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修道女と姫の金曜日

 空が茜色と夜色に混じり染まる夕暮れ時。

 今日は待ちに待った、金曜日。


 週の仕事を終えた世の男女が相引きし、夜の訪れを待ち侘びる時間。

 ある者は、苦楽を共にする妻の手料理を楽しみに帰路に着く。

 ある者は実に陽気に恋人との待ち合わせ場所に向かう。

 ある者はやるせ無い思いを抱えながら、夜の街に出向く。

 そんな時間がもうすぐ来る。


 もちろん、王城で働く者たちも例外ではなく、定時で仕事が終わった文官たちは城から街に帰っていく。

 その人の群れに逆らい、マリーは歩いていた。


(よし、がんばろう)


 ちょうど今日、マリーはジャンから勧められ、専門の商人から護身用の魔具を一通り見繕っていたのだが、急遽、夕方から仕事が入った。

 数日前にテオフィルから依頼を受けたサラの護衛である。


 本当は明日から護衛に入ることになっていたのだが、突然、テオフィルから依頼されたのだ。

 話によるとテオフィルは急な案件で3日ほど帰れないらしい。

 颯爽と現れた彼は『急だけど、お願いね。姉さん』と言い残し、早々と旅立ってしまった。

 ちなみにマリーは彼の姉ではないが、彼の兄の婚約者であるため、女っ気のない兄と是非結婚してほしいらしく、時たまそう呼ぶのだ。

 姉さん、と呼ばれても、もはやマリーは動揺しない。とりあえず、あまり拗れないように、肯定も否定もせずやり過ごしていた。


 なにせ、相手は王子様たち、王族なのだ。

 その気になれば、監禁でも拷問でも24時間ストーカーでも合法的に何だってできるのだ。

 逆らってはいけないのだ。


(魔具、早めに用意しておいてよかった)


 マリーはそっと胸を撫で下ろした。

 護衛をするのに、大した攻撃魔法も使えないようではお話にならない。

 だから、今回は、護衛するからには本格的に、飛び道具や、幻覚剤、煙幕、戦闘用の剣もそろえた。

 それらのすべての武器は、指輪やブレスレットに変換できる仕様のもので、コンパクトだ。

 高価だったが、いい買い物だった。

 今後、このような仕事が増えればきっと役に立つ代物だ。


(今月の給料はすっからかんだけど)


 明日からは野菜屑スープの日々が続きそうだ。

 お金は、予告もなく消えていく。そういうものなのだ。ちょっと貯金が貯まったかな? と思うと突然パァッと飛んでいく。


 一応、マリーは戦闘の実践はないが、学校で一通りの攻撃は習っている。

 ここ数日、フレッドが不在のため、ジャンに護身と逃げるための攻撃を習い、特訓してきた。


(今回はちゃんと仕事してみせるわ……。クビは嫌だもの。クビなんてなったら、生活能力も、アテもない私は、ほんとうに殿下と結婚して……フレッドたちの話で言う、世にある一通りの辱めを受ける運命が待っているわ。あの人、粘着質で執拗だもの……)


 そんなことになったら、死ぬ。

 いろんな意味で耐える自信がない。

 壊れてしまう。


(いや、私自身、殿下に取り返しのつかないような行為をされたってわけじゃないけど、時々ね、底知れぬ異常さを感じるのよね……殿下が氷華殿下という事抜きにして)


 それに、マリーは修道女。ごめんなさい、殿下。

 他を当たってくださいな。

 きっといい人がいるはずです。


 その思いは任務についた頃から今も変わらない。

 彼に願うのは、今も昔も、任務が終わり次第マリーのことをきっぱり忘れてもらうことなのだ。

 だいたい、『ローゼ』という人物は存在しないのだから。


(私は、王族にはなれない)


 リシャールと別れることは、少し寂しくもあるけれど。

 例え、彼とマリーが結ばれるとしても、ハッピーエンドの先も、人生は続いていく。

 その先をこなせる人物が王子様にふさわしい女性なのだ。

 リシャールは気の迷いで、マリーを好いているに違いない。

 王族として生きるのであればその選択は、今後彼を苦しめる。

 王族にとっての結婚は、政治的な兼ね合いや公務のパートナーを考えて決めるのだ。

 そこに愛だの、恋だの、そういう役に立たないものはいらない。


(私には、ちゃんと仕事をこなすしか未来はないの)


