリスクを払ってまで…何か理由でもあるんですか?」
「…早いほうがいい。…いや、落ち着いてしまえばまた給金も元に戻ってしまう。1度出たからといって悪魔がまた現れる可能性は低いと踏んだだけさ。
悪いけどもう、決めたんだ。」
「ミリドさん…」
歯切れが悪い
なにかの意図を探られまいとしているような振る舞いに見える
だが、恐らくここでこうして突き詰めることで口を割るようなものでもあるまいとナルスダリアは察している
「(ここは引くか…)」
ナルスダリアはベリエの手を一瞬強く握ると
目を真っ直ぐみつめた
「大丈夫…安心なさってください。信じれば、信じたものは応えてくれると私は思います、きっとミリドさんも」
「ナルスさん…ありがとう…私もそうあって欲しいと願うわ…」
スっと立ちあがるとナルスダリアはミリドにも「どうか十分にお気をつけて」と声をかけ
今日は撤退することとした
まだ明るい内ではあるが、如何せん疲労が挙動に精細を欠かせ始めている
身分を隠せども優雅には立ち振る舞いたいナルスダリアはせめて、足取り軽やかに見せかけられる内にと
ジングルを出て王城の自室へとマカブルの力を使い、帰っていった
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「ふぅ…」
自室に戻るや否や、そのままベッドに倒れ込む
「さてさて…と」
なんとかブーツを脱ぐと、布で土汚れを拭き取る
ニベルに目ざとく見咎められることがないように気を使っているのだ
上着も一応チェックし、問題なさそうだと分かると椅子の背もたれに掛け
自身もその椅子に身体を預ける
「(ミリド…やはり、考えを改めることなく見張りの仕事に就くのだろうな。)」
確かにミリドのいうように、悪魔が出現したからと言って二度三度とそれが続く訳ではないだろう
しかし、それが杞憂で終わらない可能性も十二分にある
何より気にかかるのはミリドの態度だった
「(なぜ彼は母親からの心配を受けて尚頑なに見張りの仕事を受けようとする?悪魔の騒ぎが落ち着くまで様子を見ることもできるはず…だとすればポイントは悪魔騒ぎを受けて上がる給金、そしてそれが長く続かないこと。
だがそこまで急ぎで稼がなければいけないのか?家の修復もあるだろうが…リスクを背負ってまで急を要するものだろうか)」
どうも答えに行き着き切れない
納得しようとすれば出来るものではあるが、それを違和感として抱え続けるのも違う
ナルスダリアは今晩、直にルーサーへ赴きミリドを説得する気でいた
母が居るからこそ出せない本音があるのかもしれないと思ったからだ
〈コンコンッ〉
ふと鳴り響くノックにハッとする
「構わない、入ってくれ」
おそらくヴァレリ兄弟だろうと踏んでいたナルスダリアは室内にスルリと入り込んだ人物を見て背筋が少し伸びた
「ニベル?どうした…?」
入ってきたのはニベル・ユードリヒ
ナルスダリアの世話役だった
「失礼しますよ、ナルス。」
「あ、ああ。」
思わずなにか外出の痕跡がないか、手抜かりがないか思索する
そして二ベルの動向にさりげなく注意を払う
ニベルの視線が室内を滑るように動く
だが今回は特に引っ掛かることはなかったようだ
「で、どうしたんだ?この時間に来るなんて珍しいじゃないか?」
「いえ、ただ少し昔話をしたくなっただけです。よろしいですか?」
「…?かまわないが…」
ナルスダリアの返事を聞くと、二ベルは両目を閉じてゆっくり口を開いた
「…なにか悩んでおいですね?ナルス」
単刀直入に切り出された問に軽く目を見開く
聡い、というだけでない
幼少期からのナルスダリアを知るものとして、そうであると感じたのだろう
「私には…なにができるだろう?と思うことがある。世間を、世界を知らない…いつ拓かれるか分からぬ私の目の前の光景は…どうあってもまだ想像の域を出られない」
軽く流せばいい
誤魔化せばいい場面ではある
それでも二ベルに改めて問われると、本音を押し隠すことができなかった
幼少期からだ
