4話 罪悪感
アーサーの手を借りながら馬車を降りた。
目の前には大きな屋敷があり、思わず目を見開いてしまった。ここは、作中でもよく登場していたレストランで、アーサーを含めた他のキャラクターもよくここで食事をしていた。商談でもよく使っていた記憶がある。そんな場所に、自分も来ることができるなんて……!
前世でもコラボカフェには足を運んでいたが、キャラクターたちをイメージしたフードやドリンクだけで、彼らが食べていた料理を食べていたわけではない。まさか、彼らが食べているものと同じものを食べられるとは思わなかった。
「入ろうか」
「はい」
アーサーの半歩後ろを歩き、ついていく。
ドアを開ける前にレストランの店員がドアを開け「フォーゲル様、お待ちしておりました」と声をかけてきた。
原作でもあったシーンだ、と感動していると「ほら、いくよ」と声をかけられ、慌てて気を戻して彼についていく。
席に案内されるまでも、キョロキョロと店内を見てしまう。作品を読んでいる時も思ったが、背景のコスパが悪いな、なんて思ってしまった。豪華なシャンデリアに、綺麗な模様が描かれた絨毯や壁紙、他にも細かいところまでこだわりがあって素敵ではあるが、作者はともかく、アニメーターさんは泣き叫んでいたに違いない。
アーサーのエスコートにより、椅子を引かれる。
あんまり慣れていないせいでぎこちなくなってしまったが、アーサーはそんなことも気にせずに自分の席に座った。
「何か嫌いなものはある?」
「えっと、苦いものや癖があるもの以外ならなんでも」
「わかった」
アーサーは近くにいた店員に声をかけ、あれこれと注文をし始めた。
正直、料理名を聞いたところでこんな高級そうなレストランで提供される料理なんてわかるわけがない。原作では食事のシーンはそこまで重要視されていなかったし、考えてみれば公式設定での彼の好物しか知らない。
一通り注文し終えたあとすぐに店員がやってきて、用意されたグラスにシャンパンが注がれる。
あまりシャンパンは得意ではないが、一口だけでも飲めば大丈夫だろうか。そう思いながら、アーサーの乾杯の合図に合わせて自分もグラスを差し出し、小さく音を鳴らす。
一口含み、飲み込もうとしたが優しい口当たりにびっくりした。鼻から抜けるのはすっきりとした果実の香りで、刺々しい味がしない。複雑な味のするシャンパンが苦手だったのが嘘のようだった。今までに飲んできたどのシャンパンよりも美味しい。
それが伝わってしまったのか、アーサーは小さく笑った。
「気に入った?」
「とても……今までに飲んできたどのお酒よりも美味しいです」
「よかった。君はお酒が好きそうだし、喜んでもらえてよかったよ」
私、お酒が好きだなんて話したっけ。
記憶の中にいるレイラは、お酒を飲んだ経験がなかったはずだ。知らずに誤って飲んだ時はあったが、それは数回だけで、自ら好んで飲むほどお酒が好きではないはず。
前世の私は、人並みにお酒が好きだった。晩酌はよくしていたし、飲み会や友人との女子会でも人に迷惑をかけない程度には飲んだりはしていた。
もしかして、見た目で判断されたりでもしているのだろうか。なんだかそれもそれで複雑だ……と思いながらもグラスに残っているシャンパンを飲み干した。
少しすれば料理が運ばれ、聞き慣れない料理名やオシャレな盛り付けに戸惑いながらも記憶を頼りに食べ始める。レイラがこういったマナーを覚えていてくれて助かった……。
自分の経験不足が原因だろうが、美味しいというのはわかるのに細かい違いがわからない。繊細な味、ということくらいしかわからない。
そっとアーサーのことを見ると、そこには礼儀正しく、美しい顔と姿勢で料理を食べ進める姿があった。思わず叫びそうになったのをグッと堪えるが、それでもこの美しさは何にも代え難い。
(さすがすぎる、この顔で一体何人の女性を落としてきたんだ……!)
