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薔薇の街⑥ 回想

 教会から南に見える高台の丘。

 そこから灰色の煙が舞っている。

 エマは窓を開けて、目を凝らすとやはりそこは大切な人がいるところに違いはなくてーー動揺した。


「あの高台は……」


 エマが確認するまでもなく、町の住人から知らせが来て、マリーの、つまり伯爵一家が住む高台の屋敷が燃えている、と知った。


「誰か、水の魔法を使える者はいないのか!」

「昔は街外れにいたんだけどなぁ。じいさん死んじまったし……!」

「とにかく、水を用意しよう!」


 町の人々皆がそう言って、騒いでいた。

 エマは知っている。


 実のところ、この国に、いや世界中で、一瞬でこの火事を消せるような術者はもう数人しかいない。

 300年前ならごろごろいたが、今や魔法も廃れ始めているのだ。

 もし、そのような人物がいたとすれば、ローズライン王国第一王子か、もしくは森を越えた先にある女神の生まれ変わりであるユートゥルナくらいだった。


 あの魔法使いみたいな王子がこんな辺境地にいるわけないし、誰もリシャールなんかに期待はしていない。

 だからといって、ユートゥルナは修道院を離れることができない。

 つまり、魔法に望みをかけるとすれば、修道院から有力な派遣を待つくらいだ。

 それなら、人力で水を汲むか、早く救助した方がいい。


「どうしましょうか。自分の魔法は、催眠系ですし……」


 ポールも神父をできるくらい魔力があるが、彼の得意とするのは、心理作用系の魔法だったので、ここでは意味をなさない。


 エマは何も持たずに、マリーの屋敷に向かった。

 現場は火柱が空高くまで上がっていた。

 すでに消火活動はされていたが、火の手が治まることはない。


「マリーローゼリーと、ライアンがまだ屋敷の中にいるの……!」


 真っ黒の髪を乱した伯爵夫人が取り乱し、叫んでいた。

 マリーの母だろう。

 最悪の事態だった。


 エマはすぐさま水もかぶらずに、煙と炎の中――屋敷に入っていった。

 誰かが止めた気もしたが、エマは振り払い、聞く耳を持たなかった。



 エマは風の魔法を使用した。炎がエマ避けていき、道ができる。

 幸い、階段はまだ焼けておらず、登り終えた先の廊下にライアンが倒れていた。

 エマは、全身重度の火傷である水疱を負ったライアンに即効性のある強力な治癒魔法をかけ、転移魔法で夫人がいる外に移動させる。

 とりあえず、ライアンの一命は取り留めたはずだ。

 そして、エマは長い廊下の突き当たりにあるマリーの部屋に向かった。

 エマはドアを魔法で吹き飛ばした。

 中には部屋の片隅で疼くまるマリーがいた。


「ローゼ」

「……エマ? 来てくれたの?」


 部屋の中は煙がひどく、カーテンは引火して轟々と燃えたのか、窓辺は火で覆われていた。

 マリーは床にうずくまっていたため、煙はほとんど吸っていなかった。

 しかし、背中や腰などの背面にやけどを負っていた。


「もう、大丈夫だから」


 エマはマリーの体に治癒魔法をかけながら、彼女を抱き抱えた。

 たぶん、これほど火傷していても、治癒魔法のお陰で痛みはないだろう。

 エマは治癒魔法は使えたことに感謝した。

 しかし、先程のように転移魔法はできない。

 いつもなら簡単にできるが、最近の魔力では、ライアンだけで限界だった。情けない。

 よって、マリーを抱えて来た道を戻ることにしたのだ。


「重くない?」


 エマは、重病人のくせに、マリーが心配してくるので呆れた。


「全然。すごく、軽い」

「ほんと? エマって、細いのに力あるよね」

「……」

「ああ、変なの。エマに抱っこされるなんて。まるで……王子様みたい」

「……私が?」

「うん。物語の王子様はお姫様を助けに来るでしょ? あれみいだね。いや、エマは……本当の王子様よりかっこよかったよ。すごくきらきらして、本気で、女だけど好きになっちゃいそう。エマって、こうやって見ると、なかなかのイケメンだよね、目鼻立ちも、全部……」

「……何を言うかと思えば、こんな時に」

「あは、は。そうだね。エマが王子様なら、喜んで結婚しちゃうかも」

「……もう、黙れ。煙を吸うから、話すな」


 マリーは素直に口を閉じて笑った。

 そして、重い瞼を閉じた。

 


********


 乾燥した日に、マリーの人生を変える火事は起こった。

 原因は新人のメイドの火の始末が悪かったためだ。


 マリーは寝ている間に煙に紛れていた。


(なんかいい夢を見た気がする)


 夢の中では、ふんわり体が浮いている気分だった。

 ちなみに、マリーは誰かに優しく抱きかかえられ、助けられたらしい、と後から聞いた。

 マリーは、うわ言でその誰かに何か話した気がしたが、覚えてはいなかった。


 気が付けば、エマに治癒魔法をかけられていた。

 横にいるライアンは虫の息だった。


「ライアンをたすけて。私はどうでもいいから」


 マリーは背部に火傷、ライアンは全身火傷の重体だった。

 ライアンに関しては生きているのが不思議なくらいであった。


 暑い夏の日、颯爽と現れた親友のエマはマリーと弟を助けた。

 

 エマは生死を彷徨う2人の傷を癒してくれた。

 マリーが弟を優先した為、彼は無傷まで回復し、マリーには背中に痛々しい痕が残った。

 幸いマリーの家族は全員無事で、領地経営は順調だったので間もなくして新しい屋敷が建てられた。


 マリーは怪我が完全に完治した頃、エマを探した。

 マリーが療養中、一度も姿を見せなかったためだ。

 外に出れるまで回復した頃、すぐさま教会に向かった。

 しかし、エマはマリーの知らぬ間に街をあとにしていた。

 さらに、他の教会の神父にエマの事を聞いても、みんな口を揃えて、困った顔でこう言った。


「ポールは確かに赴任されていたけれど、エマという、そんな少女はいない」と。


 そんなはずはないと、マリーが食い下がると、神父のひとりがぽつりと言った。


「傷を治してくれたって話なら、それは修道院の聖女じゃないか?」

「え……」

「火事の時、我々はそのエマという子を見てないが、君が重症だったことは知ってるよ。たぶん、修道院関係者だろう? こんな魔力があるから、もしかしたら、ユートゥルナ様か、その側付きさんが駆けつけてくれたのかも」

「ああ、そうかもな。あの人達は目立つのが嫌いだし、すぐに帰ったんだろう」


 マリーは、エマが何者か分からなかったため、その話が一番信憑性があると思った。

 マリーはそれを信じて翌年の春、身分を捨てて、修道院の門を叩いたのだった。


回想、思い出話は終わりです。

マリーが修道女になったきっかけとなる出来事は以上になります。

連載初回からずっと書きたかったので、やっと話にすることができてよかったです。

ありがとうございました。

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