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6話-アイドルについて【ホクシン・カナタの場合】-

  二人のデビュー決定から数か月。


 カナタとセツナの二人のユニット、【ロングデイズジャーニー】(古典映画に因んだ名前)のファーストライブの準備のために動いていた時期のことだった。


 私がライブイベントのスケジュールの調整のためにオフィスとライブ運営の業者とを行き来していたとき、街中である意外な存在が目に留まった。


 路上で歌い、踊り、通行人たちの注目を集める、ホクシン・カナタの姿がそこにはあった。


 この日、彼女は自らのファーストシングルのために自分でチラシ配りをしていた。

 単なる宣伝のためだけでなく、不特定多数の他人に慣れる訓練でもあるということで、私がそう指示したのだ。


 単純な歌唱力はまだ発展途上という印象が否めないし、少なくともセツナのそれに比べれば数段劣る。

 まして元々アイドルのパフォーマンスを想定して作られたステージではないため十分な照明・音響素材もなく、ライブに向けてのレッスンも始めたばかりの彼女は、歌も踊りもお世辞にもライブで見られるクオリティとはいいがたかった。


 ただ驚いたことがもう一つある。

 

 笑っていたのだ。

 カナタの歌とダンスを聞いていた聴衆たち、その老若男女誰もかもが。

 彼女の十年来の親友であるかのように。


 それも作り笑いなどではなかった。

 表情の微妙な弛緩、反応の速さを見れば、嘘の表情は見分けられる。

 しかし彼女―――


 アイドルはよく、「国民全員の恋人」という宣伝文句を付けられることがある。

 詩もダンスも発展途上なはずの彼女は、やや年下の恋人と同じ距離感の目線で、その場の全員の注目を詰めていた。

 おそらく未完成だが熱意がみられるパフォーマンス故に、却って親近感を持たれているのだろう。

「ありがとうございましたっ!!」

 彼女の歌とダンスを見ていた老若男女、様々な人々が、彼女のパフォーマンスに心からの笑顔と拍手で応えた。

「あ……カナエさん! 来てたんですね!」

 群衆と同じように彼女の背後から拍手をしつつ、私はカナタを車に乗せてその場を撤収した。


「あまり自分の歌を安売りしない方がいいわよ。貴方の歌もダンスも、チケット何千枚分の価値のあるものなのだから」

「えへへ……あまり興味引いてもらえないと思ってたから、それならいっそのことって思っちゃって……」


 口では謝りつつもその瞬間の余韻を楽しむ表情を隠せないでいたカナタの顔を、私は注意深く見つめていた。


「カナタは、本当に歌うこと、踊ることが大好きなのね」

 並んで歩きながら、それとなしに私は口にした。


 私は今まで、アイドルは笑顔という仮面をかぶって生きる人間だと思っていた。

 テレビで見せる笑顔、ラジオで聞かせる笑い声、ライブで魅せる楽しげな歌。

 全て大量消費社会に生きる櫻宗人が金を払うために最適化された、作り物の笑顔にすぎない。

 カメラマンやプロデューサーの指示で、嬉しくも楽しくもないのに作り笑顔を浮かべる。


 しかし、目の前の年端もいかない少女は違った。

 テレビカメラもマイクも一切存在していない、仮面をかぶる必要性もさほどないその空間で。

 彼女はテレビでの姿と寸分変わらず、人前で歌うことを、本気で楽しんでいた。


「子供の頃から、トップアイドルになるのが夢だったの?」

 半分コミュニケーション目的で、半分興味本位で、私はカナタに問うた。

 アイドル全盛期の現在、当然アイドルを志す女子たちは多いが、その大半が人気・名声で頂点に立ちたい、という夢が、その志の軸となっている。


「うーん、ちょっと違いますね」


 しかし、隣で歩く活発少女の答えは意外なものだった。


「私の場合、単純に思いっきり歌って踊りたい! って気持ちが強くって。その場さえあれば、特にアイドルとしてナンバーワンになりたい、とは思ってないんです」


 パフォーマンスのできる場所があれば、ナンバーワンでなくてもいい。

 未来ではなく、今を楽しむことに力を注いでいる、ということか。

 志が低いと言えば低いが、地に足がついているともいえる。

 


