姫と修道女の夜
修道女マリーは、護衛初仕事であるのに、今夜も大失態だ。
(ああ、なんで私はいつもこうなんだろう)
マリーは今回も『何かを踏み間違えてしまった』、もしくは『自分が抜けている』せいで、護衛するはずであるサラ姫に押し倒されてしまっているこの状況を後悔した。
今回のストーカーじみた変態犯人ならわかる気もする。だがしかし、姫に押し倒される『護衛』なんて、世界中探してもマリーぐらいだ。残念なことに。
サラは、マリーの上にのしかかり、強引に服を脱がそうとしている。
まだ婚約者(戸籍上の仮の婚約者)にも晒したことのない胸元を、サラは暴こうとしているのだ。
リシャールですら、こんな無理やりはされた事ないのに。……いや、それより問題は女同士という点において、おかしいのだけれど。
マリーは、人生においていろいろ間違えを犯し続けていることを自覚している。
もしかしたら、修道女になったことから過ちは続いているのかもしれない。
マリーの故郷を、弟の命を救ってくれた聖女様のようになりたいのに、足元にも及ばないどころか、彼女とも再会できず、現在まで数々の失態続きだ。
(油断した、まさかこんなことになるなんて……)
どうやらサラは本気のようだ。
力が強い。何がなんでも事に及びそうな勢いがある。
全ては酒が悪い。
そして、ここまでサラを追い詰め、マリーと肌を重ねたいくらい孤独にした依頼主が。
(テオ様、ただサラ様と横になって寝るだけの任務って言ってたのに、話が違う!)
サラの夫であるテオフィルも、まさかこんな展開は想像しなかっただろう。
現に、サラ(マリーにとっては仮の婚約者の弟嫁)とマリーが長椅子で今にも間違いが起こりそうな体勢だ。
とっても複雑な状況である。
嫁同士の浮気現場に見える。
このまま、事が過ぎれば、泥沼は回避不可能だ。
リシャールも、テオフィルも、兄弟揃って嫉妬深いから、大変なことになりそうだ。
サラをほって置いたテオフィルが悪いのか、浮気をするサラが悪いのか、サラを誘惑した? マリーが悪いのか。
いったい、誰を責めればいいのか、不明な状況だが。ただ、リシャールは被害者なのは分かる。
サラがマリーを酔った勢いで、ガウンの胸元を脱がしにかかっている。少しガウンがずれて、胸の谷間が見えて、サラはにやっと笑う。
(どうしょう……さすがに護衛しているのに、突き飛ばすわけにもいかないし)
「ローゼ様、手を退かして下さいませ? とっても、いいことしましょう? わたくし、攻めることもしてみたかったのです」
「いや、です! こういうことは夫婦でして下さい!」
「テオにこんな事できるわけないでしょう?」
サラは困った顔で言う。
夫婦ではできない行為を友人のマリーではできるというのが、そもそもおかしい。
「貴女は不思議と……嫌がる顔がとってもいいお顔です。すごく、嫌そうなのに、逆らえないか弱さとか、簡単に漬け込まれる感じがもう堪りません。あ、これが嗜虐心を煽るというのですね」
「サラ様、よく考えてみて下さい。気の迷いとはいえ、事に及べば、テオ様に殿下も加えて泥沼ですよ」
「そうですわねぇ。泥沼は回避不可能です。まぁ、今夜は、彼らのことは忘れましょう。無粋ですよ」
突如、サラは胸元から手を離し、マリーの脇腹をこちょこちょとした。
「あ、ちょっと、な……あはは」
思わずマリーはサラの手を離してしまう。
すかさず、サラはマリーのガウンの紐を解いて、胸元を開いた。
「あ……」
布の少ないベビードール姿になってしまう。
「あら、まぁ……なんて、やらしい」
サラはそう呟いて、唾を飲み込んで、マリーの身体にあるリシャールがつけた首元や肩のアザにそっと触れた。
「いつ、つけられたんです? こんなにも。身体中にあるのかしら」
「いえまさか。……首周りだけですよ」
「彼なら、全身くまなくつけそうですけど、意外ですね。まだ関係は持ってないということでしょうか」
さすがサラ。伊達に官能小説家をしているわけではない。
瞬時にマリーとリシャールの関係を見抜いてしまう。
「抱くわけでもなく、痕だけ残すなんて、リシャール様にも可愛いところあったんですね」
サラは嬉しそうな顔をした。
マリーも、リシャールの真意は分からないが、少なくとも彼はまだ優しかったと思う。この状況下では、身に染みて思った。
(女の子に押し倒されるなんて、私ってちょろすぎだわ……殿下はまだマシだったわ)
サラがもし男だったら、完璧にアウトだった。
「じゃあ、リシャール様とは、違う場所に痕でもつけましょうか。今日の思い出に、胸とかどうです? うふっ、彼はなんというでしょうね」
「サラ様……!」
もうダメだと悟る。
痕なんて残されたらリシャールまで巻き込んだ泥沼劇の幕開けだ。
王族をたぶらかした悪女になるのは避けたい。
マリーは無事に任務を終えて、修道院に帰って、静かに暮らしたいのだ。
「ごめんなさい、サラ様!」
やむ終えず、マリーはサラの足を引っ掛け、長椅子から転げ落ちる。マリーが下になって落ちて、一緒に転がり、サラを押し倒す形になる。
マリーはサラの頭脇に両手をついた。
「マリー様?」
サラはやけになっている。
きっと寂しくて、紛らわせたくて、現実から逃げたいだけなのだ。異国から嫁いでいるのに、愛してくれるはずの夫は冷たく、友だちもいない。
もし、マリーがサラの立場でも、つらいと思う。
マリーはサラをぎゅっと抱きしめた。