女性を口説くような描写は何回かあった。それを見るたびに、口説かれている女性になりたいと何度も思ったが、彼が女性を口説く時は決まって情報を入手するためであったり、自分のためにしかならない時だ。恋をして、相手を口説くということはしたシーンはなかったため、推している時もそこに不安はなかった。
なので、自分がその対象になっているというのは不思議を通り越して、もはや不気味である。
他愛のない話をしながら、食べ進める。
生活に不便がないか、不安や心配事がないか……。
生活にはなんの不満もない。むしろ、不安と心配事しかないのだが、それを相談するわけにはいかない。
「特には……十分すぎるくらいです」
「そうか? 何かあったらすぐに言ってほしい」
「わかりました。ありがとうございます」
最後のデザートまで頂き、レストランを出る。
その時もアーサーはエスコート時に触ろうとせず、歩きやすいように手を添えるだけだった。きっと、レイラの記憶を思い出すに、彼女が男性を怖がらないようにを思ってのことだろう。
そんな配慮ができるなんて、本当に素敵。だとは思うが、彼を騙し続けるのも申し訳ない。早いうちに話をしなければいけないと考えるのに、なぜそれが、できないのだろう。
彼の優しさは私に向けられたものじゃない。それでも、この優しさにもう少しだけ甘えたいとも思ってしまう。いくら自分の推しとはいえ、迷惑をかけたいわけではないのに……。
馬車に乗り、そんなことを考えているうちに表情が暗くなっていたのか、アーサーが覗き込むように様子を伺ってきた。
「大丈夫か? もしかして、酔ったりでも?」
「い、いえ。大丈夫です」
「そう、それならいいんだ」
穏やかに笑ったアーサーに釣られて、自分からも軽く微笑み返した。
罪悪感に押し潰されそうだった。
数日後。
この体にも、だいぶ馴染んできたような気がする。適応してきた、と言った方が正しいのか……。
それにしても、この時代の貴族の生活には慣れる気がしない。
着替えやお風呂は必ず侍女が付き添うし、食事も基本的にはコース料理のようなもので、美味しいけどもっと気軽に食べられるものが恋しくなってしまう。それに、この豪華な部屋にも慣れない。
アーサーがレイラのために用意した部屋だが、どれも質の良いものばかりで豪華だ。余計なものはなくとも、一つ一つが高そうで気軽に使うこともできない。
二人で食事に行って以来、アーサーは朝食と夕食を一緒に食べようと言ってきた。彼は仕事をしているから昼食はあまり一緒に食べられないと言っていたが、私からすれば朝食も夕食も一緒に食べるというのは彼に相当な無理をさせているように思える。原作でも、彼は仕事人間だった。でも、仕事の忙しさを理由に手を抜くことはしないし、何事も最後までやり抜ける人だ。夜中まで起きている描写だって何度かあったし、寝る暇も惜しいくらいに多忙な彼が食事を毎回共にしようと言ってくるのは申し訳ないというか、その間くらい休んでほしい。
ただ、彼が無理をしてでもレイラと食事をしたいという意味もあるのでないか、と考えてしまった。
レイラと時間を過ごしたいから無茶をしている可能性は十分にある。だって、あんなにも尽くそうとしているのだから。
そこまで考えて、胸がギュッと締め付けられた。
自惚れてはダメだとわかっているのに。自分に向けられた愛情なんかじゃないのに。
深く深呼吸をして、嫌な思考を追い払う。
もう少し、もう少ししたら彼に話さなければ。
襲ってくる罪悪感がなくなるわけではない。彼に本当のことを伝えたら、彼はどう思うのだろうか。
レイラでも何者でもない、異世界人のことを蔑み、捨てるだろうか。
彼の原作での性格を思い出すと、地下牢に閉じ込められてしまうかもしれないと思った。彼は手段を選ばない人間だ。そんな人間が、私のことを愛しい婚約者の体を奪った最低最悪な人間だと思い、存在自体なかったように扱うかもしれない。
全身に寒気が襲った。
「……どうして、こんなことになったんだろう」
そんな独り言は誰にも拾われることもなく、部屋に小さく響いただけだった。