 マリーは未だに手柄がなく、切羽詰まっていた。

 任務終了の砂時計は、三分の一しか砂が残っておらず、時間が差し迫っていることを示している。 


 ちなみに、今回の護衛は極めて簡単だ。

 何もなければ一晩、サラと寝室で過ごすだけ。

 もし、犯人に遭遇した場合、居間で待つ護衛達が寝室に来るまでの護衛と犯人の足とめをする。

 それくらいはマリーでもできるはずだ。


 今日は、そろそろ街に帰ろうとしているところを、呼び止められ、サラの部屋を訪室したのだった。


 サラの部屋に行くと、そば付きの侍女が部屋の中に通してくれた。

 そこは、居間のような広い空間で、ソファにサラはいた。

 もちろん、数名の腕が立ちそうな筋肉モリモリであろう体格の良い甲冑姿の男たちが10人ほどサラを取り囲むようにいた。


「今日はよろしくお願いしまスッ!」と握手を求められ、とりあえずマリーは順番に頭を下げて、握手をした。


(こ、怖い……)


 彼らは2.5メートルぐらいの規格外の身長に加えて、年季の入った大鎌に、大剣、鞭、武器はさまざまだが、迫力があった。

 しかも、異様に男臭い。そして、甲冑をとって、にたぁっと笑った笑みも胡散臭い。極悪暗殺集団みたいだ。

 その男たちには悪いが、サラのピンクベージュの壁紙に薔薇模様の絨毯が敷いてあって、花が飾られている部屋には全く似合わない存在だ。

 異様だ。

 もうちょっと見てくれがマシなやつはいなかったのだろうか。イケメン騎士とか。


(でも、まぁ……見るからに強そう……。私が犯人なら絶対この部屋入らないわ)


 恐ろしくイカつい彼らにマリーはギョッとしたが、見方だと思えば心強かった。


 サラが平然と語った。


「彼らは優秀な護衛なので安心して下さい。命をかけても守ってくれます……テオの…………えっと、大ファンなので」

「えっ?」



(ファンって、男だよね? えっ、まさか……いや、それ以上、……考えるのはやめよう)


