薔薇の街② 回想
ローズライン王国の首都であるクリスタルロードは、その名前の通りメイン通りが硝子のような透明な道路で構成されており、街路樹の代わりに所々に季節の薔薇が植えられている美しい街である。
マリーは王都に派遣されてから、休日に市場や洋服店、本屋などに行った事があったが、意外な事に、日常生活に不必要な観光客向けの店には入ったことはなかったのだ。
だから、お土産用のガラス工芸品も購入した事が無いし、マリアが言っていたかの有名な薔薇を用いた化粧品店も足を踏み入れた事が無い。
サラの護衛やリシャールの婚約者役の為に通った王城、ブラン侯爵邸、平民街の物件、最寄りの市場がマリーの行動範囲だった。
「相変わらず、綺麗な街並みですね」
馬車で通ることはあっても、こうやって歩いたのは初めてだった。
リシャールはいつものように無表情であった。
日差しを受けて輝く淡い金髪、マリーと頭1つ分以上高い背に、長い手足、歩くだけで様になるスタイル。
(殿下が街を歩いている。……絵になるわ)
どの角度から見てもリシャールは麗しく、マリーは胸をときめかせずにはいられなかった。
「まだどの店にも入っていないのに、随分楽しそうだな」
マリーの高揚感が伝わったのか、リシャールの呆れた声が耳に響いた。
その声も落ち着いていて、ここち良く感じるから不思議なものだ。
マリーは少し浮かれていた。
それもそのはず。
(だって、これ、完全にデートみたいだもの。……まさか殿下とこうやって普通の恋人みたいにぶらぶらする日が来るなんて思わなかったわ)
マリーの横には、街並みよりも美しい、リシャールが歩いている。
道行く人が、リシャールを見ていた。
誰かが、「見て、すごく綺麗な人!」と言った。
人形のように整いすぎた顔は冷たそうに見えるが、今のリシャールに出会ったことの様な凍えそうな冷血な雰囲気はない。
マリーはリシャールと散歩するだけで、もう十分幸せだった。
好きな人と、朝から出かける。
どこに何処に行くとか、何をするとか、そんなことはどうでもいいのだ。
ただ、隣でいれるだけで、幸せ。それが恋なのだろう。
修道女と王子は釣り合う事はないけれど、いつかは思い出になるけれど、今だけは、自分だけのリシャールなのかもしれない。
名産品(という名のお土産)を買う、などというマリーの希望にすんなり応えて、こうやって付き合ってくれたのも意外だった。
いつもならこの時間は公務で、一分一秒を惜しんでいるような人だ。
平民街に訪ねてきたのも異様だったが、そんなことはもうどうでもよかった。
物語で言えば、今が一番幸せなシーンだ。
手の届かない王子様とお忍びでデートする。
それは夢の様な話で、もちろんこれは夢であり、今日一日限定だ。
それもあって、今日は特別な日に思えた。
「ずっと観光する事が憧れだったんです。素敵な街だと、友人から聞いていたのですが、なかなか機会に恵まれず……今日は付き合ってくれてありがとうございます、殿下」
リシャールはマリーの横を、歩幅を合わせてゆっくり歩いていた。
リシャールは変装はしていなかったが、もともとテオフィルとは違い滅多に国民の前に姿を現さないので、誰も彼が王族だとは気づかなかった。
それでも一応目立たないように魔法をかけているようだった。
道行く人は彼の美貌に一度立ち止まるが、それ以上関与しないのも、魔法の効果だろう。
「あの橋がクリスタル橋ですね、――ああ、あれがサラ様たちが結婚式を挙げたという大聖堂ですか。やはり豪華ですね。素敵です。街の薔薇も様々な品種が揃っていて、芸術の街ですね。聞いていた通りです」
「……誰に聞いたんだ?」
「私の大切な友人が、いつも素敵な街だと語ってくれたんですよ」
マリーはにこにこ答えた。
マリーが他人の話をしたのが珍しかったのか、気に食わなかったのか、リシャールは少し眉根を寄せた。
「ふうん。この街に知り合いでもいるのか。意外だな。ずっと辺境地にいた貴様の知り合いとは、どんなやつだろうな」
「殿下……私がずっと辺境地暮らしだとご存じなんですね」
マリーは先ほどのときめきから一変、身震いした。
それもそのはず。
リシャールはこんな澄ました顔(マリーなんかに全く興味がないような顔)をして、マリーの筋金入りのストーカーさんなのだ。
だから、その財力でマリーの遍歴は全て把握済み。
