第1節 第4話 新たなる懸念
「すまない、待たせた。」
どこか疲れた表情を見せる辰之進に、ザックはねぎらいの言葉をかける。
辰之進は軽く返事をしただけで、疲れ切ってそのままソファーに座り込んでしまった。
「総隊長?」
リヒテルが辰之進を心配し声をかけた。
その返事はやる気をなくしているのがよくわかる声色であった。
「辰之進……。もしかしてだけど、下で止まってたのか?」
「そのまさかだ。情報官が不要と判断してより分けていたみたいだ。最近件数が増えてきたのでまとめて報告をあげる予定だったらしいな。むしろ迅速に報告してほしかったよ。」
そういうと天井を見上げて凝りに凝った眉間のしわをもみほぐす辰之進。
当初情報が少なすぎたために見間違いであるかと思われていたようだった。
情報官としてもそれほど重要とは思わなかったようだ。
「だが、脅威になるものでもないんだろ?」
「そうだな、リヒテルの報告によれば対機械魔領域は超えてこなかったようだ。おそらく対機械魔防壁も同様だろうな。」
ザックはそれほど心配はしていないようで、簡単に倒せるなら問題ないだろうと考えていた。
辰之進も現状は脅威にならないと判断するに至る。
リヒテルは二人の会話を聞きながら、不安を感じていた。
虫が大量発生した場合どうやって対応するのかということだ。
さすがに殺虫剤をもって倒して歩くわけにもいかず、嫌な予感だけが募っていったのだった。
「それにしても、今になってこんな事態が発生するとは思わなかったな。」
ガシガシを頭を掻きながら、どうしたものかと思案するザック。
おもむろに辰之進が立ち上がると、本棚の一角から本を探し始めた。
「いや、それについては思い当たる節がある。以前狩猟者連合協同組合から提出された資料にとある記述があったのを覚えているか?」
たくさんの資料の中からなかなか見つからないのか、ガサゴソと探し回る辰之進。
どうやら辰之進は書類の片づけが苦手なようだった。
「あった、これだ。」
ようやく見つかったのか、一冊の本を片手に戻るとソファーに座りなおす辰之進。
そしてぱらぱらとその資料をめくり始めると、ようやくお目当ての情報へたどり着いたようだった。
見開きにしてザックの前に出すと、ここだと言わんばかりにトントンと指さしている。
「ん?」
ザックはそこに記載されていた情報を確認すると、胡散臭げに辰之進へと視線を送る。
辰之進もにわかに信じがたいようで、軽いため息をついていた。
「いやいや、ありえんだろ?」
「だがあながち与太話とは言えない状況じゃないか?」
辰之進の態度に、さらに不審がるザック。
辰之進は状況を鑑みて、否定できる状況ではないと考えていた。
ザックはその資料を何度も読み返しては、頭を振って眉間にしわを寄せていた。
あまりにも荒唐無稽なその事象を信じろというほうがどうかしていると考えていた。
「〝市街地の虫の魔物化〟か……。だが、これが本当であればこれからますます厳しい事態になるんじゃないか?」
「最悪この帝都そのものを放棄しないといけないだろうな。ただ、救いは対機械魔防壁と突破されていないことだけだな。」
ザックは考えることを放棄したのか、資料をばさりとテーブルへと放った。
その態度に怒るわけでもなく、辰之進はトントンと資料をそろえていく。
「少しいいですか?」
「どうしたリヒテル?」
リヒテルが話に割って入ると、ザックが空気を換えようと少しおどけたように返事を行った。
「すでに市街地の虫も機械魔化しているということはないんでしょうか?正直以前のスタンビードはあまりにもおかしすぎました。ゴールドラッドが糸を引いていたとしても、突然帝都の目と鼻の先で発生するなんておかしいです。観測班や調査班も今懸命に調べているとは思いますが……。いつ何時どうなるかなんてわからない状況なのではないでしょうか?」
