第7節 第4話 落日
リヒテルはいまだ身体が思うように動かなかった。
何度試しても身体が言うことを聞いてくれることはなかった。
リヒテル自身、それが機械魔化の影響であると薄々感じてはいたが、確証はないためどうすることもできずにいた。
あの機械魔からの襲撃の後、3日ほどかかって目的地の要塞貿易港【ブレイスト】に到着した。
リヒテルはすぐに担架に乗せられ宿泊施設へと移された。
「あら、意外と元気そうね……ってわけじゃないみたいね。顔色が悪いわよ?」
ノックもなくリヒテルの寝室に入ってきたのは景虎だった。
リヒテルの顔を見るなり体調の悪さを見抜いていた。
そしてその原因も。
「お久しぶりです。お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません。」
「いいわよ気にしなくて。それにけが人病人を見るのが私の仕事。だったら私には弱音を吐いていいのよ?」
景虎は和らな笑みを見せると、リヒテルの額に手を当てた。
何かをしているのか今のリヒテルには手に取るように分かった。
もう一つの技能【魔素探査】。
これによって魔素の動きや働きが手に取るように見えるのだ。
景虎の手から漏れ出る魔素がリヒテルの全身を包み込んでいく。
そしてリヒテルは技能【鑑定】を発動させて納得がいったようだった。
「……。」
「景虎さん、機械魔化が進んでるんですね?」
無言となった景虎に声をかけたリヒテル。
その反応に驚く様子もなく、景虎はリヒテルを見つめていた。
「そうね。今はおおよそ6割が機械魔化しているわ。これから先、どのくらいかかるか分からないけれど、あなたは確実に機械魔になるわ。」
「そうですか……。景虎さんが言うんだから間違いないですよね。」
リヒテルから乾いた笑みがこぼれた。
あまりの痛々しさに景虎は心が痛くなった。
そしてくまなくリヒテルの身体を調べると、景虎は情報を端末に打ち込み始めた。
「聞かないの?みんなのこと。」
「聞いた方が良いですか?」
景虎はいまだ切り出すことのなかったリヒテルに話を振った。
リヒテルは質問に質問で返すことでこの話を打ち切ることにしたようだった。
「強いのね……」
「強かったらここに居ません。みんなを守るために戦っていますよ……」
それからしばらくは端末に打ち込む音だけが部屋に響いていた。
コンコンコン
景虎の診察が終わるのを待っていたかのようなタイミングでノックの音が聞こえてきた。
リヒテルはどうぞと入室の許可を出すと、一人の青年が顔を出した。
「あら、たっちゃん。今終わったところよ。」
「景虎……何度言えばわかるんだ?」
景虎をにらみつける辰之進は、一つため息をつくとリヒテルに歩み寄った。
リヒテルは起き上がろうとしたが、辰之進によって止められたのでそのまま横になることにした。
辰之進は神妙な面持ちでリヒテルの別途そばの椅子に腰かけた。
その雰囲気から良からぬことと思いつつもリヒテルは辰之進が話すのを待つことにしたのだった。
「リヒテル。君に伝えなければならなことがある。」
「はい……」
リヒテルは緊張のあまり声が裏返りそうになるも何とか普通に返事をすることができた。
ドクリドクリと自分の心臓の鼓動が大きくなっているのがよく分かった。
「ガルラ小隊及びエイミー小隊のマーカーが消滅した。運よく通信車両を運転していた運転手とリン・メイリン情報官。それとリチャードが九死に一生を得て戦域を脱出し、情報を持ち帰ってくれた。その情報により指揮にあたっていたアドリアーノを含む二小隊は死亡認定された。」
あまりのショックにリヒテルは言葉を失った。
エイミーやほかのみんなにまだ別れの挨拶すらできていなかった。
この場所でのあいさつが最後になるだろうと思い、何を話そうかと考えていた矢先の出来事であった。
いまだ信じられないと混乱するリヒテルに、辰之進は二つの腕輪をリヒテルに渡したのだ。
それはリヒテルが付けていた腕輪であって、みんなのマーカーが記録されているものであった。
慌てたリヒテルは景虎に手伝ってもらいその腕輪を装着した。
慌て過ぎたのかうまく操作できず、立ち上げまでに時間がかかってしまった。
そしてマップを起動し、みんなのマーカーを呼び出した。
だがいくら呼び出してもマーカーが現れることはなかった。
「こちらリヒテル!!こちらリヒテル!!みんな応答してくれ!!頼む!!応答してくれ!!」
リヒテルの悲痛な叫びが室内に木霊する。
応答のない通信をリヒテルは繰り返したのだった。
「リヒテル君……。リヒテル君!!もう終わろう!!もう終わりましょう!!」
声がかれても通信を続けるリヒテルを心配してか、景虎がリヒテルを抑えつけたのだ。
パチン!!