よって、人間関係においても例外ではない。
自分の知らない人物が出てきて、気に食わないのかもしれない。
(まぁ、殿下なら有り得るよね)
マリーはそれ以上考えても、経験上どうにもならないことを悟っていたので、考えるのをやめた。
マリーは良くも悪くも諦めが早く、さっぱりとしていた。
今更、顔も体も仕草も顔に似合わず優しいところも大好きな人が、ストーカーとか犯罪者とか、舐めまわすような変態的な性癖多種多様(?)に持っているとしても。もはや、驚いても仕方ないのだ。
そんなことに悩むだけ人生は無駄というもの、と割り切っていた。
「そもそも貴様の人生は、領地と言い、修道院といい、内陸側の辺境地で結界すれすれのところばかり居住していただろう。あそこに派遣されるものといったら、限られてくる。……そうだな、思いつくあたりでフレッドあたりかな」
「ふふ、残念ですね。フレッドではありませんよ」
「……」
マリーはあははっと笑った。
リシャールは納得いかない様だった。
「貴様が他人の話をするなんて珍しいな。初恋の男か?」
「いえ、でも……大切な人です」
「……そいつ、誰だ?」
「だから、友達です」
「……」
「そんな怖い顔、しないでください。婚約者はいましたが、恋人はいませんよ」
「婚約者ね。それぐらい知っている。ああ、……相変わらずとぼけた顔をして……いい度胸だな。貴様のその挑戦的な所だけは立派だ」
リシャールが不意に立ち止まり、マリーを見下ろした。
マリーはきょとんとする。
「とぼけてませんよ。何勘違いしているんですか。やめてくださいそういうの。冤罪です」
「貴様は秘密が多い人間だから信じられない」
「あの、殿下。なんなんですか。その……私が浮気者みたいな言いぐさは」
「貴様はよく人をたぶらかせるからな。まぁ……あんなことをしておいて、今更、別れるつもりはないからな」
あんなこと、とは昨晩のアレだろうか。
はて、おかしいな。
マリーは一方的に襲われただけなのに、話がおかしなことになっている。
「殿下、落ち着いてください。私もああいうことをしたのはあなたが初めてです」
「本当か? ……嘘なら、許さない」
リシャールは真剣な顔だった。
マリーは嫉妬深いと被害妄想多発で大変だな、と内心思った。
「許すも何も……何もないですって。殿下こそなんでもありそうですけど。……経験人数多そうじゃないですか」
「馬鹿いえ。あるわけないだろう。だから言っているだろう。そんなことしたい相手、貴様以外いない。貴様は何を期待しているのか知らないが、そんな相手、生涯現れない」
「えっ……それこそ本当ですか? 今にも過去にも殿下の周りには、ほかに美しい女性は腐るほどいるでしょうに……! もったいない」
「何がもったいないだ。ああ、貴様はやはり私の想いを疑うのか? 早く結婚したいと言っているだろう。……好きなんだ。他じゃ、もうだめなんだ」
ちょうど、クリスタル橋の手前。
甘く低い声が響いた。
「……え?」
マリーは率直すぎる言葉に、言い返す事が出来なかった。
「貴様が望むなら何でもする。絶対に、不自由はさせないし、傍にいてくれるだけでいいから、すこしでも私のことが好きなら、結婚してほしい。私が、これほど人を好きになることはもうない」
そして、マリーを恋い慕う台詞が続く。
本当に彼らしくない、言葉だった。
「……は、はい?」
「だから、自分でも困るくらい、好きなんだ。もう、離れたくない」
ベットの中ではなく、昼間からリシャールらしくない愛の告白をされて、マリーは赤くなった。
街行く誰かが、「がんばれ!」とか「若いね!」と言って通り過ぎていった。
どうやら、カップルと思われているらしい。
「もう、やめてください。わ、わかりましたから。はい。それに……友人と話したのはもう結構昔のことなので。あの人は……今はもうどこにいるかはわかりませんが、いい思い出です」
「……思い出?」
「そう、大切な思い出です。私が修道女になったきっかけは彼女なんです」
マリーは歩をすすめ、ゆっくりと話し始めた。
(最後に話しておいた方がいいかもしれない)
マリーはもうすぐお別れのリシャールに知ってほしい気がしたので昔話を語る事にした。
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それはマリーがまだ12歳の何も知らない女の子で、『マリーローゼリー・ミュレー』という辺境地伯爵令嬢だった頃の事だ。