体裁と立場を気にする父は、自分を煙たがっているようにさえ思えたし母を早くに失くしたナルスダリアにとって、二ベルだけが真っ直ぐに自分の言葉を受けとめてくれる存在だった
「…あなたは良く似ています。」
「…?」
先日、誰かにもそう言われた気がしたその言葉
「あなたの母君、シャルミア・エルリオンに。」
「母上に…」
「ええ、彼女は…言葉を選ばずに言わせて頂きますと、王よりも王でございました。」
その言葉の意味は当時から王であったエリオン・エルリオンよりも、ということを示す
「人を惹き寄せる求心力、民の上ではなく隣に寄り添い包もうとする包容力。そして王族ではなく民のそれぞれがそれぞれの主であれと、願い続けたその心…シャルミア様はよくこう仰っておられました」
す、とナルスダリアと目を合わせると二ベルは一言一言に輪郭を持たせるようにはっきりと言った
「民は皆が皆、それぞれが主役の劇を演じている。その台本に予期せぬ痛みも思いがけぬ悲しみもあれど、喜劇であればと喜劇でありますようにとその方向へと自ら台本を書き足し進んでいく
その愛すべき役者達が、そうして過ごせるように私達はあるのだ、と」
「…喜劇…」
ナルスダリアはふと思い浮かべた
国民達が笑っている日常、それを願うのが王だ
その為にあるのが王だ
「(私はその王であろうとしている…なのにどうだ…?)」
ミリド親子は、笑っていなかった
母を思い危険だと知りながらも見張りの仕事を続けるミリドも
それを案じてやまない母ベリエの顔も笑っていなかった
「…そうか…!」
ナルスダリアはハッと顔を上げた
「シャルミア様のお話は昔話にはなるかもしれません、ですがあなた自身の演劇はまだ続いている。
あなたは…この国の民たちの演劇の、王の役者であり、皆の演劇を守る座長なのですから。」
二ベルの目はどこか懐かしい姿を、ナルスダリアへ重ねているようなそんな優しい目を向けていた
その目を真っ直ぐ見つめ、ナルスダリアは言った
「ありがとう二ベル…私は簡単なことを見落としていたようだ。そして…なにをすべきかがはっきりと見えてきた!」
「ナルス…」
ふ、と微かに口角をあげると二ベルは静かに会釈し扉へと向かった
そして扉に手をかけると
「…あなたですよ、ナルス。」
微笑みながらそう告げると、それに対しての反応も待たずに部屋を後にした
「よし…!」
ナルスダリアは力強く声を発すると
ベッドに倒れ込み、あっという間に眠りに落ちた
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8時間後
バリオール奏国
村として新興されようとされているルーサーという地域
木造の塀で囲まれた半径50m程度を予定地とされ、その塀の中で既に家屋や小屋などの建造物が建てられ始めている
それは夜間でも人員を入れ替えながら続いている
その中にいくつもの焚き火が揺れ、塀の外では数十メートル間隔で雇われた見張り番が並んでいる
その誰もが緊迫した面持ちで絶えず視線を暗がりの中に走らせ、時として聞こえる些細な物音に過敏に反応している様子が見られる
皆が皆知っているからだ
先日悪魔が出没し、自分たちと同じように見張りをしていたものが重傷を負った
しかしそれでもルーサーの新興に時間を掛けられないと判断したのか、見張りを増員し夜間でも構わず作業を続けている
勿論、危険度が上がった分の報酬は約束されておりそれを了承したものが見張りとして従事している
ミリドの姿もそこにあった
やはり緊迫した面持ちで周囲の警戒をし続けている
が
焚き火の明かりが届かぬ範囲は余りにも広く、闇の中からいつなにが飛び出してくるかの恐怖が精神さえ摩耗させている
そして、そのミリド達の声明戦とも言える焚き火の灯りを遠くから目にしたものがいた
身の丈3mを越す巨大な人型の悪魔だ
骨の面のような頭部、異常に太い両腕両脚
どう見ても人が相対してどうこうできるものではない
それが灯りに引き寄せられるように一歩一歩
ルーサーへと、ミリド達のいる方向へと進んでいく
