舞踏会にて④
前回、ブックマークしてくれた方、ありがとうございました。
「……だから、これがどうしたというの?」
テオフィルが何もなかったように微笑んだまま、首を傾げて、優しく令嬢に聞いた。
令嬢は、ぽかん、とした顔をして反芻した。
「どうしたのって……?」
次に目の細い令嬢が、ヒステリックな声で叫ぶように言った。
「この女は、殿下をモデルにこんな卑猥な本を出版しているのですよ。しかも、五か国語で出版されてますのよ!」
令嬢の言う事は紛れもない真実だ。
しかし、テオフィルは首を傾げた。
まるで、『何くだらない事言っているの、君たち』と言わんばかりに少し困った小さなため息をついて。
「ねぇ、君たち。それがどうしたの?」
「どうしたのって……」
「殿下侮辱行為ですわ」
全くその通りである。
細目の令嬢に加勢したコバンザメの話は正しい。
侮辱行為以外何者でもないし、まず題名から訴えられるべきだ、と味方のマリーですら思う。
しかし、反論された事によって、テオフィルは何の感情も持ち合わせていないような真顔になって、ふいに王子様が縛られて下半身露出しているような卑猥な挿絵の入った小説を開いて眺めた。
「テオ……?」
サラも分けがわからないような表情で口をぽかんと開けている。
「……じゃあさ、君はこんな難しい内容、五か国語に直せるの? 翻訳できる?」
テオフィルは令嬢たちにページを開いて見せた。
やはりこの本はどこを開いても卑猥で、そのページは王子様が自身で慰めているシーンである。
8割方、このようなシーンなのだから、仕方ないのだが、書いた本人であるサラすら顔を赤らめる。
「ちゃんと、隅々まで翻訳できるの? 君たち」
「それは……」
テオフィルははっきりとした口調で聞いた。
実際にこんな内容のものを原作のニュアンスを崩さずに綺麗に翻訳できる人間はなかなかいないことは確かだ。
間違いない。
これは色んな意味で、物凄く高度な語学力と想像力が必要なのだ。
令嬢たちは気まずそうに本を見る。
「君たちには、出来ないでしょ。あ、でも恥じる事はないよ。僕も出来ない。……サラはね、こんな凝った内容を何語にでも簡単に翻訳できる天才なんだよ」
「でも、内容が……!」
ピンクドレスの令嬢が当然のごとく反論すると、テオフィルは真顔を通り越して、よく出来た人形みたいな顔をした。
表情という表情を切り落とした顔で、テオフィルは聞いたことのないような、呟くような冷たい声で言った。
「僕がいいって言っているのに、なぜ君が否定するんだ?」
令嬢は背筋が凍るように固まる。
そこには、誰にでも愛想がよくて、どんなひとにも優しくで、皆んなに大人気の王子様の姿はない。
「それは、その……」
「だいたい、僕がサラの事で知らない事があるわけないだろう。馬鹿にしないでくれないか? 君に言われるまでもなく、彼女のことなら、なんでも知っている。小説に限らず、生まれから今に至るまでね。彼女に秘密がないくらいに僕は知っている」
マリーは思い出した。
(あ、テオ様は年表作りが趣味なんだった……)
マリーは忘れていた。
以前マリーもサラの友人という事でテオフィルに懇切丁寧に調べ上げられたのだった。
テオフィルは、なんと言ってもストーカーの鏡であるリシャールの弟だった。
冷静に考えてみれば、妻であるサラについて調べないわけがない。
サラは、テオフィルに秘密を作るなんて、初めから無理だったのだ。
「君の物語は一字一句覚えているよ、サラ」
「テオ……」
テオフィルは愛の告白のように真摯な顔つきだったが、サラは複雑な表情だった。
間違いなく、サラは若干引いている。
サラはさりげなく、テオフィルから数歩後ずさった。
テオフィルは気にしていないようで、ニコニコしているが、サラは顔を引き攣らせて確実に引いていた。
テオフィルは上衣の内ポケットから令嬢たちに手帳を取り出して、見せた。
マリーから内容が見えないが、令嬢たちは言葉が出ないほど、動揺していた。
「君たちこそ、いろいろ隠し事あるんじゃないの、家の事とか自身の事とか。今後の生活に関係してくるような重大な秘密はどの家にもほじくればあるものだから、当たり前のことなんだけどね。……秘密は秘密のままの方がいいよね?」
それはサラの秘密を言えば、令嬢たちの秘密もばらすという脅しだった。
「申し訳ありません、失礼します!」
彼女たちは立場が悪くなると、ドレスの裾をたくし上げて、はしたなく駆け足で駆けて行った。
全くと言っていいほど、礼儀も教養もなく、最後まで令嬢の風上にもおけない人たちだった。
マリーは呆れていた。
バタバタと過ぎ去っていく令嬢たちはひどく滑稽だった。
大抵の寄ってたかって人を貶めようとする人間は、自分が責められるとひどく弱い。
自分の立場を棚に上げた勘違いな彼女たちが不敬罪にならなかっただけ、よかったとマリーは思った。
「テオなんで……?」
令嬢たちが嵐のように過ぎ去った後、サラとテオフィルはしばらく何も言わなかったが、サラが掠れた小さな声で言った。
サラより背の高いテオフィルは慈愛を滲ませて見下ろした。
テオフィルは、目を細め、口角を少し上げた、いつもの社交界向けの貼り付けた微笑みなんかじゃない、愛しくてたまらないというような、とても優しい表情だった。
「あんな小説ぐらいで嫌いになるわけないだろう。馬鹿だな、サラは」
「どうして……。普通は、正常な人は、軽蔑したり嫌いになるものですわよ」
「困ったことに、全然嫌いになんてなれないよ。まともじゃないんだよ、僕はきっと」
テオフィルは慣れたようにその長い指でサラの形の良い頭を撫でた。
「ごめん。ずっと前から君が小説を書いているって知っていたんだ。もう、出版する前からね」
「え……?」
「今や僕は、君の大ファンで君の本は、全刊持っている。限定サイン色紙も持っている。君の小説は毎日夜な夜な読むよ。毎回ね、君の想像力には驚かされる。……小説の内容みたいに君の好みに添えなくてごめんね」
「……え? いや、あれはファンタジーで……」
サラはぎょっとする。
どうやら、テオフィルはあんな小説を真剣に読んでいるようだった。
信じられない話だ。
テオフィルの頭は大丈夫だろうか。
テオフィルはサラに優しく言った。
「本当は君が望むなら、僕はいくらでも縛られても、罵られても、サラならいいんだけど。でも、どうも君がいると緊張してしまって、僕は使い物にならなくなる。普通の対応しかできない。ごめんね、つまらない男で……」
「いえ、縛りたいわけじゃ……なんで私がテオを踏みつけなきゃいけないんですの? わたくしの憧れがテオなのに……?」
全くその通りなのだ。
縛りたいとかじゃなくて、娯楽としてのふざけた読み物であり、実際にする代物じゃないのだ。
本気にしてもらったら、困るのだ。
「でも今回のことで痛感したよ。秘密はよくないね。今度から夫婦になったんだから、どんな事も話すようにしようよ。それがどんなに恥ずかしい物でも。僕と、君は死ぬまで一緒なんだから、いや、君が死んだらすぐに僕は君の枕元で死ぬというか……」
テオフィルは照れ臭そうに言うが、かなり重い言葉である。
発言の節々が病んでる気がするのはマリーだけではないだろう。
サラは困った顔をしている。
上手く内容が飲み込めていないのか、ぼんやりというか。
「え、えぇ……。秘密はよくないですわね。ちゃんと話す事は大切だと、わたくしも思っていたんですの。……ところで、テオに秘密あるんですの?」
テオフィルは一瞬、目を伏せて、恥ずかしそうに爽やかに笑った。
ありがとうございました。




