表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

97/138

薔薇の街 終

 横を歩く彼女は時折切なげな表情でリシャールの横顔を見てきた。

 今日最後の目的地まであと数十メートル。

 観光町からやや外れた市民居住地区付近の大通りを歩いている時のことだった。

 あまりにも彼女が悲し気な表情をしているので、リシャールは訊いてみた。


「ローゼ。また私を振るつもりか?」

「え……?」


 リシャールは2回、目の前の彼女に恋をした。そして、振られた。

 だから、今の彼女が思っている事は手に取る様にわかった。


 彼女は今日は観光と言いながら、そろそろ修道院に帰るための思い出作り、または友人へのお土産でも買いに街に来たのだろう。

 リシャールは彼女が修道院から帰還命令が出ている事も、昇進試験に合格したことも知っていた。

 彼女は律儀な性格だから、リシャールに『ちゃんとしたお別れを言おう』というような気持ちで、今日の日を過ごしているのだろう。


「殿下、を振る……? 私がですが?」


 彼女は信じられないような顔をしてリシャールを凝視した。


「私はもう振られたくないんだが」


 先ほど、遠回しに結婚できないとカフェでまた振られたから振られるのは3回目だ。現在も記録は更新中だ。


 だから、リシャールはもうそれだけは勘弁してほしかった。

 11年、他の女に全く興味がなかったのだ。

 リシャールは何年も寂しく大人になったローゼを思い浮かべて教会に思いをはせていたくらいなのだ。


 それにリシャールが心から慕う『本当の彼女』に会えるまでもう少しなのだ。

 目の前の柔らかな栗毛の彼女も好きだけれど、リシャールの知る彼女はもっと、美しいと彼は思っている。


 本当の彼女は、深い艶やかな黒髪に、アメジストの様な誰よりもきれいな瞳色。唇は血色がよくて、食べてしまいたいくらい瑞々しい果実のようなのだ。

 だから、本当の彼女は、ありふれた誰かに似せたような深みのないエメラルドの瞳ではなくて、流行りの巻き髪でもなくて、華やかというより、儚い色の持ち主だ。

 リシャールは、地味だと以前から彼女が言っていた綺麗な黒髪が、目立たないという控えめな容姿が、派手ではない優しい顔立ちが、全部好きだった。

 誰が何を言おうと、好きで仕方なかったのに。


「振るとかではなくてですね」


 彼女はリシャールの言葉に、困った様に視線を外した。


「釣り合わないと言っているんですよ」

 

 道路は途中から硝子でできており、リシャールたちの姿が地面に映った。

 柔らかな曲線の愛らしい彼女と表情一つない男が映っている。

 それを見れば、過去の彼女と今の彼女の顔立ちは同じだ。


 彼女もこの魔法が、髪色や瞳を変えただけと思っているだろう。しかし、この魔法はこんなに簡単な変装ではない。

 誰かがあえて目立つように、そして彼女と分からないように個性を消したのだ。

 そしてそっと、個人を識別できにくい魔法をかけた。


 例を挙げれば、彼女の事をパーティーで名前を聞けば思い出すが、あとから顔を思い出そうとすると、もやがかかるようなさりげない魔法だ。

 異性には効果は抜群で、「可愛かったけど、どうしてか顔があいまいだな?」と思わせる、つまり、好きになりにくくするものだ。


 そして、厄介なのはこの魔法は、解いた時点で完璧に彼女だと判別不可能になるように綿密に設計されている。まるで、シンデレラの魔法だ。

 だから、任務終了後に王都で出会った者たちは誰も彼女を探せない。

 彼女の信頼する術者である『魔法使い』は手掛かりという硝子の靴さえ消してしまうのだから、完璧だ。


 魔法使いはこの王都での彼女の日々を夢のような時間としてプレゼントし、夢として終わらせるつもりなのだろう。魔法使いからの夢の時間のプレゼントというやつだ。

 それは、魔法使いが絶対傷つかないためのものだ。


 彼女に魔法をかけた術者はさすがだ。

 催眠魔法と変装魔法のお手本のような術だった。


(ユートゥルナ。大嫌いな人物だ)


 リシャールは姿を隠して暮らす女神の生まれ変わりである男を思い浮かべて歯を噛み締めた。

 神の意図もリシャールの悔しさも、何も知らない彼女は迷わずに言った。


「振るもなにも。私は修道女なのです」


 いや、彼女は市民だった。リシャールが勝手に戸籍をかえたので、彼女は知らないけれど。


「殿下の事は好きですが、私はエマのように、聖女様のようになりたいのです。それが私の目標ですから」


 一方、リシャールの目標は修道女を辞めさせることだ。

 さすがにそれを言うと彼女に軽蔑されるから、さすがに面と向かって言わないけれど。


「エマが私を救ってくれたように、少しでも何か人のためになりたいのです。殿下の妃はもっとほかの適任がいるはずです」


 いや、適任がいたらリシャールが何度も同じ人間に死ぬほど惚れはしないのだ。

 初恋を10年も追いかけ回さない。

 しかし、彼女はその事実を知らないから、リシャールに適任の令嬢がいるとか彼を傷つける言葉を何度も言うのだ。

 リシャールの気も知らないで。


 リシャールたちは、王通りから小さな商店街のある右の道を曲がった。硝子を細かく砕いたものを混ぜたレンガの道は、陽の光を浴びて輝いていた。


 リシャールは思い切って言ってみた。


「エマは……聖女じゃないと思うぞ」

「え? 何を言ってるんですか? エマは一瞬で傷を治すような術者なんですよ。教会関係の聖女以外に誰がいるっていうんですか……?」

「そんな女聞いたことはない」

「聖女ですよ。町のみんなはそう言ってましたし。エマの身元はきっとわけがあって明かせないのかもしれませんが……エマは確実に聖女です」

「……」


 リシャールは困った。

 心底。

 彼女が修道女に執着する理由がまさかリシャールだったからだ。リシャールはローゼを奪った修道院なんて大っ嫌いなのに。

 それに、彼女が慕う聖女である親友がリシャールだと言ったら、どう思うだろう。

 リシャールとしては、女装男はさすがに彼女だってイヤだろうし、出来れば今の自分だけを見て欲しいのが男心だ。いつまでも隠すわけにはいかないけれど。


「それに私は、傷モノですから。殿下には似合いませんよ。後ろの開いたドレスも着れませんし」


 傷? なんだそれ?

