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第3話 前準備

 一週間後、私は首都の中心街から少し離れた場所に位置するコンサートホールに足を運んだ。

 特定の人物の監視のために足を運んだこともある場所だが、今回そこに来た目的は別にある。

 私を含む全観客の視線を一手に引き受けている、開場の中心で指揮棒を持って演奏を司る初老の男性に、その答えがある。

 彼は、裏で【霧】と関係を持つ人物だ。



 金管楽器、打楽器、弦楽器が織りなす西方の伝統音楽。

 私はその重奏を聞き流しつつ、それらの演奏の指揮を一手に請け負っているステージ中心の指揮者の手の動きを注視していた。

 別に指揮者が、何らかの犯罪に手を染めているから監視しているわけではない。



 私が諜報活動を始めてから2年目に携わった任務で、我々彼とその家族を、出身国であるチェルージュから櫻宗国に招いた。

 彼とその家族のかねてからの望みだった、亡命を成功させたのだ。

 交換条件は、政府の諜報機関への協力。

 その協力は、コンサートでの実演中に手と指のサインで暗号化された文章によって、我々諜報員に高官から与えられたメッセージを提供する、という形で行われた。

 【霧】からの指令を、私はいつも彼を通じて受け取るのだ。



 私はその場に、ミックスレースのネイビーカラーのワンピースドレスを着こんで出向いていた。髪もハーフアップにまとめ、清潔感と目立ち過ぎない上品さを心掛けた衣装だ。

 有力者のご令嬢、という設定で、予約者以外は出入りが厳しく制限されるVIP席を予約した。



 会場前広場からコンサートホール入り口前までの道を行きかう人々は、政府や経済界の有力者層ばかり。

 おそらくは政府主催の夕食会などと同じで、このコンサート会場は単に音楽を嗜む場というだけでなく、政治や経済に関する重要な話し合いの場でもあるのだろう。 



 その中で、ふと目に留まった筋肉質の人影がいた。

 情報院部長の、ゴンゾウ・ヤグルマ。

 私や【彼】にとっての上司であり、【霧】の実質的統括者。

 彼と話していたのは、亡命した元チェルージュ国大使だった。

 恐らくはいずれ始まる私の潜入捜査において、対象国の大使からの後方支援を頼んでいるのだろう。

 なお彼との関係の露呈を避けるため、我々スパイから彼に話しかけることは固く禁止されている。

 企業人や公務員なら許されない行為ではあるが、無視して目的地へと向かう。



 社長令嬢という仮の姿で借りた個室のVIPルームで、私は指揮者の提示する暗号を読み取っていた。

 片手で持った望遠鏡で指揮者の手の動きを注視し、もう片方の手で即座に読み取った暗号内容を書き込む。


 休憩時間に入り、書きあがった内容に目をはせる。


 その内容を理解した、私は。



 カップ片手に飲んでいたブラックコーヒーを、吹き出してしまった。


 ここが一般客の客席だったら、ちょっとした顰蹙を買っているところだっただろう。 

 しかしそれほどに、演奏を通して私に伝えられた指令は予想だにしえないものだった。



「アイドルの……プロデューサーになれだって!?」

 ……なぜ?


 

 ◆   ◆   ◆



 一か月後。

 上司との会話とは打って変わって、人が多く集まる場所に来ていた。

 アイドルの、ライブステージだった。



 人の群れが行きかう大通り。

 林立された大型家電量販店や飲食店、書店に映画館。

 二十年前の終戦直後の廃墟から、いかにこの国が復興してきたかを物語っている賑わいぶりだった。


 

 ガラス越しに外の景色が見えるカフェの二階席からここの街並みを眺めていると、スパイの養成所時代を思い出す。

 こういう繁華街に連れていかれて、目に入った100人と一週間以内に友人関係になれ、という課題を受けたものだった。



 任務でも、任務以外のオフの日でも歩きなれた大通り。

 櫻宗人にとって、今日はいつもと変わらないごく普通の日だ。

 しかし私にとってこの日は、昨日―――新しい命令を受けた日までとは、違って見えていた。



 アイドルのポスター。


 店頭で流れるアイドルソング。


 デジタルサイネージの画面から流れる、アイドルライブの映像。



 ふと待ちゆく人々の声に耳を澄ませてみれば、何々というグループの中で一番かわいいのは誰々とか、何々というグループで最も名曲なのは何々とか、誰々がプロデュースしたアイドルでもっとも偉大なのは何々というグループなど、アイドルの話ばかり。