「……サラ様、こんな事をしても、虚しいだけです。何も変わりません」
サラの好きな人は別にいる。
やっぱり、冷たくされてもテオフィルが好きなのだ。別れてもずっと思い出にしておきたいくらいに。
マリーはサラのつらい思いを紛らわせるための、代わりに過ぎない。
きっと酒の勢いのおふざけでもあるが、終わった後に後悔しか残らないし、友だちでもいられない。
サラとはずっと友だちでいたかった。
ちょっとズレたところも、暴走気味だけど、聡明な彼女は王都に来てはじめての同性の、友だちだ。
「私、サラ様とはずっと友だちでいたいのです。辛い気持ちはわかりますが、もっと自分を大切にして下さい。私でよければ相談にものりますし、テオ様に文句も言ってやります!」
「……ローゼ様」
「もし、どうしても、つらくて、どうしょうもない時は……修道院でよければ一緒に行きましょう」
最後はサラの人生だ。
何を考えているかわからない、身勝手な夫に縛られる必要もない。
修道院に行けば、王族の権力も効力を無くす。
サラは修道院の中では何にも縛られず、自由に生きていける。
きっとサラは知識も豊富で聡明であるから、仕事も任されるだろう。
マリーが顔を上げると、サラが涙ぐんでいた。
「ローゼ様、あなたはほんとうに優しいんですね。襲われそうになったのに、人が良過ぎます。……マリー様に先に会えば、よかった。わたくしが、男なら、よかったです。……神様は残酷ですね」
サラは綺麗に笑って、微笑んでいた。
********
マリーはサラと添い寝をしなければならない。
仕事ではあるが、先程のこともある。
しかも、ここがサラの寝室という事で変な気分だった。
寝室といえば、単純に寝るだけの場所であるが、別の意味もある。
サラ一人で寝るには十分過ぎる大きさの天蓋付きベッドにサラは腰掛けて、マリーを手招きした。
「どうしましたの? 横になりましょう」
「でも、ここはその夫婦で過ごす場所でありますし、私なんかが寝てもいいのでしょうか? 護衛ですし……」
そもそも護衛であるから、寝ずに椅子か床にでも座って、朝まで警護すべきだ。
「大丈夫です。気にされなくても、ここで、そのようなことはしたことがありません」
サラは優雅に立ち上がり、窓辺に行く。
季節外れの薔薇が咲く中庭が見える大きな窓枠にサラは手をかけて、薄いレースカーテンを開けた。
雲はなく、欠けた月が空に浮かんでる。
「実は、この前……といっても随分前に、窓付近でしたのです」
あ、ああ。そうなのか。
だったら、そのベッドで事が行われたとか想像せずに、心配せずに寝れる、なんてそんな問題ではないけど。
「しかもその日は変な雰囲気で、彼は何故か途中でやめたので、未遂です」
「……」
どう返していいのやら。
テオフィルは襲うくせに、結婚してからは避けたり、途中でやめたり、意味不明だ。
窓辺に立つサラは絵画のように、お人形さんのように整っていた。
こんなに美しい妻を娶りながら、途中でやめる、なんてやっぱり彼はおかしい。
やはり、病院をすすめるべきか。彼にも男としてのプライドがあるだろうし、デリケートな問題だ。
憂鬱そうなサラが窓の外に目を向けた。
それから言葉を無くしたサラが、黙り込む。
「どうされました?」
マリーも立ち上がり、窓辺に行き、外を見るが誰もいない。
サラが震える声で言った。
「誰が居ましたの。黒いローブの、男性が庭の中央でこちらを見ていて、すぐにさぁっと闇に消えて……」
「え……」
闇に消る、なんてことは魔法でもあり得ない。
存在が消えるなんて幽霊でもあるまいし。
あり得るなら、幻覚や精神系の魔法、つまり今は禁術になっている古代魔法くらいなのだ。
犯人はいつも手紙で迎えに来ると言っていたから、もしかして本当に迎えに来たのだろうか。
マリーは急いでサラの手を取り、寝室から出た。
そこは広い居間のような空間で、待機しているはずの護衛が一人もいなかった。
(誰もいない? やはり犯人がみんな始末したの?)
しかし、そこに思わぬ人がいた。
そこには、居間の中央にあるソファに足を組んで座るよく見慣れた人物がいた。
不遜そうにやや顎をあげて、意地悪そうに口角が上がっている。
「殿下……何故ここに?」
マリーの思考回路が止まる。
屈強な護衛はどこに消えて、何故リシャールがサラの居間にいるのだろう。
こんな時間に訪問のわけはない。
サラもわなわな震えて、リシャールをみて指をさした。悪役を名指しするように。
「り、り、り、リシャール・スウルス・メイルアンテリュール!」
「サラ・セゴレーヌ・シモン……いや、サラ・セゴレーヌ・スウルス・メイルアンテリュールか」
サラとリシャールはお互い呪文みたいな長いフルネーム言い合った。
一応、他人行儀ではあるが、リシャールにとってサラは義理の妹にあたる。
それから、二人はお互いを見つめていた。
サラは酒が抜けていないからか、心底嫌そうに。
リシャールも眉根をよせて、不快そうに。
先に切り出したのはサラだった。
「こ、こんばんは、リシャール様」
「こんばんは、サラ姫。と、私の大切な婚約者殿?」
リシャールの声は低くて、響いて、胸が熱くなるような落ち着いたものだった。
ただ、呼ばれただけなのに、どきっとする。
リシャールはマリーに視線を移し、頭の先から足の先まで吟味するように見つめた。
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