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薔薇の街①

 マリーは食事作りはリシャールに任せきりだったから、「片付けくらいは自分がする」と名乗り出た。

 マリーは朝食の片付けを終えて、簡単に支度を整えるために、寝室から繋がるクローゼット部屋に行った。

 そして、簡素な白地のワンピースを着て、髪をハーフアップにし、王都に来てから覚えた化粧を施した。

 カバンの中に財布やハンカチなどの最低限の荷物をまとめていると、ふと、机の上に置きっぱなしになっている画材道具とレオナルドからもらったレターセットがマリーの目に留まった。


 画材道具は、最近忙しいせいかろくに絵も描けず放置されている。

 薔薇の透かし模様が入ったレターセットは、書きたい相手とのお別れの手紙用にずっと使わずにおいておいたのだ。

 お別れの相手、つまりリシャールに宛てて手紙を書くつもりだ。


 マリーは生涯これほど男性をひたすら直向きに恋しいと思うことはないだろうし、薔薇の記憶とともにお礼を兼ねて、リシャールに手紙を送りたいと思っていた。

 それが今もずっと変わらないマリーの正直な気持ちなのだ。

 綺麗な恋物語の終わり方、だと思う。

 ただ。


(危うく一線越えそうになったけど、まだセーフだよね? 手紙を書いて渡して、綺麗な純愛?で終わらせるつもりだし)


 リシャールに一晩中身体中を舐められたり、定期的に独占欲にまみれた痕つけられたりしたことは純愛になるのだろうか。


 あと皮一枚の距離で交わりそうな事までしておきながら、最早これが純愛と呼べるかは謎だが。

 

 とにかく、マリーは時が来たらこの恋を終わらせるつもりでいた。

 綺麗さっぱり王都での日々を愛しき思い出に変え、修道女として生きていく。

 それが正しい道で、誰にも迷惑をかけないと信じていたのだ。


(そろそろ、修道院のみんなにお土産でも買おうっと。来週はもうコンクールだし、私はそれ以上長居する理由がないわ)


 血抜き殺人事件も、何人か同様の手口犯が捕まり、事態は収まりつつあるらしい。

 何せ、あのリシャールがやる気を出して片っ端から犯人を捕まえているとジャンから聞いたのだ。

 どういう風の吹き回しかわからないが、あれほど無頓着だった教会の案件だというのに、不思議なものだ。


(殿下は私が血抜き殺人事件に関わっていたから、犯人探しに躍起になってるのかしら? まぁ、そうね。殿下は私と結婚したいから、余程修道院をクビにしたいのね)


 マリーの仕事を世界で一番邪魔をする男、それがリシャールである。ありうる話だった。


 マリーは溜め息をついた。

 リシャールはきっとマリーの仕事を邪魔したいのだろう、と思う。

 役立たずなマリーを修道院から見放されるよう、手柄を横取りし、嫁に来るしか食いぶちがないように画作……というせこい手口だが、最近の切迫詰まったリシャールならやりそうなやり口だった。


(まぁ、もう帰還命令が出ているし……殿下がやる気になってくれたら、王都も安心ね)


 早く事件を解決すれば、犠牲者もでないし、リシャールが犯人という疑惑もなくなる。

 テオフィルもジャンも、リシャールが犯罪者にならないで済むし、いい事づくめだ。

 すべては良い方に向かっている、とマリーは納得したところで、寝室のドアが開いた。


「今日の予定はあるか?」


 リシャールは巡回の騎士風の制服を着ていた。

 まぁ、リシャールがきらきらじゃらじゃらの装飾品がついた服を着ていると、いくら魔法で変装しようとも街では目立ち過ぎるから妥当なところだろう。

 いつもより簡素な服もスタイルの良い彼は見事に着こなしていた。


(何着ても似合うのよね、困ったことに)


