虚無に蜘蛛の糸
極度の痛みは、一定の閾値を超えると、痛みすら感じないほど麻痺になってしまうという。
それは本当だったらしい。
トラックに轢かれたとき、一番感じたのはショックでしたが、そのあとは何もかもが真っ暗になった。
その真っ暗の中で、意識が朦朧としているとき、真っ先に頭に浮かんだのは、妹の穂乃花だった。
俺が死んで、妹は天涯孤独になってしまう。
幸い、両親の死亡のあと、きちんと保険の契約をしておいた。それでいい暮らしができるし、生涯教育もできるだろう。
穂乃花は強い子だ。きっと大丈夫。
ここは虚無。どこまでも暗く、どこまでも静かで、何もかもが空虚だ。
自分の意識がゆっくりと侵食されていくのを感じる。
やがて、自分の《自》ですら薄れていくだろう。
不思議なことに、俺は満足している。
できるだけの働きは尽くした。後悔のない人生だった。
もう、休んでもいいかもしれない…
もう……
…………
『確認してよかったです』
声?
薄れゆく《自》にゆるりと【光】が差し込み、俺を現世に連れ戻す。
その【光】の源は、理を穂乃花に超えた存在であり、俺の脳は【それ】を表現するのに最適な言葉を探し求め、かき回した。
美しい。神々しい。神。女神。
そう、女神だ。
目の前にいるのは女神なんだ。
そして、その女神は俺を呼んでいる。
『君は今世界の隙間にいます。本来、ここは人間の魂が訪れることのできる場所ではないのですが、アカシックレコードが侵害されたためにシステムに漏れが生じ、その亀裂から君が滑り落ちたのです。まぁ、いってもわからないだけですね。世するに、我々のミスで君はここにいるのですよ』
「じゃあ……俺は死ぬはずじゃなかったんですか?」
『残念ながら、それは違います。君の死は変えられない運命であり、決められたことである。しかし、君の魂はここに通いことははずが無かった。地球に戻すも、あいにく君の死亡からは何百万年もたったから、それも出来なくなっていました』
「えっ………⁉何百万年って、どういうこと」
女神様の言葉は信じられないほどスケールが大きい。
そんなに時間が経っていたのか。ほんの数分しか経っていないような気がするのだが………
『時間の遅れという現象を知っていますか?重力が強ければ強いほど、時間は早く進むというものです。ここ隙間では、重力の力は限りなく無限に近いので、ここでの一秒の経過は地球での数千年に相当します』
「そんな………」
それじゃ、妹の穂乃花はもうとっくにお祖母ちゃんになったんじゃないか。
あの強気で気性の激しい、ボーイッシュな穂乃花が、お祖母ちゃんに………
……なんか、超見たい。
可笑しいような、寂しいようなセンチメンタルな気分になった俺は、もう一度女神様に尋ねる。
「それじゃ、俺はどうなる?」
そう聞かれると、女神様は深く、深く考えるように顎に手をあてた。
『そうですね。ずっとこのまま隙間にいてはいけませんし、私の統治する世界にくるのはどうですか?これはあくまでも我々のミスですし、ほかのみんなにバレたりしたら不味いことになっちゃいます』
ほかのみんなということは、他に神々がいるのかな。
「やらかしを隠したいだけじゃ……」
『………………否定はしません』
「………」
この女神、ダメかもしれない。
『とにかく!どんな世界が欲しいのですか?地球そっくりのレプリカとか、恐竜のいるジュラ紀とか、SF的な宇宙世紀とか、魔法やエルフなどが溢れるファンタジーとか?』
女神様から世界観のリストを提示されたとき、妹とよく一緒に読んだ物語を思い出したんです。
「異世界ファンタジー」
『?』
「てきぱきとレベルアップして天下無敵になれる世界へ行きたい」
父の書斎にあったライトノベルが妹と二人で好きだったのを覚えていて、それ以来、ライトノベルが俺たちの心の拠り所になっていた。
そんな異世界ファンタジーの主人公になったらどんな感じだろうと、いつも夢見ていた。
しかし、女神様に俺の望み伝えると、女神様は初めて渋い顔をされました。
『ええっ………レベルアップができるということはゲーム的な世界でしょう?そういう世界はメンドイんですけど。いちからアッセト作らなきゃならないし、システムインストールとか、デバッグとか、そのほか諸々………』
「なんというか、意外とわかりやすいですね、世界を作るって」
ゲーム開発みたいと突っ込むと、女神様はそうじゃないって否定する。
『それは君の脳が頑張って私の言葉を理解しようと最善を尽くしているからです。…うん、そうですね。ゲーム的じゃないファンタジー世界ならどうですか?レベルアップとかスキル習得はできませんが、鑑定ができる君だけのステイタスウィンドーなら簡単に作ってさしあげます。あとはエンシェントドラゴン級の魔力量と質も与えましょう。しかし、余りある力は未熟な体に負担を掛かるから、成人するまで魔力は封じられます。体がまだできてない状態で無理に魔力を使いすぎようとすると、体が爆発してしまうので、注意してくださいね』
「ば、爆発っ⁉」
『無理をしなければ大丈夫です』
「お、おぉ………」
妙に説得力のない言葉に、俺は頷いてしかできなかった。
そんな俺を見ると、女神様はよしといって手を振る。振った先に、金色に輝くトリイみたいな門が現れた。
『これはアポリナリスへの扉です。ここを通せば、もう一度人生を送るチャンスを与えられます。けれど、二度と地球に戻ることはできないでしょう。覚悟は良いですか?』
その質問に、俺は強くうなずく。
「はい。まだ、穂乃花に自慢できる兄になりたい」
『よろしい。それでわ、行ってください。良い旅を』
「はい。行ってきます」
その言葉を最後に、俺は黄金の門に踏み出し、《自》に【光】満たされる。
目の前のすべてを埋め尽くす圧倒的な光は、黄金色から徐々に赤に変わり、薄暗くなっていく。
手足を動かそうとすると、体がだるい、重いと感じる。
慌てて叫ぶと、口から出てきたのは
「わあー!わあー!」
赤ん坊の泣き声だった。
その時、俺は思い出した。
新生児は最初の数週間は目がよく見えないという。
ということは、俺の視界すべてが赤いなのは、俺が生まれたばかりだったということだ。生まれたばかりの赤ん坊の体に転生していたのだ。
***
日本という、はるか遠い国でのこと。
大学生多田穂乃花(19歳)は、兄多田竜馬の命日に墓参りをした帰り道、無意識に本屋に足を踏み入れた。
何気なく、新作品のライトノベルに目を通した穂乃花は、あることに視線が引かれた。
『竜魔の王子』というラノベだった。
表紙の主人公のイラストを見て、なぜか兄のことを思い出し、そのラのべを買って家に帰った。
それから間もなく、穂乃花の日常は非日常に変わった。しかし、この話はまた別の機会に。
この小説を書くことは自分に対する挑戦であり、成長の証でもあります。ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします!