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雨の日と、聖女

前回、ブックマークしてくれた方、ありがとうございました!

「最近のリシャール君はどうしちゃったかな? 舞踏会まで出てさ。これじゃあまるで、普通のきらっきらな王子様じゃないか」

「……私は一応王子だが?」


 リシャールは執務室で書類にサインしながら淡々と仕事をこなしていた。

 先程、書類を持って訪ねてきたジャンは書類をリシャールの机に置いたのち、怪訝そうな顔で訊ねてきたのだ。

 最近のリシャールはおかしいと。


「馬鹿言うなよ。リシャール君のどこが王子だよ。ああ、どこに消えたんだよ。趣味は墓荒らし、人肉好きと噂される、凶悪冷酷な顔は。昨日なんか、普通にダンスして微笑んでいたよね。もう、僕、怖いんだけど。寒気するわ」


 ジャンはあり得ないと言わんばかりに鳥肌の立った腕を見せたり、リシャールの額に手を当てたり(リシャールは鬱陶しいがされるがまま無視している)、騒がしく執務室を歩き回っていた。


「僕としては真っ当な人間として一歩踏み出した君を応援したい気持ちもあるんだけど、今はただ信じられないというか、受け入れられないというか……今までを知っているだけに、おぞましすぎて体が拒否反応っていうのかな」

「……」


 ジャンは思い詰めたように髪を掻きむしった。

 心の底から、信じられないようだ。

 ジャンはバン! っと机を叩いた。


「ああ、もう! 誰か嘘だと言ってよ。冗談でマリーにはリシャール君は性欲強いとか一晩中アレが機能するから気をつけろとか、執拗な愛撫で穴という穴に突っ込まれるし、ねっとりしているとか、下品な所をふやけるまで舐め回すのが好きとか散々言ったけどさ。実際のリシャール君は恋もしないし、表情筋が死んでいるから微笑まないし、女の子にも欲情しないし微塵も興味ないんだよ、それが事実なんだよ!」


 さすがのリシャールも散々な言われように腹が立ったのか、ペンを止め、ジャンを睨んだ。

 いくら幼馴染でも言ってはいけないこともある。

 しかも、マリーに、そんな事を吹き込んでいたことは聞き捨てられない。

 まるで、変態じゃないか。

 

「お前も本当に……失礼極まりないやつだな。殺されたいのか? だいたい、王子である私が公務で舞踏会に出席し、婚約者とダンスしてなんの問題がある?」

「君、自分が誰だと知っているの? いや、もう何でもいいや。氷華殿下でも悪魔でも人でなしでも女の子に反応しない不能でもいいよ。とりあえず、僕は絶対、君と関わりたくないわ!」


 舞踏会翌日の午後。

 事の内情をフレッドから聞かされたジャンは混乱していた。

 無理もない。

 ジャン不在事にニコルの事件をリシャールが解決した後、血だらけで姿を消したと思えば、無傷で舞踏会で出席していた。

 しかも、ジャンが知るリシャールは舞踏会に出るような真っ当な王族ではなかったはずだ。


 何事もなかったように、執務に励むリシャールはいつも通り澄ました顔をしていた。

 よく見れば、少しだけ表情も柔らかくなったかも……とジャンは思う。


「いや、なんかさ、僕の知っている君はもっと、捨て身じゃなかったけ? 戦に死にに行くみたいな希望のない人間で」

「……」


 ジャンはここ数ヶ月のリシャールについて、幼馴染としていろいろ思う事があった。


「仕事は真面目だけど、常に冷血で淡々としててさ。政策や功績すごいのに、目立ちたがらないし、手柄は譲るし。冷酷非道だと言われても、訂正もせず、戦に一人で戦って命を削る。ただひたすら、ひっそりと生きていたい雰囲気で。……死んだ人間みたいで」

「……」


 リシャールは否定しない。

 確かにそういうふしはあった気がするからだ。


「唯一熱中できることは、死体集め。友達は、絶交気味の僕と避け気味のフレッドのみ。兄弟とは仲違い。偏食。女嫌い。希望のカケラもない人間だったのに、どうしちゃったの? 婚約したり、舞踏会出たり、あれほど興味がなかった事件を自ら動いて犯人を次々捕獲したり。っていうか、君、誰?」

「お前、何が言いたい?」


 リシャールは再度ジャンを睨んだ。

 ジャンの言い草は、ケンカを売っているようにしか聞こえない。

 ジャンは睨まれて少し怯んで、後ずさった。


「やっぱいいよ、リシャール君は怒らせたらいけないね。昔から人の恋事に首を突っ込んだら馬に蹴られて死ねというし」


 リシャールがマリーに出会った当初、ジャンがマリーの婚約者役だったのだが、それを気に食わなかったリシャールにジャンは半殺しにされた苦い過去がある。

 半月はベッドの上だった。

 リシャールの恋人でもないマリーの社交界デビューを手伝っただけというのに酷い仕打ちだった。

 だいたい、仕事なのに。

 ジャンには本当に悪気はなかったのだ。

 リシャールに対する話題は大抵喧嘩を売っているようではあるが、それぐらい言わないとリシャールは会話をしないし、ジャンにとってはコミュニケーションに近い感覚だったのだ。あの日も。

 社交界デビューの日、ジャンが軽い気持ちで、『これからマリーの婚約者ななってきますわ。よろしくね! ちゃんと僕好みにちょっとえろく衣装も用意したし、見にきてよ。ちなみに君って元カレなの? 抱いた? あはは。その反応はまだしてなかったんだぁ、残念だね。実は最近僕気づいたんだけど、彼女、意外に胸もあるんだよな、これが。胸は上向きで、大きさも弾力もあるね。お尻は大きめできっと後ろからヤるときはいい感じに……ぐふっ!』と言い終わる前に致命傷を食らったのだ。


 リシャールに声をかけたのがそもそもの間違いで、火に油を注いだことは言うまでもない。

 あれ以外、ジャンは心底懲りて、からかうのをやめた。

 今もリシャールとマリーの恋事に巻き込まれないよう距離を取っている。

 ジャンはマリーにとっては上司であり、リシャールに勘違いされやすい立ち位置でもあるのだ。


 フレッドがお茶を注いでいて、うんうんと頷いていた。

 リシャールはリシャールについて永遠と語るジャンが鬱陶しくなり、リシャールがいつの間にか召喚した氷の兵に首根っこをひょいっと掴まれて、執務室から追い出したのはいうまでもない。


 ジャンは執務の邪魔以外何者でもない。

 静かになったところで、フレッドがリシャールにお茶を渡した。


「砂糖もミルクもいらないね。はいどうぞ」

「……」


 リシャールは黙って紅茶を受け取った。


「ねー殿下、またやっちゃったの?懲りないね」


 フレッドはくすくす笑った。

 今回もまた輪廻転生を無視して死者を生き返らせた。

 フレッドの時と同じように、生前戦によって人生を歪められたものを選び、第二の人生を与えたのだ。

 墓を暴いて、死人を蘇らす行為は褒められたものではないが、道徳に反しているが、フレッドはリシャールの事は嫌いじゃなかった。

 リシャールがある意味優しくて、深い憐憫の情を持っている人物だと知っていたからだ。


「また、罪が増えるな」


 それは罪だ。間違いない。

 リシャールは自分自身を嘲笑うように笑った。

 馬鹿な事をした、と言うように。

 フレッドは何も言わずにしばらく沈黙した後、陽気な声で言った。


「治癒魔法まで使って傷を治すなんてねぇ。マリーは殿下を見捨てて逃げるわけないのに、無理したね」

「……」


 フレッドが久しぶりにリシャールを、子どもを見るような愛しげな顔で見た。

 それはまるで、幼い子にまた喧嘩したの?と大人が向ける表情のような、優しいものだった。

 フレッドは昔みたいに、リシャールがまだ女の子によく間違えられていた少年の頃のように、彼の頭を撫で撫でしてあげたい気分に駆られ(ついでにキスも)、思わず手が出たが、リシャールに「それはやめろ、気持ち悪いこの上ない」と静止されてやめた。

 フレッドは止められても、やはり怒ることもなく、笑っていた。


「本当に逃したくないほど、好きなんだね。命まで削ってさ」


 フレッドはわかっている。

 リシャールは怪我を悠長に治しているうちにマリーが修道院に帰るかもしれないと思い、最短で治したのだ。

 修道院は目に見えないが魔法に囲まれた要塞みたいなものなのだ。

 修道院に一度入れば、リシャールといえどマリーを見つけるのは大変な話になる。


「あーあ、おれ、仕事早く見つけなきゃな。クビだわクビ」


 フレッドはわざと投げやりに言った。

 マリーがリシャールのもとに留まることになるなら、フレッドはクビだ。

 フレッドは、マリーの昇進試験の管理が仕事で、無事にマリーを修道院に戻す義務がある。

 なんたって、マリーはユートゥルナのある意味お気に入りなのだ。

 修道院にフレッドだけ帰るなんて許さないだろう。


「悪かったな」

「別に。いいんだよ、もう。責任とって、マリーに雇ってもらうから」

「どう言う意味だ?」

「殿下とマリーの一生を見届けるという意味さ」

「……」

「もう離れないよ、殿下?」


 フレッドはにこやかに言った後、颯爽と「まだ仕事があるから」と退室した。

 リシャールはため息をついた。



********



「『マリー』……か」


 リシャールはニコルについては、あとはテオフィルがどうにかするので心配していなかったが、問題はマリーだ。

 ローゼとマリーは違う。

 マリーは修道女だ。

 ローゼは修道女でない彼女だ、とリシャールは思って、そう呼んでいる。

 リシャールは、マリーには一からいろいろ説明しなくてはいけない。

 目を閉じれば、思い出す。

 神を信じ、人々に尽くす人生を望む信仰に真摯なマリー。 

 マリーという人物は、聖女を追い求め、修道女に固執している。

 リシャールは、フレッドが退室してからしばらく額に手を当て、ため息をついた。

 徐に立ち上がり、リシャールは窓の外を見て呟いた。


「聖女なんていないのに、憧れて目指すなんて、な」


 こんな雨の日は嫌な事を思い出す。

 嫌でも、昔噺のように頭の中で誰かが勝手に物語を語り出すのだ。






×××年5月×日


 ああ今日は雨だ。

 まだ5月なのになぁ。

 最近の季節は早足のようで、私に冷たい。

 空も風も星もみんな私にそっけない気がする。

 当然、祈りにも身が入らない。

 信者には悪いけど、私は何のために祈り、生きているのか疑問に思うときもある。


 中略


 明日、私はあの人に別れを告げに行く。

 もうそんなに時間が経っていたようである。

 出会ってから今の今まで一瞬だった。


 悲しくて悲しくて仕方がない。

 だけど、しっかりお別れをしなきゃならない。

 しなくないのに、お別れすると決めたのは、私。


 国の為に、彼のために。世界のために。

 全てのために。

 いや、違う。本当は雁字搦めの鎖みたいな、宗教上の規則のために。


 自分に何の得もないそんな馬鹿げた理由で自身を言い聞かす。


 神が恋なんてしない? 愛し合うと身体が穢れる?

 馬鹿ね。

 1人だけを骨の髄まで求めるなんて有り得ない? 身体を繋げたらハシタナイ?

 馬鹿ね、本当に馬鹿ね。


 私は悪くない? 悪いに決まっている。


 中略


 だけど、変わらないこともあるの。

 私には貴方だけ。

 あの時の肌の感触も、繋がった熱さも、香りも、抱きしめていく。

 来世があれば、また結ばれたい。

 さようなら。さよなら。

 多分、私は私でいるのは、今だけなんだろうけど。




 リシャールが思い出すのは、遠い昔に書かれた20代くらい前のユートゥルナの詩だ。

 もちろん、非公開の私的な日記の抜粋だ。

 たぶん、何百年経った今は残っていないだろう。

 彼女はこの後、自暴自棄になって大魔法を何度か使用した後亡くなった。

 最後まで後悔しながら、修道院に尽くし、祈り、短い人生を終えたのだ。


 いつの時代も女、いや、修道女はこんなものだ、とリシャールは思う。


 本当は、聖女もいないし、神もいないし、来世もないのに、哀れだとリシャールは思った。


 事実、これらは全部、人が作ったのだから。

 己を支えるために作った存在に意味はないと、リシャールは皮肉をこめて笑った。


 今日は珍しく雨が降っていた。

 リシャールがあの日を思い出したのも、無理はない。


 リシャールは思う。

 いつも上手くいかない恋の道は、こんなものだ、と。

 だから、離してはいけないのだ。

 この女のように諦めたら、死んでも、生きていても、虚しいだけだ、と。

ありがとうございました。

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