 まさに、綺麗なイケメンの騎士さん。


 彼の切長で凍えそうな深い青瞳。それは神秘的で憂があって、マリーは目が離せなくなった。

 さらに、リシャールの低いけど響く声がどこかいやらしくもあり、身体に響くのだ。

 それだけじゃなく、人形じみた顔立ちも、透き通る肌も、全部ーー。


「おい、大丈夫か?」


 また見惚れてぼーっとしているマリーを見てリシャールは眉根を寄せたて言った。


「は、はい元気ですが、何か?」

「予定を聞いているだろう? どうなんだ?」

「えっと、予定は……」


 修道院のみんなにお土産買いに行きますとは言えず、マリーは言葉に詰まった。


「どうだったかなぁ、予定あった気もするんですが……」

「ちゃんとスケジュールぐらい把握しとけといつも言っているだろう」


 リシャールは予定を聞いているだけなのに言い方が素気なく怒っているように感じる。

 普通の人なら剣幕な彼の様子に怯むかもしれない。

 実のところ、マリーは今までは若干怯んでいた。しかし、今は前よりも彼を知っている。


(日中は短気ですぐ人を睨んだり、失礼なことをすかずか言うような人だけど……)


 ベットの中では『愛してる』とか『好きだ』とかよくある愛の言葉だけじゃなくて、『貴様の肌も髪も顔も香りも全部好きだ。爪の形でさえ覚えているくらい、溺れてる』などと恥ずかしい事を平気で言ったり、『ローゼの嫌いなところなんてあるわけないし、汚いところなんてない』『早く結婚して、ローゼのすべてを私のものにしたい』とか永遠に言うのだ。

 日中の態度からすれば雲泥の差だが、そのはち切れたギャップもマリーには堪らなかった。リシャールの夜の顔を知ってしまったから、さらに彼に惹かれているのも事実だった。

 だから、いつもはちょっとカチンとくる、リシャールの強めな言い方も快く目をつぶってあげれるのだ。


「貴様、何笑ってる?」

「いえ、何でもないです、ハイ」

「……思っていたより元気そうだな。あれだけじゃ足りなかったか?」


 そう言ったかと思うと、リシャールに妖艶に微笑まれて、ベッドに押し倒された。


「んっ」


 リシャールに顎を掴まれ、強引に口づけられたのだ。

 太陽が昇って、辺りが明るいのに、はしたない水音が部屋の中に響いた。


「……だ、だめ」

「ダメなわけあるか。キスぐらいで」

「だって……」

「昨晩は控えめにしてやったのに、へらへら笑うところを見るとまだ貴様はまだまだ大丈夫そうだな……最後まですればよかったかな」

「いえ、昨晩は結構こたえました! というか、殿下! 無理矢理はダメですよ!」

「無理してしなきゃ、貴様は触らせてくれないだろう?」

「犯罪ですよ、それ!」


 当たり前だが、いくら婚約者と言えど合意がない行為は犯罪なのだ。

 しかし。


「ひとつなふたつ、罪が増えたって今更関係ないからな、私は」


 リシャールはあまり気にしてないようで当然のようにまたマリーにキスを落とした。


「ちょっと……殿下っ!」

「無理矢理しても、翌日になれば馬鹿みたいにへらへらしている貴様なら問題ない。もっと早く抱けばよかった」

「いやいや、問題あります! やめてっ、下さい!」


 誰か助けて!というように、マリーはジタバタ手足を動かしたが、リシャールはびくともしなかった。


「何を言う? 私の事が好きでさっきまで赤くなっていたくせに、今更被害者面をするな。まぁ、見た目が好きだと心と身体がバラバラで貴様も大変だな」


 その通りだ。

 さっきまでマリーはリシャールの兵士制服で見惚れてしまっていた。

 だけど、無理矢理されるのは嫌だ。


 リシャールが嬉しそうに笑った。


「予定がないならーー」

「今日は街に買い物に行きたいです!」

「……」


 リシャールがその言葉を聞いて静止した。


 もちろん「何を?」と聞かれ、お土産を買いたいからという理由は省いて、とっさに「王都との名産品を買いたいです」とかなり危うい言葉が出た。


「名産品、ね」


 だってお土産だもの。


 もう二度と王都に来ないかもしれないのだ。

 ただ、マリーはリシャールにそんな事を口が裂けても言えなかったが。

 リシャールはマリーの顔をじっと見た。


「まだ観光したことがなくて。折角だし(帰る前に)したいなと思っていて」

「ふぅん。じゃあ、ちょうど私も街に用があるから一緒に行くか」


 このようにして、案外勘のいいリシャールにマリーの思惑がバレることもなく、リシャールと晴れて二人で観光というデートに行くことになったのだ。


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