 だがやはり、私とは相容れない価値観だと感じた。

 だからこそ、この言葉が出た。

 


「あなたのプロデュースをしてると、心の底から楽しんでることが嫌でも伝わってくるわ。今この時期にここまでアイドル活動に熱中できる娘なんて、そうそういないわよ?」


 つい口から出たその言葉は、後で思えば私なりの皮肉だった。

 面と向かって批判するのは当然控えたが、国家の危機に対処するスパイとして彼女の振る舞いには思うところがあった。

 今はニュース番組を見れば、連日隣国の大量破壊兵器に関する疑惑の報道をしている。

 何千、何万という人間が死に、また何十万という人間が戦地に赴く時代が再び訪れるかもしれない。


 事実、私の事務所【ゲーブルハウザー】に限らず、現在櫻宗国では全体的に、アイドルオーディションへの応募者数が減っているという統計がある。

 明らかに、隣国・チェルージュでの【歌声】の開発報道と、それに伴う櫻宗国民の動揺が原因だった。

 電話で応募を取り下げる旨を話した少女に理由を聞くと、「こういう時期だし、家族や友人のことを第一に考えたい」という答えが返って来た。


 それなのに、彼女は歌っている。

 自分の命が脅かされようとしているのに、歌い、踊ることを考えている。


「今この時期だからこそ、ですよ」


 カナタのその一言に、私は思わず振り向いた。


「私って頭悪いから、今この時期にどうするのがベストか、なんてことは決められないんです。無理して決めても、却って両親や友達に迷惑をかけるだけなんじゃないか、とも思ってて」


 我々がいる歩道のすぐ隣を走る線路を、特急列車が猛スピードで通過した。

 かなり大きな車輪音にも動じず、彼女は続ける。


「それだったら、今一番やりたいことをやろう! って思ったんです。歌とダンスを思いっきり楽しんで、この国中の皆にもその楽しさを教えよう!って」


 特急列車の車輪音の中でも、彼女の声ははっきりと聴きとれた。


「両親にそう言ったら、何も言わずに、オーディションの応募用紙を私に差し出してくれたんです。その日の夜、お父さんが一言だけ言ってて。『お前が歌うことで、救われる人間がいるはずだ』って」


 そのはっきり聞き取れる言葉の中で、私はカナタという女性を誤解していたと感じた。

 彼女は、オーディションで私が思った時よりもずっと芯の通っている女性だったのだ。

 

 もしかしたら、根本的に私とは脳内の構造が違う娘なのかもしれない。

 【姫君】の誓いをしたあの日以来の、自分のスパイ人生を振り返りながらそう思った。


 社会に生きる個々人の中には本音と建前が存在し、個々人は本音を隠しながら建前を巧みに利用して他者との関係を築く。

 今まで普遍的だと思っていたそのセオリーが、彼女の存在によって変わりつつあった。


 彼女にとっては【大勢の前で歌って踊りたい】という自身の【やりたいこと】が、何の建前でもなくそのままの本音なのだ。


 そして私は思った。

 恐らく、これからの櫻宗にとって必要なのは、私ではなく彼女だ。

 彼女がアイドルになれば、恐らくこの大都市の人口よりも、もっともっと大勢の市民たちに愛されることになるだろう。

 戦争の爪痕が二十年経っても癒えない櫻宗人にとって、ホクシン・カナタの歌とダンスは何よりの救い、そして希望となるだろうから。


 そして、将来的にその彼女をスパイの道具として切り捨てる私は、同時に彼女のファンになるであろう何千、何万という櫻宗の市民をも裏切ることになる、ということだ。


 だが私一人が外道を演じたところで、安いものだと思う。

 彼女と、未来の彼女のファンを守れることにつながるのならば。



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