おばあちゃんの石けん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、そろそろクールビズの時期だね、つぶらやくん。
僕も暑がりだから、この時期に半袖仕様はありがたい限りだ。ぼちぼち、スーツたちも順番にクリーニングに出していこうかな?
クリーニングの源流を探してみると、洗濯へ行きつく。紀元前の時代から、すでに洗濯屋が存在していたし、植物などをせっけん、洗剤の代わりとして使用していた記録も、いくつかある。
昔はえらく時間がかかるものだったけれど、道具の発達とともにどんどん手間を簡略、効果も上昇。衆目にさらされ、ステータスのひとつと見なされる服のきれいさを、いかに人が重視してきたかをうかがえるな。
しかし、洗濯は本当に、人のためにあるものなのだろうか?
僕の昔の話なんだが、聞いてみないかい?
学生時代の僕は、小学校から高校まで運動系の習い事と部活動を続けていた。
一年の3分の2は練習なり、遠征なりで外へ出て、多くの土と人にもまれたのちに、帰ってくる。
そうして泥だらけになるユニフォームたちは、即時洗濯へ回される。
こいつらはもっぱら手洗いだ。いきなり洗濯機に入れると、広域型汚染兵器になるからやめろとの仰せ。手が空いているときは母親が洗ってくれるも、手が離せない時は自分で洗うようにいわれた。
この時も、昔ながらのタライを使えと言われて、これまた祖母手作りの石けんを渡され、水道に直接、洗った水を流すなとも指示される。
いわれた当初は幼かったこともあり、素直にごしごし洗っていた。
手製石けんは、水にくぐらせるとすぐさま周りを白く濁し、浸したユニフォームからみるみる汚れを奪い去っていく。そうしてほどよい色合いに落ち着いていくと、パレットで絵の具を混ぜ合わせるのに似た面白さを感じるのだけど、その楽しみも途中まで。
この濁った水、長い時間空気にさらしていると、どういうわけか固まる気配を見せてくる。
最初はすんなり手を通してくれたものが、やがてところどころで腕の行き来を阻み、まるで箱入りアイスクリームをえぐるような山肌を、タライの海の上へ浮かべていくほどになる。臭いは石けんのものだから、見た目で湧いた食欲も、みるみる削られていく。
さらに妙なことに、これらは生地にはあまりくっつかず、肌につくものも簡単にこぼれ落ちる。そうして半ば粘土とその山のような状態になるころには、服の汚れはすっかり落ちているものだから、便利なことに違いない。
その水も流しへ流したりせず、畑の片隅にタライごと置いておくよう、指示されている。土へ流すのは毒だ、というような説明を聞いて、僕はますます不審なものを感じる。
植物由来で作られるという石けん。そいつを土へ注ぐとしても、枯れた木の葉が落ちるようなものだろう。むしろ栄養にならないのは、不自然ではないか?
――これ、本来は洗剤みたいなヤバいヤツ使ってんじゃないのか?
そう考えると、ユニフォームに袖を通すのすら怖くなってくる。
触れたところから肌荒れや、もっと怖いものを呼び込むんじゃないかと、一人でそう考えていた。
そのような恐ろしいことに関わっていると知れたら、何をされるか分からない。
僕は身内に悪の手先を抱えた、悩める主人公気取りで、やぶ蛇を避けるように平然と暮らしを続ける。できる限り、ユニフォームを汚さず、例の石けんのお世話にならないよう、務めてはいたけれど。
それからしばらくして、さらに僕の不審を募らせる事態が起こる。
当時の我が家は犬を飼っていて、エサやりは家族でローテーションしながら行っていた。
エサそのものの用意は、母や祖母が率先して行うので、僕は単なる運搬係に終始する。けれど、その日のドッグフードからは少し妙な臭いがした。
いつもドッグフードは牛乳とセットで皿に盛られる。日ごろから飲んでいるから、牛乳の臭いは僕にも分かる。
しかし、今回は白い液体でこそあるが、そこはかとない植物じみた臭いが、かすかに香ってくるんだ。あの、石けんと同じような臭いがね。
――まさか、あの石けん水を食べさせているのか?
しかし、僕は相変わらずの無知主人公気取り。
そうっと飼い犬の近くへお皿を設置。いつもはすぐに立ち去るが、その日は食事の一部始終を見届ける。泡吹いて倒れるような事態があれば、すぐさま助けて、親たちを非難してやろうと思ってね。
されど、期待した通りのことは起こらない。
もう10年以上生きている柴犬は、皿の中身を残らず平らげ、「満足、満足」といわんばかりに、悠々と犬小屋へ引き上げ。こちらを向いて寝そべり、文字通りに目を細めながら、こちらを見つめてくる。
本当になんともないのか? そう思いながら皿を回収する僕だったが、異状はそれだけにとどまらない。
近所の家々でも、同じような食事をしている犬たちを見かけたんだ。たまたま食事するタイミングに差し掛かると、皿にあの石けん臭のする食事を用意している家が、ちらほら見受けられたんだ。
あの石けんが自分の家だけのものじゃない可能性がある。自家製のおすそ分け、という線があった。しかし、どうして食事にさえも汚染が進んでいるんだ?
ついに僕は自ら禁を破り、祖母へ石けん関連の質問をしたんだよ。すると返ってきたのは「あれは予防接種みたいなものだよ」という言葉。
「あんた、特に外へ行くとき、多くの人とふれあうだろう。その時に、たくさんの菌を噴くにくっつけてくるはずさ。
獣の汚さから、人が家にあげるのをためらうように、人の汚さもまた獣へ影響を与える。それこそ命を奪いかねないほどにね。
だから、あんたの持ってきた雑多な菌が薄まり、毒を弱めた、あの石けん水をおばあちゃんは彼らに分けているのさ。
人間の菌に囲まれた環境。そこで彼らが平然と生きていられるようにね」
祖母はそれから数年して病院に入り、例の石けんは使われなくなった。母は祖母の真似をしてみるも、何かが違ったらしい。
そして祖母のいうことを裏付けるように、祖母が入院して半年が経つころには、うちの柴犬も含めた、あの石けんメシを食べていたペットたちは、軒並み亡くなってしまったのさ。