誰の知る由もないが、先日同じようにルーサーを襲ったのもこの悪魔である
先日の強行で味を占めたのかもしれないそれが
再びここに現れた
またも、人を傷つけ、踏みにじろうと進んでいく
が
「そこまでだ」
突如響いた声にその悪魔が周囲を振り返り謎の声の主を探す
しかし、暗闇の中で上手く出処を掴めないのか何度も身体を回している
声の主は
傍らの大木の上、太い枝に腰掛けているナルスダリアだった
「ここだ、とまぁ…ご丁寧に教えてやる必要もないか」
〈タッ〉
軽やかに大木の枝から飛び降りると、そこでようやく悪魔もナルスダリアに気づく
【ヴヴゥ…】
唸るような声をあげ、華奢なナルスダリアへとその巨体を近づかせていく
「私は簡単なことを見落としていた。
確かにミリドを説得することしか方法がないように思え、そればかりに意識を向けていた。
しかし、彼が…その自らが描いた喜劇へと進む脚本を私の手で歪めるのは座長らしからぬ。
ならば…私の役目とは」
懐から革の手袋を取り出すとそれらを手に纏わせ
人差し指を悪魔へと突き立てる
「招かれざる演者を排除することだ。お前が居るから彼らの脚本が歪む、脚本にない悲しみが生まれる、血が流れる。
ふざけてくれるなよ。」
〈ピシッ〉
空気が張り詰める
ナルスダリアの静かな怒りが見えない炎のように周囲を燃やしているように
「愛する演者たちが彼らの望む脚本を演じられるように、私は見えないところから彼らを護る。それが座長の…王としてあるべき姿だ。」
〈ゾゾゾゾゾ…〉
ナルスダリアの影が大きく広がり、その中に赤い瞳が三つ怪しく灯った
〈パンッ〉
ナルスダリアがそれを開演の合図だと、拍手をするように手を合わせそして広げた
「さぁ!カーテンコールだ!」
〈バシャァンッ!!〉
ナルスダリアの陰が巨大な黒い幕のような飛沫をあげ、中から巨大な鰐のような悪魔が現れる
顔と前脚だけしか現れていないにも関わらずそれは、目の前の悪魔よりも遥かな巨躯を誇る
三つ目の巨大な鰐の悪魔〈マカブル〉
その怪しく光る警戒色の瞳はナルスダリアの決意を示す様
思いがけぬ巨大な悪魔の登場に怯んだ様子を見せたが、ルーサーの悪魔は狙いを人間のナルスダリアに定め飛び込んでくる
「初陣だ、私の…王としての決意のな!」
〈バッ〉
ナルスダリアが手を差し出すと足元の影がカタチを造りながら伸び上がる
それを掴み、振るうとナルスダリアの背丈と同じほどの長さの棒が握られていた
正確には、しなりがあり先端に重量を持っている鞭のようなもの
「鞭か…ちょうどいい、躾といくか」
【グゥオゥッ!!】
マカブルと比べたら小さくとも、それでも人間にとってあまりに巨大な悪魔の腕が迫る
掴もうとしているのか叩き伏せようとしているのか
どちらにせよ人の対処出来る圧力ではない
〈ドッ!!!〉
悪魔の腕の軌道が変わった、いや変えられた
悪魔の想定した腕の着地点はナルスダリア
しかし、その着地点だったナルスダリアにその腕を鞭で叩き落とされたのだ
〈ドシャァ…!!〉
【グァ…!?】
悪魔がバランスを崩され地を滑る
だが困惑の色が見えるようにそれがそもそもおかしい
ナルスダリアの華奢な腕が悪魔の豪腕を払うという事こそが
「意外か?私の細腕にいなされた事が…だが思えばつまらない顔だな。私が見たいのはそんなものじゃない」
【グォゥゥ!】
再度振るわれたその剛腕
次は振るわれた鞭で跳ね上がるように弾き飛ばされる
「すまない、言葉足らずだったな。そもそもお前の姿など見たくない、私が見たいのは…皆の笑顔だ。
そのためならばいかな労力も割き、敵を演者らが知らずとも排除しよう。
…喰っていいぞ、マカブル。」
〈ブワァッッ!!〉
ナルスダリアの合図で悪魔の背後から飛び出した大鰐の悪魔マカブル
その巨躯は悪魔の逃走などを計らせる余地もなく覆い、そして呑み込んだ。
〈チャプン…〉
黒い水溜まりが静かな夜に響く
ナルスダリアはその静けさの中、手袋を外し懐に戻すと
人知れずとも、人々の笑顔を守れたのではないかという気持ち
それが胸を熱くする感覚を覚えた