マリーは修道院に隣接する広大な領地をもつ、宗教に深い理解がある家系に生まれた。
首都から離れた田舎だったため、山や川、農地に恵まれた自然の中で育った。
領地は、首都ほどの豪華絢爛な屋敷ではなかったが、今思えばそこそこの規模だったと思う。
マリーの住む侯爵邸の屋敷の中には、神父を招けるぐらいの立派な礼拝堂があった。
だから、字を読めるようになる前から聖書の内容は頭に入るぐらい毎日聞かされていた。
マリーの両親は、ユートゥルナ教会の信仰に厚く、休日になると平民に混じって教会で行われていたミサに参加していた。
しかしながら、ミサと言ったら、祈りやらお言葉やら、いろいろ子供にとっては退屈である。
12歳のマリーも例外ではなく、ユートゥルナという代々生まれ変わりながらも国を守ってきた生き神様の素晴らしさや、教会ありきのこの国の歴史ーーつまり、国境の結界により何度も戦を免れた事について理解は出来たがまだぴんとはこなかった。
だから、ミサはとても退屈だったのだ。
同じ祈りの言葉、どこか聞いたことあるような神父の話、誰一人話さず静まり返る教会は異様なものとさえ思えた。
つい、マリーはミサの最中に居眠りをしてしまい、それについて両親に咎められ、たまたまその日はミサに参加せず、教会の横にある庭で時間を潰すことにしたのだ。
町人は皆顔馴染みで、田舎の領地だから、12歳の少女である令嬢が一人でいたとしても、特に危険もない。だからいつも彼女は自由だ。ミサが終わるまでの間、野原に花を見に行き、時には川辺で本を読んだりしていた。
マリーは貴族とはいえ、自由気ままな少女時代だった。
そんな時に、巡回の神父様に連れられていた少女、つまりのちに聖女様と慕うエマと出会ったのだ。
エマは異様な女の子だった。
昼間からミサに参加する事もなく、中庭で盛大に本などの私物を広げていた。
その本も、『生き物膀胱大辞典』とか『世界で一番つらくて面白い兵役』とかよくわからない不思議な題名のものだった。
普通の正常な少女ならば、まず手に取らない本だ。
――怪しい。
それがマリーの第一印象だった。
しかしその変な所を打ち消すぐらいにエマは綺麗な女の子だった。
エメラルドグリーンの瞳、淡い銀髪、すっきりとしすぎてどこか悲しい憂いを帯びた整いすぎた綺麗な顔。
少女にしては肉付きが悪く、背は高い身体。
少し触れただけで、壊れてしまう芸術品のような存在感。
(綺麗)
マリーは一目で、心を奪われた。美しい、と思ってしまったのだ。
エマは真昼間の良く晴れた日にも真っ黒な深いフードのついた上着を羽織り、当時の少女には珍しく裾の長いワンピースの下にズボンを履いていた。
出会ったその日、マリーはエマに声をかけようとすると、にらまれたのでやめた。
(あんなにきれいな子初めて見たわ。友達になりたい)
それはある意味恋の様な、興味だった。
純粋にマリーはエマの美貌に惚れており、近づきたかった。
マリーは教会に行く事が楽しみになった。
「あの……!」
「君に用はない。去れ」
しかし、マリーの想いもむなしく、エマは全く相手にしてくれなかった。
エマは人を避けている節があり、いつも一人でいた。
そんな日が何日か続いたある日のこと。
マリーは今日こそは声をかけたいと思っていた。
その日も変わり者のエマは昼間から教会の横でお手製のホルマリンに3日前に付け込んだというカエルをスケッチしていた。
その日、マリーはやっぱり諦めきれなくて、でも声もかけられず、エマの近くで絵具を用いて教会を描いていた。
そんな時だった。
「その真っ赤な血みたいな、どす黒い赤、少し貸してくれないか?」
それが彼女の第一声だった。
「えっと……この薄暗い赤の事?」
「ああ。それだ。その色が、足りないんだ」
エマはマリーのいろんな色が無造作に混じるパレットを見て言った。
エマはその日、思った色が欠けていて、心底困っているようだった。
ブックマークがかなり増えていて驚いてます。
今まで読んでくださっていた方も、サラの話から来てくれた方も、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
物語は、徐々に終盤に差し掛かってきてますが、まだ続きます。
ありがとうございました。