 マリーはどう反応すればいいかわからなかったが、すこし彼らについてどう説明すべきか戸惑ったサラの言い方から何かを悟った。


 どういう気持ちでサラは護衛してもらっているのだろう。

 彼女はただにこにこと笑っていたし、彼らもサラに愛想も良かった。

 よかった、関係は良好そうだ。


 ただ、こういう輩に護衛をさせるテオフィルの神経はわからないが。

 いや、もう『王族』は別の人種と思った方が理解に苦しまないのかも、とすらマリーは思い始めていた。

 何事も諦める、受け入れてしまえば、人生はそれなりになる。


 ちなみに、サラはもう湯浴みを終えていたようで、髪を濡らし、ガウン姿だった。


「ローゼ様」


 サラはこれから護衛されるというのに、満面な笑みだった。恋人に会った少女のような、ほんとうに嬉しそうな微笑みだった。


「今夜はよろしくお願いします。ふつつかものですが、ローゼ様に満足していただけるよう、用意しましたの」

「……満足?」


 マリーはサラの護衛に来たのにおかしな台詞だな、と思う間も無く。

 マリーは、訳がわからないまま、サラに手を引かれ、脱衣所と思われるスペースに通された。


「……脱がせても、いいですか?」

「いや、あの……サラ様?」


 サラはマリーの返事を待たずに彼女の後ろにまわり、ドレスを脱がせはじめた。


「ちょっと……さ、サラ様?」


 静止も聞かずにサラは、手を動かした。

 するする、ストン、と重いドレスが床に落ちる。

 サラはマリーの背中にあるコルセットの紐を解くため、金具に手を滑らせた。


「あら……まぁ。随分、脱ぎにくいタイプですね、留め具が変わってますわ。……あはは、誰がこんな着にくく、脱がせにくいタイプ選んだのでしょうかね……」

「あの……」

「嫌な感じですわ。最近は自分で脱ぎ着しやすい、前紐タイプもあるのに。まるで誰かが、脱ぎ着を手伝いたいとすら考えられます」

「えーっと、サラ様? 何をされて……?」


 誰が選んだか、と言われれば、決まっている。

 最近、マリーのドレスは全部彼が勝手に購入したものだ。つまり、婚約者が用意したものしかなく。

 妙に着にくいと思っていたが、ファッションに疎いマリーはサラに言われるまで気づくはずもない。

 だって、マリーは修道女だから、ドレスなんて着る機会もなかったし、何が流行っているのかもしらなかった。

 マリーは、ほんとうに、何故女性が自分で脱ぎ着する必要があるかも、わからないのだ。

 サラは器用に留め具を外した。

 紐も丁寧に外していき、ため息をついた。


「あら、胸が潰れるくらい締めてますわね。かわいそうな、お胸さん。とーっても、苦しそう。サラシレベルの改良下着でしょうか?」

「……えっと」

「小柄な身体に似合わず……まぁ、こんなにぷるぷる揺れる程あるのに、隠すように潰れてしまって……早く楽になってほしいです。誰がこんな下着を選んだんでしょうね?」

「あのー」

「きっとそういう方に限って、いやらしい方ですわ」

「もしかしたら……そうかもしれません」


 マリーは彼に思うこともあったので、同意した。


 サラは紐をゆるめると、隙間からはみ出た胸を哀れな顔で見つめた。マリーは支給された下着をつけていただけだ。

 何故か着ると、胸が小さくなる下着。

 支給した人物が何を思って胸を押しつぶしたのかは不明だ。


「あの、脱がなくても大丈夫ですから……」

「だって、コルセットぎゅうぎゅうだと、つらいですよ。わたくししかおりませんし、楽な格好で過ごして下さい」


 サラは脱衣所に丁寧にかけられた夜着一式を指差した。

 サラはマリーがドレスのままだったので、甘美でない清楚なワンピースタイプの夜着と、羽織にコットン生地のガウンを貸してくれるようだった。


「新品ですから。サイズはぴったりです」

「……あの」

「テオが調べてくれたのです」


(この夫婦、何やっているんだろう)


 というか、友人のスリーサイズを旦那に聞くな。仮にも兄の婚約者のスリーサイズ調べて嫁に教えるな。


 前にも似たような展開があったし、まぁ、常識の範疇なのかもしれない。王族はちょっと感覚が違うのだ。勝手に人の経歴とか身体について調べたりする生き物なのだ。

 マリーは、そう思うことにした。


(でも、へんな展開にならないでよかったな。さっき、テオ様のファンを見たからか、恋に性別が関係ないと知ってしまったあとだったし……)


 一瞬、サラに脱がされ、戸惑ってしまったが、勘違いでよかったと思う。 

 最近、自分が抜けているせいで後悔が後をたたないのだ。


 腰に火傷をした古傷があるため、サラもこのようなものを見せられたら迷惑だと思ったマリーは、自分で着替えれると伝えた。

 サラは残念そうだったが、素直に脱衣室を出て行ってくれた。マリーは用意されたものを全て身につけ、脱衣所を出た。


「かわいいです! ぴったりで良かったですわぁ」


 サラはいつになく、上機嫌だった。

 マリーの夜着姿を満足そうに見て、にやにやしていた。


「わたくしと同じブランドなんですの、レースが可愛いでしょ? ガウンを着ているし、見かけはお淑やかなんですけど、あら不思議、下着は破廉恥かつ恐ろしいくらい脱がせやすいんですの! 『脱がしてみるとすごいでしょ?』が、今夜のテーマなんです」


 確かに用意された下着はペラペラでかなり危うく透けてて、肌の色がほんのりわかるくらいのやばいやつで、しかも辛うじて大事なところを隠す機能性のない紐パンで、履かない方がマシなやつだった。

 ワンピの下は透けそうなベビードールだ。正直、乳が溢れそうだ。

 どっかの誰かが買った、サラシみたいなコルセットの方がちゃんとした下着だったと思う。


 サラが何をしたいのか、わからない。

 ただ、マリーは用意されたものを着るだけだ。

 いかなる時も。

 

 そういうところが、マリーの過ちのはじまりなのだ。


「寝室に、お菓子も、つまめるもの、お酒もジュースも、好色本もたくさんあるので、来てくださいませ!」


 サラはパジャマパーティのようなノリに見えた。

 マリーは悪い予感しかしなかった。


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