 そんなものないぞ?

 と言いたいが、あえて言わないのはリシャールの男心だ。


 実は背中の傷はずっと心残りだったから、昨晩リシャールは濃厚な愛撫ついでに綺麗に治した。彼女は気づいていないようだった。

 

(まぁ、自分では見えないしな)


 リシャールは彼女は一生、背中に傷があると思って、背中の空いた服を着なければいい、と思っていた。


「背も低いですし、スタイルも良くないですし、頭の中身は海綿が詰まっているみたいですし」

「海綿は悪かった。まだ根に持っていたんだな。だが、背が低い事に問題でも?」

「身長差は大変だって聞いたことあります」

「……それ、意味わかっているのか?」

「家具のサイズですかね?」


 彼女はため息をついた。


「私は美人でもないですし。王都に来る前はすごい地味だったんですよ。びっくりするくらい、質素で地味な修道女でした。それに、殿下の方が美人です。殿下は女に生まれても美人で色気があってモテていたと思いますよ」

「ほぅ、自虐のオンパレードで私を納得させようとそんな事いうんだな。今夜は長い夜になりそうだ」

「ど、どういう」


 リシャールは、やっぱり今夜あたりは本気でどうかな、憎き修道院に帰れないような事をしてやろうか、というか、もう溺れてしまうくらいに躾けて良さを教え込んで、などと物騒なことを考えていた。


「殿下。顔が怖いです! わ、私は修道院に帰るので、そういうことされたら困ります」


 リシャールは修道院と言うものは時代遅れの今や意味のない場所だと知っていた。

 そして、そこには彼女が慕う聖女はいない。


「帰れるとでも……?」

「え……」


 能力のない彼女の先は見えていた。

 ユートゥルナに可愛がられて狭い世界で暮らすだけだ。

 狭い、狭い、時間が止まったところで。


「私は帰ります」

「別れ話は聞かない」

「私は、あなたにも感謝してますが、結婚はできません。ですから、生涯、殿下のご活躍をお祈りします。今までありがとうございました」

「それは聞き飽きた」


 祈ったところで世界は変わらないし、身近なところしか善行はできない。よって、人は平等なのだ。

 神などいないのだ。

 リシャールは人間は気持ちの持ちようだから、神を信じるのは個人の自由だが、それよりも自分が成せる事を見つけた方がいいと思っている。

 

(それに生きる上で無駄な仕事はないし、王族だからとか、女だからとか。女として生きていても、男として生きていても、自分は自分だろう)


 暗い部屋で祈る時間があるなら、出来ることをして前を向けばいい。神任せほど危ういものはないから。


「私はエマのように、なりたいのです。どうせ助からなかった命なら」


 彼女は立ち止まって必死にリシャールに言った。

 彼女の場合は、ただエマという人物に憧れているだけなのだ。

 リシャールは知っている。彼女の家族から離れて能力がないと言われ続けた寂しい暮らしを。

 心許せるのは孤児院と街の子供たちや市民、わずかな友人。

 

(それじゃあ、嫌味を言われていた令嬢時代と何の差がある?)


 むしろ、今の方が立場が悪い。


「こんな私が生きていく、エマは光なんです」



 リシャールの事を受け入れられない自信のなさも、全てあの明るい彼女を変えてしまった修道院という閉塞的な環境のせいだった。

 彼女が令嬢と生きていれば、こんな惨めな思いもせずに済んだのだろう。

 朝から晩まで命をすり減らして、雑用なんてせずに済んだ。

 彼女は修道女といっても名ばかりで、任務もない、やる事は下っ端に混じてやる雑務、もしくは、魔法使いの話し相手だ。


「だから、誰とも結婚はしません。好きだけど、できません」


 一生結婚する気がないなら、自分と結婚した方がましだとリシャールは思った。


(できる限り、いや、嫌というほど、その下りに下がった自己肯定感を見直すくらいに愛してあげよう。ローゼの『やりたい事』はすべて私が、気が済むまでさせてやる)


 リシャールは彼女の涙を拭った。手を繋いで歩いた。

 昔はふざけて彼女から繋いでくれた手を。


 今はリシャールは彼女に遠ざけられてばかりだった。

 彼女の泣き顔はリシャールを好きだと言っているように見える。

 

(好きじゃなきゃこんなに辛い顔をするわけない)


 だから、彼女は物凄くリシャールのことが好きなのだ、と。


 皮肉にも、リシャールたちの近くにいた若い男女が嬉しそうに我が子を抱いて歩いていた。幸せそうだった。


 リシャールは身分も立場も邪魔だった。

 もし、リシャールと彼女が身分に縛られない平民なら。


 リシャールは躊躇うことなく彼女再会した時点で告白して、それでささやかな式を上げて、深く抱き合い夜を共にし、そして愛しい子どもを抱けたのだろうか。

 愛していると言ったら、素直に嬉しいと言ってくれたのだろうか。

 リシャールを愛しそうな顔で見つめて、腕の中で全てを曝け出して、彼女の頭の先から爪の先端までのすべてを彼にくれたのだろうか。


 気がつけば、花屋の前だった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