 隣国で破壊兵器の開発がささやかれているという時期に、暢気なものだ。

 少し前にそう【彼】に言ったところ、そのような時期だからこそ、少しでも人生を意義あるものにしようとしているのでしょう、という答えが返って来たっけ。

 そういわれたところで私には、今自分たちさえ安全だったらそれでいい、という現実逃避にしか見えないのだが。



 ともあれ私は、そのアイドルに夢中な人々の流れの一部となりながら、ある場所へと足を進めていた。



「アイドル……事務所……か……」

 手のひらに収まるサイズの地図を見やりつつ、かの場所がテナントを借りているオフィスビルへと歩みを進める。

 暗号を受け取って最初は驚愕した私だったが、あれ以来、自分なりにその指令の意味するところを反芻していた。



 街の空気の中に当然のように流れる、アイドルに対する熱気。

 それもそのはずだ。

 ここ櫻宗国、いや世界各国の経済を今動かしているのは、間違いなく、歌って踊るアイドルたちなのだから。



 この国はかつて農業、続いて工業を経済の原動力としてきた。

 その国が今、現在経済の原動力としているもの。

 それは娯楽産業、ことに日々ストレス社会での生活に明け暮れる市民を元気づけるために、歌って踊るパフォーマー、ことに若い女性―――アイドルだ。


 少し大きな町や村であれば、どこの施設でもアイドルやアイドルグループがライブを開催し、歌を歌っている。

 ラジオ、そして最近新しく誕生したメディアであるテレビの電源を入れれば、どのチャンネルでも毎日のようにアイドルが歌ったり踊ったり、笑ったり演じたりをしている。


 そして何より、アイドルが来る場所では経済が動く。


 アイドルの来る店は翌日行列ができ、アイドルが語った映画は興収が倍になり、アイドルが身に着けた衣装は若者たちのトレンドとなる。

 目立つことによってこそ価値があるという意味では、存在を知られてはならない、我々のようなスパイとは真逆の存在と言えた。


 そして現代、アイドルの質の高さはそのまま、国家の経済力、ひいては国力を写す鏡にもなる。


 とある経済学者が提唱した話だが、アイドルのパフォーマンスのレベルは、それを生み出した国家の国力にも比例していると言われている。


 政府が民放、公共放送問わず、アイドルの出演する様々なラジオやテレビの番組に補助金を提供しているのも、娯楽以上に海外に向けて国力をアピールすることが主たる理由であった。



 戦前、軍事力によって国力を宣伝していた国々は、今や華やかな衣装の若者たちで国力を宣伝しているというわけだ。

 それは終戦から二十年が経過した櫻宗国、チェルージュ国も例外ではない。



 必然、潜入捜査を行うならば、二国共同のアイドル事業を持ち掛けることはあながち不自然な計画ではない。

 複数の国家が共同してのアイドルビジネスは、この時代には珍しくない。

 良好な国際関係や互いへの国力の宣伝、アイドルビジネスのノウハウに関する情報交換、色々なメリットがあるからだ。



 そこまでを考慮した私は、隣国への船腹のためにアイドルのプロデューサーとして活動するにあたって、ある計画を考え付いた。

 コンサートホールで指令を受けてから一週間後。

 この間のように他人の家で会った【彼】に、自分で製作した具体的なプランを提出、承認を受けた。



 そしてさらに一週間後。

 私はリクルートスーツに身を包み、眉と耳が見えるセンター分けのポニーテールに髪を編み、目的をスタートさせるための第一歩を始める場所の前に立っている。

 数年前大手から独立し、最近新入社員を募集しているアイドル事務所だった。



 オフィスに入り、エレベーターで事務所のある4階へと向かっている間、私は影に生きる自分が、アイドルなどという俗な文化とかかわりを持つことになるという皮肉について考えていた。


 今まで興味もなく接してきたが、あくまで娯楽文化の一形態にすぎないというのが私の【アイドル】とやらに対する第一印象だった。


 娯楽文化とは基本、生きることに困らない市民が生活費から余った金銭で楽しむもの。


 日々命懸けの任務―――これまでのほとんどの任務では、秘密情報の露呈は死を意味した―――をこなしている私にとっては、全くと言っていいほど触れる機会のない世界だった。



 

 しかし、ある意味でおあつらえ向きかもしれなかった。

 素性を隠すスパイと、同じく素性を隠して作り笑顔で歌うアイドルとでは。

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