抑えつけられてもなお通信を続けようとするリヒテルに、景虎のビンタが飛んだ。
痛さはあまりなかった。
だがリヒテルの正気を取り戻すには十分すぎる威力だったようだ。
「景虎さん……。俺……俺……。」
景虎に縋りつくようにリヒテルは顔をうずめた。
そしてごめんなさいと泣きじゃくりながらつぶやいていた。
景虎はリヒテルを優しく包み込むと、泣き止むまでそのままでいてくれたのだった。
「すみませんでした、取り乱してしまって。」
それからどれくらいたったのか、やっと我を取り戻したリヒテルは景虎から離れベッドに座りなおしていた。
いまだ目は真っ赤に晴れて正常とはいかないものの、話はきちんとできるまでに回復はしていた。
「リヒテル、先ほど伝えた通り彼らは死亡認定された。これによりすべての人員の移動が完了したことになる。明日明朝思って我々防衛隊を含む最後の避難民がこの街を立つ。この帝国の最後だ。」
辰之進はリヒテルを見据えると、現実を突きつけた。
そしてそれを真正面から受け止めたリヒテル。
そこには少しだけ戦士として成長したリヒテルの姿があった。
夜が明けると、リヒテルのもとに隊員たちがやってきた。
リヒテルを船に搬送するために集まってくれた人たちだった。
担架に乗せられたリヒテルはそのまま船に乗せられていった。
皇帝陛下を含む全ての乗員が載ったことを確認した船は、汽笛を鳴らしながら内海をゆっくりと進んでいく。
離れ行く大地を惜しむかのように、ゆっくりとゆっくりと外海へ向けて進んでいく。
行く波は穏やかで、門出を祝うかのように海鳥たちが空を舞い踊っていた。
乗員の誰しもがデッキに集まり、故郷の台地に目を向け、いつ帰れるかもわからぬ景色を目に焼き付けていた。
無人となった港町は静かに最後の船を見送っていたのだった。
こうして長きにわたり反映した【エウロピニア帝国】は終焉の日を迎えたのだった。
「行ったかのぉ~?」
「えぇ、問題ないわ。あっちにはムッツリ沢村も乗ってることだし、任せて問題ないわ。」
港町にはリヒテルたちの出航を見送る影があった。
「老師、そろそろこちらも移動を開始しますよ。」
「せっかちだのぉ。年寄りをいたわることを覚えんとな、ヨースケよ。」
白のフードから顔をのぞかせたのはヨースケ・エル・八雲であった。
「くそじじぃ!!おいてくんじゃねぇ~よ!!」
「ガルラ、鍛え方が足らんぞ?足の遅いおぬしらが悪かろう?」
その奥から同じく白のフードに身を包む集団が現れた。
先に声を上げたのは死んだはずのガルラであった。
浜風にあおられてバサバサとフードが外れる。
リンリッドをはじめ、ガルラのほかにもアドリアーノやエイミーたちの姿があった。
皆リヒテルの乗る船を見つめ、申し訳なさと切なさとさみしさと、いろいろな感情がまじりあい、何か言い表せない感情を抱いていたのだった。
そしてこれより舞台は新たなる世界へと移り行くのであった。