リヒテルは話を聞きながら疑問に思ったことを辰之進たちにぶつけてみた。
懸念というほどのものではないが、何か漠然とした気持ち悪さがあったからだ。
「確かにな。ザック、その点はすでに調べ始めているんだろう?」
リヒテルの質問に一応の筋が通ていると感じた辰之進。
そして話を振られたザックも同じことを感じていたようで、調査は進行中のようであった。
「抜かりなくな。だが、いまもまだ決定的情報は上がってきていない。もしかすると虫の機械魔化はスタンビードの余波なのかもしれないな。」
「どうも嫌な予感がするな……」
だが、あまり芳しくない調査状況に肩をすくめて答えたザック。
その代わりと言ってはおかしいが、可能性の話をしてみたのだった。
それを聞いた辰之進は、徐々に湧き上がる不安感に気持ち悪さを感じていた。
「まずは立入禁止区域を中心に俺たちも調査してみます。」
リヒテルは妥協案として、リヒテル小隊で立入禁止区域をの調査をすることにした。
それならば一応の安全は確保されていると判断したからだ。
「そうか……なら一人調査班の人間をつけるとするか……。ザック、リズ・バンガード主任は今空いていたよな?」
「あぁ、昨日調査から帰ってきてるから、明日からなら問題ないはずだ。」
辰之進はリヒテルの提案を少し思案すると、おもむろに紙を一枚取り出し、さらさらと何かを書き始めた。
声をかけるのも憚られるので、リヒテルは黙ってその作業を見つめていたのだった。
少ししてから書き終わったのか、リヒテルの前に一枚の紙が差し出された。
「ではリヒテル。この書類を調査班のリズに届けてくれるか?調査指示書だ。明日又は明後日から調査開始してくれ。」
「わかりました。」
辰之進の描いていた書類は調査班に対する指示書であった。
それを受け取ったリヒテルは辰之進とザックに挨拶をして執務室を後にしたのだった。
「これを私に?」
「総隊長からの指示書です。」
調査班の詰め所にやってきたリヒテルは早速リズを探して辰之進の指示書を渡した。
リズ・バンガードはこの隊の後方支援部隊のうちの一つ、調査班の数名いる主任のうちの一人だ。
男になめられるといけないと、身体を鍛えているうちに筋トレにはまり、全身鋼のような肉体美を誇っていた。
だが女性らしさを失っているわけではなく、メリハリの利いた肉体はそれはそれできれいと言えなくもなかった。
その肉体美に不釣り合いなたれ目がまたリズの不思議感を後押ししていた。
隊では隠れファンがいるようで、リヒテルもちょくちょく耳にしていたが、本人には内緒の活動のようだった。
リズはリヒテルから指示書を受け取ると、すらすらと読み始めた。
そしてすぐさま嫌そうな顔を浮かべていた。
「ほんと人使い荒過ぎじゃないの!?って君に言っても仕方がないか……。わかったわ。明後日明朝北門の詰め所に集合でいいかしら?」
「それで構いません。」
一瞬こみ上げた怒りと憤りに任せて暴言を吐きそうになるリズ。
きれいに束ねられた金髪の毛束が逆立つんではないかと思えるほどの殺気であった。
だが、目の前にリヒテルがいりことを思い出したリズは少し恥じらいながらその殺気をひっ決めたのだった。
その時見せた恥じらう表情は、肉体美とは裏腹に可憐さを含んでおり、見る人によってはドキッとしてしまうかもしれなとリヒテルは感じていた。
改めて調査の予定を取り付けたリヒテルはその場を去ろうと踵を返すと、不意にリズから呼び止められたのだった。
「それと、その固い話し方はやめてくださいね?一応あなたのほうが階級が上なんだから。」
「あ、あぁ。」
どうも慣れない話し方に一瞬リヒテルは戸惑ったものの、ぎこちなくだが固くない返事を心がけてみることにした。
リズは仕方がないかとあきらめ気味にため息を吐くと、また今度とリヒテルを見送るのだった。




