セルアウト批判に対する違和感
少し嫌なことがあり書きました。
口調が悪くなってしまってますが、ご容赦ください。
ブラバ推奨m(_ _)m
セルアウトという言葉をご存知だろうか。
ヒップホップ好きなら、多分知っていると思うし、ロックやパンクのコアなファンでも使うことがあるかもしれない。
元々ヒップホップカルチャーの言葉で、コアな曲を作っていたアーティストがマス向けに分かりやすい、売れ線な曲を作る事を指して使う言葉で、専ら批判に使われるんだけれど、筆者はこのセルアウトという言葉が嫌いである。
最近だと、R指定、DJ松永がよくメディア露出するようになり、Creepy Nutsがセルアウト批判されているように思うが、昔はKICK THE CAN CREWや童子-T、ファンモンにSEAMOに改名したシーモネーター、等々、ヒップホップシーンに興味が無くとも、チャート上位にランクインして、メディアなどで見たり聴いたりしたことのある方も多いと思うラッパーやcrewが非難されてきた。
セルアウトを批判する人の主張はこうだ。
「売れるために安易な手法に手を染めた」
「売れるために売れ筋のアイドルなどとコラボした」
「売れるために楽曲提供をした」
「売れるために今までの曲調を捨てた」
「売れるために音楽を捨てた」
等々、まるで売れるために何かするのは犯罪かのように批判するのだ。
然しながらだ、趣味で仕事の合間にやっているというなら、それは理想の追及だって出来るだろうが、彼等プロはそれに生活がかかっているわけだし、家族を養わなければいけない方も勿論いる。
ハードコア路線からメロディアスなパーティーチューンに転向し、多くの有名歌手とのコラボをした童子-Tはそれは非難された。
私は童子は大好きなのだが、当時のシーンでは
「誰でもかけるリリック」
「有名歌手やアイドルなら誰でもコラボする」
「魂を売った」
と酷い言われようだった、彼は比較的早くに結婚して、子供もいたので、安定した生活のために稼ぎを増やそうとすることは可笑しな事と思えなかったし、当時、盟友だったはずのZEEBRAやUZIがセルアウト批判したことは心底かなしかった。
結局、童子は今にいたるまで問題を起こさず、批判していた彼等が離婚や不倫、薬物とスキャンダルにまみれ、新曲のセールスも伸び悩んでいることに因果応報を感じるのは、私の精神の暗さ故だろうか。
勿論、セルアウト批判するものが皆、問題だと言うつもりもないし、セルアウトした側で不祥事を起こしたものもいるけれど。
売れたいと思うのは当たり前だと思うし、どんな優れた表現も届かなければ意味が無いのだから、プロモーションの一環として、まずはマス向けに分かりやすい曲を書くのもありじゃないのか。
そもそも、チャレンジとしてマス向けの曲をわざわざ表現の一つと捉えている可能性だってあるのだ。
自分は不特定多数に受け入れやすい表現もできる、とかそういった表現を模索して、そこから何かを作ろうとしている可能性は考慮できないか。
私は大槻ケンヂのファンなのだが、オーケンの兄貴は若い頃、井上陽水氏と対談する機会を得て、若さ故に陽水氏にセルアウト批判をしたことがあるらしい。
「なぜ、過去のアングラフォークを捨て、大衆に迎合したのか、ひよってしまったのか」
すると井上陽水氏は若いな~といった感じで苦笑いしながらも、とても優しく
「君も歳をとったら分かると思うよ」
と諭してくれたと言う。
オーケンの兄貴はこの体験を恥じていて、歳をとって、アングラな表現とメジャーな表現は両立すること、どちらも等しく同一人物から産まれること、それが大変に難しいことであるということを学んだそうだ。
この「なろう」の中でも、度々セルアウト批判は散見される。
「テンプレしか書けない」
「書籍化のためにわざと文体を崩している」
「ランキング狙い」
この他にも様々な言葉で罵られているが、はっきり言おう、私は人気ジャンルにオススメタグ満載のトレンドワードで埋め尽くされたタイトルで作品を書いてもバズれる気なんて1mmもしない、何を偉そうに底辺自慢してるんだ、と言われようと、それが本音だ。
誰でも書ける、テンプレまんま、俺でも書ける、そんな風に罵しる方々は、ならば自分だってやって見れば良いのだ。
「こんな幼稚で誰でも書けるものが売れて、評価されるなんておかしい」
そう言って批判するなら、書いてみれば良いのだ。
結局は魂は売れないだの、あんな幼稚なものは書けないだのと逃げているが、ただ単純に「書けない」のだろう。
または書いて見たら、自分の書いたテンプレ作品が評価されなかったら、言い訳出来なくなるのが怖いのだろう。
「自分はテンプレじゃないから評価されない」
という逃げが使えなくなるのが、怖くて怖くて逃げてるだけだ。
みっともないから、今すぐセルアウト批判などやめた方がいい。
「俺でも書ける」
そう言うなら書けば良いじゃないか、それでめでたく売れたなら、それから好きなものを書くもよし、テンプレ作品の奥深さにはまって、あらたな境地を模索するもよしだろう。
大概はそうだろうが、テンプレを書いたが箸にも棒にも掛からなかったなら、それが実力と言うことで納得して前に進めばいいじゃないか。
勝手に改蔵をサンデー連載していた時の久米田先生はマンガ内の会話で王道を上手く書きこなせる人は売れると書いていた。
王道を書く人ではない、上手く書きこなせる人だ。
この違いを忘れてはいけないと思うよ。
お読みくださりありがとうございますm(_ _)m
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